エス・エフ小説『人間以上』シオドア・スタージョン(著)感想  自らの居場所を見つける物語!!

本書は只今(2017/09/21現在)絶版中です。

 

人から馬鹿にされ、虐げられながらも、生きてきた男。彼は自分と目の合った人間に影響を与える事が出来た。ある日彼は、父親と姉により外の世界から隔絶されている女性に出会う、、、

 

 

 

著者はシオドア・スタージョン
SFとファンタジーの混交のような作風である。
日本で現在手に入る著作として
『夢見る宝石』
『時間のかかる彫刻』
『ヴィーナス・プラスX』
『海を失った男』
『不思議のひと触れ』
『輝く断片』
『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』等
結構あるが、
何故か絶版の『人間以上』を紹介したくなった。

 

『人間以上』は

ミュータントSFである。

 

だが、映画とかの『X-MEN』等とは違って、悪が出て来て派手に戦ったりはしない。

生きて、自分の居場所を発見する物語である。

 

人と違う事、
人を受け入れられない者、
人に認めてもらえない者、

そんな、自らのアイデンティティに悩む者達へ向けた物語なのだ。

 

人生、いくつになっても悩みが尽きない。
そんな、悩める人間の為の物語である。

 

 

以下ネタバレあり


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  • 人と違うという事

本作『人間以上』に出てくるキャラクターは特殊能力を持っている5人がまずメインで登場する。

それぞれが社会からのはみ出し者だが、しかし、その特殊能力が原因ではみ出したという訳ではない。

夫が戦地にいるのをいい事に、男漁りを繰り返す母に育てられたジャニィ。
認識能力が欠如している為、「白痴」と人に馬鹿にされてきたローン。
赤子のまま、成長する見込みの無い、赤ちゃん。
保護者からDVを受けている双子。

他にも、
自らの能力と才能を存分に発揮できず、社会や周囲に合わせて生きている男。
父から極端な教育を受けて育った女性。

登場人物は皆、社会との齟齬を強く感じ生きている者達である。

そして、社会からの疎外感というのは『人間以上』を読む私やあなた、読者の皆がその心に少なからず抱えているものではないだろうか?

だからこそ、本書『人間以上』は読み手の気持ちをも取り込んでくる。
そして、そのテーマはアイデンティティの獲得である。

 

  • 人生に必要なものとは?

はみ出し者のミュータント5人は縁に導かれて集まり、自分たちを共同体として一つの生物と考える。
(『人間以上』において、それは「集団人:ホモ・ゲシュタルト」と呼ばれている)

それは、自分たち自身が、まるで体の一部であるかの様に、それぞれが役割を果たす存在として他者と密接に関わるという事を意味する。
そして、その集団が一つの「個」として存在しているのだ。

他者との関わりの間に自らの存在意義を見出す
本書『人間以上』はそういう物語なのである。

(ぶっちゃけ、日本においては旧弊的な会社組織のイメージではあるが、、、)

 

  • 現代の会社組織に置き換えるなら、、、

『人間以上』の集団人は、集団であるが故、単なる個人である人間(ホモ・サピエンス)とは違った可能性を秘めている。

なので、自分の可能性をひけらかすのではなく、倫理観と、そこから発生した品性をもって人間と関われば、集団人は受け入れられ、社会において自らの地位の向上、そして他の集団人をも生み出す事に繋がる、としている。

物語としては
疎外感を感じるものが、
自らの居場所を見つけ、
それを確たる自我として意識し、
倫理観と品性を持って完成を目指すという
アイデンティティを獲得する物語である。

…さて、これを会社組織に置き換えて考えてみるとどうなるか?

会社の命令を是とし、個を捨て集団の為に仕事をする。

自らに倫理観と品性があると証明する為に、外部の評価機関が作り出した「国際規格」とやらを取り入れて、お墨付きを貰おうとする

これは恐ろしい事である。

自らが規格に添うという証明の為、現場において徹底した自己チェックを繰り返す。
結果、作業時間が伸び、煩雑な手続きが増え、肝心の「商品の品質」自体の低下を招いている

現場は疲弊し、
ホワイトカラーは自己チェックを「チェックする仕事」という本来全く必要の無い仕事を生みだし、そこに自己満足を見る。

これは本来の品性(品質管理)の在り方を間違って捉えてしまっている。

品性とは、自らの内に確たるものとして存在させる物である。
外部から保証されるものでは無いのだ。

現在の日本の会社組織は、批判を躱す免罪符として「規格」や「保証」の取得に躍起になり、肝心の商品やサービスのクオリティを下げている。

その書類仕事が本当に必要な物なのか?
今一度考えて欲しい、と私は思う。

 

 

何故か会社組織批判になってしまったが、
『人間以上』自体はアイデンティティの獲得を描いた物語として面白いものである。

SFとは色々な想像力を拡げる契機である

そう思って頂くと、私のアサッテの主張も笑って許す気にならないだろうか?

 

 

 

 

 

 


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さて、次回は疎外感に悩むミュータント達の物語、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』について語ってみたい。