映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』感想  拗らせアラサー女子の、虚しくも哀しき復讐譚!!

 

クラブでだらしなく泥酔し、夜な夜な男性に「お持ち帰り」されているキャシー。…というのはフリで、実は酔っ払ってなどおらず、エロ目的の男子に制裁を加える日々を送っていた。
大学を中退し、実家に寄生しバイト暮らしの彼女だが、ある日、バイト先で医学部時代の同級生ライアンと再会する、、、

 

 

監督は、エメラルド・フェネル
本作にて長篇映画デビュー。
脚本も手掛けており、第93回アカデミー賞脚本賞を受賞した。

 

出演は、
カサンドラ・トーマス/キャシー:キャリー・マリガン
ライアン・クーパー:ボー・バーナム
スーザン・トーマス:ジェニファー・クーリッジ
スタンリー・トーマス:クランシー・ブラウン
ゲイル:ラヴァーン・コックス
マディソン:アリソン・ブリー 

アル・モンロー:クリス・ローウェル 他

 

邦題の『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、
原題の『Promising Young Woman』をそのまま日本語にしたものです。

どういう意味かと、ざっくり言いますと、
前途有望な若い女性」という所でしょうか。

 

つまり、本作鑑賞前の予想は、
題名から考えるに、

前途有望だった医学部の女性が、
何故、
アラサーまでフリーターをやって、
夜な夜な「お持ち帰り男子狩り」をやっているのか?

みたいな感じかなぁ、
という予想を立てていました。

 

でも、実際の作品は、

何か、思ってたのと違う

 

という印象でした。

 

勝手な印象で、
鑑賞前は、
コメディタッチな作品なのかな?

と、思っていましたが、

蓋を開けてみると、

アラサー拗らせ女子の復讐譚

 

だったんです。

 

主演のキャシーを演じるキャリー・マリガンは、
過去作でも、
拗らせ女子を延々と演じ続けてきた印象。

正に、本作の主演にうってつけのキャスティング。
名前も似てるし。

 

そもそも、
お持ち帰り男子を、
酔ったフリして、逆に釣って、
夜な夜な制裁を加えている

という設定自体が、
かなり病的な印象を受けます。

何故、
キャシーは、そういう行動をとっているのか?

 

「前途有望」だったハズの彼女が「落ちぶれた」背景に、

蔑ろにされる、
社会における女性

 

という問題が潜んでいるのです。

 

かつて、2004年のスーパーボールにて、
ジャネット・ジャクソンが、
ハーフタイムの歌謡ショーにて、
共演したジャスティン・テインバーレイクに衣装をはぎ取られ、
胸を露わにされるという事件がありました。

しかし、
批判され、謝罪を要求されたのはジャネットで、

ジャスティン・ティンバーレイクの方は、
その後、益々キャリアと人気が高まっていきました。

この事件は、
人種的、性別的な差別の証左であると言え、

本作にも通じる、
アメリカ社会の問題点であると思います。

因みに、
この事件に焦点をあてたドキュメンタリー作品、
『マルファンクション:ザ・ドレッシング・ダウン・オブ・ジャネット・ジャクソン』
が、配信されるそうです。

 

アカデミー賞脚本賞を獲ったという事は、
それ程本作は、
アメリカ社会に響いたという事。

 

設定の奇抜さで釣りつつ、

観客には、
その問題点を提示する。

それが本作『プロミシング・ヤング・ウーマン』の目指している所なのかもしれません。

 

  • 『プロミシング・ヤング・ウーマン』のポイント

社会において、蔑ろにされる女性

寸止め演出

主演のキャリー・マリガンのファッション

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • キャリー・マリガンという女優

本作『プロミシング・ヤング・ウーマン』の主演は、
キャリー・マリガン。

10年くらい前、
初めて観た時は、
「歳の割に、若く見える(けれどもオバサン顔)」みたいな印象でしたが、

今回、
冒頭の、泥酔している姿を一目みて思ったのは、

若作りしている50代」という印象です。

どうですかね?
見るからに地雷なので、
実際あんなオバサンが居ても、完全スルーだと思うのですが、どうでしょうか?

 

それはさておき、

キャリー・マリガンと言えば、
過去作から結構、
ファム・ファタールというか、
男を破滅させるビッチ的な役を好んで演じている印象があります。

『ドライヴ』(2011)とか、
『華麗なるギャッツビー』(2013)とか、
ワイルドライフ』(2018)とかですね。

 

そういう意味では、
今回のキャシー役も、
彼女の面目躍如といった所です。

 

  • 復讐スルハ、我ニアリ

そんなキャリー・マリガンが今回演じるのは、

アラサー親元寄生フリーターで、
夜遊び(お持ち帰り男子狩り)に興じるこじらせ女子。

 

大学の医学部にて、前途有望と言われた彼女が、
何故、ここまで落ちぶれた日々を送っているのか?

 

それは学生時代、
自分の幼馴染みであり、親友のニーナが、
同じ学部の男子学生の連中にレイプされ、
更に、
それを大学側に訴えたのに、
「前途有望な男子生徒」の未来を守る為に、
その訴えが黙殺され、
寧ろ、ビッチはニーナの方だとあらぬ噂を立てられ、
絶望し、自殺してしまった事件に端を発しています。

 

酒場の乱痴気騒ぎで、
死ぬ事になった幼馴染みの無念を晴らす為に、

キャシーは夜な夜なクラブで、
「お持ち帰り男子」に制裁を加えているのです。

まぁ、
無関係のヤツらで、憂さ晴らししてるだけなんですがね。

 

しかし、
本作で描かれる「復讐」と言うテーマは、
幼馴染みの仇討ちという側面もありますが、

何故、
無関係の男性を無差別に襲っているのかと言いますと、

それは、
いくら能力と実力があっても、
男性の方が「前途有望」と見做され、
社会では優遇される

という、女性差別に対する、
レジスタンスだからなのです。

 

確かに実行犯は別の人間、
煽ったのも、別の人間、
黙殺した学校側も別の人間、

しかし、
男性優位が当たり前、

酔っ払っていたら、
お持ち帰りして当然と、思いあがっている様な、

そんな社会に対する叛逆という訳です。

だから、言うなれば、
世の中に生きて居るだけで、
男性全体が復讐対象となるのです。

 

正に、
「復讐するは我にあり」という訳です。

 

  • 何故、寸止め復讐演出なのか?

なので、本作は、

ミクロな目線で言えば、
ニーナの無念を晴らす、キャシーの復讐譚と言えますが、

マクロな目線で言うなら、
男性優位が当たり前としている社会に対する叛逆
と、言えるのです。

 

なので、
実際の復讐の場面を、
敢えて疎かにしている節があります。

 

例えば、
夜な夜な「お持ち帰り男子」に制裁を加えている、
という設定ですが、

しかし、
実際には、キャシーは、男子に何をして、
どんな制裁を加えているのか?
その具体的な描写は皆無です。

唯一の具体的な描写は、

キャシーの泥酔を、
フリだと直前で見破った男子(映画『キック・アス』に出てた人)が、
彼女の制裁を辛くも逃れた場面であり、

失敗例をシーンにして、
成功例を描かないというのは、
意図的な演出だとしか思えません。

 

また、
ニーナ自殺の原因に深く関わっている人達に対する復讐も、

何処か、手抜きというか、

制裁を確実に実行せず、

相手が、
後悔、謝罪、絶望したら、
そこで、キャシーは許しているのです。

 

ニーナの被害を信じなかったマディソンに、
安心する様な言葉を掛けたり、

レイプ犯のアル・モンローを弁護したグリーン弁護士が、
泣きながら許しを請うたら、
その罪を許すのです。

 

ミクロな復讐が目的なら、
きっと、
個別の復讐エピソードを、
もっとキッカリハッキリ、
相手に同情せず、
罰を明確に与え、

スカッと爽やかにフラストレーションを発散させてくれた事でしょう。

 

しかし、
本作では、キャシーは、それをしない。

何故なら、
「復讐するは我にあり」
つまり、新約聖書によると
悪人に報復を行うのは、神の意志」であって、個人が行ってはならないからです。

 

なので、
個人が社会に行う叛逆であったとしても、
キャシーの復讐は、
失敗し、敗北する宿命にあります。

人を呪わば、穴二つ

どんなに慈悲深くとも、
復讐に手を出した時点で、
彼女の「敗北」は宿命付けられ、
結果、自らの復讐心により、死を迎える事になります。

 

とは言え、
神は迷える子羊をお見捨てにならず、

本作のラストシーンで流れるのは、
映画『デッドプール』(2016)の冒頭でも流れた、
『ANGEL OF THE MORNING』という曲です。

『デッドプール』も復讐の物語でしたが、

ラストシーンで流れた本作では、
彼女が死んで、
神の神意=天使(angel)となった事で、
復讐が成就されるという事を暗示しています。

 

よって、
他の人は許しても、
本丸だけは、キッチリ、落としているんですね。

 

本作は、
その設定だけ見た印象のコメディでは無く、

かと言って、
単純に、悪人に制裁を加える復讐譚でもありません。

もしそうなら、
もっとスカッと悪人をやっつけて、
分かり易く、直接描写を観せてくれたハズです。

本作『プロミシング・ヤング・ウーマン』で描かれるのは、

男性優位社会に対する、
個人の虚しい、敗北濃厚な、叛逆であり、

失敗が運命付けられている「個人の復讐」に、
敢えて突き進む、

キャシー
=かつて「前途有望と言われながら未来を奪われた女性」の

その死を賭した思いで、
罰を与える、

純粋とも言える、思いの物語であるのです。

 

最早、
オバサンにしか見えなくとも、
若作りしたファッションが、
行遅れ女子そのものであったとしても、

流石、
キャリー・マリガン、
その面目躍如たる演技が、
堪能出来るのではないでしょうか。

 

 

 

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