幻想・怪奇小説『かにみそ』倉狩聡(著)感想  サイコパスの餌食!!蟹の食い物が人間!?

 

 

 

流星群の翌朝、私は浜辺で蟹とであった。砂団子を作っていた蟹に手を出すと上に乗り、黒い目をこちらに向けてくる。家に持ち帰り、水槽入れ、戯れに魚肉ソーセージを与えると食べてそれも団子にした。他の物も食べるかな、、、

 

 

 

著者は倉狩聡
本書『かにみそ』にて第20回日本ホラー小説大賞〈優秀賞〉を受賞。
他の著作に『いぬの日』がある。

 

本作『かにみそ』はホラーである。

いわゆる異生物との共生モノである。

 

映画『ゼイリブ』や
漫画『寄生獣』を彷彿とさせる。

とはいえSF的要素はほとんど無い。
拾った蟹とコミュニケーションを取ったり、
エサを与えてみたり、

怪奇奇想な物語である。

 

不思議な雰囲気が漂っているが、やはり本書はホラーだ。

食餌描写には独特のどす黒さを仕込んである。

 

ホラーはホラー、泣けるものでは無いと理解して読めば、

ちょっと不思議なグロい話

 

として楽しめるだろう。

 

 

以下ネタバレあり


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  • 景品表示法違反!?

「日本ホラー小説大賞」を擁し、良作を量産していた「角川ホラー文庫」。

審査員が代わったからか?
編集方針が変わった所為か?
今ではかつてのクォリティが見る影もない。

本書『かにみそ』は、その方針転換あたりの境に出版された作品である。

その影響か?
文庫版の裏表紙の解説文に、「泣けるホラー」という惹句が載っている。

確かに、独特の味のある作品だ。
ラストに変な悟りを得る辺りに、サイコパス的な不気味さを感じる。

しかし、それを「泣ける」などと勘違いも甚だしい文句で誤った理解を広めようとするのは、さらに不気味な行為である。

むしろ、この点が本書の一番恐ろしい部分であると言っていい。

恐らくは、「泣ける」とさえ書いていれば「釣れる」人間が本書を買うだろうという打算によるものだろう。

こういう「意図した勘違い」は作者も読者も侮辱する行為だと思うが、どうだろうか?

 

  • 「私」のペルソナとしての「蟹」

本書『かにみそ』は中篇2篇が収録されている。
「かにみそ」と「百合の火葬」である。

百合の火葬」の方は幻想的な話。
不気味な怪物侵略モノとして話をまとめるより、情緒的な作品として仕上げている。
ホラー部分より、お互い「欲しかった家族」としての相手とのコミュニケーション部分が面白い作品だ。

かにみそ」の内容について、以下に独自の解釈してみたい。

 

以下、内容の深刻なネタバレがあります

 

本作「かにみそ」の語り手である「私」。
「私」は文中での一人称だが、会話文で自分の事を占めす時は「僕」と言っている。

その「私」と会話する不思議な存在が「蟹」である。

ストーリーはこうだ。

「私」の「蟹」への給餌がエスカレートしてゆき、
魚肉ソーセージ、
鶏の胸肉、
死んだ人間、
ときて、生きた人間まで襲うようになる。

さらに、「私」のあずかり知らぬ所で「蟹」が狩りをしていると知った時、嫌悪感を持ち、「蟹」を厭わしく思う様になる。

そして、「蟹」を食べる。

ポイントは、「蟹」が喋ったり人を殺している事を実際に見ているのは「私」しかいない事(である。

また、食餌のエスカレートしてゆくパターンは、象徴的である。
まさしく、サイコパスがエスカレートしてゆく様と同様(である。

サイコパスは、
最初は虫などの小さいものから始めて、
ネズミ、鳥、ハムスターなどから、
猫、犬と徐々に対象が大きくなってゆき、
最後は「人を殺してみたくなった」などと言いだす。

そして、「かにみそ」において「蟹」が人を食べる切っ掛けは、「私」が交際相手を殺して死体処分をする為(である。

さて、赤字の1~3を勘案するとどうだろうか?

サイコパスのエスカレートした末路である「人殺し」の結果だけが描かれているが、本作の語り手の「私」は小動物を殺すことに躊躇が無いと想われる。
(冒頭の熱帯魚の描写による)

つまり、語り手「私」自身がサイコパスであり、「蟹」の食餌のエスカレート具合は、私の行動と犯罪のエスカレートの隠喩でしか無いと思われる。

簡単に言うと、
「蟹」が喋ったり狩りをしたりするのは全て妄想、全て「私」の犯行である。

この犯罪行為を、自身の行為では無く、「蟹」の行動として理解しているのが「私」の精神構造である。

語り手は自分の事を「私」と言い、「僕」と表現し、「蟹」として人を殺しているのだ。

さて、実際に喋る「蟹」が存在していたのか?
それとも全て「私」の犯行なのか?
それは読んだ人間の判断による。

だが、物語の構造上、「私=蟹」である事は間違い無いだろう。

最後の「蟹」食は、
実際に「蟹」を食べたのか、
はたまた、蟹を食べる行為で自身の「犯罪のペルソナ」である「蟹」を葬るイニシエーションだったのか?

どちらにしろ、自分の犯罪を無に帰して「僕は、これで悪くない」とでも言わんばかりの胸くそ悪いラストである。

この描写は紛れもなくホラーだ。

 

 

だから、これを「泣けるホラー」などと言って煽るのは間違いなのだ。

サイコパスの恐ろしい精神構造と行動を見て、何処に感動すると言うのか?

いや、もしかして「泣けるホラー」とは感動で泣けるのでは無く、「恐くて泣いちゃう」という意味の言葉だったのかも知れない
そう理解すれば、成程、嘘は吐いていないのだ。

 


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さて次回は、漫画『サイコ工場』について語りたい。
厨二のほの暗い妄想爆発の作品である。