第二次世界大戦の結果、日本がアメリカを統治している世界。検閲局に勤める石村紅功(いしむらべにこ:人名)はかつての上司・六浦賀(むつらが:人名)将軍から突然の連絡を受ける。そして翌朝、石村は特別高等警察の槻野昭子の訪問を受ける、、、
本書『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン(原題:UNITED STATES OF JAPAN)』(2016)は著者ピーター・トライアスの第二長編である。
本書の『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』という題名と世界設定、そして表紙のロボの絵で、これはSFメカアクション小説なのか?と初見では思われるだろう。しかし、然にあらず。
『キル・ビルvol.1』の様なエキセントリックでも無い、
『カーズ2』の様なサイケデリックでも無い、
『追憶の森』の様な美しい国でも無い、
ここで描かれる日本は
『1984』の様な恐怖の統治国家である。
著者は1979年ソウル生まれ。幼少期の数年を韓国で過したそうだ。その時の体験が本書に活かされていると思われる。
韓国から見た日本は未だ軍国主義国家なのだろう。
「外国から見た日本のイメージ」を知る事が出来る作品
として、新たな一面を教えてくれる。
また、表紙で推している割には、思ったほどロボは活躍しない。
しかし、困難は基本暴力恃みで突破するし、アクションも多い。小説でこんな事を言うのも変かもしれないが、
ビジュアルイメージは『攻殻機動隊』の市街地的な感じ
でエンタメ小説として十分楽しめる。
特に、特高の昭子の活躍が目覚ましい。やんちゃ女子が好きな人にもオススメだ。
以下ネタバレあり
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*ページの抜粋は「新☆ハヤカワ・SF・シリーズ」版のページ数に依っています。
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特高の昭子課員
本書はベニコと昭子のバディものとしても読める。
ベニコが頭脳担当で、昭子が戦闘担当だ。
この昭子だが、私のイメージとしては狂犬病にかかった涼宮ハルヒを思わせる暴走女子である。
兎に角すぐキレる。腕力というより暴力にモノを言わせて事態の解決を図る。何度も「なんでそうなる?」とツッコミを入れてしまう。
特に意味が分からないのがp.294~p.297の部分である。
役に立つかもしれないと捕虜にした相手を速攻で殺害してしまう。
それなら最初から捕虜にするなよ…と思わずにはいられない。
だが、「コイツまたやりやがった」と呆れる一方で、「今度はどれだけ暴れるのか?」とある種の期待をしてしまう一面も心の中にある。
全く、読者は無責任な傍観者である。
この暴力に対する過剰な熱量は、どこか韓国映画を思わせるものがある。
あの独特なノリが紙面で炸裂している様に思うのは私だけだろうか。
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統制社会の圧力
しかし、この昭子の過剰な暴力は自らが皇国の忠実な僕である事を示す為のポーズであった。
昭子の兄は逆賊と疑われて死亡した。昭子としては、自分は違うと徹底的に行動で示さねばならなかった。
自分まで反逆を問われる事になると親の身も危うくなってしまう。
統制社会の恐ろしい所である。
社会の圧力で志向が歪められたのはベニコも同様である。
ベニコは皇国の為に両親を売った忠信ではあるが、「表面的には称賛されても、実際はだれからも信用されなくなった(p.183より抜粋)」のだ。
ニヒルで飄々としたベニコのキャラクターは、この事に根ざしている。
過剰な暴力で身の証を立てる昭子、両親を売って身の証を立てたベニコ。
どちらもそうせねば生きてゆけなかった、悲しいサガを背負っている。
しかし、それを押し付けたのは紛れもなく統制社会の恐怖であったのだ。
恐怖のあまり笑えるシーンがp.203からの双子による尋問シーンだ。
やる側だった昭子がやられる側になり、全く話が通じない相手に徒労を感じる。
権力側は、自分が用意した結論が出るまで粘り、いたぶり、拷問する。
同じ言語を扱いながら会話が成立しない様は、滑稽さを一瞬で突き抜けて薄ら寒い恐怖を感じる。
この権力と恐怖を結びつけて押し付けてくるのが、統制社会の恐ろしさであり、この作品が描いたテーマであるのだ。
こう考えてみると、一昔前と比べたら確実に貧しくなってはいても、現在の日本はまだまだ生きやすい国である。
このまま言論の自由が守られた国であって欲しい。
*続篇『メカ・サムライ・エンパイア』についてはコチラのページで語っています。
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文庫版もあります
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さて次回は、押し付けるのは思想ではなくてオペラ!?小説『スペース・オペラ』について語ってみたい。