「シビル・ウォー」にてキャプテン・アメリカを逃がし、ソコヴィア協定違反にて追われる身となった「ブラック・ウィドウ」ことナターシャ・ロマノフ。
セーフハウスのあるノルウェーにて潜伏するが、そこに謎の刺客、タスクマスターの襲撃を受ける、、、
監督は、ケイト・ショートランド。
オーストラリア出身。
監督作に、
『15歳のダイアリー』(2004)
『さよなら、アドルフ』(2012)
『ベルリン・シンドローム』(2017)等がある。
出演は、
ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウ:スカーレット・ヨハンソン
エレーナ・ベロワ:フローレンス・ピュー
アレクセイ・ショスタコフ/レッド・ガーディアン:デヴィッド・ハーパー
メリーナ・ヴォストコフ:レイチェル・ワイズ
メイソン:O・T・ファグベンル
ロス長官:ウィリアム・ハート
ドレイコフ:レイ・ウィンストン
???:オルガ・キュリレンコ 他
当初、2020年5月1日公開予定だった本作。
しかし、コロナウィルスの影響により、
二度、三度、四度、と公開延期を重ねました。
結局、
2021年7月9日に、
劇場公開と同時に、Disney+にてプレミアム配信(追加料金制)が決定したのですが、
日本では、
劇場公開のみ、一日前倒しの7月8日となりました。
しかし、
全国興行生活衛生同業組合連合会(全興連)の方針にて、
1月21日付けで、
「これまで通りの形式で劇場公開をしない作品については上映しない」と、
ディズニー側に弁護士を通じて通達がなされました。
何故、こんな通達が行われたのかと言いますと、
それは、去年(2020)、ディズニーの劇場公開予定作品だった
『ムーラン』や『ソウルフル・ワールド』が、
配信オンリーに突如方針転換した為、
パンフやグッズを作っていた(であろう)興行主側に負担がかかってしまったという経緯があったからです。
この通達は、
「原則」であって「絶対」ではないとの事なので、
TOHOシネマズや109などの大手シネコンでは公開取り止めになりましたが、
ユナイテッドシネマやイオンシネマ、独立系の映画館では公開する事になりました。
故に『ブラック・ウィドウ』は、
大手制作会社の大作であり、
ヒット確実の「アベンジャーズ」系であるにも関わらず、
劇場公開は、意外と小規模に留まっています。
この様に紆余曲折ありましたが、
久しぶりの「マーベル・シネマティック・ユニバース」の作品だと、
楽しみに待っていた人も多いのではないでしょうか。
かく言う私も、その一人でねぇ。
ウキウキで劇場に足を運びましたよ。
で、どうだったのか、と言いますと、
アクション、凄い!!
けど、食い足りないな…
というのが、正直な所。
派手で大掛かりで、奇想天外で、
こういったアクションが、「アメコミ」系映画の醍醐味であり、
本作のアクションも、クオリティが高いですが、
そんなに、思った程、期待通りとまでは、
行きませんでした。
いや、面白いのは、面白いのですが、
なんか、久しぶり過ぎて、ハードルが上がり過ぎていたのかもしれませんね。
あと、何か、過去作品とのストーリーの整合性や、
映画上の展開について、
ちょっと「ん?」と思う事も少々。
世界が拡がり過ぎると、
過去の設定との差異が出て来くるという弊害が起きるのは、
ある程度、仕方の無い事なのかもしれませんね。
まぁ、ネガティブな事を言いましたが、
それでも、本作は面白い所があります。
それは、
本作が、
家族の物語であるという点です。
『ブラック・ウィドウ』は、
時系列的には、
『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016)の直後、
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)の前日譚といった位置付け。
この空白の時期に、
謎の女スパイというキャラだった「ブラック・ウィドウ」の過去が明かされるというのが、
本作の見所。
そこで、
ナターシャ・ロマノフは、
かつての自分の家族と再会するのですが、
個人的には、
本作のメインは、
実は、アクションでは無く、家族関係の描写だったのでは?
と考えています。
特殊能力持ちが集まった「アベンジャーズ」のメンバーの中で、
人間の枠の中に収まった、体術、能力の持ち主であり、
一方、精神面では、
タフでクールな描写がなされ、
それ故に、人気キャラだったブラック・ウィドウ。
そんな彼女の、
ある意味、オリジンストーリーと言える本作では、
故に、その起源である「家族」を物語り、
更にキャラを掘り下げる事に至ったのでしょう。
難しい事を言いましたが、要は、
スーパーヒーローでも、家族の会話を面白く、親近感が湧く、
という事です。
アクション大作でありながら、
むしろ、家族描写に舵を切っている作品、
『ブラック・ウィドウ』。
ヒットが見込まれる作品だからこその、
贅沢さなのではないでしょうか。
-
『ブラック・ウィドウ』のポイント
言うても、ド派手なアクションは健在
久しぶりに会った家族の会話
タスクマスターについて
以下、内容に触れた感想となっております
スポンサーリンク
-
家族の物語
本作『ブラック・ウィドウ』はアクション映画ですが、
そこで、メインに描かれているのは、家族関係の話です。
「ブラック・ウィドウ」こと、ナターシャ・ロマノフ。
彼女は少女時代、
スパイの疑似家族の一員として、アメリカのオハイオで短い間過ごしました。
映画の冒頭では、
その場面が描かれます。
映画の冒頭というのは、観客の心を掴む為に、
最も、心血を注がなければならない場面の一つです。
そこに、
ともすれば、
アクション映画を観に来た観客に、
敢えて、少女時代のナターシャ・ロマノフと家族の描写を持って来たのは、何故でしょう?
それは勿論、本作が家族の物語であるからです。
ストーリーを追っていくと解りますが、
本作は、
アクションを「つなぎ」として上手く使い、
スーパーヒーローでありながらも、
その実、
家族関係としては、
普通の人間でも共感出来る様子を描いているのが、
本作の一番の魅力と言えます。
そんな本作の白眉は、
やはり、
スパイの疑似家族として集められた4人が、
20年の時を経て、再開したシーンでしょう。
相手の気持ちも考えず、自分語りを繰り返す父親。
勝手に衝撃の告白をし出す母親。
キレてどっかに行ってしまう妹。
このぎこちなさが、最高です。
でも、しょうが無いよね。
確かに、久しぶりに会った家族って、こういう雰囲気になっちゃいます。
自分語りを繰り返す父親も、
だって、共通の話題が無いんですもの、
とりあえずの話題の「振り」として、
自分語りから入るのは、しょうが無いじゃないですか。
母親もそう。
親としての、威厳を示したいじゃない、
とりあえず、衝撃的な事を言って、
マウントを取りがちです。
妹も、
久々の家族相手に、
何処まで気持ちを表出すればいいか、分からない所がありますよね。
その手探り感として、
拗ねてみるのも、一つの手立てです。
妹のエレーナと言えば、
姉のナターシャをイジるシーンも、そう。
ブラック・ウィドウの着地ポーズ、
映画『デッドプール』(2016)でいう所の「スーパーヒーローランディング」を散々ネタにしつつ、
自分も真似してみるシーンが、
久々に会った家族っぽいです。
いっつも仲良しこよしで、
気持ちも通じ合っている様な家庭なら、
本作の様子が理解出来ないのかもしれません。
しかし、
世の中には、家族関係が良好では無い家庭もあります。
本作では、
そういう家族が、
徐々に、お互い歩み寄って行く様が描かれているのが、
最も面白い所と言えるでしょう。
その象徴として、
父親のアレクセイ・ショスタコフの描写が挙げられます。
身体能力としては、
老いたりとは言え、家族の中で最も高い戦闘能力を持つと思われますが、
アレクセイはアクションシーンにて良い場面は全く無く、
むしろ、
コメディリリーフとしての役割が強いです。
これは、
本作のテーマである家族関係を描くに当たって、
父権的な、
腕力による問題の解決は邪魔になるからです。
それを良しとせず、
知略と、瞬発力と、使命感で問題を解決するというナターシャ・ロマノフを描く事が、
本作のテーマを描く上で、重要だったと言えるのです。
-
ナターシャ・ロマノフの家族の在り方
「マーベル・シネマティック・ユニバース」のシリーズの中で、
ブラック・ウィドウの立ち位置としては、
謎に包まれたロシア出身の女スパイ。
その過去の贖罪の為に、現在は正義の為に心身を尽くしている。
というものでした。
化物揃いの「アベンジャーズ」の中において、
ギリギリ人間の能力の枠内に収まる身体能力であり、
代わりに、その精神性は、
タフでクールで、状況判断にも優れるという、
パーティーの潤滑油的な存在。
信念の為に戦いながらも、
仲間の結束の行く末に、心を揺らされる。
「アベンジャーズ」における、そんな彼女の精神性は、
如何にして形成されたのか?
本作『ブラック・ウィドウ』では、
それが描かれていると言えます。
彼女にとって、
家族と言えるものは、3つあります。
「レッドルーム」
「オハイオ」
「アベンジャーズ」です。
レッドルームは、
暗殺を生業とするロシアの女スパイ「ウィドウズ」を養成、行使する組織、場所の事。
洗脳による支配により、
疑似家族を形成していますが、
ナターシャ・ロマノフはそこを足抜け、
レッドルームの支配者たるドレイコフの暗殺を手土産に、
新たに「アベンジャーズ」へと加入したとの事。
今回、
その過程で、
ドレイコフの娘も、爆破暗殺の巻き添えにしてしまったという経緯が語られます。
つまり、
新しい疑似家族としての「アベンジャーズ」への加入は、
過去スパイ活動で命を奪い続けた事への贖罪でありながら、
同時に、
無垢の命(ドレイコフの娘)を奪ったという、新たな罪を重ねたという事でもあります。
彼女の正義の行使が贖罪であるならば、
その自らの贖罪の為に罪を重ねたという過去は、決して消えることの無い重荷となり、
故に、
ナターシャ・ロマノフの使命感は、悲壮なまでに頑固だったと言えるのです。
しかし、
そんな彼女の精神を支えるものがもう一つあり、
それが、
オハイオ時代のスパイの疑似家族であるのです。
かつて、幸せでありんがら、
しかし、奪われたからこそ、大事な思い出となったオハイオ時代。
スパイとして教育され、
子供を産めない様に改造され、
洗脳されたとしても、
家族の思い出は消えていなかった。
メリーナの家で、
自分と妹が映った家族の写真の撮影時のエピソードを鮮明に覚えていた事、
そして、
「傷が自らを強くする」という、母の言葉が自分を支えたと告白した事、
ナターシャは、
オハイオ時代の疑似家族を大切に思っており、
思い出として大切だからこそ、
疑似家族(仲間の絆)を再び失う事に、
彼女は抵抗を示したのではないでしょうか。
それが、
彼女の並外れた使命感であり、
「アベンジャーズ」という疑似家族を支え、
『アベンジャーズ/エンドゲーム』の冒頭の孤軍奮闘や、
クライマックスでの自己犠牲=
クリント・バートンを救う(彼の家族を失望させない)という選択に繋がったのではないでしょうか。
「エンドゲーム」での会話、
クリント「家族によろしく言ってくれ」に対し
ナターシャ「自分で言いなさい」と答えた台詞は、つまり、
「本当の家族が居るなら、放り投げて、死ぬな」という、
ナターシャの使命感を刺激する展開だったと言えるのです。
いやぁ、
後付けで、この設定を付与したのは、
上手いな、と思いましたね。
-
もっと観たかった、タスクマスター
アクションを控え目にして、
むしろ、家族関係の描写を充実させる事で、
ナターシャ・ロマノフのキャラクターの掘り下げを行った『ブラック・ウィドウ』。
これはこれで面白かったですが、
過去の設定や、
物語の展開上、ちょっと疑問に思う部分もありました。
一つは、
『ブラック・ウィドウ』が、
過去から歴史に介入してきた形跡が見られる、
謎の女スパイという設定があった事。
これはつまり、
ナターシャ・ロマノフも、
ある意味、強化人間であり、
寿命を延ばしているのでは?と推察される設定でありあました。
しかし、
本作ではその設定が無かった事になり、
オハイオ時代が1995年、
その時、仮に10歳だとしても、
20年後の現在は、約30歳だと計算されます。
年齢的なミステリアスさが無くなったのは、
ちょっと残念な所。
また、クライマックスにて、
タスクマスターとの戦闘中、
高空からのフリーフォールを、どうやって生き延びるのかと思いきや、
いつの間にか、
パラシュートを所持していたという謎のザル設定。
絶体絶命の危機を、どう覆すのか?
それが、アクション映画のみならず、
スリラーやサスペンス、ホラー、ミステリー、
ジャンルに関わらず、観客を魅了する展開ですが、
それに、
「実は、持ってました」みたいなオチを付けるのは拍子抜け。
本作は、アクションを蔑ろにした所為で、
その面で、詰めの甘さも目立つ作品でありました。
その筆頭が、タスクマスターの描き方です。
タスクマスターのピークは、
映画序盤、
ノルウェーでナターシャを強襲した場面です。
ナターシャと同じ動きをしながら、
それを上回るパワーとスピードを披露した難敵のタスクマスターに、
「すわ!?どうやって倒す?」と、期待が膨らみました。
タスクマスターの能力は、
「見た相手の戦闘スタイルを模写する」というもの。
強く感じ無いかもしれませんが、
ゲームの「ポケットモンスター」のネット対戦で、
相手と全く同じポケモンに化ける「メタモン」が、
実際に相手にしたら難敵である事を考えると、かなりの能力者と言えます。
実際に、映画でも、
キャプテン・アメリカの様に楯を操り、
ホーク・アイの様に弓で矢を引き絞り、
ブラックパンサーの様に爪を繰り出したりしていました。
しかし、
もっと、暴れて欲しかった。
例えば、
ソーのハンマーテクニックを模倣したり、
スパイダーマンの糸の様に、ワイヤーアクションを披露したり、出来たのではないか?
かつて、
『マーヴル VS. カプコン3 フェイト・オブ・ニューワールド』という対戦型格闘ゲームにて、
タスクマスターが使用キャラとして使う事が出来ました。
一人称が「我が輩」で、語尾が「~である」。
髑髏の仮面を被り、
他のヒーローの技の数々を使いこなす、
かなり、魅力的なキャラクターで、
対戦では、強キャラでなかったのですが、
一定数のファンが居た事を覚えています。
本作『ブラック・ウィドウ』でも、
ゲーム並のキャラ愛と完成度が欲しかったというのが、正直な所。
原作では、
金で、正義にも悪にも寝返る傭兵で、
その能力を活かし、新人を訓練する教官として起用される、
という設定があるそうですが、
映画では、この設定を大胆に変更し、
かつて、ナターシャが自分のエゴで殺しかけたドレイコフの娘の成れの果て、
=ナターシャの贖罪の象徴
にしたのは、面白いですが、
もっと、ナターシャとの戦闘シーンを増やして、
ライバル感を出した方がよかったような気もします。
また、数少ないタスクマスターの戦闘シーンも、
その能力を、もっと大袈裟までも前面に出し、
楯を弓矢と、爪とハンマーとワイヤーと、
ブラック・ウィドウの体術と、
全部盛りの強敵感を出すべきだったのです。
「こんなに強い能力者、どうやって倒す?」という疑問のアンサーが、
「能力者が能力を使わない」というオチは、
本当に、拍子抜けです。
演じている役者が、
オルガ・キュリレンコという見映えがする人物を、
仮面と特殊メイクで誰か分からなくしているという贅沢さの無駄遣いっぷりに、
疑問を呈します。
アクション映画としては、
少し、残念な描写が多いものの、
家族の物語というテーマの描き方や、
ナターシャ・ロマノフ/ブラック・ウィドウというキャラクターの掘り下げを行ったという点で、
「マーベル・シネマティック・ユニバース」ファンには堪らない作品である、
『ブラック・ウィドウ』。
「マーベル・シネマティック・ユニバース」シリーズ本篇からは、
ナターシャ・ロマノフは退場してしまいましたが、
今後、
妹のエレーナの活躍、
(洗脳を免れたのに、未だに、他人の利害関係に操られている風のオマケ映像に闇を感じましたが)
そして、もしかして、
レッド・ガーディアンや、タスクマスターも出るかもしれません。
そういう新キャラの発掘も、
『ブラック・ウィドウ』の意義であり、
引き続き「マーベル・シネマティック・ユニバース」を観て行こうと思います。
スポンサーリンク