ファンタジー小説『スィールの娘』エヴァンジェリン・ウォルトン(著)感想  悲劇的結末へ突き進む英雄達!!

 

 

 

代々「女系の息子」が治めてきた「強き者の島」。その王であるブランの元に、彼の妹ブランウェンを娶りたいとアイルランドの王がやって来る。アイルランドは海を越えた土地。しかし、ブランウェンは将来「強き者の島」の「王となる息子」を生む存在である、、、

 

 

 

著者はエヴァンジェリン・ウォルトン
ウェールズ神話の『マビノギオン』の一節「マビノギ四枝の物語」を題材とした『マビノギオン物語』の4部作。
本作は、『マビノギ』第二枝を元に作られた作品だ。
アンヌウヴンの貴公子
『スィールの娘』(本作)
翼あるものたちの女王
強き者の島
が、その作品群である。

 

『アンヌウヴンの貴公子』では神話の時代が描かれた。

しかし、それほど時間も経っていない本作『スィールの娘』においては、既に神話の影響は薄れ、

人間による英雄譚の時代になっている。

 

神の力を借りず、自らの意思でもって後の世を切り拓こうとする人間の物語。
しかし、

その道程は濃い悲劇に彩られている。

 

抗うべくもなく、その運命に突き進んでゆくのは、欲望ゆえか、定めなのか。

何が正しき行いなのか、悪とは何なのか。
悲劇の中でその事を問う、英雄譚。

紛れもなき、ファンタジーの傑作である。

 

 

以下ネタバレあり


スポンサーリンク

 

 

  • 継承権の移り変わり

本作『スィールの娘』は悲劇という運命に囚われた英雄譚である。

神話と通じていた<旧き調和>の時代から<偉大なるさきがけ>を迎え新しい時代にならんとする、まさにその時である。

「強き者の島」では、代々「女系の息子」が上王となっていた。
つまり、王の息子が後を継ぐのでは無く、王の妹の息子(王の女系の甥)が次代の王なのだ。

『スィールの娘』では、ブランの妹、ブランウェンが将来生む息子が後継者となる。

現世において、生命を生み出す神の代わりに命を授かる女性を崇拝した時代の掟である。

しかし、<新しき民>の影響で「父系の息子」が後継者となる考え方が起こった。
これは、女性を所有物として扱い、調和と平和の時代から戦争の時代へ突入するその境目であった。

そしてそれは、財産の継承権を巡り「甥」と「息子」の間に疑心暗鬼をもたらす。
「もし王が旧い掟を捨てるなら、俺にもチャンスがあるのでは?」「俺にも危険が及ぶのでは?」
国民がそう懸念する時代である。

 

  • 這い寄る毒

「王は国民に奉仕する存在」である。
しかし、ブランが己の国民より自らの息子のカラドックを愛してしまった時、悲劇の幕が開く。

妹が嫁いだ事を好機とし、自らの息子が後継者となる可能性を夢見る。
その想いだけでは、悲劇にならなかったかもしれない。

しかし、エヴニシエンの悪意、
マソルフの器、
その他もろもろが重なり、悲劇の運命が幕を開ける。

 

  • 悲劇に囚われし運命

「掟、誓約、運命」に囚われ、約束された悲劇に突き進む英雄達。

決められた定めなら、何をしても同じと思うかもしれない。

しかし、それは違う。

定められた運命、悲劇的な結末が待っているとしても、そこへ至る道行きこそは、人が自身で選ぶ事が出来るのだ。

そして、人が苦悩して選んだ意思が次代に受け継がれる事で、未来により良き道が拓かれる事になる。

これこそが、悲劇的英雄譚のキモであると私は考える。

 

  • 悪を為す者

本書『スィールの娘』において、最も強烈なインパクトを持つのがエヴニシエンであろう。
彼は、「手に負えない悪意」の象徴である。

だが、これは物語に限った事では無い。

人なら誰でも、自分とは全く合わない仇敵に出会う可能性がある。
こちらの親切や心遣いを受け入れる事は無く、些細な出来事を自分への悪意と捉え常に反抗の気配を漂わせる

その相手は、自分と全く同じか、もしくは全く反対の思考を持つ
相手からすると、こちらの行動全てが癪に障るのだ。

そういう自分の天敵には関わらないのが一番である。
しかし、そうも言ってられない場合も多いだろう。

その時、相手を蔑む事なく、ニシエンの様にありのままの相手を受け入れられれば、和解の道も開けるかもしれない。

実際はそれが出来ずに苦労するのだが。

 

  • スペクタクルゾンビ!!

本書のアクション的仕掛けの大ネタにゾンビがある。

まさか遙か昔の物語りにおいても、物量と不死身を恃んで押し寄せるゾンビの群れを見る事になるとは思いもしなかった。

現代の「ゾンビ」という概念はジョージ・A・ロメロがその映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』や『ゾンビ』によって確立したイメージが大きいと考えていた。

しかし、本書『スィールの娘』の「復活する死者」の描写を見るに、案外昔から語られて来たモチーフなのかもしれない。

この、「生者を襲う死者」という概念はいつ生まれたのか?、それを探してみるのも面白い。

 

 

『スィールの娘』はまさに、人々の行動、思考、その一つ一つがパズルのピースの様にぴったりと重なり一枚の悲劇という絵を形作っている

特に、運命に翻弄されるブランウェンの境遇には、読んでいて痛みと悲しみと怒りを禁じ得ない。

だが、全てを失い、世界が変わってしまっても、前へ進む為の何らかの物があったのだと信じたい。

それは後の時代に現れるのか、それとも読者の心に芽を植えたのか?

いづれにしても、本書『スィールの娘』は並外れたファンタジーの傑作である。

 

 

 

 


スポンサーリンク

 

さて、次回はその様子を『翼あるものたちの女王』にて確認してみたい。