文化『戦前日本のポピュリズム』筒井清忠(著)感想  新聞が笛吹けば民衆が踊る!?戦前日本のメディア文化!!

 

 

 

郵政選挙の小泉純一郎。
大阪維新の会の橋下徹。
都民ファースト、希望の党の小池百合子。
大衆を煽って選挙に臨んだた彼等や、
アメリカのトランプ大統領、イギリスのEU脱退、フランス国民戦線など、大衆人気に乗っかった政治、それは「ポピュリズム」として現在注目を浴びている。だが、この現象は今に始まった事では無く、我が国においては100年前に顕著に見られた政治形態であったのだ、、、

 

 

 

 

著者は筒井清忠
著作に
『二・二六事件とその時代』
『昭和戦前期の政党政治――二大政党制はなぜ挫折したのか』等がある。

 

ポピュリズム(populism)。

Wikipediaによると、
「一般大衆の利益や権利、不安などを利用して、大衆支持のもとに既存のエリート主義である体制側や個人と対決しようとする政治思想、または政治姿勢の事。大衆主義、人民主義、衆愚政治、大衆迎合主義などと訳される」
と説明されています。

 

本書『戦前日本のポピュリズム』は、
現在の日本におけるポピュリズムを語るなら、100年前の戦前、我が国に発生したポピュリズムを歴史と共に振り返る必要性に駆られたという理由にて記されています。

現在の日本のみならず、世界的潮流となりつつあるポピュリズム。

戦前の日本において、それがどう発生し展開して行ったのか?

その事を解説したのが本書です。

 

 

  • 『戦前日本のポピュリズム』のポイント

戦前日本がポピュリズムに傾倒するに至った出来事、経緯

新聞というメディアが煽った民意

翻って、現在を考える契機となる

 

 

以下、内容に触れた解説となります。

 


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  • 戦前の日本がポピュリズムへと至る流れ

それでは、本書『戦前日本のポピュリズム』での解説を自分なりにまとめてみます。

 

*あくまで私が本書を読んでのまとめなので、意図しない趣旨の取り間違いがある場合があります。
その事も留意しつつ読んで頂くと幸いです。

 

まず、戦前日本のポピュリズムの萌芽となったのは「日比谷焼き打ち事件」(1905)です。

これは、日露戦争の停戦講和の条件を不服として、民衆が警察の派出所などを焼き打ちした事件です。

今から見れば、勝利を重ねてはいたが戦争により疲弊した経済ではそれ以上の継続は困難であり、講和の条件も適切であるとされていますが、
当時は「賠償金すら取れないとは何事か」と新聞各社に煽られ、それに乗せられた民衆が暴徒となり焼打ちを行い桂内閣を批判しました。

この焼打ちの契機となったのは、「君が代」斉唱中に警官隊に制止された事、つまり、不敬にあたるという理由で暴れだしたそうです。

 

戦前日本に見られたポピュリズムの特徴として、
政治的要素よりも大衆シンボル的要素が重要視された「劇場型政治」が見られ、
その象徴として度々利用されたのが「天皇」「軍隊」であったとされています。

これら、政党外にある「超越的存在や勢力」を「新聞などのメディア世論」と結合させ、
シンボル型ポピュリズムを錦の御旗として、既成政党政治批判を繰り返したと著者は主張します。

 

1930年、ロンドン海軍軍縮会議において、日本は海軍の軍縮を批准します。

しかし、不平等条約であるとマスコミ、野党から批判噴出、これは「統帥権干犯問題」だと当時の濱口内閣は非難されます。

(統帥権干犯問題(とうすいけんかんぱんもんだい)とは:海軍をないがしろに条約を結んだ事は天皇の統帥権を侵害するものだとされた問題)

新聞マスコミは当初、軍縮に理解を示す報道をしていましたが、ある時期から急変、与党非難に転じ、世論もそれに倣います。

これら、戦争などの対外的危機を利用したマスメディアの大々的報道という劇場型政治は、ポピュリストの最大の武器と説明しています。

この傾向は満州事変(1931)や
五・一五事件(1932)にて顕著に見られ、
国際連盟脱退(1933)を容認する世論を形成、頂点に達したと言っています。

また、見目麗しくマスコミ人気=民衆人気が高かった近衛文麿内閣時に起きた盧溝橋事件(1937)においても、
マスコミに煽られた内閣が派兵を決断したことが、現地での和平交渉を困難にし、後の日中戦争を引き起こす遠因だと指摘しています。

これらの流れの中、1940年に第二次近衛内閣が設立。
日本から政党が無くなり、議会政治制が終わるという異常事態において大政翼賛会が設立されますが、それは綱領も何も無い組織でした。

この近衛内閣が日独伊三国軍事同盟を締結。

日本のポピュリズムは日米開戦へむけて舵を切って行く事となります。

 

マスコミに煽られた大衆動員政治として始まった戦前日本のポピュリズム。

これは時の政党を、「天皇」「軍」「官僚」などを利用し批判する形態を取りました。

その中で、大衆に指示された近衛文麿が登場し、
時の政党政治のカウンターであった「軍」「官僚」の増大した権力と結合、
つまり、大衆に指示される政党政治の設立とその反対勢力の結合が成され、日米開戦まで至る事になります。

 

  • 現代日本のポピュリズム

著者はポピュリズムを健全化する為には、
マスコミが正しい資料に基づいた正しい報道を行う事、
国民自体が政党政治というものの見方を改める事が必要と説いています。

しかし、現代日本のポピュリズムを語るには、それだけでは不足に思います。

まず、ポピュリズムを扇動し、かつて時の政権を批判したマスコミという機関は、
現代においては政権に利用され、おもねっている節があるからです。

小泉純一郎氏は「ぶら下がり会見」という定例記者会見を行っていました。

これは、「民衆は政治理念より、顔をよく知っている人間を支持する」という現象を理解していた小泉氏が体よくマスコミを利用していた証左でしょう。

これはマスコミの方も、利用されていると分かっていながらコメントが欲しくて集まっていたという、
ある種の共犯関係が成り立っていたと言えます。

また安倍晋三氏も、第一次内閣解散後、
「そこまで言って委員会」や「TVタックル」などのTV番組に積極的に参加し露出を広めていました。

(この時、三宅久之氏が再三に亘り「国難において国を立て直すのは安倍晋三以外にはいない」と推しに推していた事はまだ記憶に新しいです)

彼達や橋下徹氏、小池百合子氏に共通するのは、
常にTV映り=民衆目線を意識している」点であると言えます。

彼達の様なクレバーな人間に掛かれば、
最早マスコミはポピュリストのプロパガンダでしか無い印象です。

 

マスコミの煽りが行き過ぎるのも問題ですが、
さりとて時の権力を掣肘する役目も無いとなれば、
政治主導のポピュリズムを押しとどめる手段はあるのでしょうか?

確たる案があるわけでは有りませんが、
私が思うのは、自ら判断する事を止めてはいけないという事だけです。

ポピュリズムに扇動されるのは何故かと言うと、
予め自分の意見を持たない人が、
他人の言ったそれらしき頭の良さそうな受け入れ易い意見を見聞きし、
それを、さも自らが従来持っていた意見だと自己欺瞞において納得させる事において起きるものだと思います。

これには、学歴や頭の良し悪しは関係ありません。

大声を出して主張する人間に猜疑心を持つかどうか、というだけの話です。

人が自信満々に主張する事、
こちらの希望を叶える甘言を弄す者、
絶対的な保証を約束する事について、常に疑いの目を持ち、
それを自身で判断、何事も裏を取る事を心掛けるのが、今を生きる我々に課せられた自衛行為だと思われます。

 

 

使用する側にとっては強力な武器、
扇動される側から見ると、回避困難な潮流、
それがポピュリズムです。

しかし、相手の手が分かっていたら、まだ対処法はあります。

自らの判断で状況を見極める、これを心掛けていきたい、
そんな事を『戦前日本のポピュリズム』を読んで思いました。

 

 


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さて次回は、強烈な自己さえ持っていれば、扇動される事も無い。とは言え、個性的すぎるのも考えもの!?小説『長く暗い魂のティータイム』について語ります。