映画『スプリット』感想 近い!カメラ近いって!

 

 

 

大して仲がいいわけではない級友のバースデーパーティーに参加したケイシー。お開きになり、車で送ってもらおうとしていた所に、見知らぬ男が車に乗り込んできた。そして、薬で眠らされたケイシー他2名の級友が目覚めた時、自分たちは拉致監禁されたのだと知るのだった、、、

 

 

 

監督はM.ナイト・シャマラン。彼の映画の独特の味は、「シャマラン・ムービー」と言われ一部のコアな映画ファンに支持されている。

そして毎回、ラストの「オチ」に過度の期待が寄せられるが、

オチにとらわれずに自然体で観た方がいいだろう。

 

今作では、これでもかと言わんばかりに顔のアップが目立つ。監督の「役者の演技、表情に注目してネ♡」という意思が見えるので、そこに注目して観るのが本作の楽しみ方だろう。

 

ちなみに、本編終了後に文字告知がある。コアなシャマランファンは席を立たずに待っていよう。

 

以下ネタバレあり


スポンサーリンク

 

 

  • 23人の人格+1

この映画は、多重人格モノである。
一般には多重人格と知られるものは、現在では解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder 略してDID)と言われている。日本でこの事例が広く知られたのは、ダニエル・キイス著の『24人のビリー・ミリガン』で、本作もこの著作を参考にしたハズだ。

ジェームズ・マカヴォイ演じるケビンは、他に23人の人格がある。それぞれの人格が固有の思考、話し方、表情、特技を持ち、さらに精神面にとどまらず身体能力、持病、果ては体格までも変化する。精神の変容が肉体の変化をもたらし、さらに人間という種を超越する「ビースト」という存在を生み出す。
24人の人格があるとはいえ、実際目立つのは以下の6人である。
デニス(潔癖症、誘拐犯)
パトリシア(女性、背筋がピンとしている)
ヘドウィク(少年、行動の主導権を握る人格を指定出来る)
ビースト
ケビン・ウェンデル・クラム(主人格、普段は守られ眠っている)
バリー(おネエ系デザイナー、人格達のリーダー的存在だった)

 

  • 表情に注目

この6人を演じるジェームズ・マカヴォイが凄い。キャラが違うので演じ分けしやすそうに思えるかもしれない。しかし、何が凄いかというと、同一シーンでスッと表情が切り替わる場面だ。
ドクターのカレンと面談中、正体が見破られてバリーからデニスへと変わるシーン。そして鏡を見ながらデニス、パトリシア、ヘドウィクが会話するシーンは、カットに頼らず表情の演技で成し遂げた。これがこの映画の白眉のシーンだろう。

表情がいいのはジェームズ・マカヴォイだけではない。カレン役のベティ・バックリーもアップが多い。絶望に涙するシーンは胸が苦しくなる。(生足をさらすセクシーシーンもあるよ)ケイシーを演じた若手のアニヤ・テイラー=ジョイもよかった。不安の中でも意志の強さを示す眼差しが美しい。

  • 今作のシャマラン演出

この映画はソリッドシチュエーションの一面もあるが、特有の閉塞感は感じない。ソリッドシチュエーションは被害者目線の物語で、加害者の存在や意図は明確にされないものだ。だから、厳密に言えばソリッドシチュエーションではない。加害者目線のパートが多いし、意図も明らかにされるからだ。ちょくちょく部屋から外に出るし、ケイシーの回想場面に開放感がある事も理由だ。

そのケイシーだが、回想シーンやヘドウィクとの会話によって徐々に彼女のパーソナリティが明らかになってゆく。
同級生の様にギャーギャー喚かないのは「狩り」の経験があったからだ。また、ケイシーが落ちこぼれていたのにも訳があった。それにより蔑まれる事を甘受してまでも、居残りをして家に帰らない事を選んでいた。
この、虐待を受けていたという事実は敢えて明確には描写されない。あくまで回想シーンのつながりと、ヘドウィクとの会話で観客に推察させる。この手法は、かつてのシャマラン・ムービーではホラー演出に使われていた。
出てくるか、出てくるかと煽っておいてまだ出ない。この積み重ねで観客の想像を利用して恐怖を倍加させていた。(結果、想像より怖くなかったりして、拍子抜けするのもお約束だった)
今作では、場面を推察させるのではなく、ケイシーの内面を推察させる形をとっていた。これにより煽りの演出だったものが、同じ手法でありながら、直接描写を控えたある種上品な演出へと変わっていた。この内面、状況を推察するという行為を経て、観客はよりケイシーに感情移入しやすくなる。だからケイシーは(今時のホラー映画には珍しく)生き残ってほしい存在として観客に応援されるのだ。

 

  • ラストとその後

クライマックスでビーストはケイシーを追い詰める。銃弾を食らっても死なず、狂気の表情で檻を素手で曲げてゆくさまは、正に人間という檻からも抜けだそうとしている様であった。しかし、兎にも角にもケイシーは、幼き日引けなかった引き金を引けた。動物園の動物になぞらえて人格の名前を付けていて、敢えて特定の動物に依らない「野獣=Beast」と名付けられた存在。それにより見逃されたケイシーは百獣の王たるライオンの像を見つめる。彼女もまた、今までの自分という檻を抜け出したのかもしれない。

そしてラスト。ブルース・ウィリスの登場に驚いたが、笑ったのがわざわざ名札をつけてくれていた事だ。そこまで丁寧に演出しなくても、ブルース・ウィリスが出た時点で『アンブレイカブル』って分かりますよ、シャマランさん。2019年公開予定?の映画(追記:『ミスター・ガラス』)にも注目だ。

 

それにしてもジェームズ・マカヴォイは『X-メン』でスキンヘッドにし、本作でも坊主刈り、そして次回作も作るとなれば、髪を伸ばせない俳優になっちゃうのかな、、、

 

 

『スプリット』の続篇、『ミスター・ガラス』について語ったページはコチラ

 

 

 

 

 


スポンサーリンク

 

さて、次回は髪の話ではなく、これも解離性同一性障害を描いた作品、シャーリー・ジャクスン著『鳥の巣』を語っていきたい。