ミシェルは自宅でいる時に突然侵入した覆面の男に暴行される。…だが、その日は訪ねて来た息子と何事もなかったの如くに食事する。後日、病院には行ったが警察には届けない。そして、その顛末を友人達とのディナーの席で平然と告白する、、、
監督はポール・ヴァーホーヴェン。
オランダ生まれだが、インパクトが強いのはハリウッドで監督した諸作品。
『ロボコップ』(1987)
『トータル・リコール』(1990)
『氷の微笑』(1992)
『ショーガール』(1995)
『スターシップ・トルーパーズ』(1997)等が印象的だ。
そして、本作はフランス映画である。
原作はフィリップ・ジャン著の『エル ELLE(原題:”Oh…”)』。
主演はイザベル・ユペール。
1953年生まれだ。他の出演作に
『ボヴァリー夫人』(1991)
『ピアニスト』(2001)
『愛、アムール』(2012)等がある。
他、共演にロラン・ラフィット、アンヌ・コンシニ、シャルル・ベルリング、ジョナ・ブロケ等。
初っ端から衝撃映像でガツンとぶつかってくる本作『エル ELLE』。
だがしかし、
肝は犯人捜しでは無い。
本作を観る時は、勘ぐってはいけない。
描写される映像をそのままに、
不愉快な嫌悪感を感じつつ閉口して観るべきである。
共感性の排除、裏読みの否定を突き付けてくる。
そしてそれを受け入れた時、
一周回ってきっと笑えてくるだろう。
その段階になると、映画自体を冷静に観られる様になる。
私の様に、普段ハリウッドの分かり易い映画に慣れていると、初めはちょっと戸惑う。
しかし、
観客の共感を目指した作品では無いと理解すれば、それ相応の楽しみ方がある。
たまには、こんな作品を観てみるのも良いだろう。
以下ネタバレあり
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驚異!!御年64歳!!
主演のミシェル役・イザベル・ユペールが画面に映ったとき私はこう思った「祖母に似てるな」。
そして、息子(という設定)のヴァンサンが出て来て、え!?と思った。
若すぎる、年齢が合ってないだろうと。
然もあるかな、イザベル・ユペールは1953年生まれ。
御年64歳!!
完全なるお婆ちゃんである。
私が祖母を思い出し、ヴァンサン(役者は1992年生まれ)に違和感を覚えたのは当然である。
しかし、役が若い!
おっぱいをさらけ出し、SEXシーンをやってのける。
ほとんど20歳くらい若い役なのである。
この若々しさは驚異的だ。
もっとも、顔のシワや射撃時のへっぽこぶりに年齢を隠し切れていなかったが、、、
さらに、である。
ミシェルの母親イレーヌ役のジュディット・マーグルは1926年生まれ。
91歳!?!?
最早どうやって動いているのか?それすらも疑わしい。
フランス人だから若いのか?
それとも女優魂でいつまでも若いままでいるのか?
本当に凄い。
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共感性の否定
本作『エル ELLE』は暴行事件で幕を開けるが、犯人捜しがその主目的ではない。
むしろ、次第に明らかになるミシェルの異様さが際立って来て、観客の共感や同情を突っぱねてくる。
駐車スペースが無かったら、あらかじめ駐車してある車を押しのけてでも置いてみせる。
ディナーの席で暴行被害を告白しておいて、雰囲気が悪いとか言い出す。
社内で合成エロ動画を流されても平然としている。
刺激が欲しくて親友の男と寝る。
一方で、元夫の彼女の食べ物に爪楊枝を仕込む。
最早、図太いを通り越して異常である。
ミシェルのパーソナリティ自体に、他人との共感性が欠如している(1)。
それ故に、観客もミシェルに共感する事は出来ない。
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一周回って最早ギャグ
だが、一度そういう人物の映画だと理解して観ると、また違った面白さが浮き彫りになってくる。
それは異常さと紙一重の可笑しさである。
息子の嫁を悪く言う姑、と思いきやガチにヒステリックだった嫁。
いざ、生まれた子供の肌の色が黒い!
従業員にパンツ下ろせとパワハラする。
雨戸を閉める時、焦らされて「ヴア゛ァ」とか声が漏れる。
その他もろもろ、駐車の件も、爪楊枝の件も、ほとんどMr.ビーンの様なギャグである。
端から見るのは面白いが、自分で関わるのは御免被る、そういうタイプの面白さだ。
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異常な関係
ミシェルは強姦犯を撃退し、その犯人は隣人だと知れる。
しかし、それでも尚、ノコノコと「隣人関係」を続けている。
これは、いわゆる「誘い受け」である。
(「誘い受け」とは本来ボーイズラブの用語で、「自分から誘っていながら行為としては受け身」という意味。ニュアンスが伝わるものと思って用語を使用した)
最初と撃退した2度目はまだしも、
正体が知れた後の3度目などはむしろ自分が楽しんでいる。
何しろ、動く姿を見ながら自慰行為をしていた程である。
しかも、相手の性癖に合わせてアダルトビデオの如くにわざとらしく「ボアアア」とか喚いてみせる。
親友の恋人とやる時は全くのマグロ状態だった事との対比が笑える。
親友の恋人と寝るスリルより、暴行犯とやる方がより背徳的でスリリングな刺激に満ちているのだろう(2)。
また、敬虔(ぶった)キリスト教徒の信者である嫁公認だった事がまた何とも言えない笑いである。
お前ら夫婦とも外面だけキメたポーズだけの存在だったのかよ!!
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結局昔の事件って何?
暴行事件の方は一応の解決を見るが、その一方で観客の心にわだかまりを残すのがミシェルの父が犯したという「1977年の連続殺人事件」である。
映画の中で言及された事を素直に受け取って解釈するとこうだ。
父が連続殺人事件を犯し、衣服を燃やしていた為にその共犯と見做された当時10歳だったミシェル。
その時の記憶が警察不審を生んでいた。
また、ミシェルの冷めた性格、
他人の都合を省みない、
恥も外聞もないたくましさ、
共感性の欠如、
これらは隣人やマスコミからの好奇と嫌悪の目に晒され続け、自分を守る為に無感覚に陥った為の結果であると受け取れる。
だが、果たしてそうか?
私はそうは思わない。
映画で描写されたミシェルのパーソナリティを考えて事件を解釈するとこうである。
(以下私の勝手な解釈である)
まず、ミシェルの性格は異常な程の図太さである。
暴行された事をディナーで告白したり、エロ動画が流されてもへこたれない。
そんなミシェルが父の事になると思春期の少女の様に拒否反応を示す(3)。
それだけ憎んでいるとも解釈出来るが、どうも彼女の性格とそぐわない。
無感動にスルーしそうである。
また、ミシェルは不気味な笑顔を2度みせた。
妄想で覆面の男の頭を叩き潰す時。
実際に、叩き潰されて血を流しているのを見た時、である。
つまり、ミシェルは暴力を好む傾向がある(4)。
何しろ、自分で暴行犯を返り討ちにしようと思っていた位である。
因みに一番の笑顔を見せたのは、元夫のリシャールが彼女のエレーヌと別れたと言った場面である(5)。
そして、隣人のパトリックに事件の顛末を武勇伝の如く語っていたシーンである。
ペラペラ事件の事を喋るミシェルだが、報道されなかった事実、動物をも殺してまわったという事と、ハムスターは殺さなかったという情報を言ってのける(6)。
これは何処から仕入れたのか?
父から直接聞いたのか?
警察の尋問時に情報が漏れたのか?
ご近所だから、その後自然と知る事になったのか?
赤字1~6の事を総合的に判断するなら、答えは
ミシェルこそが連続殺人事件の犯人である、という事だ。
報道されなかった事実(6)を知っていたのは勿論、彼女自身が犯人だがらである。
そしてミシェルは血を見るのに抵抗がないどころか、むしろ血を見ると過去の事件を思い出して興奮している(4)のではないか?
父の話題に拒否反応を示す(3)のは、父が無実だからである。
血塗れのミシェルを見て驚いた父が、証拠隠滅を謀って服を燃やした、という方がより説得力がある。
逮捕時、警察がはやとちりして大人の男である父を拘束し、父はミシェルをかばいその事実を否定しなかったのか。
それとも、父自身が自分がやったと名乗りでたのか、それは分からない。
ミシェルとしては自分に都合が悪い(と思っている)ので、保釈でも出て来て欲しくない。
だから、母に言われてもヒステリックに喚き散らす。
父はモンスター、私は巻き込まれた被害者、というストーリーを後の人生で演じ続け、自分でもそれを信じ込んでいるのではないか?
何しろミシェルは「役者」である。
誘い受けをして、わざとらしい喘ぎ声をあげる。
見ている人間を意識しつつ、死んだ父を罵倒する。
父が面会の申請を知って自殺したのは、
娘と会うのが怖かったのか?
娘と会う事で今まで積み上げた虚構が崩れることを恐れたのか?
この部分も謎である。
また、共感性の欠如(1)、モラルの無さ(2)、嫉妬心と束縛、支配欲の強さ(5)を勘案すると、ミシェルはサイコパスと言えるのではないだろうか。
10歳の少女が連続殺人事件など起こせるハズがないとお思いだろうか?
しかし、日本に住む我々は、歳の過多と犯罪の凶悪性が比例するものでは無いと過去の事件で知っている。
私は、10歳でもあり得ると思う。
そして、母もほのめかし、元夫のリシャールも言っているではないか、お前が一番恐ろしい、と。
暴行というショッキングな冒頭。
それより恐ろしいサイコパス・ミシェルの行動。
そして、明らかになるミシェルの性質が、背景に隠れて語られなかったさらに恐ろしい事実を推測させる。
この唾棄すべき事実の多重構造こそが、本作『エル ELLE』の面白さである。
こちらは原作小説
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さて、次回は恐ろしい程のスケールで人類の道程を描く『スキャナーに生きがいはない』について語りたい。