小説『海を照らす光』M・L・ステッドマン(著)感想  愛ゆえに翻弄される人生の選択

 

 

 

丘の上、イザベルは悲嘆に暮れていた。子供の2つの墓、そして3つ目が加わる…そんな時、風に混じって赤ん坊の声が聞こえてくる。聞き間違いであろうか?それとも、、、

 

 

 

著者のM・L・ステッドマンはオーストラリア生まれ。本書『海を照らす光(原題:THE RIGHT BETWEEN OCEANS)』にて2012年小説家としてデビューした。

先頃、デレク・シアンフランス監督により映画化された『光をくれた人』(2017)の原作である。映画は、原作である『海を照らす光』を忠実に映像化していた。

本書は愛の物語である。そして

愛ゆえに苛酷な選択を迫られる。

 

そして、吐いてしまった嘘や言い訳や偽りが

トラバサミの様に人生を締め付けてくる

 

悪意が無くとも訪れる不幸。しかし、

その芯にある人の想いに涙せずにはいられない。

 

一度映画で泣いているから大丈夫だろうと思い読んだ本作。
それでもやっぱり再び泣いてしまった。

小説『海を照らす光』から読むか、
映画『光をくれた人』から観るか、
どちらからでも、間違い無く感動出来るだろう。
ちなみに私は映画から入りました。

 

以下ネタバレあり

 


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本書の詳しい内容は、その忠実な映画化作品『光をくれた人』で自分なりに語っている。そちらの方も参照されたし。

 

  • 小説から入るか?映画から入るか?

あなたは「原作小説」と「映画化作品」があった場合どちらから入りますか?私はあらかじめ読んでいなかったならば、必ず「映画化作品」から入る様にしている。

何故なら、小説読書時の豊穣なイメージに映画が追いついていなかったり、映画が原作を端折ったりしてボリューム不足を感じてしまうからだ。また、私の場合は小説を読んでしまうとそれで満足してしまうという点もある。

今回も私は「映画化作品」から入って「原作小説」を後から読んだ。
しかし、映画『光をくれた人』は原作小説『海を照らす光』をほぼ忠実に映像化し、テーマも見事に捉えているので、逆の順番で読んでも面白かったかも知れない。

それ程『光をくれた人』は優れていた。小説の映像化作品としては幸運な部類である。

  • 小説版ならではの描写

映画には小説には無い「映像と音」という視覚と聴覚に訴える圧倒的なインパクトがある。

一方小説の方は、細やかな描写で読者自身のイマジネーションを喚起し、それが自身の体験・経験と相まって強い印象を形作る事が出来る。

本書『海を照らす光』は特にその細やかな描写力が目立つ。
自然描写も素晴らしいが、特に登場人物の心理描写をぬめる様に、そして繊細に書き込んでいる
ほとんど、登場人物の心理描写の機微でストーリーが進んでいると言ってもいいくらいだ。

そして、誰が何をどう考えているのか、これが細かく分かるのが本書『海を照らす光』の最大の特徴である。

各人物の細かく描写された内面、考えに説得力がある。一つ一つの思考の流れに正当性がある。誰も間違っていないし、皆に感情移入してしまう。

しかしだからこそ、噛み合わないそれぞれの想いのズレが、やがて避けられない悲劇を生んでしまい解けないパズルの様に絡まってしまう。

  • 通底する「想い」の物語

しかし、悲劇を生むばかりでは無い。

親の世代である、イザベルの父母ビルとヴァイオレット、ハナの父セプティマス・ポッツ、船長のラルフ、巡査部長のナッキー達は皆過去の癒えない傷を持ち、ゆえに子供の世代をそれぞれの立場で守ろうとする。

トムとイザベルとハナの交錯する思いは愛し子のルーシー・グレースへと注がれる

そしてルーシー・グレースもまた自らの子供を持ち、親の愛を理解し子供を慈しむ。

自らが負った癒えない過去の傷を抱えたまま、それを埋め合わせるかの如く世代を超えて未来へと愛を注いでゆく。
この通底する「想い」の流れが愛を繋いで行く。だからこそ、本書は感動を呼び覚ますのであろう。

 

 


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さて、次回呼び覚ますのは感動ではなく奴隷根性、小説『生ける屍』について語りたい。