1918年、ソヴィエト政府の訴えに応え、チェーカーへと出頭したヴォローシン。フランス語を教え、巻きタバコを売って生計を立てていた彼は、戦時中、暗号解読に携わっていた、、、
著者はレオ・ペルッツ。
1882年、プラハ生まれ。
ドイツ語圏で活躍したユダヤ系の作家である。
他の著書に、
『第三の魔弾』
『ボリバル侯爵』
『最後の審判の巨匠』
『聖ペテロの雪』
『スウェーデンの騎士』
『夜毎に石の橋の下で』
『レオナルドのユダ』等がある。
近年、本邦でも注目され出したのか、多数の訳書が手に入る。
本書『アンチクリストの誕生』は、そんな著者の8篇の中短篇が収められた『Herr, erbarme Dich meiner!』の全訳である。
(原題は「主よ、私を憐れみたまえ」が表題作の様だ)
「幻想・怪奇」という程突拍子が無い訳では無い。
しかし、
少し日常とはずれた話、「奇想」が描かれている。
それは、我々が普通に生きていても、ややもすれば対面する事態かもしれない。
そんな
誰にでも起こり得る瞬間的な出来事が、人生においてどの様な影響を及ぼすのか?
それが短い話の中に凝縮されている。
人生における後悔、
確実に来たる不穏な未来から目を逸らす不安感。
そういった背中のむず痒くなる様な人生の機微に触れる本作『アンチクリストの誕生』。
単行本しか出ていなかったレオ・ペルッツ。
手に入れやすい本作をまず読んで、この作家を知る第一歩としてみては如何だろうか?
「今まで知らなかった面白い作家」の発見になる事間違い無しだ。
以下ネタバレあり
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本書は訳者の垂野創一郞氏の巻末解説が作品の理解に役立つ。
私の意見など不要にも思うが、やはり作品というものは読んだ人間の数だけ理解があるのだと思うので、不肖ではあるが拙文を披露させて頂きたい。
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誰の人生にも起こり得るという不安感
人生を生きていても、映画やドラマの様なダイナミックな事態はそうそう起こらない。
しかし、本書『アンチクリストの誕生』では、普通の人生を生きている人間においても起こり得るギリギリのラインの事態が描かれている。
だからこそ、少し奇妙な話であるのに、妙な現実感を伴って読者に訴えかけて来るのだ。
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作品解説
『アンチクリストの誕生』は中短篇8篇からなっている。
作品を軽く解説してみたい。
中篇が「アンチクリストの誕生」と「霰弾亭」
残り6篇が短篇である。
「主よ、我を憐れみたまえ」
短篇という短さの中で、起承転結が目まぐるしく巡る。
人生に絶望し、機械的に捨て去ってしまおうとしたその詰めの部分で、実は続きが望めると分かってしまった人間がラストチャンスに挑む。
緊張感と物語の構成が見事な逸品。
一九一六年十月十二日火曜日
一つの事に過剰に慣れきってしまった男の話。
生きる為に変質した精神構造が、完全にオンリーワンにカスタマイズされている。
アンチクリストの誕生
表題作の中篇。
ささやかながらも幸せを手に入れた二人の話…と思いきや、過去の行状が未来に影響し、自らの思い込みが人生を粉々に打ち砕く。
こう「せねばならない」という事態は、本当にその必要があるのか?
読む方も他人事では無い。
月は笑う
決められた未来をなぞってしまったという印象。
霰弾亭
自分が過去に残し、目を向けないでいたモノが如何に大切で輝いていたと気付いてしまったとしたら。
そして、自分の現在がいかに取るに足りないと気付いてしまったとしたら。
不意に過去から蘇ってきたものに、予告も無く打ち抜かれる人間の無防備さを描いている。
解説の解釈も面白い。
ボタンを押すだけで
物語をそのまま信じていいのか?
それとも、「何も気にしていない」という語り手に「そんなハズはないだろう」とツッコむのが正しいのか?
「実際に起こった事」と「語っている事」に乖離がある様に感じる不気味な話だ。
夜のない日
人生に役割があるのか?
そのテーマの元、夭折では無く、「人生において成すべき事」を終えたので死んだという若者の物語。
決闘前夜に数学の研究に明け暮れる様子は、試験の前に部屋の掃除をする現実逃避にも似た悲哀が漂う。
奇妙なのは、当の本人はその自覚が無い事だ。
確かに、人は自らの人生を後から俯瞰する事は不可能であるのだ。
ある兵士との会話
穏やかで楽しい会話が、突発的な事態で台無しになってしまう。
一時の感情の爆発がこれまでの関係を一瞬で無に帰してしまうのだ。
どの作品も短く、読みやすく、面白い。
それでいて、作品の解釈は容易では無い。
もしかして、こういう意味なのか?
それとも、この感情はそのまま読み取っていいものなのか?
この迷いは、作者が仕掛けたものではあるが、
一方で読者である自分の中に、登場人物と同じ、突発的な感情や事態に揺れる心があるからこそであるのだ。
それは、現在の生活に対する言いしれぬ不安、不満。
もっと望むべく未来があるのでは無いかという、現実感の無い希望が心の中にあるのだ。
人は希望があるから生きて行けると言う。
しかし実際に突如「手に入れられ無い希望」が目の前に現れると、それに迷わされ現実逃避し、現在に絶望してしまうのだ。
今の私はこう感じたが、しかし10年前の私は違った感じを受けたハズ。
そして、10年後の私は今と違った印象を受けるのではないかと思う。
そんな読む人、読んだ時により、いろいろな感じ方を喚起させる作品。
それが本書『アンチクリストの誕生』であると思う。
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さて次回は、小市民の生活どころじゃない、超能力者の苦悩?を描いた、映画『斉木楠雄のΨ難』について語りたい。