映画『100日間生きたワニ』感想  誰が死んでも、我々は日常を生きて行く

ワニが死んだ。
その100日前。事故って入院したネズミの見舞いに行くワニ。
緩い日常が描かれる。
そして、ワニが死んだ。
その100日後、、、

 

 

 

 

監督は、
上田慎一郎ふくだみゆき
ふくだみゆき監督は、アニメーション作家。
監督作に
『ましゅまろ×ぺいん』(2013)
『こんぷれっくす×コンプレックス』(2015)等がある。

上田慎一郎は、ふくだみゆき監督の夫であり、実写映画の監督。
監督作に、
カメラを止めるな!』(2018)
イソップの思うツボ』(2019)
スペシャルアクターズ』(2019)等がある。

 

 

原作は、
きくちゆうきがTwitter上で100日間連載して話題となった作品、
『100日後に死ぬワニ』。

 

声の出演は、
ワニ:神木隆之介
ネズミ:中村倫也
モグラ:木村昴
センパイ:新木優子
イヌ:ファーストサマーウイカ

バイトちゃん:清水くるみ

カエル:山田裕貴 他

 

 

 

漫画史上、
最もTwitterで流行った作品、
『100日後に死ぬワニ』。

何故、あれほどに話題になったのか?

色々要因は有るでしょうが、
その最たるモノは、私は、
同時代性というか、「ライブ感」だったと思います。

毎日、ワニの生活に触れる事で、
ともすれば、友達感覚で、
同じ時間を過ごす共感性

そこに、四コマ漫画特有の、
語られない詳細の面白さ、
その余白を、色々、読者自身が様々に受け止められるという双方向性が、
『100日後に死ぬワニ』の魅力だったのだと思います。

 

勿論、
「100日後」に確実に「死ぬ」と明言されている関係上、
どの様な展開で、
どの様な原因で「死ぬ」のか、

その下世話な興味によって、
関心を惹きつけ続けていた要因、
というか、作者側の仕掛けも、確実にあります。

 

結果、
最終話の100話には、
国内Twitter史上最高の「214万いいね」を獲得、
エンゲージメントは、2億を超えるという、驚異の数字を叩き出しました。
(数字はパンフレット参照)

 

しかし、
100話目の公開と同日、
その僅か数時間後に、様々なタイアップ、商品展開が発表。

音楽アーティスト「いきものがかり」とのコラボムービー、
特設サイト開設と、グッズ商品紹介、
映画化決定の報告、etc…

ファンが、ワニの死の余韻に浸る間もなく、
怒濤のマネタイズ展開を繰り広げ、

急速に、熱に冷水を打ち水する、
今は誰も覚えていない東京オリンピックの暑さ対策みたいな行動を行いました。

 

まるで、『ミッドサマー』の祝祭の様に、
ワニの「死」をイベント化し、
喜び勇んで公式がマネタイズする様子に、
コアなファン程、シラけてしまうという結果に。

この用意の良さに、
予め、漫画の展開、それ自体に、
広告代理店の関与があったのでは?という推測が起こり、
それが「電通案件」というデマの拡散に繋がり、

上級国民が、
下級国民の感動を喰いモノにして金を回収しに来た!!
という、(根拠の無い)感情の反発が、
話題になった反動で、『100日後に死ぬワニ』が
大いに、炎上する事にあいなりました。

 

なんか、アレなんですよね。

大道芸人が手品をしているのを見かけて、
足を止めて観ていたら、
帽子を目の前に差し出され、

「見るなら金をよこしな」的なジェスチャーをされる、みたいな、

タダだと思ったら、金を要求された、
タダで見ていた自分が、悪者であるかの様な感覚、

このバツの悪さに、
お金を落とすより、むしろ、
作品から無言で離れた人間も、多かったのではないでしょうか。

 

実際には、
連載中、『100日後に死ぬワニ』が話題になるにつれて
様々な商品展開の依頼が多数舞い込む事となり、

作者きくちゆうき氏自身のみでは捌ききれなくなった為、
途中で作った運営会社の「株式会社ベイシカ」であり、
その会社を通じての、
コラボマネタイズ企画であり、

この商業展開を、
連載漫画終了まで伏せていたのは、
作者きくちゆうき氏の、
「漫画にノイズを入れたくなかった」という、

如何にも、作家ならではの意見を容れた故の判断でした。

作品と、読者を愛しているが故の判断が、
後の、大炎上を招いてしまったというのが、
この騒動の皮肉さを物語っています。

 

結果から見るなら、

100話目が近付くに連れて、
「100ワニ」のメディアへの露出が増えた事を考慮し、

連載中から小出しに、
「いきものがかり」とのタイアップが決まりました、とか、
(実際連載中、いきものがかりが作品のファンと公言していましたし)
「ポップアップストアが開催されます」とか、

そういうニュースを報告していた方が良かったのかもしれません。

若しくは、
最終話から一週間なりの間を空けて、
「コラボ企画進行中」という告知を入れた上で、
さらに一週間の冷却期間を置いてから、

徐々に、
企画の詳細の告知を行うべきだったのかもしれません。

 

『100日後に死ぬワニ』の事を思うに、

作品がヒットするのは、
如何に、ラッキーであるのか、

そして、
そのヒットを、商品展開し、マネタイズするのが、
如何に、困難であるのか、

「ラッキー」を「必然」と化する展開に失敗した作品として、
後世に名を遺す漫画になったのではないでしょうか。

 

 

そして、
作品の熱が冷めてしまって、
今更感がありますが、

『100日後に死ぬワニ』の映画化作品が、
本作『100日間生きたワニ』です。

先ず、
日常を描く漫画という作品の性質上
映画化、という展開自体が予想外というか、
映画向きじゃない作品なので、
それを、どの様に「映画化」するのか?
そこに、興味がありました。

やっぱり、
映画って、
ある程度、アクションや「予想外の展開」みたいな、
ダイナミズムが必要だと、私は思っています。

 

更には、
監督が、上田慎一郎!?(&ふくだみゆき)

上田慎一郎と言えば、実写の映画監督。

アニメ映画から実写映画へとシフトするのは、
庵野秀明とか、押井守とか、
過去に例がありますが、

実写映画監督が、アニメ映画を撮るというのは、
中々ない話なのではないでしょうか。

 

もしかして、
『カメラを止めるな!』よろしく、
上田慎一郎監督も、
なんか、広告代理店のお偉いさんに、
「監督、やらない?って言うか、やるよね」と無茶振りされたのではないか?

勝手に、そう推察していました。

しかし実際は、
『100日後に死ぬワニ』の2日目位から見始めた上田慎一郎監督が、
30日目位に企画書を作って、東宝に持って行ったものなのだそうです。

で、
最初は実写映画だった企画が、
東宝側からの「妻のふくだみゆきがアニメーション作家という事なので、一緒に作るのはどうか」という提案を受けて、
共同監督という形で、アニメーション映画になったとの事。

 

へ~、ふーん、そう。

いや、

どう考えても、
豪華声優陣を、そのまま実写映画化した方が、
面白かったよね!?

 

成程!
Twitterで話題になった、「余白」の多い漫画作品を、
映像の「仕掛け」が得意な上田慎一郎監督が実写化する、
コレは、面白い発想だな!

と、思いましたが、
起きなかった事を今更あれこれは言うまい。

 

そんな、あり得たかも知れない世界線の話は置いておいて、

実際、
アニメ映画の本作『100日間生きたワニ』は、
どうだったのか?

Twitter上では、
批判や、つまらなかったという意見が大半、
更には、
劇場の座席予約システムを悪用して、
ガラガラの客席で、文字を書いて遊ぶという愉快犯が登場という、
これまた炎上が起こったり。

 

しかし、他人の批判よりも、
自分の感覚。

 

ある人は、原作が好きで観に行くでしょう。

ある人は、声優を担当した役者目当てで行くかもしれません。

私の場合は、
実写で「思いがけないヒット作」を出した上田慎一郎監督が、
Twitter上で「思いがけないヒット作」となった『100日間生きたワニ』を、
どう映画化するのか?

その事に興味があって、観に行きました。

因みに、
私が観た劇場のハコは、
大体200席位で、
その中に、観客は二人(自分含む)でしたね。

 

で、
散々前置きを語っておいて、
今更ですが、

結論から言いますと、

ふ~ん、悪くないじゃん

 

といった感じです。

前もって、
散々Twitter上で悪口を見ていたので、
かなり、ハードルが下がっていたが故の、
感想なのかもしれませんが。

 

確かに、
海獣の子供』(2019)の圧倒的映像美や、
JUNK HEAD』(2021)の鬼気迫る執念に比べると、

クオリティが落ちるのは事実です。

しかし、
映像や執念を作品に込めるというより、

原作のテイストを、
如何に、映画に落とし込むのか?という側面を重視した場合、

総作画枚数がどうとか、
動きが少ないとかいう指摘がありますが、

本作の映像や動き(アニメーション)の方向性は、
間違っていないと思います。

 

寧ろ、
原作特有のテイストの一つですが、
関節の異様な曲がり具合とかは、

映像としては、動きを考慮しなければいけない映画版では、
割と、普通に描き直されており、

クセが無い分、
画としては、映画の方が観やすいのかもしれません。

 

しかし、
漫画というジャンルの特異性と言いますか、
漫画が、他のエンタメジャンル、
アニメや映画、小説より勝っている点は、

余白の多さ、
これ即ち、
想像力の双方向性ともいうべきものです。

簡単に言いますと、
読者それぞれが、勝手に妄想を膨らませる余地が多いという事です。

 

なので、先程、
「原作のテイストの再現を狙った」とは言いましたが、

ぶっちゃけ、
『100日後に死ぬワニ』自体が、
漫画的な余白に特化した作品ですので、
映像化に不向き、
特に、アニメ化には不向きな作品だったと言わざるを得ません。

 

とは言え、
勿論、
原作の色々なシーンが、
動きと声で再現されているのは、
それなりの感動がある事もまた、事実。

なので、原作ファンなら、
まぁ、及第点の映像化と言えるのではないでしょうか。

 

で、
原作を全く知らない人間が観たらどうなるのか?
と言いますと、

これはこれで、
面白い作品です。

 

原作を知らずとも、
知名度のある作品ですので、
「ワニが死ぬ」事を予め知っているハズです。

その状態で、
日々の緩い、何気ない日常を描写されると、

平和であるが故に、
その行く末を思うと、
そこはかとない無常観が漂っています。

 

確かに、
批判された通り、
映像のクオリティは、
昨今の映画アニメの諸作品と比べると、
見劣りするものです。

しかし、
それを補って、

本作には、一考の余地があると思われる部分は、
その作品のテーマ性です。

そのテーマ性故に、
本作は、
原作の『100日後に死ぬワニ』から改題して、
『100日間生きたワニ』としたのだと思われます。

 

 

以降、内容に触れた感想となっております

 


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本作、冒頭でワニが死にます。

そして、
30分で、再び死にます。

その間に、
原作の緩い日常エピソードを挟んでいるのですが、

ワニは二度死にます。

二度目のワニの死は、
全然作品に思い入れが無い私でも、
結構、観ていて苦しいものがありましたね。

で、

上映時間1時間程度なのですが、

後半の30分がオリジナル展開となります。

 

本作、元々は、
原作通りの映像化をして、
最後に、オマケとして、その後のオリジナルエピソードを加えるという展開を考えていたそうです。

しかし、
コロナウィルスが蔓延しているこの社会状況を鑑みて、

脚本を練り直し、
オリジナルエピソードのボリュームを増やしたのだといいます。

 

当たり前の日常の中での死を描いた原作、
しかし、コロナの影響で、
その「当たり前」が変わってしまった現在において、
「その後」を描く必要性があった

監督の上田慎一郎は、パンフのインタビューでそう語っていました。

 

ワニの死から100日後。

ワニは3月位に死んだから、
それから100日後と言ったら、
大体6月位、梅雨時ですね。

ワニとつるんでいた「イツ(もの)メン(バー)」は、
何となく疎遠というか、
集まる事も無くなっているという状況。

そこに、
映画オリジナルキャラの「カエル」が登場するのです。

 

カエルは所謂「キョロ充」的な感じ

求められてもいないのに、ウザ絡みしてくる人です。

まぁ、それでも、色々あって、
カエルが切っ掛けで、またイツメンが交流するようになり、
何やかんやでメンバー入りみたいになるのです。

 

本作が批判される点に、

1:マネタイズの炎上を引きずって死体蹴りしている

2:映像のクオリティが、他のアニメ映画に劣る

という点がありますが、
内容で言うと、

3:カエルがワニのポジションを奪った感がある

という面があり、
そこが、
純正ファンを不愉快にさせたのだと思われます。

 

このカエル絡みのエピソードは、
賛否両論あるでしょうが、

私は、
本作が面白いと思った点は、
このオリジナル部分なのです。

 

このオリジナルの後半部分、
回想は全くありません。

つまり、ワニが全然出てこないのです。

これは徹底していて、
ふとした切っ掛けで、イツメンがそれぞれ、ワニを思い出す事があっても、
「ワニが云々~」といった形で、
ワニの事を話題にする事すら、一度も無いのです。

 

私の場合、
母など、近しい親族を亡くした時も、

通夜や葬式で通り一辺倒の挨拶をする程度で、
特に、映画や小説なんかでよくある「思い出エピソード」なんかを披露する事はありません

「あいつは~だったよな」みたいな、クサい台詞は実際は吐かないのです。

それでも、
ふとした切っ掛けで思い出が蘇って、
喪失感に呆然とする瞬間がある。

「人の死」とは、そういうものなのではないでしょうか。

 

本作の後半は、
そういう描写が優れています。

なので、よく言えば、しっとりとした空気感、
まぁ、ハッキリ言うと、ちょっと辛気くさくはあります。

 

しかし、
人生、辛い事は、意外と多いです。

嫌な事、哀しい事があっても、
それでも、前を向いて進んで行かなければいけません。

本作では、
ワニの代わりに、
カエルがイツメンに加わります。

それは、
古いモノの代わりに、
新しいモノが入るというのは、
決して過去の否定では無く、

そういう、過去の積み重ねの上の、
新しい事象へのチャレンジだと認識すべきと、私は考えます。

 

それは、
コロナウィルスに苦しむ、
我々の「変化してしまった日常」とも、
通ずるものがあるのではないでしょうか。

新しい生活を余儀なくされても、
そこに、
新しい価値観を見出し、
今を、生きて行く事の希望を表現した。

私は、
『100日間生きたワニ』の後半のオリジナル部分から、
そういうメッセージを受け取りました。

 

『100日後に死ぬワニ』という題名では、
「死」がゴールという印象を受けてしまいます。

しかし、
その「死」を乗り越える為に、
ポジティブな意味で、
「死」を過去のものとする、
故に、本作は、『100日間生きたワニ』という題名にし、
ワニを思い出化したのだろうと思います。

 

 

 

個人的には、
やっぱり今でも、
上田慎一郎監督の、実写版の「ワニ」映画が観たかったと思っています。

それでも、
チャレンジ好きな(勝手な印象ですが)上田監督は、
アニメで本作を撮った。

上田監督は、自身のYoutubeチャンネルを持っており、

そこでは、去年来から、監督が、
「今、アニメ映画に、如何に影響されているのか」という様子が見受けられました。

『鬼滅の刃 無限列車編』を見て、その面白さを語り、
「今年(2020)観た映画ベストテン」のナンバーワンに、『ソウルフル・ワールド』を挙げたり、
シン・エヴァンゲリオン劇場版』の熱狂にノリたいが為に、「エヴァンゲリオン」をTVシリーズから旧劇、新劇まで一気に鑑賞したり。

そういう軌跡があって本作が出来た事を思うと、
また、違った感慨が湧きます。

 

 

確かに本作は、
映像クオリティという面で観ると、
他のアニメ映画作品に見劣りします。

しかし、
一見、子供向けのような、
緩い空気感を醸し出しつつ、

そのオリジナル部分のテーマ性にて、
一言を物申した作品。

『100日間生きたワニ』は、
決して駄作では無く、
一見に値する作品だと、私は思います。

何故なら、
辛い状況でも前を向くという事、

そのテーマ性は現代の日本に通じており、
直面している逼迫した状況を、日常の中で乗り越える優しさと希望を感じたからです。

 

 

  • 『100日間生きたワニ』のポイント

原作の雰囲気を再現したアニメ化作品

60分という上映時間はコンパクトだけど、料金を安くして欲しかった

「死」の、その後を乗り越える物語

 

 

 


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