エス・エフ小説『アリスマ王の愛した魔物』小川一水(著) テクノロジーの未来を予見する傑作短篇集!!

 

 

 

父王が治めるディメにて、六兄弟の末っ子として生まれたアリスマ王子。身体は虚弱、しかし、数学の才のあったアリスマは数字のカウントに異常な執着を示す。そんな彼の元に、名も知れぬ魔物が現れる、、、

 

 

 

著者は小川一水
現代SFを代表する作家の一人だ。
代表作に
『第六大陸』
『復活の地』
『老ヴォールの惑星』
「天冥の標」シリーズ 等がある。

 

本作『アリスマ王の愛した魔物』は全5篇の中短篇集。
ジャンル的にはSFという事になろうが、その内容は

近未来SF、宇宙生活モノ、ファンタジー、ファースト・コンタクトと充実したラインナップ。

 

素晴らしいのは、どの話も理解出来るという点。

SFと言えば、意味の分からない理論がグダグダ述べられる印象があるかもしれない。
だが本作の収録作は、

まず物語として面白い。

 

読めば普通に理解出来るレベルである。
その上で、

SFでしか描けない話となっている。

 

誰が読んでも面白く、分かり易く、それでいてSFの必然性がある物語。
これ程のバランス感覚を持った作劇は中々無い。

お値段700円+税。
総ページ数p.341。
1000円超えが普通になってきた昨今において、お値段的にもオススメ出来る、面白い作品だ。

 

 

以下内容に触れた感想となっています


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  • ぶれない作劇

小川一水はデビュー当時からSF的を描き続けている。

だが、その話の核となるのは、まずキャラクター
キャラがいて、それが仕事やイベントにて自らや他者の持つアイデンティティと直面するという話が多い。

そして、その作劇の舞台として描かれる世界を描写するのにSFが最適である。
そういう必然性を持って物語が成り立っている。

ともすれば、話し口調が現代的で軽くなったりもするが、
総じて現代を生きる普通人の意識で人間が描かれており、共感性をもって読むことが出来る。

そこが著者の作品が受け入れやすい部分では無かろうか?

 

  • 作品解説

全5篇の各作品を簡単に解説してみたい。
「リグ・ライト」のみ中篇。
残りが短篇である。

ろーどそうるず
バイクのフィードバック機能と、それを受信し適切な処置を返答として返す情報統合AIを擬人化したSF。
バイクがスタンドアロンだったのは今は昔の話。
現在ではコンピューター制御で異変が数値として視認出来る様になっている。
そこからさらに、オンラインにより常時双方向フィードバック機能がついた時代がきたなら、バイクとAIがこういう会話をするかもしれないという、ある意味ファンタジーな作品。

ゴールデンブレッド
描写される外見と登場人物の名前によって、オチ自体はある程度予測出来る。
その上で描かれるテーマは、人間は生まれ(遺伝子)により規定されるのか?
それとも環境(文化)によって性向が決まるのか?
そしてそれを、自分で選ぶ事が出来るのか?という事である。

アリスマ王の愛した魔物
語り口が寓話的でファンタジックな作品。
博士が愛した数式的な感じで、アリスマ王が愛した魔物とは数学そのもの。
魔物が実際に居たかどうかは問題では無く、計算に取り憑かれた人間の執着の末路を描いている。
そして、話の元ネタとなったのは「ラプラスの悪魔」であろう。
「ラプラスの悪魔」とは、簡単に言うと、世の中のもの全てを正しく観測し計測出来たら、その後の世界がどうなるのかも正しく予測出来るハズという思考実験である。
この計測の部分を人力で行おうというビジュアルイメージが秀逸
剃髪して糞尿垂れ流しの大人数が虚ろな目で延々計算している様は衝撃的だが、
現代でも食品や工業製品の工場で似たようなものを見る事で出来る。
実は、現代社会を巧妙に置き換えたの話なのだ。

星のみなとのオペレーター
宇宙ファースト・コンタクトSF。
本人に害意が無くとも、コミュニケーションが出来ないという一点だけでその存在の害悪さ、厄介さは跳ね上がる
ここをどう詰めて行くかがファースト・コンタクトものの醍醐味である。
だが、本作で描かれるのは、一現場の一作業員の日常業務目線。
どんな状況でもお気楽さを忘れない事が楽しく生きるコツなのだ。

リグ・ライト ――機械が愛する権利について
本書の白眉たる中篇。
自動車に自動運転が付いた時、事故時の責任の所在は何処にあるのか?
この疑問から生まれた極近未来SF。

 

以下、内容に触れた解説となっております
簡単に済ますハズがちょっとだけ長くなりました。

 

人型介護ナビロボであるアサカの見た目が美人だというだけで、
四季美は、アサカ本人は頻りと否定しているにも関わらず、「自意識」を持っているんだろうと何度も問い詰める。
この、人間側の聞き分けの無さによるコミュニケーション不全がそこはかとない不気味さをもよおす。

四季美が祖父の死による遺産相続で引き継いだのは、自動車。
(原付免許しか持っていない人間に車を相続させる神経が分からないが、まぁ、そこはご愛敬)
その車はクラス3の自動運転車。
事故時や緊急時には人間の素早い対応が必要との観点から、その責任は運転席に乗る乗員が負う事になる。
(つまり、自動車運転免許が必要となる)
これは現在、現実的に考えられているレベルの話とリンクしている。
一方、さらに最新式のクラス4や5となると、完全自動化。
クラス5ともなれば搭乗者に運転免許は必要では無く、事故時の責任も自動車メーカー側が負うという契約の元、お値段も高めに設定されている。
(実際には、車は所有物という観点から、事故時は購入者の責任になると私は思っているが、さて、未来はどうなるか)
この近未来予想部分だけでも面白い。

四季美が相続したクラス3の自動車は、祖父がカスタムしており、運転席にロボのアサカを乗せないと動かない仕様になっている。
さて、この場合の「責任」は何処に帰属するのか?
無免許の四季美か?
「人権」が無いハズのロボのアサカか?

本作「リグ・ライト ――機械が愛する権利について」ではクラス3の自動運転車のAI自身がそれを自ら負う事で、AIに権利がある事を主張する。

前半の話が完全にミスリードじゃないかとか、
事故が先立つなら、後追いで責任を負うのは本末転倒しているとか、
素人カスタムとロボとの双方向通信と、クラウド型情報統合システムとの通信で何故自意識が芽生えたのか、論理の飛躍があるとか、
ツッコミ所はいろいろある。

しかし、自動車の自動運転技術実用化にあたって、近い将来必ず議論の的になる部分、
責任と取るのはユーザーか、メーカーか?
この問題に、「俺が責任を取る」とばかりに、AIが名乗を挙げ、これを先途にAI自身の「人権」を獲得しようとする強かさが抜群に面白い

本書の巻頭の「ろーどそうるず」と合わせて読むと、また趣が増す作品である。

 

 

 

固有名詞のキラキラネームや、話し言葉の浅薄さが気になる人もいるだろう。

しかし、仕事に勤しむ普通人の目線や、現代的なテーマを以て親近感のある物語を作り、読者の共感を得る小川一水のSFは、まず小説として面白い。

だからこそ、SFという舞台でも、現実感を失わない世界観を作りあげる。

今後も現代日本SFの代表者として、小川一水の作品からは目が離せないのである。

 

いろんな意味で面白い、著者の傑作長篇

 


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さて次回は、短篇が面白いのはSFのみならず怪奇ものも、小説『魂豆腐』について語りたい。