映画『女王陛下のお気に入り』感想  真実の愛とは何か?打算と嫉妬が渦巻く宮廷権力闘争!!


 

18世紀初頭、フランスと交戦中のイギリスの女王アンは、情緒不安定で虚弱体質。そんな彼女を心身共に支え、実質権力を握っていたのは、アンの幼馴染みのレディ・サラだった。ある日、サラの従姉妹の没落貴族の娘、アビゲイルが、つてを頼りにやって来るが、、、

 

 

 

 

監督はヨルゴス・ランティモス。
ギリシア出身。
主な監督作に、
『籠の中の乙女』(2009)
『ロブスター』(2015)
『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』(2017) 等がある。

 

出演は
アン女王:オリヴィア・コールマン
アビゲイル:エマ・ストーン
レディ・サラ:レイチェル・ワイズ

ハーリー:ニコラス・ホルト
マシャム:ジョー・アルウィン
ゴドルフィン:ジェームズ・スミス
モールバラ卿:マーク・ゲイティス 他

 

 

イギリスのアン女王か、、、

学生時代、世界史を専攻していた私でも、
はて、そんな人いたっけ?
と頭をひねる始末。

調べると、
スペイン継承戦争とか、
ユトレヒト条約(1713)とか出て来て、

「あ~、何か、聞いた事ある」と思いました。
(思っただけ、覚えていた訳ではありません)

 

そんな、
歴史上では、何とな~く影が薄いアン女王ですが、

本作『女王陛下のお気に入り』は、
影が薄い作品ではありません。

 

 

没落貴族の娘、アビゲイルは、
レディ・サラの叔母の長女。

従姉妹というツテを当てにして、
召使いとして雇われます。

アビゲイルは、「新入りイジメ」に遭いますが、挫けず、
ある日、
ふとした巡り合わせで、
サラがアン女王の足の治療をしている所に立ち会います。

アビゲイルは、
自分の持つ薬草の知識でアンを癒やし、
それが切っ掛けで、サラに目を掛けられる事になります。

王室歳費管理官として辣腕を振るうサラは、
そこらの男性よりも遥かに有能、

実質的には、大蔵卿のゴドルフィンと共に、
権力の中枢と言える存在です。

そんなサラを間近で見つめるアビゲイル、
「二度と、惨めな生活には戻らない」
という決心を胸に、

野心が花開いて行きます、、、

 

 

そう、本作は、

女性三人が繰り広げる、
愛と嫉妬と打算の物語なのです。

 

実話をベースに、
映画ならではの展開、面白さを加えた本作、

現代にも通ずる、
人間関係の妙味が描かれています。

 

そして、

アン女王、アビゲイル、レディ・サラ、
本作においては、
全員主役とも言える関係ですが、

その三人のキャラが濃い!

人間の浅ましさ、醜さを、
余す所無く表現しているのです。

 

遠慮の無い、迫真の演技、

この丁々発止こそ、本作の魅力と言えるでしょう。

 

そして本作は、

絢爛豪華な衣装にも注目したいです。

 

女性陣が着る華やかなドレスもさることながら、

現代の観点からすると、
滑稽この上なく見える、
化粧した男性陣の外見も注目度が高いです。

 

見所が多い本作『女王陛下のお気に入り』。

歴史物が好きな人、
愛憎劇が好きな人、
ブラックユーモアが好きな人、

色々な人が楽しめる作品となっております。

 

 

  • 『女王陛下のお気に入り』のポイント

女王と、古馴染みと、ハツラツとした若者の三角関係

人は、見たいものを見る

辛辣なブラックユーモア

 

 

以下、内容に触れた感想となってなっております

 

 


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  • 映画の時代設定

本作『女王陛下のお気に入り』は、
事実をベースに、
映画としての演出をふんだんと盛り込んだ作品となっています。

アン女王の知名度は、
現代、それ程高いとは言えません。

一般的なイメージが固まっていないキャラクターだからこそ、
創作が入り込む余地が、ふんだんに残されていたとも言えます。

 

本作は、
史実に忠実という訳ではありません。

なので、
実際の所、アンとサラの関係はどうだったのか、
簡単に説明してみます。

例によって例の如くWikipediaの記述を参考にしました。

 

先ず、
スペイン継承戦争の功労で、
アンがサラに宮殿を贈った、
というのは、何と事実

1704年、ブレンハイムの戦いでの戦勝の報償に、
オックスフォード近郊の、ウッドストック荘園に建設予定のブレナム宮殿を与えたのです。
(1722年完成)

因みに、ブレナム宮殿は
1987年に、世界文化遺産に登録されています。

 

そして、
政治的な信条ですが、
サラは戦争で夫のモールバラ卿を支持したホイッグ党を推していましたが、
アンは、トーリー党支持でした。

映画では、トーリー党員のハーリーが戦争終結派、
(ハーリーは、アビゲイルの又従姉妹)

夫のモールバラ卿を支援するサラやゴドルフィンは戦争推進派として、

単純且つ、明確に描かれています。

 

そして、
サラは実際は、王宮にいるより、
ブレナム宮殿で執務に励んでいたというのが実際の所だったそうです。

アビゲイルも、
生家が没落し、他で働いた後に、
サラの家の召使いとして雇われたそうですが、
後に、サラの推薦で、宮廷に出仕したとの事。

アンは、サラによく手紙を書いたといいますが、
サラの返事は稀であったそうです。

宮廷に近寄らないサラより、
アンが、近くに居るアビゲイルを優遇して行く事になるのは、
無理ない事かもしれません。

 

1665年生まれの、アン女王の治世は、
1702~1714年まで。

アンの姉のメアリ2世は、
夫のウィリアム3世と共同で王位に就いていました。

アン女王が17人もの子供を相次いで亡くし、
誰も成人しなかったというのは事実

最後の子供は、1700年に死産、
唯一長生き(?)した、王子のウィリアムも、同年、11歳で夭折しています。

映画では徹頭徹尾、存在が消されていましたが、
夫のジョージは、1708年まで生きています。

 

アビゲイルが秘密裏に結婚式(1707)を行い、
アンがそれに出席し、
サラは、その結婚を数ヶ月知る事が無かったとの事。

この事から、
アンとアビゲイルの蜜月、
そして、サラから関心が離れた事が窺えます

1710年、
その年を最後に、サラはアンに会う事は無かったといいます。

同年、ゴドルフィンは更迭され、
トーリー党が選挙に勝利、ハーリーが大蔵卿に付きます。

1711年、
アビゲイルが王室歳費管理官に就任、
モールバラ卿は軍の司令官を罷免されます。

1712年、
モールバラ公夫妻は、イギリスを離れヨーロッパを巡ります。

彼達がイギリスにもどるのは、
アン女王が崩御した1714年8月1日当時まで、待たねばなりませんでした、、、

 

政治的信条の違い、
そして、物理的な距離感により、

アンの歓心が
サラからアビゲイルに移ったというのが史実のようですが、

それを、
映画的にドラマチックな直接対決として、
『女王陛下のお気に入り』は演出して、描いているのだとわかります。

 

  • 見えるものが、全てでは無い

アン女王と、
サラ、アビゲイルの三角関係を描いた『女王陛下のお気に入り』。

 

我が儘で駄々っ子、ヒステリカルなアン女王。

サラは、
アンの女王としての立場を、一応は尊重しつつ、
しかし、
実際は、アメと鞭を上手く織り交ぜ、アンを支配しています。

一方、
絶対的な権力者である彼女の歓心を買おうと、
アビゲイルはおべっかを述べまくり、
媚びを売りまくりです。

アビゲイルはアンに取り入る為、
サラの手法を学び、それをトレースしつつ、

しかし、
あくまで、アンを心身共に「気持ち良く」させる事に注力しています。

その点、サラより一枚上手と言えます。

 

アンは、
他人が、影で自分を悪く言っているハズだと、
自己嫌悪と被害妄想に凝り固まっていますが、

そんな自分を取り合う二人の様子に、悦に浸っています。

結局、
金と権力を持つ老人が辿る道、

古馴染みより、新しい愛人をアンは選ぶ事になります。

しかし、
本音を言い合える相手を無くしたアンは耄碌してしまう事になるのです。

実際は、
アビゲイルは、面従腹背だと知りつつ、
彼女を傍に置く事になります。

 

さて、
本作で描かれるアン女王は、
ハッキリ言うと、愚鈍に見えます。

アビゲイルはそれを感じ取り、
表面だけの上っ面で、アンに取り入って行くのです。

しかし、本当に、アンは愚鈍なのでしょうか?

作中でも、
サラが言うには「アンは並外れた存在だ」と評します。

また、大蔵卿のゴドルフィンも、
辞めさせられるまで、アンを支え続けていました。

そして、
17人もの子供を妊娠、出産し、
その全員と死別しているのに、
正気(?)を保っている事自体、凄い事だと言えるのではないでしょうか。

何より、
アンは、女王に選ばれたという、
その厳然たる事実があります。

 

しかし、
我々観客は、
そんなアンの過去の苦労も、奮闘も、試練も、
何も知らないし、

サラとアンの愛憎と共犯関係がどれほど深いのかも、
その一端しか分かりません。

あくまでも、
映画の時点のアン、
駄々っ子のアンしかしらないのです。

そんな映画でのアン女王像は、
アビゲイルの目線と同意なのです。

 

さて、そのアビゲイル。

映画でのアビゲイル像は、
当初は、純真さと実直さを持ち合わせていたが、
サラのやり方を学んで、権謀術数を駆使する非情さを手に入れた、

みたいなものですよね。

しかし、
果たして本当に、
映画の冒頭のアビゲイルは、純真だったのでしょうか?

 

召使いとして加入した当初の新人イビリ、
そして、彼女自身の「貴族としての誇りは失っていない」という言葉、

それらによって、
アビゲイルは純真なイメージという先入観と、
そんな彼女の逆転劇を期待して、応援したくなる判官贔屓の気持ちを、
観客は持つ事になります。

そして中盤、
サラに重用され、
彼女の「遣り方」を学んだアビゲイルが、
惨めな生活に戻りたくないというハングリー精神で、
非情さを獲得して行く、

ように、見えます。

しかし、です。

私は、
アビゲイルは、そもそもの最初から非情な人間だったのだと考えています。

 

その根拠は、
先ず、男性に対する態度から窺い知れます。

後に結婚する事になるマシャムに対して、
アビゲイルの対応は「塩」そのもの。

小悪魔的という表現を遥かに上回る対応の悪さを見せつけます。

むしろ、マゾでないと、アビゲイルの相手は出来ないほど。

マシャムを只管、邪険に扱い、
初夜も考え事に耽りながら、手淫で済ますという体たらく。

つまり、
アビゲイルは、
自分に歓心を持たせる方法
そして、
その相手を如何に操作するのか、
その方法にも熟知していた

彼女のそういう側面が、
男性扱いにおいて見て取れるのです。

 

さて、アビゲイルが取り入りたいアン女王ですが、

絶対的な権力を手に入れている彼女の、
そのメンタリティは世のスケベオヤジそのもの

謂わば、男性的であると言えます。

歓心を寄せる相手を競わせて悦に浸るというのは、如何にも女性的ですが、
古女房より、
若い愛人を選んでいる所は、正に男性的。

元々、
男性を操る手管に長けたアビゲイルは、
アン女王に取り入る手法にも長けていたのです。

手淫でマシャムを処理した様に、
アンには、口淫でその心を掴みます。

 

さらにアビゲイルは、
サラの悪口をアンに吹き込みます。

自分の有用性を示すのでは無く、
相手を「下げる」事で、相対的に自分の価値を上げるという行為は
本当の実力を持っていない人間が相手を攻撃する時に使う常套手段

そう言う人間は、
空気を吐くかの如く、
嘘も簡単に吐きます

自分が全くそう思ってない事でも、
相手に取り入る為ならば、
なんでも言います。

 

アビゲイルは元々、その性向は支配的であり、

映画当初の姿は、
サラに取り入る為に見せたかった姿

映画中盤からの姿は、
アン女王に取り入る姿であると言えます。

つまり、
本作で描写されるアビゲイルの姿というのは、
サラの目線で描かれているのです。

 

 

人は、自分が見ている状況でしか、
物事を判断出来ません。

そして、
それは往々にして、
自分が見たいもの、信じたいものという、都合のいいものでもあります。

アビゲイルにとって、

サラには自分を有能に見せ、

そして、アンは愚鈍な支配する相手と見做す。

本作の登場人物の人物像自体が、
アビゲイルに都合の良い姿しか見せられておらず
観客の思考は誘導されています。

本作は、
そういう、構成、作りからして、仕掛けのある映画だと言えるのです。

 

そして、
そんな、都合の良い、上っ面の見える姿だけを信じる事が、
如何に危険か、

ラストシーンのアンの姿に、
我々は教訓を得なければならないのです。

 

 

 

ネットでよく見るテンプレの一つに、

面白い人達が面白い事をする
→面白いから人が集まり、つまらない人も寄ってくる
→つまらない人が居場所を確保するために、自己主張する
→面白い人達が、それに嫌気を見せて去ってゆく
→つまらない人しか残らずに、コミュニティが崩壊する

そんな、
会社やサークルが崩壊する過程を描いたものがあります。

本作『女王陛下のお気に入り』で描かれるアンも、
そんな感じで崩壊して行きます。

 

人間、社会的な生物なので、
他人との関わりは、生きていく上で重要です。

その相手が、
耳に痛い直言居士の諫言を受け入れるのか、

それとも、
巧言令色を弄して阿諛追従してくる輩の甘言でいい気になるのか、

「自分の見たいもの」
「相手が自分に見せたいと思っている姿」に囚われず、

「自分にとって何が大事なのか」
そういう事を客観的に判断しないと、

それこそ、命取りになる。

 

宮廷という舞台で、
人間関係の浅ましさ、愚かさ、哀しさを存分に描き出す、

『女王陛下のお気に入り』とは、
そういう作品なのです。

 

 

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