幻想・怪奇小説『死者の饗宴』ジョン・メトカーフ(著)感想  解釈不能の恐怖体験!!千差万別、十人十色!?


突然、妻を亡くしたウォルター・ハブグッド大佐は、同じく母を慕っていた息子と別荘で過ごす事にした。妻はフランス人だったが、当地に偶然、妻と遠い親戚だというヴェニョン家の人と出会う。ヴェニョン家も、妻(母)を亡くしており、奇妙なシンパシーから、デニスをヴェニョン家に預ける事になるのだが、、、

 

 

 

 

著者は、ジョン・メトカーフ
イギリス生まれ。
妻はアメリカ人の作家、イヴリン・スコット。
短篇の翻訳は数回なされているが、
本作が、本邦における初単行本となる。

 

 

荒俣宏が編集した『怪奇文学大山脈』という全三巻のシリーズ本をご存知でしょうか?

怪奇文学に造詣が深い荒俣氏が、
本邦においては知名度が低くとも、
作品としては面白い怪奇短篇小説を集め、
氏の解説を付与したアンソロジー本です。

荒俣氏曰わく、
「もう、自分は、怪奇文学に対して、今後どうこうする情熱は無いけれど、未だ発掘されてない小説は多くあるから、その指標だけ記しておくよ」
といったニュアンスで、

後進に、
道を示して、後を託した形となった作品です。

 

その甲斐あってか(?)、
現在、本邦においては、
意外と、怪奇文学が繚乱している状態といえるでしょう。

 

 

さて、
ジョン・メトカーフも、
本著収録の「ブレナーの息子」が、
「怪奇文学大山脈」に収録されていました。
(「怪奇文学大山脈」では「ブレナー提督の息子」という題名)

いわば、予め、お墨付きを得ている状態。

いやが上にも期待が高まるじゃぁありませんか。

 

 

という訳で、
本書『死者の饗宴』です。

短篇7作、
中篇1作から成る本作、

何といいますか、
怪奇小説である事は間違い無いのですが、

同時に、
「世にも奇妙な物語」的な雰囲気です。

上手くは言えない感じですが、

読み手が、
内容を如何様にも解釈出来る作品なのです。

 

 

短篇小説は、
ワンアイディアを活かしたものや、
意外なオチを用意した切れ味鋭い作品など、

作家、作品により、
色々な読み味が楽しめるのが面白く、楽しみです。

そういった短篇の楽しみの一つに、
「作品の解釈が十人十色」というモノがあります。

 

作品を読んだ後、
その作品をどう捉えるかは、人次第、という趣の作品の事です。

 

これを長篇でやると、
上手く構成していないと、投げっぱなしの印象になりますが、

短篇なら、
元々短いが故に、
インパクトが強いオチとなります。

長々と解説しましたが、
何が言いたいのかというと、

本作の作品は、

後味を残すモノが多いです。

 

「え?結局どういう事?」
そんな印象の作品も数知れず。

しかし、
ともすれば、消化不良になりがちのこの展開も、
ホラー系の「幻想・怪奇」小説ならば、
逆に、良い味であるとも言えます。

 

確かに、
読み手を選ぶきらいもありますが、

ホラー短篇小説としての面白さは確かなもの。

怖い、というより、
奇妙な印象のホラー短篇小説、
そんな印象の『死者の饗宴』です。

 

 

  • 『死者の饗宴』のポイント

様々な解釈が可能な作品群

身近なものを題材にした恐怖

奇妙さが、恐怖に変わる瞬間

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 収録作品紹介

では先ず、
本書の収録作品を簡単に解説してみたいと思います。

本書『死者の饗宴』は、
短篇7作、
中篇1作からなる、全8作品が収録されています。

 

悪夢のジャック
基本的な作りは、
「秘境から宝を持ち帰るが、呪いや因縁により、悪い事が起こる」
という、
ゴシック・ホラーではよくある展開です。

しかし、
「A」さんの体験を、
「B」さんが語っているのを、
「C」さんが思い出す、
という多重構造を成しています。

この構成の妙が面白いのですが、
しかし、
細部には謎が多く残る作品です。

「C」さん一味(モーガン達)は、
一体「B」さん(ジャック)に、何しに来たのか?

本作では、「呪いの伝播」という恐怖を描いていますが、
それよりも尚、
悪事を働いて、しかし、それを見ない事にして(描写しないで)、
「川は全てを洗い流す」などと嘯く、
モーガンの無責任さの方が、却って恐ろしいです。

 

ふたりの提督
「他人が預かり知らぬモノに怯える人物」を描くのは、
これまた、ゴシック・ホラーではよくある展開。

この場合、
語り手たるジョン・チャールズは、
あくまで第三者目線という立場にいる事が、
普通のパターンですが、

本作では、
途中から、ジョン・チャールズ自身が、
えも言われぬ恐怖を体験する当事者となります。

進行方向に向かっていたハズが、
いつの間にか、スタート地点に戻ってしまい、
不思議な目眩を覚える

この感覚は、
子供の頃、何度か自分も味わった感覚であり、

もしかすると、自分も同じ事を、
それを恐怖と知らずに味わっていたのかと、
本作を読んで、戦慄する次第です。

 

煙をあげる足
「まんが日本むかしばなし」的なオチが楽しい(!?)作品。
欲深爺さんは、必ず報いを受けるのだ。

アブダラ・ジャンは、傍迷惑な存在ですが、
彼の不幸な境遇が、
何となく、スラップスティックかつブラックな笑いを誘います。

 

悪い土地
これまた、何ともえも言われぬ作品。

結局、物事は、
各人の主観によって如何様にも変わるという話…なのでしょうが、

個人(ブレント)の妄想を、
第三者(スタントン・ボイル)が無責任に肯定する事で、

ブレントの妄想が固着化してしまい、
事態が悪化してしまったという解釈も成り立ちます。

つまり、
無責任な第三者の肯定こそ、
破滅のトリガーと成り得るという事を描いているのかも、
しれませんね。

 

時限信管
本書収録作品の中では、
最もストレートなタイプの話。

信じる心が力になる、が、
それを奪うのは、
最も近しい妹の、無邪気な行為だというのが、
何とも皮肉極まる展開です。

とは言え、
ミス・ムーディーと、三男のモーリスとの間に、
どんな交流がのかと、
妄想が膨らみます。

 

永代保有
再婚した相手が、昔の配偶者を、未だに想っていたのなら…
そんな恐ろしい苦悩、疑心暗鬼を延々と描いた作品。

再婚相手を信じられない気持ち、
そして、
自分自身の気持ちが、どうなのかと、自分で決めかねている様子、

互いの気持ちが、
この時点で、既に離れている為に、
悲劇は必然であると言えます。

 

ブレナーの息子
個人的には、本書の白眉と言える、
何とも言えない奇妙な読み味が不気味な作品。

先ず、この話は、
息子を見る父親と言えます。
その関係を、他人の息子と、子供のいない既婚男性という形で、仮託して描いています。

子供というものは、
自分に似ているから愛おしいのですが、
それは同時に、
自分の欠点を見る事にも繋がります。
つまり、
子供を見て厭わしく思うのは、
自分の欠点を目の前に見せつけられているからなのです。

そういうDV男の思考・行動を克明に描きますが、
しかし、
その子供は、写真には写らないという。
つまり、
子供自体を、存在しない相手として、無かった事にしたいという我が儘すら感じます。

まぁ、勿論、私の勝手な解釈なので、
単純に、生き霊が、死ぬ前に、
子供がいない夫婦の所に遊びに来た、
というだけのゴースト・ストーリーかもしれません。

とは言え、
作中に、数々の気になる伏線らしきものが散見されます。

大体、1898年に、何があったのでしょうか?

そして、
p.184~185 にて、何故、ウィンターは庭に穴を掘っていたのか?
ラスト、
妻を絞め殺した、などと口走る彼は、
もしかしたら、妻を殺して、
その墓穴を掘っていたのかもしれません。

もしそうなら、
作中での妻の行動全てが、
ウィンター自身の妄想という事になり、
「ブレナーの息子」という亡霊のみならず、
実はその場には「ウィンターの妻」という亡霊も居た
のかも、しれませんね。

 

死者の饗宴
タイトルロールとなる作品であり、
本書唯一の中篇が、掉尾を飾ります。

これもまた、
親子関係の作品であり、
成長するに従って、
愛らしく、自分を慕っていたハズの息子が、
段々と父離れし、
疎遠になり、
独り立ちし、
自分を理解してくれぬと、最後には父を憎み、恨む様子を描き、
時と共に変化する父と息子の関係を描写しています。

確かに、
息子との関係を良好に保つ事は、
後から考えれば、
その局面毎に、いくつもありました。

しかし、実際には、
「時が全てを解決する」ではありませんが、
事態に対応出来ずに、ただ漫然を過ごすというのが、
人間関係のみならず、トラブルに直面した時はありがちです。

勿論、
そんな、奇跡など、起こるハズも無く、
何もしなかったら、最後には破滅するという当たり前の非情な現実を、
超常現象として、本作はラストにて描いているのです。

本作も、
細かい所まで突っ込めば、
色々な不審な面が浮かび上がり、
様々な妄想的な解釈が成り立ちます。

ヴェニョン氏は、自分の家系の呪いをデニスに取り憑かせようとしたのか?
もしかして、元々は、デニスの母系統の呪いだったのでは?
ラウールって、フランス風の名前では無いのではないのか?
かかしがラウールでしょ?黄色(穂)が好きって書物に書いてあったし、
ラスト、デニスはラウール(かかし)を持ち帰ろうとしたけれど、ジジ(犬)の存在が邪魔したから、別々の列車に乗ってしまったのか?
というか、もしかして、ジジがラウールとも考えられるのか?

色々と、妄想が尽きません。

 

  • 身近なものへの共感が、恐怖へ変わるまで

本書で描かれる恐怖というものは、
一見、
類型的で、典型的なゴシック・ホラーであり、
ともすれば、
恐怖譚というよりも、奇妙な話という印象の方が強いかもしれません。

しかし本書を読むと、
えも言われぬ恐怖を感じます。

何故なら、そこで描かれるテーマは、
事情に卑近というか、身近な題材を採っているからです。

 

金銭欲(悪夢のジャック)
自己肯定(時限信管)
夫婦関係(永代保有)
親子関係(ブレナーの息子、死者の饗宴)etc…

本書で描かれる、
欲や不安、渇望、狂気、そして恐怖は、
誰もが、ふと心の中に兆した事のある、
ごく身近なものだと言えます。

この、身に覚えのある感情が、
次々と、奇妙な不幸に見舞われる…

決して、他人事と切り捨てられない状況だからこそ、
そこで起こる事が超常現象であったとしても、
そこで喚起される恐怖は、紛れも無い現実のものとして、身に迫って来るのです。

 

本書の収録作品は、
いずれも、
色々な読み方、解釈を成す事が出来るものばかりです。

その、
通り一辺倒では無い作風、

十人十色の読み方で、
印象が千変万化するからこそ、

読む人、それぞれの体験に、
読み手自身が、勝手にフィットさせ、そこに恐怖が生まれるという効果があります。

だからこそ、
本書の諸作品はホラーたり得、

そして、
その作風こそが、ジョン・メトカーフという作家の持ち味なのだと思われます。

 

 

まだよく知られていない作家でも、
読んでみると、これだけ面白い。

怪奇文学という山脈に挑む事は、
未だ、山頂が見えぬ登攀であると、
改めて思わせてくれます。

 

 

『怪奇文学大山脈』のⅡ巻では、別訳で「ブレナー提督の息子」が読めます



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