朝から親父が、女とイチャついている。それに気付いたチャーリーは、家を出てジョギングに出かける。馬が気になるチャーリーは、競馬場の近くまで走った。そこで、デルという男を手伝って、馬の世話をし、バイト料を貰ったりしていた。そんなある日、女の亭主が怒鳴り込んで来て、、、
監督はアンドリュー・ヘイ。
監督作に、
『Greek Pete』(2009)
『ウィークエンド』(2011)
『さざなみ』(2015)がある。
原作の『荒野にて』を著したのはウィリー・ヴローティン。
音楽活動と並行して、小説も発表している。
出演は、
チャーリー:チャーリー・プラマー
レイ:トラヴィス・フィメル
デル:スティーヴ・ブシェミ
ボニー:クロエ・セヴィニー 他
アメリカ本国の公開から1年を経て、
ようやく、本邦でも公開となった『荒野にて』。
原題は『Lean on Pete』。
本作で登場する、競走馬の名前が、
「リーン・オン・ピート」となっております。
直訳すると「ピートに寄りかかって」。
これを、邦題は、
『荒野にて』に変えているのですね。
邦題に、
原題とは違う、オリジナルな物を付けるのは、
勇気が要ります。
意味不明の邦題を付けてしまったら、
炎上必死、叩かれまくりますからね。
その点、
本作の邦題は洒落ています。
正に、テーマを、そのまま表出した題名、
少年が、
世間という名の荒野を行く話、
それが、本作なのです。
15歳のチャーリーは、
父親のレイと二人暮らし。
母は、自身が赤子の時に、家を出てしまった。
以前は、伯母のマージーが何かと面倒を見てくれたが、
今は、父と伯母が喧嘩した所為で、彼女とも疎遠になってしまっている。
現在は、学校にも行っていないチャーリー。
絵に描いた様な貧乏暮らし。
ひょんな切っ掛けで厩舎でバイトをする事になったチャーリーは、
オーナーのデルに気に入られ、
彼自身も馬を、特に「リーン・オン・ピート」を可愛がっていた。
しかし、
そんなある日、
父親と関係を持った女性の夫が怒鳴り込んで来て、
レイに怪我を負わせる。
その傷が元で、レイは死んでしまう。
身寄りの無い、未成年のチャーリーは、
このままだと養護施設送りとなってしまう。
だから、チャーリーは、
僅かな記憶を頼りに、
音信不通となったマージー伯母さんに会いに行く。
旅の共に、
デルにお役御免を言い渡された、
老競走馬「リーン・オン・ピート」のみを伴って、、、
そう、
本作で描かれるのは、
少年の、旅の物語。
旅は、
良くも悪くも、人を変化させます。
映画の終わりに、
少年は、何処に辿り着くのか?
どの様に、変わるのか?
『荒野にて』は、
ただ、生きる事の厳しさ、
それをエモーショナルに描いた作品です。
観ようか?どうしようか?
迷っているのなら、観て欲しい、
個人的には、オススメの一本です。
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『荒野にて』のポイント
純粋で、無垢なる少年の旅路
少年は、荒野を往く
寄る辺なき世界で、頼るのは希望のみ
以下、内容に触れた感想となっております
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旅の物語
本作『荒野にて』は、
少年の旅の物語。
「旅」が物語にて、
重要なウエイトを占める作品には、
個人的には傑作が多い印象です。
映画『スタンド・バイ・ミー』(1986)もそうですし、
小説では、
コーマック・マッカーシーの国境三部作、
『すべての美しい馬』
『越境』
『平原の町』
などが、
本作を観ると想起されます。
また、
旅がテーマと言えば忘れられないのは、
J・R・R・トールキンの
『ホビットの物語』と『指輪物語』。
この映画作品の
『ロード・オブ・ザ・リング』(2001~2003)3部作
『ホビットの物語』(2012~2014)3部作
が忘れ難いです。
さて、
本作の特徴的な事、
そして、テーマとなっている事、
それは、
旅の目的が「伯母に会いに行く」
という物です。
「旅」を題材にした物語は、
その必然として、
「何か」が起こり「それ」から逃れる話、
或いは、
「変わらぬ最低な今」からの「脱却」を目指す話、
そういうパターンが多いです。
謂わば、
束縛からの解放、
自由への逃走、
みたいなテーマになるのですね。
本作も、
勿論、その要素は含んでいます。
しかし、
旅の目的は、明確に、伯母に会いに行く事、
つまり、
安定した家庭の幸せを目指しているのですね。
父と不安定な生活を送ってきたチャーリー。
その果てに、
遂に破局を迎えた日常。
チャーリーは、
そこから叛逆して、
自分の最も信頼する、幸せな記憶である、
マージー伯母さんの元を目指すのです。
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若者は、荒野に直面する
しかし、
少年は、荒野に直面します。
それは、
世間という名の荒野です。
大人になったら、忘れがちですが、
子供と、大人とでは、「世界(世間)」にたいする視点が違います。
大人とは、
世界を、そのものとして受け入れている、
言うなれば、
世界は変えられないものだ、
自分ではどうにも出来ないものもあるのだと、
諦念を受け入れる事が、大人への道になるのです。
しかし、子供は違います。
あくまで、
世界は自分目線。
自分の可能性は無限大で、
それにより、世界は如何様にも変えられると信じています。
本作の特徴的な点は、
その「大人の理屈での世界の見方」=「自由」を、
周りの大人が促して来る事です。
厩舎のデルや、騎手のボニーは、
馬に過度に感情移入するんじゃ無い、
商売道具なんだから、と警告します。
馬が好きで、馬の世話を単純に楽しんでいるチャーリーに、
デルは、
「馬のクソ塗れのしみったれた仕事なんざ、とっとと辞めちまえ」
と言います。
ボニーは、
好きでやっている仕事とは言え、
何度も、背骨や骨盤を折っている話をします。
好きな事でも、やがて嫌いになると言うデル、
好きな事でも、リスクがあると警告するボニー。
二人とも、
チャーリーの為を思って、よかれと警告しますが、
チャーリー自身には、イマイチ腑に落ちません。
世界を受け入れるという事は、
世界に対して、責任を持つという事、
その世界のルールの属している限りにおいては、
制限された自由を謳歌出来るのです。
だから、
未だ、子供の論理、
世界の純粋さを信じているチャーリーは、
この二人の大人の論理、
「仕事で使えない存在は、意味が無い」
というもので切り捨てられようとする「リーン・オン・ピート」を拐かして、旅へと出発します。
とは言え、
チャーリーが、(リーン・オン・)ピートを伴って旅に出たのは、
そういう理由だけではありません。
チャーリーは、
ピートに、自分自身を重ねているのです。
父が死に、お金も無く、
行き場の無い存在。
用済みとなったピート、
寄る辺なき存在となったチャーリー、
だから、これから先、生きて行く資格は無いのか?
チャーリーにとって、
ピートを殺す事を許容する事は、
自分の生が無意味だと認めてしまう事と同意なのです。
だから、チャーリーは、
自分自身を救う為に、
ピートを救ったのです。
ピートに語りかける形で、
自分自身を鼓舞していたチャーリー。
正に、原題の通りの「lean on Pete」(ピートに寄りかかって)いたのです。
ですが、
チャーリーが直面する「荒野」は、
苛酷なものでした。
子供の論理で、
自由を手にする事は、不可能に近いです。
何故なら、
他者に責任を背負えないから。
チャーリーはピートに寄りかかっても、
逆に、
ピートを守る事が出来ずに死なせてしまいます。
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旅の終わりに
再び、寄る辺の無くなったチャーリーは、
ホームレスの炊き出しで出会った、
トレーラーハウスに住むシルバーの勧めで、
日雇いの仕事をします。
しかし、
そこで稼いだ金を、シルバーに巻き上げられます。
このシーンがまた、哀しいのです。
シルバーは勿論、
親切ごかして、チャーリーを嵌めるのですが、
酔って、酒の勢いを借りないと、
暴力行為に及べないのです。
弱者が、立ち直ろうとするのでは無く、
より、弱い者を見つけ、それを喰いモノにする。
この、弱肉強食の論理こそが、
大人の世界なのです。
とは言え、
チャーリー自身もそのままでは終わらず、
奇襲を仕掛け、
暴力でもって、シルバーから金を奪い返します。
この時の、
チャーリーの握りしめた手。
遂に、
無垢な少年の論理では無く、
弱肉強食の大人の論理で、
倫理を踏み越えてしまった自分に震えているのです。
マージー伯母さんに再会したチャーリーは言います。
「自分が嫌なら、いつでも追い出していい」
「父や、ピートが溺れているのに、助けられない悪夢を見る」と。
チャーリーは、
自分の責任では無くとも、
世界が押し付けてきた苦難の原因を、
自分自身に背負わせています。
しかし、
父が死に、
ピートという犠牲があったとしても、
それでも、荒野を越え、
自分自身を生かして伯母と再会出来た、
それだけでも、チャーリーは良くやったと、
そう、言えるのではないでしょうか。
ラストシーン。
冒頭と同じくジョギングをしているチャーリー。
一見、
何も変わらない様子に、
チャーリー自身、足を止めて、思わず周りを眺め渡します。
しかし、
何も変わらないように見えて、
旅は、人を決定的に変えます。
自由を求めるのでは無く、
自分の「寄る辺」としての存在としての、「家族」を欲したチャーリー。
自由という大人の論理に直面しつつも、
「荒野」(=世間の厳しさ)を知ったチャーリーは、大人の論理に染まったのか?
そうでは無い、
「家族」を持つという、
人間関係の形成を果たすという目的の為に、
責任の何たるかを思い知ったのです。
「自由」を求めんが為に、
「世間」に対して、「荒野」で闘争を仕掛けるのが、大人の論理。
しかし、
大人になるという事は、
それだけでは無いのです。
世間という「荒野」に潰される事無く、
「家庭」という安住の地を責任を持って築く事も又、
大人に成るという事なのです。
つまり、それを成し遂げたチャーリーは、
「荒野」に呑まれる事無く、
「荒野」を踏破したと、言えるのではないでしょうか。
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出演者補足
リーン・オン・ピートの持ち主、
デル役を演じたのは、スティーヴ・ブシェミ。
個性的な顔付き、
まぁ、ぶっちゃけ、悪人面という、
顔面力の高い役者で、
その面構えを活かした
『レザボア・ドッグス』(1992)や
『ファーゴ』(1996)での怪演が印象的です。
しかし、歳を取った所為か、
本作では、普通の頑固親父にしか見えなかった所が、複雑な所です。
ボニーを演じたのはクロエ・セヴィニー。
『KIDS/キッズ』(1995)という映画にて鮮烈デビューして、
当時のサブカル界に強烈なインパクトを残した女優です。
『CUT』とか、
その辺の雑誌の表紙を飾ったり、
グラビアに載ったり、
ああ、そういう時代もあったなぁと、
彼女を観る度に懐かしく思い出されます。
皆さん、
何故、チャーリーがジョギングしているのか、
分かりますか?
ジョギングをすると、
手っ取り早く疲れるので、
余計な事を考える余裕が無くなるのです。
辛い日々の悩みや困難も、
一時、消え去ります。
まぁ、問題の本質的な解決には全くなりませんが。
私も学生時代、
鬱屈や悩みを抱えて、
制服のまま、無意味に走ったりしたものです。
そんなこんなもあり、
私にとっては、
個人的な心境とシンクロする部分も多数あった本作、
『荒野にて』。
荒野に直面し、
その洗礼にさらされ、
しかし、潰される事なく、
遂に、求めし家庭という安寧を手にする物語。
旅をする少年の成長物語として、
また一つ、傑作が生まれた、
『荒野にて』は、
私にとっては、大切な作品の一つとなりそうです。
*現在公開中の新作映画作品をコチラのページで紹介しています。
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コチラが原作小説です
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