映画『火花』感想  夢に縋って苦しんだ者達の人生哀歌!!

 

 

 

若手芸人「スパークス」は地方巡業に向かうも、全くウケ無い。そんな失意の徳永が出会ったのは、型破りな漫才を繰り広げる「あほんだら」の神谷だった。一目惚れした徳永は、神谷に弟子にしてくれと頼み込む、、、

 

 

 

監督は板尾創路
お笑い芸人ではあるのだが、近年は映画にも多数関わっている。
他の監督作品として、
『板尾創路の脱獄王』(2010)
『月光ノ仮面』(2012)がある。

 

原作小説『火花』は又吉直樹の著作。
本作にて2015年、第153回芥川賞を受賞した。
忘れがちだが、お笑い芸人出身である。

 

主演、徳永役は菅田将暉
今正に、ノリにノッテル役者である。
今年だけでも、
帝一の國
銀魂
打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
『あゝ、荒野』前篇、後篇
と出演作が公開ラッシュであった。

神谷役は桐谷健太
auのCMの浦島太郎ですっかり有名だ。
映画出演作に
『クローズZERO』(2007)
『アウトレイジ ビヨンド』(2012)
『バクマン。』(2015)
『ビジランテ』(2017)等がある。

他、出演に川谷修士、三浦誠己、木村文乃、等。

 

芸人が作った小説『火花』は芥川賞を取った。
その映画化作品が本作だ。

ともすれば、「話題作りの為に与えた賞だろう」という謗りを免れない。

しかしである。
作品の評価は実際観てみないと下せない。
だから観た。

面白かった!!
食わず嫌いの人は勿体ない作品だ。

 

本作、『火花』にて描かれるのは、正に青春。
しかし、歌に謳われる様な希望に満ちたものでは無い。

ほとんど、皆が経験する、

普通の人が直面する「青春」の1ページである。

 

大きな成功は無い代わりに、
致命的な失敗も無い。

それでも、夢に縋った青春の日々のエピソードを、
一つまた一つと描き出している。

 

何か、大きな事を「やろうとした」人なら味わっただろうこの感じ。

観ていて、あまりに辛い。
しかし、それが救いでもある。

 

何故なら、自分は一人では無かったのだと、この作品を観ると気付くからだ。

夢を追いかけている人、
そして、かつて夢を追いかけた事のある人なら、胸にグッとくるものがある、それが本作『火花』である。

 

 

以下、『火花』を観た私のポエムが始まります


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  • 夢の終わり、現実の始まり

本作『火花』にて描かれるのは、輝かしい青春の日々と、それが終わるまでの物語である。

原作は未読なので詳しく分からないが、映画版の『火花』では青春の1エピソードを抜き出す形を採っており、
その緩やかだが確実に過ぎる時間の中で、ゆっくりと可能性が死んで行く様子がじっくりと描かれているのだ。

大きな成功はしない。
しかし、「やり続ける」という意思がある限り、続ける事が出来てしまう。

だが、長い年月を経て気付く。
自分には針の穴ほどの可能性しかないという事に。

そのほとんど無理な可能性に縋って続けてゆく日々は、
目に見えない壁にゆっくりと圧迫されて行く様な日々である。

いつか、圧死してしまう。
それは分かっている。
だが止める事など出来ない。
今までの日々が無駄になる。
それに、自分から「止める」と言ってしまったら、
人生に「負けて」しまった様に感じるからだ。

だから、自分以外の部分から提示される
止めて良い理由
が提示されると、
表面的には怒りつつも、心の中ではホッとして、それに飛びついてしまうのだ。

何も無い日々で摩耗してしまった心では、
初志の熱い志は既に無く、
止めた事の安心感すら感じる。

そして、それに気付いたとしても、自分に怒れないという事に、夢の終わりを悟るのだ。

 

  • その日々は、無駄では無かったと言って欲しい

徳永は、その点まだ余裕がある。
心に、熱いものが、まだ残っている。

しかし、物事には引き時があるのだ。
あれが、「スパークス」の頂上である。

(あのシーンで、演出にて「泣き声」が入ったが、それ無しでも実際の劇場で泣いている人がいたので、いらぬ世話だったと個人的には思う)

だがしかし、『火花』では、夢の終わりに続きがある

神谷は言う。
一番を取ったヤツだけじゃない、負けたヤツがいたからこそ、みんなが切磋琢磨して、その結果いいモンが作れた」のだと。
そして、「だからこそ、淘汰された者達は必要だった」と言う。

だから、自分たちのやって来た事、それは無駄では無い。
その世界の片隅でも、確かに作って礎となったのだから。

そして、違う道に進んだとしても、自分が続けて積み重ねて来た物は、自分のオリジナルの個性として、きっと活きる

あの楽しくて、苦しかった日々は全くの無駄では無かったと、気付かせてくれる。

あのラストが感動的であるのだ。

 

  • 何故、花火では無く、「火花」なのか?

人間は、皆が成功者とは言えない。
夢を追っても、それが叶う者など一握りである。

そう、皆の人生が全て、派手などでかい花火では無いのだ。

だが、目立たなくとも、きらめきはあるのだ。
たとえそれが「火花」でしか無いとしても、人生に火を灯したら、それは輝いていた。

そういう意味を込めているのだろう。

 

 

 

本作『火花』では、徳永と神谷の関係性も面白い。

最初は憧れていた人でも、付き合って行けば、情けない部分も見えてくる。

そして、いつしか、自分が相手を超えてしまう日がやって来る

それは、両親だったり、
年上の兄弟だったり、
憧れて付き合ったカレシだったりする。

それでも、相手も自分とそう変わらないと気付いてから、新しい関係が始まる。
それが良好なものであって欲しい。

かつて尊敬した先輩を、今は「しょうが無いヤツだな」と思いつつも、凄い所を残しておいて欲しい

これもまた、青春の一つである。

そう『火花』はままならない青春。
その蹉跌と、そこから始まる再生を描いた作品なのである。

こちらは原作本


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さて次回は、望めば何でも手に入るほどの、ありあまる才能を持っていたとしたら、それを伸ばす?それとも普通に生きる?映画『gifted/ギフテッド』について語りたい。