映画『竜とそばかすの姫』感想  ヒット要素の満漢全席!!計算され尽くした傑作!!

高知の限界集落に住む少女、すず。幼少期、母を亡くしたショックから、歌を歌えなくなっていた。
しかし、インターネット最大の仮想世界「U」にて、自身の分身である「ベル」というキャラクターを作ったすずは、そこでなら、自分は歌える事を知る。
その歌が、一気にバズったベルは、一躍有名となり、、、

 

 

 

 

監督は細田守
3年毎に新作をリリースしており、その監督作は、
『時をかける少女』(2006)
『サマーウォーズ』(2009)
『おおかみこどもの雨と雪』(2012)
『バケモノの子』(2015)
未来のミライ』(2018) がある。

 

声の出演は、
すず/ベル:中村佳穂
竜:佐藤健

別役弘香:幾田りら
久武忍:成田凌
渡辺瑠果:玉城ティナ
千頭慎二郎:染谷将太

すずの父:役所広司 他

 

 

 

え~、
先日、
100日間生きたワニ』の話をしました。

巷では批判されていますが、
実際に観ると結構面白いじゃないか、と、
良い所探しして作品紹介しました。

 

で、
本作『竜とそばかすの姫』は、ですね、

良い所探しなんてする必要は無し。
ナッシング。

圧倒的面白さ、傑作です。

 

 

いやぁ、マジで凄い。

先ず、見た目、ビジュアル面が凄いです。

冒頭、インターネット世界「U」の紹介映像が流れるのですが、
それが、広大。

「無機質で、果てしなく広い」というインターネットのイメージを上手く表現した、
3DCGの建築群に圧倒されます。

そこで繰り広げられる、
歌姫「ベル」のコンサートの様子。

絢爛豪華で、印象的で、
テンションが上がります。

映画は、冒頭が大事。
冒頭から、心を掴まれる事間違い無しです。

 

そこから、
ベルの本体、すずの生活圏の描写がなされるのですが、
その、落差もまた凄い。

ネット世界から一転、
現実の、緑豊かな山村の風景、
この背景美術の作り込み、書き込みがまた、凄いのです。

CG演出の凄さを観せた後で、
昔ながらの、背景美術でも圧倒させる。

この冒頭からの、力の入れようのハンパ無さに、
この後の展開を思い、

鑑賞中、期待ではち切れんばかりになる胸を、
腕組みで抑える始末です。

 

 

そして、冒頭で圧倒されるのは、
ビジュアル面だけではありません。

本作は、音楽面も、良い。

言ってしまえば、

『竜とそばかすの姫』は、
ある種の、ミュージカル映画。
細田守版、『美女と野獣』と言った所です。

 

主人公のすず=「ベル」が、
歌姫という設定上、
最低限、歌は歌えなければなりません。

いやぁ、それがですね。

最低限どころじゃなく、
ちゃんと、上手い。

それもそのはず、
すず役の声優さんである中村佳穂は、
どうやら、本職はミュージシャンなのだそうです。

主演に歌を歌わせた、のでは無く、
歌を歌える人を、主演にしている、

そこに、本作の「歌」への拘りがあります。

 

また、内容面でも、
本作のストーリーは、中々、面白かったですね。

公開日の、2021年7月16日に合わせ、
TVで、細田守監督の過去作『サマーウォーズ』の再放送があっていました。

雰囲気的には
『竜とそばかすの姫』は、
「サマーウォーズ 2.0」とでも言えるような、
発展進化形と言える作品に仕上がっています。

そこで描かれるは、

アクションあり、
ラブコメあり、
ボーイ・ミーツ・ガールあり、
家族の物語あり、
サスペンスあり、
何でもありの満漢全席のエンタテインメント!!

 

老若男女、
誰が観ても、
何らかの楽しめる要素が、
如才なく、キッチキチに詰め込まれています。

どちらかと言うと、
細田守監督の作品で、
『時をかける少女』『サマーウォーズ』の初期作が好きだなぁ、
と言う人に、響くのではないでしょうか。

本作は兎に角、
観ている人を楽しませようと、
色々手を尽くしているのです。

 

去年から続くコロナの影響で、
大分、映画の公開延期などがなされました。

その反動か、
今年は劇場公開作品が多く、
上映サイクルが短い様に感じられます。

特に本年は、
アニメ映画が豊作だと感じますが、
その中でも、
本作『竜とそばかすの姫』はズバ抜けた存在。

正に、
今年の劇場公開アニメ作品の覇権と言っても過言では無いでしょう。

 

正統派の王道の面白さ、
『竜とそばかすの姫』を観ずして、何を観るというのだ?

 

 

 

  • 『竜とそばかすの姫』のポイント

満漢全席のエンタテインメント!!

ビジュアル、音楽面で圧倒する高クオリティ

計算と、作家性と

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 突如始まる「細田守」論

細田守監督のデビュー作は、
『時をかける少女』(2006)。
以来、3年毎に、キッチリと新作を上梓するこの律儀さ。

噂によると、
『ハウルの動く城』(2004)は、
元々、細田守監督で、スタジオジブリで制作されていたそうですが、
それが、監督とスタジオ側との意見の相違で企画が頓挫し、
それを、宮崎駿が引き継いだといいます。

そんなこんながあったからか?

3年毎というのは、
自分は、本当は仕事が出来る!
という事を内外に証明する「制約」みたいなモノなのだと推測されます。

 

まぁ、そんな事はさておき。

『時をかける少女』を観た当時、
これは、凄い監督が出て来たな、と思いましたよ。

それまで、
アニメ映画=宮崎駿(スタジオジブリ)的な雰囲気がありましたからね。
宮崎駿以外はオタク的、みたいな、ね。

しかし、
その風潮に風穴を開けたのが、
細田守の『時をかける少女』でした。

とうとう、ポスト宮崎駿が現われた!!といった感じです。

 

続く監督作、
『サマーウォーズ』(2009)もヒットし、
前回がフロックでは無いと証明しました。

 

その後、
『おおかみこどもの雨と雪』(2012)
『バケモノの子』(2015)
『未来のミライ』(2018)と次々にリリースし、

段々と、
世間の評価や、映画賞でも注目を浴びるようになっていきます。

 

しかし、
「おおかみ~」以降、
評論家筋からの評価は高くなっていますが、

『時をかける少女』で細田守に注目した、
旧来からのオタク気質の映画ファンである私は、
微妙な気持ちになりました。

 

何故なら、
初期の『時をかける少女』『サマーウォーズ』は、
単純なエンタメ「活劇」であったのに対し

「おおかみ」「バケモノ」「ミライ」は、
家族関係の物語、
その喪失と、快復を描く、「ドラマ」だったからです。

 

家族関係、その喪失と快復の物語は、
細田守監督の映画に通底する共通テーマです。

常に、少女を描いて来た宮崎駿に対し、

細田守が選んだ、
自分の武器をも言えるものです。

 

しかし、
それが私の中で、賛否両論、
結婚できず、子供も持てなかった、
自分のようなオールドロンリーオタクの劣等感をくすぐる作品テーマであるとも言えるのです。

 

議論の価値がある分、そのテーマ性は良いですが、

「おおかみ」「バケモノ」「ミライ」では、
更に、監督の趣味というか、性的指向というか、

ケモナー指向が顕著に見られます

 

家族関係に劣等感を抱かせながら、
しかし、

その羨ましいハズの、
描かれる家族関係の物語は、

動物を当たり前の性的対象と見る倒錯ぶりで、

何とも、
受け入れがたい指向であると、個人的には感じていました。

まぁ、解り易く言うと、
「おおかみ」「バケモノ」「ミライ」は、
ちょっと説教臭いと感じたのです。

 

しかし、
本作は、
久しぶりの、エンタメ指向の細田守作品。

しかも、
アクション、
ラブコメ、
ボーイ・ミーツ・ガール、
家族の物語、
サスペンスといった要素を121分という上映時間の中に詰め込み、
さながら、インドのマサラムービーのような高揚感に溢れています。

正に、映画の満漢全席のエンタテインメント!!

 

個人的な予想ですが、

おそらく、
「おおかみ」「バケモノ」「ミライ」が、
ちょっと物足りないな~
エンタメが観たいな~

という声は、
監督自身の耳にも入っていたハズです。

しかし、
成功した作家が陥りがちですが、
「おおかみ」「バケモノ」「ミライ」では、
自分が描きたいモノを作ってしまった。

勿論、
実力のある監督なので、
それは、それで、素晴らしい作品と言えるのですが、

『時をかける少女』の様な、
エンタメ作品でファンになった客が観たかったモノでは無かったのです。

だが、
本作は、
その観客が観たかった「細田守のエンタメ」というニーズを、
的確に、捉えた

正に、
作品を、作り手がコントロールし、
何が、何が求められているのか、
何が、ウケるのか、
それを計算し尽くし、

自分の趣味嗜好を、一旦、引っ込めて、
冷静に、客観的に作ったのだな、と感じるのです。

 

だから、本作は、抜群に面白いのです。

 

  • 広がった人脈により、拡がった世界観

映画制作は、一人では出来ません。

監督やプロデューサーのみでは出来ず、
数々のスタッフ、演者にて、成り立っています。

故に、
過去に一緒に仕事をした、
気心の知れた「仲間」と、
次回作で再び組む事が、ままあります。

 

音楽面で言えば、

例えば、

北野武映画では、
久石譲を毎回使ったり、

「エヴァンゲリオン」のシリーズでは、
毎回、鷺巣詩郎だったりします。

 

しかし、本作『竜とそばかすの姫』では、
思い切った事をしています。

すずの「U」内での「As(アズ)」である「ベル」、

その歌の作詞、作曲に、
様々な人物が関わっています。

 

メインテーマの「U」は、
バンド「King Gun」のボーカルとして有名な、
常田大希が「millennium parade」として作詞、作曲。

冒頭の、最も重要なシーンの一つを担うメインテーマ、
その映像と相俟って、
まるで、映画『パプリカ』(2006)のクライマックスのパレードのシーンで流れる楽曲、
平沢進の『パレード』のような高揚感があります。

(因みに、美術監督の池信孝は、『パプリカ』にも携わっていますので、もしかして、冒頭のシーンもプロデュースしているのかもしれません)

 

すずが、「ベル」として自らの殻を破り、
自分が、本能的には「歌える」という事を証立てるシーン。

そこで流れる「歌よ」は、
すずを演じたミュージシャンの中村佳穂が作詞。

作曲は、Ludvig Forssell
ゲームの「メタルギアソリッド」シリーズや、
『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』などに携わっています。

 

また、ベルと竜が、城で心を通わせるシーンの楽曲「心のそばに
クライマックスで、竜に呼びかける時の楽曲「はなればなれの君へ Part1」の作詞は、
監督の細田守、主演の中村佳穂、
そして、本作で音楽監督を務めた岩崎太整が務め、

作曲は、岩崎太整となっています。

 

歌う人は、中村佳穂、一人であっても、
作り手が、これだけ変わっているなら、
成程、あとから思い出すと、
確かに、テイストがちょっとずつ違うなと、気付かされます。

この「違い」が、本作では、
世界観の拡がりに貢献していると言えます。

 

また、ビジュアル面でも、
インターネット世界「U」のプロダクションデザインをしたのは、
イギリス出身の建築家/デザイナーのEric Wong

現実世界の
プロダクションデザインは、
『サマーウォーズ』以降、細田作品に関わっている上條安里

美術監督は、
今回初の参加となる池信孝
池信孝は、アニメ監督の今敏の映画作品の全てに関わっています。

 

また、
現実世界での作画監督は青山浩行

CG作画監督は山下高明

ネット世界のCGキャラクターデザインは、Jin Kim

これにはエピソードがあり、
『未来のミライ』で米国アカデミー賞のアニメーション部門にノミネートされた時、
『リトル・マーメイド』(1989)『美女と野獣』(1991)のアニメーターである、グレン・キーンと出会い、

その縁で、
『アナと雪の女王』(2013)
『ベイマックス』(2014)などに関わったキャラクターデザイナーのジン・キムと知り合ったのだそうです。

 

そう、
思えば、本作の城での、
ベルと竜のダンスシーンは、
『美女と野獣』そのものですし、

更に言うなら、
「ベル」という名前自体、
『美女と野獣』の主人公の名前なのです。

また、
何とな~く、
ベルのデザインが、ディズニーぽいなぁと思ったら、
目と、顔の輪郭のバランスとかですね、

正に、ディズニーでキャラクターデザインに関わった人物がベルのデザインをしており

「歌を歌う主人公」と言えば、
やはり、『アナと雪の女王』を思い浮かべますので、
コンセプトとして、
本作がミュージカルの雰囲気を取り入れ、
ベルに、エルサ風の雰囲気を感じるのも、頷けます。

 

確かに、
作品を安定して作るという意味では、
気心の知れた仲間と作るのが一番いいのかもしれません。

しかし、
より、世界観を拡げたいのなら、
自分の殻を破りたいのなら

世界中の色々なアーティストの参加を促したい。

細田守監督は、
正に、これらの外部の個性を、
上手く、映画としてプロデュースして集めた事が、
本作の成功に繋がっているのだと思います。

 

  • 敢えて言う苦言

映画のテーマ、コンセプト、

ビジュアル、音楽面で、

べた褒めのベタ褒めの本作ですが、
敢えて、苦言を言うなら、
ストーリー部分ですね。
ちょっと、ご都合主義と言いますか、ね。

 

でも、個別のエピソードは好きです。

冒頭で演奏しているルカちゃんが、
カヌー部のカミシンに焦っていたのは、好きだったからという伏線とか。

学級(学校)のグループラインが、
学園プリンスポジションの「しのぶくん」関係で炎上したり。

また、
その世間で批判されがちな者を見つけると、
必要以上に叩いて、
相手を悪と勝手に認定する事で、
自らを正義と自称するビジランテ、
ジャスティンとその一味は、

コロナ関係のネット警察や自粛警察を思い起こさせます。

また、
50億人(推定)が視聴可能なのに、
ネットに素顔を晒したすずの覚悟は、
ネット社会と化した現代ならではの、蛮勇の証明であると言えます。

 

でも、
クライマックスは、ちょっと冗長、
アンド、
無理矢理だなぁ、感がありました。

そもそも、
5時のサイレンと、
画像上の窓からの風景として存在するツインタワーマンションから、
配信者の住所を特定しました!なんて、
鬼女の様なネットストーキング能力を駆使して、
現実で「凸」をするのは、
ルール違反も甚だしいというか、
それ、犯罪でしょ!?

と、思ったり。

まぁ、
大人達は、それが解っているから、
見送るだけで、関わらなかったんでしょうね!!

 

余談ですが、
その時のDVオヤジのパンチの拳の形が良かったですね。

格闘家の「グー」の握り方では無く、
人を殴った事が無い素人の拳の握り方
小説家の森見登美彦が言うところの、「にゃんこパンチ」の手だったのが、
何とも言えませんね。

また、
その時、
すずは頬を傷付けられて、血を流します。

血を流すという事は即ち、
「母の出産」の暗示とも受け取れます。

つまり、
恵とトモくんの二人を、
抑圧された家(父)から解放して外へと産み出す母親、
とも言えるのではないでしょうか。

 

故に、
ともすれば犯罪行為である、「リアル凸」をかましたすずは、

ともすれば、蛮勇である、濁流の孤島に残された少女を助けた自身の母の、
頭脳で考えるより、本能で反応した行動が、
許せたというか、腑に落ちたのだと思われます。

そういう、
他人の家庭の父からの解放を行った事で、
実の父との制約というか、ギクシャクした関係も、清算したというのは、
描き方としては面白かったです。

 

  • 影無し演出

細田守監督作品は、
人物に「影無し演出」を施しています。

影無し演出」とは。

漫画とか、アニメ映画は、
人物に陰影を付ける事で、
よりリアルよりの表現を目指します。

しかし、
思い切って、その「影」を付ける事を排し、
人物の肌の色を均一に塗る事で、
アニメーターの負担を減らし、
その分、工期の短縮、他の表現に注力する事が出来るという手法です。

 

『時をかける少女』から始まり、
『竜とそばかすの姫』に至るまで、人物には「影無し演出」が施されています。

しかし、
本作の「U」でのベルには、
「陰影」がついているのです。

現実世界では「影無し演出」をしているのに、
ネット世界では「陰影」を施すという、この転倒ぶりが興味深いですね。

また、
ベルだけでなく、
ネットで素顔をさらした、
CGバージョンのすずにも陰影が付けられていました。

 

最早、
ネットは、もう一つの現実というより、
現実よりリアルな世界となっているような、
そんな暗喩なのかもしれませんね。

 

 

兎に角凄かった、『竜とそばかすの姫』。

色々な面白さの要素を詰め込み、

それを担保する才能を、
世界中から集め、

それを、
一つの作品として昇華した、正に傑作。

もうね、
う~ん、お見事、としか言えないよ!

 


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