映画『gifted/ギフテッド』感想  他の全てをなげうってでも、才能は伸ばすべきなのか!?

 

 

 

叔父のフランクと暮らすメアリーは7歳。フランクに促され、渋々学校に行くがつまらなくてしょうが無い。何故なら、メアリーは数学の天才なのだから。その才能が知られてしまい、学校の校長はエリートスクールへの転校を勧めるが、、、

 

 

 

監督はマーク・ウェブ
監督作に
『(500)日のサマー』(2009)
『アメイジング・スパイダーマン』(2012)
『アメイジング・スパイダーマン2』(2014)等。

 

フランク役にクリス・エヴァンス
ご存じキャプテン・アメリカとしてマーベル・シネマティック・ユニバースで活躍中。
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)
『アベンジャーズ』(2012)
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014)
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)
と、シリーズに出演中。

他の映画出演作に
『セルラー』(2004)
『ファンタスティック・フォー [超能力ユニット]』(2005)
『フェイク・シティ ある男のルール』(2008)
『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』(2010)等がある。

メアリー役はマッケナ・グレイス
映画作品の出演に
『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』(2016)
『アングリーバード』(2016)等がある。
また、TVシリーズの
『フラーハウス』
『サバイバー:宿命の大統領』にも出演している。

他、共演に、リンゼイ・ダンカン、ジェニー・スレイト、オクダヴィア・スペンサー等。

 

本作『gifted/ギフテッド』のテーマは、その題名の通りのものである。

子供の才能(gift)は
それを伸ばすべきか?
特別扱いせず普通に生活すべきか?

 

この究極の選択とも言える問題を扱っている。

普通の家庭でも、勉強やスポーツに特化して育てるか、
いろんな事を体験させ、伸び伸び成長させてやるのか、それは迷いどころだろう。

しかし、本作のメアリーの場合は、
確実に数学の「天才」と分かっているケースである。

子供の人生、どの様に生きるのが幸せなのか?

 

その疑問を踏まえて、

それを決める年長者の責任についても考えさせられる。

 

それは本当に子どもの為なのか?
自分の願望やエゴでは無いのか?
子育てに悩む事になるこのポイントを、「天才」という分かり易い形を例にとって描いている。

子育てに悩む人は勿論、
かつて子供として親を悩ませた人間にとっても、己を振り返れば何らかの思う所がある作品である。

 

 

以下映画の内容に触れつつ子育てに悩んでみる


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  • 天才とは何か?

それは、天から与えられた才能、
即ち、生まれながらに能力がある事である。

そして、天才の能力を伸ばすには、どうすれば良いのか?
天才集団と言うべき棋士の集まりの中で、トップクラスの実力を持つ谷川浩司(著)の『中学生棋士』によれば、
幼少の頃から夢中になって「自主的」に取り組む事が絶対条件であるそうだ。

そう、「自主的に」である。

周りの大人は環境を整えてあげる事しか出来ない。
あくまで、本人のやる気がないと伸びない。
外から強制させても、天才は生まれないのだ。

 

  • 純粋培養の天才

本作『gifted/ギフテッド』では、祖母のイブリンが天才を生み出す教育方針を有している。

本人のやる気を出さずして、天才は生まれるのか?
実は、「それなりの天才」を育成する方法がある。

それが、純粋培養、つまり世間から隔絶して一つのことだけやらせる事である。
「その世界」しか知らなければ、好きも嫌いも無いのである。

だが、純粋培養種は弱い。
外の世界では生きられないのだ。

本作では、メアリーの母ダイアンは自殺する。
何故彼女は自殺したのか、それは、外の世界と自分の人生があまりに違う事に絶望を覚えたからだ。

普通の人でも、例えば友達の家に泊まりに行ったら軽いカルチャーショックを受ける。
自分の家で常識(だと思っていた事)は、実はそうでは無いと気付くからだ。

ダイアンはおそらく、自分が幼少時代、選んだかも知れない可能性の数々を、自らで選択する前に排除されていた事実に絶望したのだろう。

純粋培養では真の天才は生まれない。

世間に揉まれ、様々な誘惑の中から自ら選び取った道という覚悟と自負が無いと、大人となった後に後悔する事になるからだ。

ダイアン自身にそういう考えがあったかは分からない。
しかし、自分と同じ絶望をメアリーに感じて欲しくは無かったハズだ。

だから、フランクに「普通」に育ててくれと頼んだのだ。

 

  • 親たるには子供が必要

だが、そんな事頼まれても、迷惑でしか無い。
そうフランクは最初考えたと言う。

だが、メアリーと過ごす内に、彼自身が変わって行く。
親が親になるには、子供がいないといけない」という言葉がある。
フランクにとっては、まさにそういう現象が起こったのだろう。

それは、自然に生まれた責任感だが、彼は彼なりのやり方で覚悟を決める。
安定した教授職を捨て、母と関わりのある様なアカデミックな生活から脱し、(フランクの考える)「普通の楽しみ」の中で生きる事を選ぶのだ。

ちょっと極端だが、そこには並々ならぬ決意が見える。

純粋培養で数学マシーンを作ろうとしたイブリン。
才能をひけらかすより、普通の中で育って欲しいと願ったフランク。

どちらも極端であり、ラストは中間的な場所に落ち着いたのは、めでたし、である。

 

  • 親の期待とはエゴなのか?

天才とは、どう生きるべきか?
自らの能力を活かし、世の発展の為に尽力する事が、天から才能を与えられた者の使命なのか?

イブリンはそう主張する。
成程、それは一見正しく聞こえる。

だが、果たして本当にそうか?

イブリンの言う事は、実は自分の為し得なかった夢を、旦那や娘や息子や、そして孫に課して、成果が上がらないと憤慨しているだけでは無いのか?
それは、自らのエゴでしか無いのでは無いか?

また、歴史に名を遺す事がそれほど大事な事なのか?
自分の人生に何の彩りも無く、
それでもそれが世間の為と思って生きる事は、自分の人生の慰めとなるのか?

名誉の為に人生を殺す事は、
人生に誇りを持って生きる事より大事な事なのか?

正直、正解は無い。
しかし、自らが親として子供に可能性を示す時に、道を阻害しない事こそが、最も大事なのだと思う

そして、それが正しかったのかと悩み続ける事が、道を示した者の責任である。

 

 

だが、イブリンには一つ言っておきたい事がある。

「お前、人にやらせずに、自分でやれよ」と。

他人に自分の人生を仮託し、レールを敷いて何かを為したかの様に思う事は怠惰でしか無い。
天才の才能に嫉妬し、操ったり批判して優越感に浸るより、自分でやれば良いのだ。

 

クライマックスのシーン、フランクはダイアンの「遺言」を駆け引きの道具に使う。

死んだ者の遺志を、生きている者が尊重する事は大事である。
しかし、それも生きている者の人生が阻害されない場合において、である。

フランクはメアリーの人生を守る為に、ダイアンの「遺言」を枉げ、利用する事を厭わなかった。

子供の人生の可能性を守る為にここまでする、私としては、レールを敷くより、可能性を拡げようとしたフランクの姿勢を支持したいのだ。

 


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さて次回は、歴史が違うという事は、教育も違う?即ち違う日本人の話、小説『宰相A』について語りたい。