2005年、人権派弁護士、ナンシー・ホランダーが知人からの紹介で出会った人物。それは、グアンタナモ米軍基地に収容されていた男モハメドゥ・スラヒだった。
アラブ人で高学歴、アルカイダで訓練を受けていたという過去を持つスラヒは、アメリカの要請で身柄を拘束され、起訴される事も無く、何年も収容されていた。
米同時多発テロの首謀者の一人として、第一号の死刑判決を下したい政府を相手どって、それを阻止すべくナンシーは動き出す、、、
監督は、ケヴィン・マクドナルド。
監督作に、
『ラストキング・オブ・スコットランド』(2006)
『消されたヘッドライン』(2009)
『第九軍団のワシ』(2010)
『わたしは生きていける』(2013)
『ブラック・シー』(2014)等がある。
原作は、モハメドゥ・スラヒが、拘禁中の2015年に出版し、
ベストセラーとなった手記、『モーリタニアン 黒塗りの記録』。
出演は、
ナンシー・ホランダー:ジョディ・フォスター
モハメドゥ・ウルド・スラヒ:タハール・ラヒム
テリー・ダンカン:シャイリーン・ウッドリー
スチュアート・カウチ中佐:ベネディクト・カンバーバッチ
ニール・バックランド:ザッカリー・リーヴァイ 他
英語で「~する人」って、
語尾が変化するじゃないですか。
あれの法則を、
未だに知らずに過ごしているんですよね、私。
例えば、
「catch」ならば
「catcher」で、野球のキャッチャー。
「piano」ならば
「pianist」で、ピアニスト。
「vegetable」ならば
「vegetarian」で、菜食主義者。
語尾の「-er」「-ist」「-ian」
という変化に法則があるのでょうか。
と、いう事で、
本作『モーリタニアン 黒塗りの記録』です。
モーリタニアは、
アフリカ北西部に位置し、
言語はアラビア語、
宗教は、スンニ派のイスラム教です。
で、
その「モーリタニア」出身という事で、
モーリタニアンなのです。
因みに、
文字で書くと何てことないですが、
「モーリタニアン」と発音する時、
ちょっと舌が絡まるのは、私だけでしょうか。
それはさておき、
そのモーリタニアンのモハメドゥ・スラヒが、
米同時多発テロの首謀者の一人として、アメリカ当局の要請により拘束、
ヨルダン、アフガニスタンを経て、
キューバのグアンタナモ米軍基地の収容キャンプにて、
長期に亘って拘禁。
そんな彼を解放すべく、
人権派弁護士ナンシー・ホランダーが、
無償奉仕活動として弁護を引き受けたのが、2005年だそうです。
そんな本作は、
脅威の実話ベースの作品です。
こういう実話とか、
伝記モノって、
オリジナルのエピソードを忠実に再現するあまり、
時に、退屈に思える時も、ままあります。
しかし本作は、
実話を再現しただけなのに、
目を覆う様な、絶望と恐怖があります。
我々日本人も、
「グアンタナモにアメリカが、テロ容疑者を収容している」
位の知識がありますが、
その実態について、
正しく理解しているとは言い難いと思います。
本作では、
それが詳らかにされるのですが、
最も進んだ文明国家であるハズのアメリカで、
こんな人権侵害が平然とまかり通っている
という事実に衝撃を受けます。
世の中には、
ホラー映画よりも恐ろしい、
不条理が存在する。
いつ、自分も、
本作で描かれるモハメドゥ・スラヒの様な状況に陥るのか、
分からないのです。
そんな時、
本作『モーリタニアン 黒塗りの記録』は、もしかして、心の拠り所になるかもしれません。
-
『モーリタニアン 黒塗りの記録』のポイント
国家による個人への理不尽な暴力
正義と信念
生き延びる事こそが、勝利
以下、内容に触れた感想となっております
スポンサーリンク
-
グアンタナモとは?
先ず、本作『モーリタニアン 黒塗りの記録』のメイン舞台となる、
グアンタナモ米軍基地について、
Wikipediaの記載を基に、
軽く、解説してみたいと思います。
グアンタナモ米軍基地は、
キューバの東南部に位置する、
グアンタナモ湾にある米軍基地。
1898年の米西戦争にて、アメリカ軍が占拠し、
アメリカの援助でスペインから独立したキューバの当時の政府が、
永久租借を認めた場所なのだそうです。
その後、
キューバ革命を起こしたフィデル・カストロが、
アメリカの租借を非合法と非難し、
双方が地雷原を設置する場所になっているとの事。
(アメリカ側は、1995年に、地雷を撤去している、らしい)
故に、
地雷原により脱出不可能、
本土から離れている為、マスコミのシャットアウト、
キューバでも、アメリカでも無い、
国内法も、国際法も通用しない、軍法のみが適用される治外法権区域。
という事で、
20世紀後半からは、
キューバやハイチの難民の収容所として活用していたそうです。
その場所を、
アメリカ同時多発テロ以降、
中東などから集めた「容疑者」の収容所として活用、
治外法権下で、
人権が適用されない場所として、
尋問や拷問を行ったとされています。
2013年の報告書によりますと、
グアンタナモから解放された内、
16.6%が、テロ活動に戻ったとの事。
元々、テロリストだったのか、
それとも、
収容された恨みからテロリストになったのかは、
定かではありません。
バラク・オバマは、
この収容キャンプを閉鎖すると宣言しましたが、
共和党の反対にあい、頓挫。
ジョー・バイデンも自らの任期中に閉鎖すると言っていますが、
どうなる事やら。
-
正義とは?信念とは?
本作『モーリタニアン 黒塗りの記録』で、
最も目を惹く場面というのは、
モハメドゥ・スラヒが、米軍の報復を恐れ、
弁護士のナンシー・ホランダーにさえ、
「手記」として公表する事をためらった、
拷問と自白強要のシーンでしょう。
元日産自動車の会長、
カルロス・ゴーンの拘禁が、
人権侵害と批判されていましたが、
本作では、
それを遥かに凌駕する残虐非道が露わになります。
まさか、
史上最も発展した現代国家であるアメリカが、
こんな所業を?
しかし、これが現実!!
国家というものは、
大きな権力を持ちながら、
その責任の所在が曖昧であり、
故に、
自らの正当性の為に、
時に、
個人を躊躇無く踏みにじる時があるのです。
作中、
ナンシー・ホランダーは尋ねられます。
犯罪者を擁護する価値はあるのか?と、
それに対して彼女は、
「あなたや、自分自身を守る為よ」と答えます。
つまり、それが、
人権派弁護士である彼女の信念であり、
行動原理でもあると言えます。
人権擁護とは、
国家による個人への理不尽な暴力を掣肘する。
そこに、
一般人も、犯罪者も、その区別は無い。
これは、
我々からしたら、
ちょっと、極端とも思える思想ですが、
しかし、
本作を観たならば、
成程と、一定の理解を得る事が出来ます。
そんなナンシー・ホランダーのカウンターパートとして描かれるのが、
ベネディクト・カンバーバッチが演じる、
スチュアート・カウチ中佐です。
スチュアートは、
モハメドゥ・スラヒを、
テロ容疑者として、第一号の死刑判決を成立させろと命じられます。
しかし、
米軍がいくら調べても、
起訴にあたる証拠が見つからない。
ナンシーも、
故に、
モハメドゥは無罪であると言っていました。
なので、
米軍が、モハメドゥが「有罪」であるという根拠は、
彼の「自白」のみであるのです。
ナンシーは裁判に当たり、
正攻法では敗北すると判断、
マスコミを使い、争点を、
「人権」へとずらす事で、有利な展開にもって行きます。
それに対抗する為に、
グアンタナモの現地にて、
実態調査を行うスチュアート・カウチ中佐ですが、
そこで、
床に設置された留め具や、
異様に寒い独房の様子に、
虐待の臭いを感じ、
軍に、
隠蔽された報告書の開示を迫ります。
そこで、スチュアートは、
自白が苛烈な拷問の結果得られたものだと知ります。
敬虔なキリスト教徒であり、
また、
友人がハイジャックされた機の副操縦士だったという
スチュアートが、
軍の命令で立件を指示された案件。
そんな彼が、
御上の命令に背き、
民主主義と、
正義と法を重んじるという弁護士の理念を、
貫き通すという選択が、
如何に難しいか。
軍人では無い、
一般の日本人である我々も、
会社で上司が、
始末書を書けと命令したら、
誰も悪くなくとも、
そこら辺の部下を適当に「悪者」にでっち上げる事が、
まかり通っている事を考えると、
どれ程の事か、分かると思います。
正義とは、
その属する社会によって、
如何様にも変化します。
自分の信念を上官に伝えたスチュアートは、
「この売国奴めが」と罵られます。
軍人であるならば、
スケープゴートを立てる事で国家に忠誠を誓うのか?
しかしそれは、
キリスト教徒としての自分、
弁護士としての信念を持つ自分、
その判断に拠って立つ正義の判断、
恐怖と強要に屈する事とは相容れなかったのです。
本作で描かれるモハメドゥ・スラヒ。
彼の無実は、
十中八九、状況で分かりますが、
それでも、実は、
完全無罪とは、作中では示されていません。
それが本作のフラットであり、
信頼出来る所。
本作では、
モハメドゥの無罪というより、
寧ろ、
アメリカ政府による人権侵害が立証されたという方が、
正しいのかもしれません。
それでも、拘禁は続き、
遂に、一度も起訴される事無く、
14年2ヶ月に及んだのちに、モハメドゥは釈放されました。
それは、
民主主義の勝利であり、
人権の勝利であり、
そして、
絶望的な状況でも、
死ななかったモハメドゥの勝利であるとも言えます。
解放された後の、
現在の実物のモハメドゥの姿が、
エンディングにて映されます。
その彼は、
ベストテンになり、
他国に翻訳された自伝を無邪気に手にとっています。
劇中では、終始シリアスな様子のモハメドゥですが、
実物の彼の、陽性な性格こそ、
絶望を生き抜く原動力になったのかもしれません。
また、
劇中では、
初対面では緊張感が漂っていたナンシーとモハメドゥですが、
実際の初対面では、
ナンシーを見た途端、
モハメドゥは「希望」を見て、喜びの声を上げたのだそうです。
絶望的な状況の中でも、
希望を信じ、生き続ける事の大事さ、
そして、
生きる上で、
正義とは、信念と何か、
それを考えさせられる作品、
それが『モーリタニアン 黒塗りの記録』と言えるのではないでしょうか。
コチラが原作の、モハメドゥ・ウルド・スラヒの自伝です
スポンサーリンク