映画『ナチス第三の男』感想  世は並べて因果応報!!


 

ドイツ海軍に所属する、ラインハルト・ハインリヒ。彼はリナ・フォン・オステンに出会い、婚約する。しかし、そのタイミングで、過去の女性関係が原因により、軍法会議にて不名誉除隊が言い渡される。だが、熱心なナチスの党員であるリナの勧めにより、ハインリヒはヒムラーに会う、、、

 

 

 

 

監督はセドリック・ヒメネス
フランス出身。
監督作に
『フレンチ・コネクション ー史上最強の麻薬戦争ー』(2014)等がある。

 

原作はローラン・ビネの『HHhH プラハ、1942年』。

 

出演は、
ラインハルト・ハインリヒ:ジェイソン・クラーク
リナ・ハインリヒ:ロザムンド・パイク
ハインリヒ・ヒムラー:スティーブン・グレアム

ヤン・クビシュ:ジャック・オコンネル
ヨゼフ・カブチーク:ジャック・レイナー
アンナ・ノヴァーク:ミア・ワシコウスカ 他

 

 

世界各国に翻訳され、高い評価を得て、
本邦でも「本屋大賞」の翻訳小説部門を受賞した
『HHhH プラハ、1942年』。

本作『ナチス第三の男』は、
その映画化作品です。

 

しかし、
私は未読なので、原作との比較は出来ていません。

その点、御了承下さい。

 

 

ナチス、第二次世界大戦ネタの映画は鉄板のテーマですが、

中でも、ラインハルト・ハインリヒについて語った映画は過去にも、
『死刑執行人もまた死す』(1943)
『暁の七人』(1975)
『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』(2016)
等、多数あります。

それ程、題材としては興味深い所。

驚くべきは、
映画として脚色する必要がない程に、

映画的な展開を観せる本作が、
実話ベースだという事実です。

 

 

「金髪の野獣」等とあだ名されるハインリヒ。

冷酷、冷徹、冷血な彼は、

ナチスの悪行を体現する存在

 

として、様々な政治工作、陰謀、侵略、虐殺を行っております。

 

さて、歴史的な事実を題材とした

本作は3部構成。

 

第1部はハインリヒの物語。

第2部はレジスタンスの物語。

そして、第3部に続くという構成です。

 

ナチスのハインリヒを描いた直後、

そのハインリヒを暗殺せんとする、
英国に亡命したチェコスロバキアのチェコ人部隊の作戦工作が描かれます。

 

つまり、
本作の構成は、

暗殺する側、される側、
両方の視点で物語が語られるのです。

 

 

 

日本では、
意外と知名度が低いハインリヒ。

しかし、
ナチスを語る上で、重要この上ない人物だと、
本作を観ると知る事が出来ます。

実話ベースの映画は、
歴史を知る切っ掛けとなります。

そういう導入にも丁度良い作品、

『ナチス第三の男』は、
そういう映画なのです。

 

 

  • 『ナチス第三の男』のポイント

「野獣」と成るハインリヒ

レジスタンスの作戦

原因と結果、巡る因果の歴史

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 挫折と出世

本作『ナチス第三の男』にて、
描かれるハインリヒ。

元々自我と自己顕示欲が強い人間として描かれていますが、

その彼が、ナチスで「金髪の野獣」と言われるまでに成る切っ掛けとなったのは、

やはり、
不名誉除隊という過去が影響していると思われます。

 

「過去の女性関係」という、

自分の仕事の実績とは全く関係無い部分で、
否応なく処分されるという理不尽。

しかし、
人間関係が出世に影響するというのは、
社会においては、
思っている以上に重要なファクターです。

 

妻・リナの勧めにより、
ナチ党に入党するハインリヒ。

そこで彼はヒムラーに気に入られ、
頭角を現して行きます。

ナチスドイツ親衛隊(SS)の情報部の長官(SD)となり、
後に、SDと保安警察の統合により生まれた国家保安本部(RSHA)の初代長官ともなるハインリヒ。

赤軍狩り、
突撃隊(SA)の粛正を行った「長いナイフの夜」、
ドイツのポーランド侵攻の口実となった「グライヴィッツ事件」の立案、
ドイツがオランダ侵攻する口実となる「フェンロー事件」の進展、
ゲーリングにより「ユダヤ人問題の最終的解決」を任され、ヴァンゼー会議を主宰し、ホロコーストの道筋を定め、
移動殺人部隊、アインザッツグルッペンを組織する etc…

 

現在、
ナチスの悪行として世に知られている事、
その悉くが、ハインリヒ由来と知ると、空恐ろしいものがあります。

何故、ここまでする必要があったのか?

それは、
ハインリヒは、世の中に自分の有用性を証明する必要があったからです。

 

劣等感や挫折は、
人を打ちのめしますが、

しばしば、
逆に、これに発奮して、飛躍の原動力とする人間もいます。

第一次政権を不本意な形で終わらせざるを得なかった、
安倍首相もその一人。

そして、
ハインリヒもそうなのです。

しかし、
ハインリヒの場合は、
人間関係のもつれによる「不名誉除隊」という過去が、
多分に影を落しています。

まるで、人間関係を拒絶するかのような、
数々の作戦、虐殺を行っています。

 

自分の仕事の評価に、
人間関係云々を紛れさせない、
そういう意思を感じます。

余人の表だった評価を、恐怖でねじ伏せる、

仕事の評価にケチを付けさせない為に、
必要以上の苛烈さを突き詰める

そういう方針を採っているのです。

それこそ、
「鉄の心臓をもつ男」といわれる所以でしょう。

 

ナチスという集団を許した社会状況は、

仕事だから、
国家の為、
家族を守る為 などの、

各人の言い訳が、その暴虐を許しましたが、

そういう一般人の心理を超えた所に、
ハインリヒは到達している印象です。

 

そのハインリヒ、
妻との関係性が徐々に変化しているのも、見どころです。

当初は、
妻の叱責により、ナチ党に入党したハインリヒ。

しかし、
出世するにつれ、
徐々に妻との関わりも希薄化して行きます。

 

特に、注目のシーンは、
息子にピアノを教えながら、
ベーメン・メーレン保護領の副総統に任命され、
プラハ(チェコ)に引っ越しする事を告げる場面です。

ハインリヒは、
息子に語り懸ける形で、
妻のリサにその事を告げます。

リサは、
当初はその事に喜びつつも、
家族の事なのに、自分に何の報告も無い事に不満の表情も浮かべます。

その、
喜びも、不満も、
かすかな感じで表現されるのが良いのです。

リナの方も、
息子のピアノ演奏を見守り、邪魔しないという名目で、
夫に喜びを告げたり、自分の抗議を表立って表現しないのですね。

ハインリヒは、
リサにその事を事前に告げなかったのは、
「国家機密」だから、と言います。

しかし、
後に、プラハでは、碌に護衛も付けず、
オープンカーで出回っていたハインリヒ。

他人には厳しくても、
自分由来の危機管理には、根拠の無い自信を持っていた事が窺えます

そんな彼が、
「機密を明かせない」という事を言い訳とするのは無理があるのでは?

その後に、
妻を怒鳴りつけるシーンと併せて考えるに、

利用するものだけは利用して、
他人には興味が無い

そんな彼のメンタリティを表しているシーンだと思います。

 

  • 因果応報

さて、イギリスと、
チェコスロヴァキア亡命政府が計画したといわれる、
ハインリヒの暗殺計画「エンスラポイド作戦」。

1942年、
5月27日に決行され、
6月4日に、その時の傷が原因で、ハインリヒは死亡します。

 

暗殺は成功しますが、
しかし、
報復により、リディツェ、後にレジャーキといった村で虐殺が行われます。

また、カレル・チュルダの密告により、
プラハでの実行犯の協力者の家族の手入れが入ります。

映画の通り、
レジスタンスを支援したモラヴェック夫人は薬物で自殺。

しかし、
何も知らない夫と息子が拷問を受け、
情報を吐かされます。

聖ツィリル・メトデイ正教大聖堂に立てこもるチェコ人を、
しかし、
ナチスは生け捕りに出来ず、
銃撃戦の末、全員が死亡又は自殺するという結果まで事実という衝撃。

 

ハインリヒという暴力に、
暗殺という暴力で対抗した結果、

無関係の人間が虐殺され、
逆に、ナチスの報復の恐ろしさを世に喧伝する事になってしまいます。

しかし、
ナチスのこの苛烈な報復行為は、
国際世論を敵に回し

ナチス=悪というイメージが国際社会に定着する事になるのです。

 

一つの事件が波紋を生み、
後の世に、木霊の様に、様々な影響をもたらす

その波及を後から見て、
どの様な影響があったのかを理解、解明してゆくのが、
歴史の役割と言えるでしょう。

 

  • 主観と客観

本作『ナチス第三の男』は、
暗殺されるハイドリヒと、
暗殺するチェコ人部隊の活動を描き、

そして、
その後の顛末を描く3幕構成の映画となっております。

主観が転じて、一方の目線では客観となる、
面白い構成です。

 

そういう作品のテーマに合わせるかの様な存在が、
ハインリヒの妻であるリサです。

リサはその後、1985年まで生き、74歳で死にます。

彼女はインタビューで、
夫のハインリヒ、ヒトラーやナチスを、その後も擁護し続けたといいます。

また、リサの記録映像を観た、
本作でリサを演じたロザムンド・パイク曰わく、

「当時を語る彼女の目は、輝いていた」
のだそうです。

 

客観的には、後の世に、
暗黒時代の絶対悪として認識されているナチス・ドイツ。

それを、「幸せな時代」と称するリサ。

彼女は狂っているのでは無く、

人の主観は
これ程自己肯定を促し、
人生において、自分の目の前に起こった事のみを「良き事」と認識する、その証左になっているのです。

 

主観に囚われない、
複数の客観性という、多角的な目線を持つ。

難しい事ですが、
そうでないと視野狭窄に陥る、そういう一例だと思います。

 

  • ある単語について

本作では、
ナチ党の方針で虐殺対象となった存在を殺害する時、

「cleansing」(浄化)という言葉を使っています。

これは、当時のドイツで使われていた言葉なのでしょうか?

 

「cleansing」で思い浮かべるイメージは、
ユーゴスラビア紛争にて使われたブロパガンダ、
「民族浄化(ethnic cleansing)」です。

1990年代初頭に生まれたその言葉は、
ナチスの「ホロコースト」と区別する為に、
ボスニア政府と契約していた、アメリカの広告代理店が生みだしたと言われています。

 

後の世が、
当時の虐殺を「浄化」と呼び、批判する事は多けれど、

それを当時の人間が使っていたのか?

「ホロコースト」と区別する為に作ったその言葉を、
「ホロコースト」を行っていたナチスも使っていたのか?

それが解らないので、
ちょっとモヤモヤしています。

 

  • 出演者補足

モラヴェック家の息子、アナを演じたのは、ノラ・ジュープ。

ワンダー 君は太陽』(2017)
クワイエット・プレイス』(2018)

等に出演しています。

公開としては、
『クワイエット・プレイス』の方が日本では後ですが、

実際は『ナチス第三の男』の方が、一番先。

しかし、
「泣き」の演技が上手いのは、どの作品も共通しています。

今後、活躍が見込まれる(?)子役の一人だと思います。

 

 

 

 

「金髪の野獣」ハインリヒの誕生と悪行、

チェコ人レジスタンスの決死の抵抗、

そして、暗殺がもたらす余波の3幕構成となっている、

『ナチス第三の男』。

「事実」を多角的に描く事で、
歴史を知る時、視点を多く持つ事の重要性を知らせてくれる。

そんな意義を、
本作は持っているのだと思います。

 

 

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