搭乗者の趣味嗜好を敏感に察知し、快適な乗り心地空間を提供する車。それは、安全性の為、数年単位で乗り換えねばならぬ定めにあった。そして、乗り慣れた「お紺」もついに廃棄の時を迎えてしまう、、、
著者は筒井康隆。
代表作に
『時をかける少女』
『七瀬ふたたび』
『虚構船団』
『パプリカ』
『旅のラゴス』等。
編者は日下三蔵。
現代の出版サイクルの高速化に伴い絶版された作品の再発掘を目指し、第一世代のSF作家の代表作を集めた傑作選を作る必要にかられたと言う。
そのラインナップは
『日本SF傑作選1 筒井康隆』(本書)
『日本SF傑作選2 小松左京』
『日本SF傑作選3 眉村卓』
『日本SF傑作選4 平井和正』(以下発売予定)
『日本SF傑作選5 光瀬龍』
『日本SF傑作選6 半村良』
と、順次発売される予定だそうだ。
(本来は星新一も入れたかったそうだが、新潮社との独占契約の為無理との事)
第1段は筒井康隆。
『東海道戦争』にて初めて単行本が出たのが1965年。
作家生活50年超。
既に現代日本作家の巨匠とも言える存在である。
本書『日本SF傑作選1 筒井康隆』には60年代~70年代にSFマガジンに掲載された作品を中心に編まれている。
その内容は
スラップスティックSF。
最早ギャグと紙一重である。
これを悪ノリと見るか、
先鋭的と見るか、
それは読者次第であるのだが、
面白さは間違いが無い。
ファンには懐かしく、
そして、新しい読者は「こんなモノがあったのか」と驚く事間違い無い傑作選である。
以下、作品紹介
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収録作品紹介
本作に収録された25篇を簡単に紹介してみたい。
お紺昇天
新商品をドンドコ買わせようという市場原理は昔から変わっていないのか、それとも変わらない事を予言していたのか。
東海道戦争
非日常をエンタテインメントとして捉えるのはTV時代以降の必然である。
しかし、それをリアルとして個人が捉えられるかは、また別の話なのだ。
マグロマル
異文化交流の難しさより、会議そのものの無意味さが面白い。
議論の為の議論こそ、無意味なものは無い。
オチもけっこう好き。
カメロイド文部省
フィクションと言うよりむしろ、作者の体験談なのかと思わせるところが面白いのだ。
そして、この話に共感出来る人間が多数居るだろう事もまた、面白さである。
トラブル
侵略SFかと思いきや、突如始まる上へ下への大騒ぎ。
破壊してナンボのセオリーと人体は読者の感覚をも狂わせる。
火星のツァラトゥストラ
ブームというものが作られる仕組みを表わしている。
なんとなく有り難がっているものに、本当にその価値があるのか?
今一度考えてみるのもいいだろう。
最高級有機質肥料
美辞麗句のお世辞が、まさかの苦痛を産むという。
こんな事があるのかと、笑わされる。
ベトナム観光公社
オリジナリティを求めて逆張りしても、結局模造品にしか出会えないという。
しかし、そこで体験する事は、自らの「リアル」であるのだ。
アルファルファ作戦
イキっている老人達からすると、『未知との遭遇』などとは成らない。
老人とは滑稽なのか、それとも、プリミティブな魅力溢れているのか、表裏一体である。
近所迷惑
壮大な設定が個人目線でギャグ化しているのが楽しい。
暴走した「どこでもドア」である。
腸はどこへいった
空間としてループしていても質量が保存される訳ではないとか言うツッコミをしてはいけない。
これはラストシーンを描写したいが為の作品である。
人工九千九百億
『BLAME!』を先取りしたかの様な作品。
しかし、そこに人間が住んでいたらこうなるという描写が面白い。
このネタで十分長篇が作れる。
わが良き狼
物語が終わった後の登場人物はどうしているのか?
その様子を哀愁たっぷりに描いている。
フル・ネルソン
何か仕掛けをしているのかもしれないが、私には分からなかった。
たぬきの方程式
ミステリ風な感じを漂わせつつ、強烈なラストが良い。
ビタミン
アルファベット順にビタミンが発見されたらこうなるかもね、というだけの作品。
郵性省
あくまでもバカバカしさを追求するスタイルである。
本作もラストの「御手淫船」を言いたいだけと思われる。
俺に関する噂
全くの無名な人間を祭り上げて面白がるというのはTVでよく見る手法だが、本人が主張し始めると周りが引くという社会の反応を描写している点が面白い。
デマ
作るのが面倒くさそう。
佇むひと
裏にある管理社会と、粛正が当たり前とそれを受け入れている人間の恐ろしさ。
首輪を締められている様な圧迫感がある。
バブリング創世記
口に出して音読した時のリズム感である。
「コケカキイキイ」とか「ヨイトマケ」とか何処かで聞いた事のある単語がたまに挟まれているのを見つけるのが面白い。
蟹甲癬
題名から漂うギャグ感とは違って、ストレートなバイオSFである。
この地に降り立った知的生物を隷属化した、そのなれの果てが蟹なのであろう。
それを考えると、冒頭の描写がホラーに変わる恐ろしさがある。
こぶ天才
結局は知能や才能より立ち回り重視のコミュニケーション能力こそが日本に於いて最も重要な事なのかもしれない。
顔面崩壊
これでもか、これでもか、と背中の痒くなる描写を繰り返すその発想力よ。
虫に対する根源的な嫌悪感をもよおす。
最悪の接触
これほどまでに訳のわからない物を書けるというのは、作者はある意味天才…なのか?
常にボケ続ける相手に合わせて、自分もボケたらツッコまれるというむかつきとストレスしか与えない人間は現実にも存在する。
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筒井康隆という作家
非常にバラエティに富んでおり、そのほとんどが面白い。
そして、その魅力的な発想と舞台設定を短篇という形で惜しげも無く消費しきるスタイルが凝集した面白さを作っている。
一方、オチに向けて突き進むワンアイデアものはギャグテイストの読み味だ。
解説によると、作者・筒井康隆は「SF作家は書かれていないアイデアが無いかと、常に探している」と言ったという。
これは、漫画家のいしかわじゅんが、ギャグ漫画家の性質について言及した言葉と一致する。
しかして、確かに本書に収められた作品群を読むに、SFとギャグの融合的作品が多く見られる。
SFもギャグも、人の手垢が付いていないものを追求してしまうと、どうしても先鋭的なモノになってしまうのだ。
それが行き着く先は狂気なのだが、筒井康隆は意識してその手前の危なっかしいラインのギリギリを攻めている。
一見無茶苦茶の無謀な作品であっても、面白さを失っていないのは、作者が並々ならぬバランス感覚を持っているからなのだ。
訳のわからない理論でもって煙に巻くだけがSFではない。
日常を訳のわからない物にする事もSFの面白さなのだ。
未だ見ぬ世界を日常の先に再発見する。
筒井康隆の魅力はそこにある。
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さて、次回はギャグの新しい形を追求している?漫画『CITY』について語りたい。