博物館で働くエリザベス。親しい友や恋人もおらず、叔母と単調な日々を過ごしていた。ある日自分のデスクに見知らぬ手紙が置いてあった。「しんあいなるリジー おまえのまぼろしのらくえんはえいきゅうにきえた リジーわたしにきをつけろ …」(p.10より抜粋)エリザベスはこの手紙を自分の秘密として大切にする。しかし、その日を境に、、、
不気味な出だしだが、ホラーというよりむしろブラックユーモアと言うべき内容。
登場人物があくまで真面目だからこそ、傍観者としての黒い笑いが楽しめる。
また、章によって物語の印象が変わってゆくのもいい。
以下ネタバレあり
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この作品は解離性同一性障害、いわゆる多重人格を扱っている。刊行年は1954年。60年も前だが、その頃から小説のネタになる様な症例があったのだろうか。
主な登場人物は7人。エリザベスの4人の人格
リジー(控えめ 長い間主人格だった)
ベス(おとなしく素直)
ベッツィ(お転婆 こどもっぽい)
ベティ(がめつい 浪費家)
そしてエリザベスの叔母のモーゲンと症状に対処しようと奮闘する医師のライトである。
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視点が違えば印象も変わる
『鳥の巣』は章立てによって人物の視点が変わる。1章こそ三人称だが、残りは各章の題字の人物の一人称となっている。そして章が変わる度に、読者の人物への印象が変わってゆく。これが面白い。
2章はライト医師の視点。この章のベッツィは不気味だ。催眠によって表に出てきたベッツィとの会話は、映画『エクソシスト』の悪魔との会話を彷彿とさせる手強さだ。ライト医師は自分の手に負えず匙を投げる始末だ。
しかし3章になり、当のベッツィ視点になると彼女のやんちゃさが可愛らしく、ちょっと応援したくなる。
4章は再びライト医師。モーゲン叔母に助力を頼むが、頑固な彼女のご高説を聞かされ、またもやライト医師は匙を投げる。
これが、5章のモーゲン叔母視点になると、彼女なりの愛情をもってエリザベスを育て、苦労してきたというのが分かる。
同じ人物でありながら、外から見ると理不尽な事でも、その人物自身の視点で見ると主張に意味や同情が寄せられる。考えてみれば当たり前の事だが、あまりに印象が変化してしまうその感覚が面白い。モーゲン叔母などまるで別人格なのかと思わせる程だ。
視点の変化、人称の変化による印象の変化がまるで人格までも変化している様に見えるのは、「普通の人でも立場の違いで別人格なんて容易に生まれるのよ」と言われている様な気がする。
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ブラックユーモア
そして、登場人物同士の会話もまたいい。ライト医師をからかってはしゃぐベッツィ。エリザベスの主導権争いをして別々の事を考える頭と手なんかは、まるで『寄生獣』である。毎回匙を投げるライト医師の人間くささや呆れながらも風呂に付き合ってくれるモーゲン叔母も笑える。
なんとも不思議な読了感をもたらす本作。解離性同一性障害を扱いながらサイコな印象にならず、むしろ最後は爽やかさえ漂うので気分良く本を閉じる事が出来る。
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さて、次回は引き裂かれるのは人格ではなく物理的な肉体。
そんな作品、映画『無限の住人』について語ってみたい。