父と母は年金暮らし、自分はバイト、そして二階にいる兄は引きこもり。八州朋子は二階を眺め悩んでいた。いつまでこの様な生活を続けねばならないのか?家族にも会いたくない兄は、部屋を出る時にいつも洋楽のロックをかける。その時、何かの異臭を朋子は感じた、、、
著者は名梁和泉。
本作で第22回日本ホラー小説大賞優秀賞を受賞してデビュー。
他の著書に『マガイの子』『噴煙姉妹』がある。
日本ホラー小説大賞。
癖はあるが、
この小説大賞でデビューした作家は総じてレベルが高い印象がある。
本作『二階の王』も、その例に漏れず高いレベルで面白い。
ホラーとは、人が恐怖や嫌悪を感じるものを「あえて」汲み出して小説と化したものである。
『二階の王』では
「引きこもり」という題材をホラーと繋げている。
何に恐怖・嫌悪を感じるかは人それぞれではある。
その意味で、本作の「引きこもり」というテーマに身につまされる人もいるだろう。
そんな人にとっては
共感出来るが故に、読んでいて息苦しい部分もある。
自分の周囲にそういう人が居る人も、
そうでなくとも話が通じない人が周囲に居るならば、本作の「恐ろしさ」に震えるハズだ。
以下ネタバレあり
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角川ホラー文庫
角川のホラー文庫。
長年、日本産の良質ホラー作品を産出してきたレーベルである。
近年はラノベ風ミステリばかりに傾注しているが、本作は久々のホラー作品である。
とは言え、『二階の王』は2015年に発売された単行本の文庫化作品である。
もっと以前の様に書き下ろしのホラー作品を発表して頂く事を願っている。
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コミュニケーション不全の物語
本作で描かれているテーマはコミュニケーション不全という事態である。
コミュニケーション不全の相手と、周囲はどう接すればいいのか?
そして、周囲とコミュニケーション出来ない人間は、周りとどう折り合いを付ければいいのか?
その悩みが恐怖に転じている。
それが『二階の王』では「引きこもり」であり、「<悪果>の感知」という形で表わされている。
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引きこもり
引きこもりという状態から脱するのは難しい。
それは家族全体の問題である。
それは分かっている。
しかし、実際には何かが起こった結果、もしくは何もしなかった結果の事態がこの状況なのである。
家族の中で、現状を打破する何かが起こる事を期待しながら、しかし、波風を起こす事を面倒に思ったり避けるという相反する気持ちが同時にある。
家の中は独特の緊張感が満ち、何かをするにも特別なエネルギーが必要になるのだ。
そこには、特別な勇気がお互い必要だ。
一歩一歩、互いが理解しながら歩み寄る意思を持つか、
もしくは外部からの刺激で現状を打破するものが必要なのだ。
本書『二階の王』では、その様子がクトゥルー神話的な設定の基で語られている。
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コミュニケーション不全者
そして、折角社会復帰しても、世の中は悪意に満ちている。
そこから自分の身をどう守っていくのか?
本書『二階の王』では、そういう「いじめられっ子体質」の人から見た世界の様子を<悪果>として描いている。
自分にとって異質なモノ、どうしても波長が合わないタイプの人間が気持ち悪く見えたり、触られるのも嫌だったり、近付かれただけで気分が悪くなったり、体臭に嫌悪をもよおしたりするのは、誰にでも経験があるだろう。
それを、分かり易く極端な形で<悪果>として描写しているだけで、実はごく普通の感覚であるのだ。
その感覚が鋭敏な者を、甘えとして弱者認定しがちなのが、残念ながら実社会なのである。
そして、<悪果>は環境により感染する。
知らず知らずの内に、周囲の学校や職場の空気に染まってしまうのが人間である。
いつの間にか感覚は鈍磨し、自分が嫌悪した人間に成ってしまう。
そういう人間からしたら、ピュアな感覚を持つ者は目障りである。
結果、不毛ないじめのサイクルが発生してしまう。
『二階の王』では、周囲に<悪果>を振りまく元凶が、そのサイクルから抜け出さんとする様子が、これまたクトゥルー神話的に語られているのだ。
恐怖とは人それぞれである。
そして、ホラー作品とは、その恐怖を抽出したものである。
人によっては全く以て気にならなかったりするだろう。
しかし、一度自分の身近に感じるモノの違和感に恐怖を感じたら、
そして、それを作品の中で意識してしまったら。
そこに、ホラー作品を読む楽しみがあるのだから質が悪い。
本作『二階の王』は、そんな恐怖を忠実に描いた良質ホラーなのだ。
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『マガイの子』について語ったページはコチラです。
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さて、次回は邪悪なる存在との遭遇を描いた作品『ウェンディゴ』について語りたい。