エス・エフ小説『世界の終わりの天文台』リリー・ブルックス=ダルトン(著)感想  最期の最期に迎えるのは、凍てついた孤独感!!

 

 

 

北極の天文台で一人働くオーギー。他の職員は、軍に促されとっくに撤収していた。そして、頑固に居残った彼が他と通信を行おうとしても、何故か世界は沈黙していた。
一方、木星の有人探査より帰還の途に付いていた宇宙船<アイリス>のメンバーも、地球との交信途絶に不安を募らせていた、、、

 

 

 

 

著者はリリー・ブルックス=ダルトン
作者の小説デビュー作である本書にて、本邦初登場だ。

 

本書『世界の終わりの天文台』は

静謐な孤独に苛まれる、情緒SF。

 

北極のオージーと
木星探査船のサリーの視点が交互に語られる。

どちらも、自分(達)以外から、突如として世界と切り離され、深い内省に沈んで行く事になる。

帯にはスイーツな文句が並び、
裏表紙のあらすじからはラノベ臭が漂って来るが、
読み味はズッシリ重い。

未来に希望が持てなくなった時、
自らの過去の行状に思いを馳せる。

 

急に終わりを告げられた人間が直面する、
悔いだらけの人生の物語。

そして、その果てに見る覚悟の景色。
それが、『世界の終わりの天文台』である。

舞台は極寒の北極と真空の宇宙空間。
是非、寒い内に読みたい作品である。

 

 

  • 『世界の終わりの天文台』のポイント

凍てつく情緒に溢れたSF

人生に悔いがある人の為の物語

世界の終わりに直面した時の、内省と覚悟

 

 

以下、内容に触れた感想となっています

 


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  • 後悔先に立たず

『世界の終わりの天文台』は情緒溢れるSFである。

しかし、その情緒は甘くない。
背筋をミシミシと蝕む様な、苦い後悔が伴う。

いつの間にか、世界には自分一人しか居ない。
そんな、一足先に終わってしまった世界に取り残された人間が、最期にどの様な覚悟を決めるに至るのか、という物語だ。

本作でメインとなるオーギーもサリーも、
その人生、とりわけ家族関係において後悔がある

自らの才能を信じて、
自らの努力と行動こそが、人類の発展に寄与するという自負を持って、
自らが導き、世界を拡げなければならないという使命感を持って、彼達は生きてきた。

しかしそれは、若さ故の全能感からくる傲慢だとは、全く気付いていない。
世界に、自分一人だと、気付くまでは。

オーギーもサリーも、家族を捨てて、「世の中の為」という大義の為に仕事をしてきた
しかし、その大義、即ち世界自体が無くなってしまった時、自分の人生の意義すら無くなってしまったと感じる。

自分のしてきた事が意味が無いとしたら、
自分が犠牲とし、過去に捨ててきたもの達が無意味になってしまうのではないのか。

思い返せば、それは何より大事だったハズなのに、、、

この後悔が、全篇に亘り、毒の如くに総身に回っている。

そして、この絶望感と孤独が、死に至る病としてオーギーとサリーを蝕むのだ。

 

  • 覚悟を決める物語

人はその死に瀕して、自らの行状を悔い、反省するのかもしれない。

オーギーもサリーも、自らが捨て去った可能性、
家族との人間関係という幸福な人生について思いを馳せる

その一方、苛酷な現実に絶望し、殺されない為に、

オーギーは少女「アイリス」を創造し、あり得たかもしれない娘との交流にて孤独な生を保つ。

サリーは日々のルーチンワーク、目の前の仕事に集中する事で現実逃避をする。

しかし、その自己防衛の狭間に
過去の回想と悔恨がすきま風の如くに吹き抜け意識をそこへと誘う。

その彼達が救われるのは、別々の物語だった二人の視点が絡まる、数少ない交信に拠ってである。

オーギーとサリーは、自分が最期の一人じゃない。
世界には、まだ自分の他に生きている者がいると知る。

求めて、失われたと思ったものが、
まだそこに居たという事実に、希望を見出す。

ここにおいて、オーギーはサリーとの会話で不可解な様子を見せる。
アイリスの事を話さないのだ。

そう、オーギーは、その正気の部分でアイリスの正体(=娘の現し身)に気付いていた。

そして、自分が「気付いて居た」という事に気付いた瞬間に、
オーギーは最早生き残る術を失ってしまうのだ。

オーギーが最期に求めたのは温もり。

オーギーはその人生で愛を求めず、それは必要ないものとして生きてきた。

しかしそれは、本気で求めたならば手に入ったかもしれないものであり、
最期には身の無い通信(希望、夢)よりも、その生身のリアルさを求めたのだ。

それは自分の弱さを認め、最期にそれを受け入れて人生の幕を引こうという覚悟を決めたという事なのだ。

一方のサリーも、オーギーの絶望的な状況を冷静に判断し、自分が未だマシだと知る。

何故なら、自分には過去に失ったものがあっても、
未だ仲間が存在し、自分を想ってくれているという現実が確固として存在しているからだ。

サリーには、これから続いて行く未来があるのかもしれない。

 

  • 最期の最期で伝わったもの

通信によって、「オーギーの絶望的な状況」を知った二人は別々の覚悟を決める。

オーギーは、死の覚悟を、
サリーは、生きて行く覚悟を。

オーギーは「アイリス」という娘の為に、自分がむざむざ死んではならない、彼女を生かさねばと、孤独に耐えて生き延び、無線基地まで辿り着いた。

そして、無線でサリーと繋がり、バトンを渡すように彼女に希望を与え、自らは幕を引く。

サリーは、オーギーとの通信が切っ掛けで絶望の中にも希望を見出す。

オーギーの持つ「かたくなななまでの孤独(p.240)」、それは自分も持っているものであると悟り、それを取り払う。

人を受け入れる事で、未来の希望を想う

 

娘の為に生きねばというオーギーの想い、
それは、互いに知らぬ内に、
確かに届いて、サリーの生を希望とともに繋いだのだ。

 

 

真冬の様な静謐さ、厳しさ、寒さを持った作品『世界の終わりの天文台』。

しかし、その厳しい冬を乗り越えてこそ、新しくたくましい生が誕生する。

このズシリと重い物語を乗り越え、人生を続けて行きたいものだ。

 

 

 


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さて次回は、ふわりと軽い読み味に、色々挑戦の後が見える!?漫画『ギガタウン 漫符図譜』について語りたい。