エス・エフ小説『赤いオーロラの街で』伊藤瑞彦(著)感想  災害からの復興を目指す一般市民目線の物語!!

 

 

 

北海道を訪れた香山はその夜、赤いオーロラを見る。翌朝、街の信号機は消え、発電所は火災、携帯電話もネットに繋がらない状態となる。この停電は、北海道全域どころか、日本、そして全世界規模の停電であったのだ、、、

 

 

 

著者は伊藤瑞彦
第5回ハヤカワSFコンテストにて最終候補となった本書にてデビューとなる。

 

太陽フレアの影響で、全世界規模で停電。

 

本作『赤いオーロラの街で』は、その状況下の物語である。

主人公の香山はIT企業のプログラマー。
政府家でも官僚でも自衛隊でも無い。
彼は英雄的行動をとる訳では無い。

突然天災に遭遇した、
あくまでも一般人目線で話が進められる。

 

大所高所から地球を救ったり、セカイ系の話にはなったりしない。

普通の人が災害後でも生活を続けて行く。
そんな、

災害復興シミュレーション物語である。

 

突然、電源が一斉シャットダウンした世界で人はどんな生活を送って行くのか?

その様子が理性ある形で描かれている。

自分を信じ、
人を信じ、
社会を信じて復興を目指す。

災害で始まるが暗い話にならず、むしろ前向きな形で生きて行こうとする人間のたくましさと素晴らしさを描いた作品。
それが『赤いオーロラの街で』である。

 

 

以下、内容に触れた感想となっています


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  • 太陽フレア

本作『赤いオーロラの街で』では、太陽フレアの影響で停電が起こる。

こんな事あるのか?と疑問に思うだろう。

しかし、作中にてさりげなく、無理のない形で解説が入り、「もしかして、あり得るかも」と読者に思わせる工夫が見て取れる。

1.過去、巨大太陽フレアは定期的に地球に影響を及ぼして来た。
2.実際に、1989年3月9日、カナダのケベック州にて太陽フレアの影響による磁気嵐の影響で大停電が起こった

これらの情報が提供され、
さらに「太陽」というスケールのある存在感、「太陽ならあり得るかも」という無意識の信仰により説得力のある話となっている。

実際に起こった事がベースなら、本当にあり得る。
このリアル感が物語の面白さになっている。

 

  • 理性ある災害シミュレーション

電気の途絶が全世界規模で起こったら、どれ程の混乱が起こるのか?

私なぞは、戦争勃発、荒野にモヒカン肩パットの暴漢が溢れヒャッハーな世界になると想像してしまう。

しかし、本作『赤いオーロラの街で』はそういうディストピアを描くSFでは無い。

更に、災害対処に追われる中央官庁の奮闘とか、新たな国際政治バランスにて覇権を目指す指導者の話でも無い。

どれも面白そうだが、
本作にて描かれるのは、あくまでも一般市民目線

大型電源が無くなっても、日々の生活を続けて行こうとする人間の意思を描いている。

電気が途絶したとしても、その他の部分はまだ生きている。
上下水道の復旧を急ぎ、小型自己発電機や太陽電池を利用して電気を確保し、統制された形で備蓄原油を計画的に使用する。

一方、リアルな事を言えば、災害に乗じた略奪や暴動は現代の日本では確実に起きるだろう。
短期的には理性があっても、長期的には社会に不満が溜まって爆発したりもするハズだ。
しかし、本作で描くのはそういう世界では無い。

人間を信じ、倒れた社会が復興して行く希望を描く。
それが、本作のテーマなのだ。

 

 

SFだからと言って、全部が全部『マッド・マックス』や『北斗の拳』にならなくてもいい。

北海道が舞台だがらと言って、『最終兵器彼女』や『雲のむこう、約束の場所』の様にセカイ系にならなくてもいい。

一市民として、社会と共にしっかりと生きて行くというリアルベースの物語があっても良い。

本作はSF。
しかし、人間と社会をベースにした物語であるのだ。

 

 

磁気嵐と言えばこの人(やられている方)

 


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さて次回は、現代的テーマのみならず、ファンタジーも宇宙モノもSFとして描く、小説『アリスマ王の愛した魔物』について語りたい。