全能のグウィネズの王マースの後継者、グウィディオン。彼は弟ギルヴァエスウィの恋患いを解決する為に一計を案じる。それは一石二鳥にも三鳥にもなる策であった。まずは、隣国にしか存在しない、世にも珍しい「豚」を奪いに行くのだが、、、
著者はエヴァンジェリン・ウォルトンが描く『マビノギオン物語』。
本巻、第4部にて完結を迎える。
『アンヌウヴンの貴公子』
『スィールの娘』
『翼あるものたちの女王』
『強き者の島』(本作)が、その4部作だ。
『マビノギオン物語』4部作は、それぞれ異なったテーマにて描かれている。
本作『強き者の島』は愛の物語だ。
しかし、前作『翼あるものたちの女王』の安らかな愛の物語とは全く違う。
『強き者の島』で描かれるのは
愛と、それがもたらす苦悩、憎悪、復讐の物語だ。
愛がもたらすものは甘やかな物だけではない。
愛ゆえの負の感情をまざまざと見せつけてくる。
その一方
様々な困難を、奇策・秘術で乗り越える冒険ファンタジー
でもあり、
そして、主人公たるグウィディオンと彼の庇護者スェウの
成長年代記でもある。
強大な力を持つ魔術師が惑いながら、徐々に正しき道を目指してゆく、まさに英雄譚である。
ファンタジーだからこそ描ける奇想天外さと身近な悩み、その両方をこの『強き者の島』は持っている。
以下ネタバレあり
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婚姻という文化
『マビノギオン物語』において、その根底にある設定の一つに「婚姻」という概念の有無がある。
「強き者の島」にもともと住んでいた土着の<旧き民>は「女系文化」である。
子供の父親など気にせず、「同じ母の子供」というくくりで家族は作られる。
よって、後継者は「姉妹の長男」であり、女性も男性も相手に縛られる事無く、お互い自由な関係を築いていた。
しかし、侵略者たる<新しき民>は「父系文化」を持ち込んだ。
これは、「父は誰か」という事を重視した。
これにより、男性が女性を縛り、「女性の純潔」が取り沙汰される事になる。
かつての様な自由な交際は失われ、愛が無くなったからといって他の相手に移る事が出来なくなる。
これが「婚姻」という文化の弊害である。
ならば、貞節を押し付けられた女性はどうすればいいのか?
かつての文化と新しい思想の狭間で、失った愛の捌け口は負の感情として相手を攻撃する事に向けられる。
それが本書『強き者の島』における「愛の物語」である。
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恐怖の愛憎劇
本書『強き者の島』の愛の物語は、負の感情に満ちている。
弟の恋患いを晴らす為に、隣国に戦争をしかける「巻の一 プラデリの豚」。
歪んだ愛のもと、決して息子を認めようとしない「巻の二 スェウ」。
愛に狂う者と、狂わせられた者を描く「巻の三 ブロタイウェズの愛」。
いずれもロマンスの持つ負の部分をクローズアップしている。
特に印象的なのが以下のセリフである。
「おのれの愛が報われたことなどほんとうは一度もなく、愛だと思っていたものは、じつはなんの感情も抱いていなかった麗しいおもざしのまわりに、おのれの心が勝手に築きあげた夢にすぎなかったのだ。」(p.510~511から抜粋)
これは本当に恐ろしい。
お互いの思いが通じ合っていればよい。
しかし常に、「もしかして自分が都合良く解釈しているだけでは?」とか「自分一人で踊っているだけなのではないか?」という疑心暗鬼と背中合わせである。
この相互理解の不能、困難さが転じると、相手を攻撃したり、自己弁護の為に全く無関係の者に罪悪感をなすりつけたりする事になるのだ。
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英雄の成長譚
『強き者の島』に特徴的なものはもう一つ、英雄の成長を描いている点だ。
絶対的な保護者マース。
自らを信じきる自身家のグウィディオン。
人生の酸いも甘いもこれから経験するスェウ。
この「叔父と甥」という繋がりを持つ3人が、それぞれの立場で成長し人の一生を織りなしている。
「巻の一」では、言い訳をしつつ、自らの力を誇示するように使っていたグウィディオン。
しかし、「巻の二」で庇護者のスェウを得る事で、愛と分別をわきまえる。
元々表裏一体だったグウィディオンとアリアンドロは、この「スェウ」に対し正反対の愛憎を抱く事でお互いの道が決定的に違って行く。
「スェウ」を溺愛するグウィディオンは過保護気味だ。
その点、放任し、実践により善悪を判断させるマースの教育方針とは異なっている。
グウィディオンの教育の甲斐あってスェウは素直に育つが、その一方打たれ弱い面甘ちゃんな面がある。
だがそれも、裏切りを知り人生の苦難を乗り越えた事で一皮剥ける。
マースは絶対的な保護者として、厳しく優しく皆を導く。
しかし、寄る年波に、衰えをかんじつつ、自らの時代の終焉を受け入れつつある。
この3人は別人だし、キャラクターも異なっている。
しかし、一人の男の人生を、この3人で綺麗に描いているのは意図的なものであろう。
本書『強き者の島』に特徴的な事をぐだぐだと言い並べてきた。
しかし、これは言うまでもない事だったが、あえて言うと、ファンタジー部分が物語としてしっかりと面白い。
それに愛憎物語と成長物語を加え、誰にでも共感出来る側面を織り込んでいるからこそ、広く人の心に残る物語となっているのであろう。
新旧の文化の衝突、「女系」と「父系」の継承問題、愛故に狂わせられる人生、運命に囚われ翻弄される人々、
これらを織りなし、物語として練り上げた本作『マビノギオン物語』は間違い無く傑作ファンタジーだ。
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さて、次回は『失われた地平線』について語りたい。これもある意味ファンタジー?