マサチューセッツ州にてタクシー運転手をしている、ジョン・マッコール。客を乗せ、街を流し、トラブルに陥った人間を人知れず助ける日々を送っていた。そんなマッコールの素性を知る唯一の友人、スーザンが死んだ、、、
監督は、アントワーン・フークア。
デンゼル・ワシントンとは、
『トレーニング デイ』(2001)
『イコライザー』(2014)
『マグニフィセント・セブン』(2016)
に引き続き、4作目のコンビ。
他の監督作に、
『リプレイスメント・キラー』(1998)
『エンド・オブ・ホワイトハウス』(2013)
『サウスポー』(2015)等がある。
主演の
ロバート・マッコールにデンゼル・ワシントン。
他、出演に
メリッサ・レオ、ペドロ・パスカル、アシュトン・サンダース、ビル・プルマン 等。
続篇に出演するのは初めてというデンゼル・ワシントン。
その彼が主役のロバート・マッコールを演じる映画、
それが、本作『イコライザー2』です。
本作はどんな映画か?
一言で例えるならば、
『必殺仕事人』。
力無き、虐げられし者に変わり、
正義の鉄槌を悪人に下す。
勧善懲悪、
単純ながら王道の面白さです。
元は、「シークレット・ハンター(原題:equalizer)」というTVドラマのシリーズだった作品、
『水戸黄門』的なパターンがあったのだと推測されます。
そういう精神を受け継ぎ、
舞台を現代に移してリメイク、映画化した作品なのです。
なので、
続篇ではありますが、
第一作を観ていなくても、何も問題なし。
マッコールの表の職業は、
前作は、
ホームセンターの店員でしたが、
本作は、
タクシーの運転手。
相手が自分より下だと、
ナメてマウントを取って来る相手を、
無敵の体術でシバき倒す。
弱気を助け、強気を挫く、
現代に蘇ったヒーロー像、
それを描いた作品が『イコライザー2』と言えるのです。
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『イコライザー2』のポイント
勧善懲悪のヒーロー
能ある鷹は爪を隠す!!
羊飼いは、集団の後方から群れを導く
以下、内容に触れた感想となっております
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勧善懲悪のヒーロー像
本作『イコライザー2』は、
ロバート・マッコールが世の不正を正し、
勧善懲悪を推し進める作品です。
弱気を助け、強きを挫く。
世の中の力の無い人の無言の悲鳴を聞き取り、
彼等の代わりに、悪人に復讐、鉄槌を下します。
それはさながら、
日本で言う所の、
『必殺仕事人』の様な男なのです。
あなたも、こういう妄想をした事はありませんか?
普段はしがないサラリーマン。
しかし、
悪人が一線を越えた時、
静かな怒りが爆発して、
圧倒的な戦闘力で相手を制圧、
降って湧いた幸運に、
力無き者は感謝する。
そういう陰キャの妄想を現実化した様な存在、
それが、
ロバート・マッコールなのです。
ムカツク奴を、
頭の中の妄想の中でだけやっつけて、溜飲を下げている様なタイプには、
うってつけの作品と言えるでしょう。
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ヒーローとは、神話の物語
さて、
独自の倫理観にて、
勧善懲悪を推し進めるヒーロー、ロバート・マッコール。
そう言えば聞こえは良いですが、
それは結局、
彼個人の好き嫌いの恣意的な判断であり、
絶対的な正義とは言えない、
つまり、
彼自身、正義であるという裏付けが無いのではないか?
という批判があるかもしれません。
しかし、
こう考えてみてはどうでしょうか?
ロバート・マッコールは、無敵の存在。
無表情で、着実に敵を粉砕して行きます。
つまり、
彼は正義のヒーローという象徴であり、アイコンです。
彼自身に意思があるという訳では無く、
言わば、
神話の登場人物と同じで、
運命に従い、役割を演じる者の一人であるのです。
ロバート・マッコールは、
「悪人に鉄槌を下す存在」、
その権現。
彼の意思が介在している様で、
実は、
観客の溜飲を下げるという役割を担ったキャラクターという、
そういうメタ的な存在なのです。
生きにくい世の中で、苦しむ人間が居る。
そういう、自分と同じように
苦痛の中で生きている人間を、
ロバート・マッコールは助けてくれる。
観る人間としては、
そこに救いを見る事が出来る。
この共感性こそが、
本作の面白さであると言えます。
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アクションキャラクターとしての「イコライザー」
さて、本作の題名は「イコライザー」。
英語で書くと「equalizer」です。
この英単語は、
「equalize」(意味:平均化)という名詞に、
人称を意味する「er」を付けています。
つまり、
「equalizer」とは「平均化する人」の意味。
より分かり易く言い換えると、
「力のある悪人」と「無力な一般人」の不均衡を正す存在、
と言えるのではないでしょうか。
さて、そんな『イコライザー』。
アクションの系譜としては、
2014年から、その流れが生まれたと言えるキャラクターです。
無敵のキン肉マンが流行った1980年代~90年代。
CGとワイヤーアクションが導入された2000年代。
そして、
2010年代からのアクション・キャラクターは、
本作のロバート・マッコールの様に、
脅迫性障害などのある種の一癖を持った存在が目立ちます。
『イコライザー』(2014)
『ジョン・ウィック』(2014)
『ザ・コンサルタント』(2016)
『ジョン・ウィック:チャプター2』(2017)等…
かつては、
筋肉やCG、ワイヤーにて
「一般人より強い」という説得力を持たせていたものに、
その裏付として、
精神的な特異性であるとういのが、
最近のアクション・キャラクターでもあるのです。
その元祖は、
『ランボー』(1982)。
格闘技術の裏には、
常人から逸脱してしまった神経・精神が存在する。
そういうものを生むのは、
歪な現実というバックグラウンドがある故。
現代のアクション・キャラクターは、
そういう世相を象徴している、
と、思うのは私だけでしょうか?
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失われた時を求めて
その、精神的な特異性が、
勧善懲悪のヒーロー、
そのアイコンとしての存在であるという裏付けとなっているロバート・マッコール。
彼が救世主として存在しているという象徴のシーンがあります。
それは、ラストシーン。
落書きを塗り直したマイルズは、
それだけでは無く、
新しく「画」を描きました。
それは、
明るい花畑で佇む、婦人の絵。
しかし、
その画に書かれた当の婦人が、
先ず、真っ先に目に留めたのは、
フードを被った人物が、
少年の手を引いている部分。
このフードの人物こそ、
画の作者であるマイルズが描く、
救世主としてのマッコール。
マッコールに気付いたからこそ、
婦人は、
そこに先ず目を向けたのでしょう。
そして勿論、
少年は、マイルズ自身。
「画」は、
一番手前にフードの人物がいて、
その全面に幸せそうな世界が拡がっています。
パンフレットのp.17、
監督のアントワーン・フークアのインタビューの記事にて、
デンゼル・ワシントンの事を語った部分があります。
そこには、
デンゼルがネルソン・マンデラから教わった事として、
「羊飼いは、先頭ではなく、一番後ろから群れを率いるまんだ」(パンフレット、p.17 より抜粋)
という事を言っています。
本作のロバート・マッコールの行動指針というのは、
正にその精神を表現したものなのです。
そして、
それを描いたのが、
ラストシーンのマイルズの壁画なのではないでしょうか。
さて、
もう一つ、
マッコールが救世主であるという象徴があります。
それが、
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』。
マッコールは前作、
『イコライザー』でも、
(妻が勧めた)読むべき100選の本を読んでいました。
その時、
「もうすぐ100冊読み終わる」と言っていました。
しかし、
前作から時間が経っていると思われる本作で、
ようやく、ラストの『失われた時を求めて』に挑戦すると言います。
しかし、
クライマックスの戦闘が終わり、
自分のかつての我が家の椅子に座った時、
その手元の小卓に、
『In Search of Lost Time』(失われた時を求めて)が乗っていました。
これは、
妻が読んでいた本『失われた時を求めて』なのでしょうか?
そういう判断もアリですが、
私は、
マッコールは、
何度も「読むべき100冊」を周回しているのだと思います。
私は、恥ずかしながら、
未だに、『失われた時を求めて』を読んでいませんが、
その題名から連想されるのは、
かつての幸せだった日々を懐かしく思う、
マッコールの寂しい心。
そして、
やはり、最後まで読み終わっても、
妻と一緒に過ごした「失われた時」は戻らないのです。
しかし、
妻が選んだ服が一着も無くなっても、
妻と過ごした日々のよすがとして、
「妻が選んだ読むべき本100選」に拘り、
それを繰り返し何度も読んでいるのではないのでしょうか?
妻も、
かつて、同じ書を読み、
何らかの想いを抱いたからこそ、
マッコールに本を勧めました。
その妻の読書体験を何度もなぞる事が、
マッコールなりの亡き妻との繋がりであるのです。
その瞬間だけでも、
亡き者が蘇る、
いわゆる生まれ変わり(reincarnation)の一形態。
これは、
何度でも、弱きを助けるマッコールが、
敗北とは無縁の正義を掲げる、
その救世主的な存在である事とは、
無縁では無いと思うのです。
何度でも、読み返し、
何度でも、生まれ変わる、
これ即ち、救世主と言えるのではないでしょうか。
とは言え、
ラストシーンでは、かつての自宅に戻り、
浮き草の様な生活から脱却したかの様に見える、マッコール。
彼が人としての喜びを再び見出す事も、
あるのやもしれません。
勧善懲悪のスーパーヒーロー、ロバート・マッコールの活躍を描く、
『イコライザー2』。
しかし、
こういう王道作品を現代に蘇らせるにあたっては、
正義という存在自体、
ある意味、常人から逸脱する必要があります。
そういう
救世主としての面と、
歪な孤独者としての両面を併せ持つ、
そこに魅力があり、
だからこそ、
勧善懲悪に爽快感がある、
『イコライザー2』は、
そういう作品と言えるのです。
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