ベルリン・フィルハーモニーオーケストラにて、女性初の主席指揮者を務めるリディア・ター。栄光の絶頂にある彼女は、故に、その権勢を振りかざし、周囲と軋轢を起こしていた、、、
監督は、トッド・フィールド。
映画の俳優を経て、監督業へ。
監督作に、
『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)
『リトルチルドレン』(2006)があり、
本作『TAR/ター』(2022)は16年振り三作目の監督作。
出演は、
リディア・ター:ケイト・ブランシェット
フランチェスカ・レンティーニ:ノエミ・メルラン
シャロン・グッドナウ:ニーナ・ホス
オルガ・メトキナ:ソフィー・カウアー
アンドリス:ジュリアン・グローヴァー
セバスチャン:アラン・コーデュナー
エリオット・カブラン:マーク・ストロング 他
2023年、5月18日の朝、
マネージャーが連絡の無い市川猿之助の自宅を訪れた所、
両親共々、倒れている所を発見されました。
遺書らしきものが発見され、一家心中を図ったらしく、
猿之助の意識は戻ったものの、両親は死亡。
5月22日現在、
18日売の週刊誌にて、
猿之助のパワハラ、セクハラ疑惑が報じられており、
それが何らかの原因になったのではないかとも推測されています。
歌舞伎界も狭いので、
俺に逆らったら、仕事がなくなるぞ、と…
で、
何でいきなり市川猿之助の話をしたのかと言いますと、
まぁ、
本作『TAR/ター』は、
パワハラ胸クソ映画だからです。
その点、
鑑賞前に注意する必要があります。
主演のケイト・ブランシェットは、
ヴェネツィア国際映画祭、
ゴールデングローブ賞にて主演女優賞を獲得する程、
演技にインパクトがあります。
ぶっちゃけ、
映画の登場人物としては、
性格が悪い方が、
観ているだけなら、抜群に面白いです。
自分が関わらなければね。
ですが、
実生活で実際にパワハラに遭っている人は、
ケイト・ブランシェットの演技が迫真過ぎるので、
不快な思いをする事になるかもしれません。
そう、
本作は、面白いです。
ストーリーも、
テーマも興味深いですが、
兎に角、長いです。
長ぇ!!
本作、
映画が始まると、画面が真っ暗になり、
何か、眠くなる音楽と共に、
スタッフロールが始まります。
私も年を取り、
映画が終わり、音楽と共にスタッフロールが始まると、
集中力が途切れ、
条件反射で、速攻居眠りをしてしまいます。
で、
本作はいきなりスタッフロールで始まったので、
映画の冒頭から睡眠導入ですよ!!
面白いのは、眠ってしまったのは私だけでは無く、
気が付くと、
他の席の観客がいびきをかいていたので、
「ああ、やっぱり他の人も、退屈な導入部分なのだな」
と、思いました。
しかし、本作においては、
この最初にスタッフロールを用いて
居眠りを喚起するというシチュエーションは、正解と言えるのです。
上映時間は159分。
長い上映時間でも、
面白い作品なら、あっと言う間に思われますよね。
先日公開された
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』(2023)は、
150分ですが、全然それを感じさせませんでした。
しかし、
本作は面白い作品ではあるのですが、
体感時間は4時間超え。
「…はやく、終わンねぇかな」と、
思ってしまいましたねぇ…
冒頭にて、
居眠りをしていなかったら、
上映中爆睡していた可能性があります。
疲労でね。
パワハラ映画なので、
私の様なのんき者でも、
無意識に疲労感を感じていたと思われます。
上映時間は長いですが、
ぶっちゃけ、
映画作品としては、
カット出来るシーンが多いと思われます。
寧ろ、
90分くらいに圧縮出来るかな~、と思いましたね。
ですが、上映後、後から思い返してみると、
無駄に思われたシーンも、
一つ一つに意味が込められていると、気付きます。
つまり本作、
上映中は意味が解らず「?」となるシーンが多いですが、
後から反芻して味が出て来るタイプの作品と言えるのです。
本作『TAR/ター』は、面白く、興味深い作品です。
しかし、
インスタントに面白いというより、
スルメの様に、
噛めば噛む程味が出るタイプの作品。
偶には、
こういうストレスを感じながら楽しむという映画体験も、
いいかもしれませんね。
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『TAR/ター』のポイント
胸クソパワハラ映画
驕れる人も久しからず
後から反芻して味が出るタイプの作品
以降、内容に触れた感想となっております
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驕れる人も久しからず
本作『TAR/ター』は、面白いです。
テーマがハッキリしていて、
それに添って、ちゃんとストーリーが展開してゆくという、
優等生タイプ。
しかし、
長ぇ!!
マジで長ぇよ!!
要らないシーンが多すぎる!!
編集でカットして、
90分位にしたら、
傑作だったと思うのですが、どうでしょう?
さて、そんな本作のテーマを一言にしてみると、
「驕れる人も久しからず」でしょうか。
まさか、
監督、脚本のトッド・フィールドが『平家物語』を知っているハズがありませんが、
しかし、
権力を持った人間が驕り昂ぶって、
その驕慢な態度が原因で立場を逐われる事になるというのは、
古今東西を問わないのでしょうね。
平家もしかり、
『ジョジョの奇妙な冒険』の第五部のボス、ディアボロもしかり、
絶頂であり続けるのは難しいのです。
本作のオープニングは、
主人公のリディア・ターがインタビューを受けている所から開始されます。
いわば、
今が名声と界隈における権力の絶頂状態と言った所。
そこから、
徐々に歯車が狂い始める様子を描くのが、
本作のストーリーラインです。
女性で初めて、ベルリン・フィルハーモニーオーケストラにて、
主席指揮者となったという設定なのが、
本作の主人公のリディア・ター。
実際に、
その権力の座に登り詰める為に、
如何なる困難があったのかは分かりませんが、
現在(コロナ明け位)の彼女は、
家父長制を体現しているタイプの、
「俺、最高、俺に従え」タイプのジャイアン状態。
過去の因習を打破しているというより、
権力を揮っている現在は、
過去の因習に則っていると言えます。
象徴的なのが、
ジュリアード音楽院で受け持っている授業にて、
意見が合わなかった生徒を徹底的にやっつけたシーン。
その生徒は、バッハを
「女性に20人も子供を産ませた家父長制の権化」と批判しましたが、
意見の相違にカチンときたターは、
他の生徒が見ている前で、
ネチネチとちくちく言葉を連発。
「主張の好みで音楽聴かないのはよくない」と言いつつ、
自分は、自分の主張と違う相手を受け入れないという断固たる立場をとります。
ター自身はレズビアンですが、
彼女は、主張の多様性を受け入れる事を拒みます。
まぁ、当然の如く、
「ビッチ」と吐き捨ててその生徒は退室しますが、
直前のシーンから察するに、
どうやらそれは、
わざと怒らせて、退席に追い込んだという節があるのです。
…いやぁ~
本当に、性格悪いですね。
そんなターですが、
彼女は、
日本の政治家によくあるスキャンダル、
女性問題で自身の進退が窮地に陥ります。
その時々のキャリアにて、
目を掛けた人間に、
「私と付き合うと、良いことがあるよ」と
エサをぶらさげつつ、誘惑し、
しかし、
興味が失せて、反抗的になった別れた相手には、
キャリアを潰す様な根回しメールを就職先に送りまくるというパワハラぶり。
家父長制を拗らせた権力者の
セクハラ、パワハラを駆使して、
性欲を支配欲を満たしていたのですね。
いやぁ~、気持ち悪い。
市川猿之助とか、
ジャニー喜多川とか、
芸能関係は闇が深いですね。
で、結局、
その女性問題が仇となって、
権力から逐われる事になろうとは、
思わなんだであろうなあ。
ベルリン・フィルハーモニーオーケストラにて、
唯一、録音されていないとされるマーラーの交響曲第5番のライブ収録を目前にして、
ターはその夢を絶たれます。
「百里を行く者は九十を半ばとす」(意訳:物事は、90%からが本番である)
紀元前、
戦に勝利して得意になっていた秦の武王は、
そう、たしなめられたそうですが、
調子の良いとき、勝っている時こそ、
「実ほど頭を垂れる稲穂かな」の精神で、
謙虚に行くべきなのでしょうね。
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長ぇよ
そんな『TAR/ター』ですが、
本作、
結構、シーン毎に、
しっかりとした意味を持たせているので、
何気なく見過ごすと、
「?」となる場面が多数あります。
例えば、
ターは副指揮者のセバスチャンを解雇します。
セバスチャンはリハーサルの演奏を聴いて、
とある楽器の音が多少大きく、
バランスが悪いと注進します。
ターの取り巻きの
フランチェスカ(秘書)やシャロン(同棲パートナー)は
「2階席の我々と、1階席に彼とでは音の聞こえ方が違う」とか、
当たり障りの無い事を言いますが、
ター自身は、
「私がそう指示した」と言い
「やっぱりセバスチャンは音楽を分かって無い、ヤキが回った」と述べます。
しかし、このシーン、
つまりは、
ターがセバスチャンにちゃんとホウレンソウ(報告、連絡、相談)をしていなかっただけで、
実は、
セバスチャンの注進自体は、
彼の耳が確かだと証明しているシーンであり、
そんな彼を「切る」と言うのは、
単に、好みの問題で人事を決定している権力者のパワハラ振りを露呈する場面であるのです。
で、その後、
ターがセバスチャンに解雇を言い渡すシーン。
不当な扱いに憤ったセバスチャンは、思わず
「フランチェスカと関係があるから贔屓してるんだろ」「団員も噂してるぞ」
とぶち吐きます。
このシーン。
前後にて、特に説明がなされませんが、
つまりは、
秘書としてこき使っているフランチェスカも、
実は、過去にはターの「愛人」であって、
団員皆もそれを知る、
「暗黙の周知」状態という事でもあるのです。
フランチェスカ関連では、
先ず、冒頭、
居眠りしているターを背景に、
チャットをしている画面が映し出されます。
居眠りしている様子を移せるのは、
極、近い人間。
恐らく、秘書のフランチェスカか、
パートナーのシャロンだと
(後から)推測出来ます。
そして、
インタビューのシーン。
思わせぶりに赤毛(?)の短髪の女性(?)の後頭部が映されます。
2度も。
しかし、
その後、その人が何なのかの説明は一切無いです。
無いですが、推測するに、
その人こそが、
後に自殺し、
両親がターを告発する事になるその原因の人物、
指揮者志望だったクリスタなのでしょう。
で、
冒頭のシーンは、思うに、
フランチェスカとクリスタの会話だったのでは?
同じ相手を愛した同士(?)みたいな関係で、
どうやら二人は連絡を取り合っていた様子。
クリスタは後に自殺しますが、
フランチェスカの方は、
クリスタの様にターに裏切られた時の事を考えて、
「ターからの、クリスタの就職先宛てのパワハラメール」を隠し球として保存していました。
キン肉マンスーパーフェニックスに裏切られた時、
隠し球の必殺技「アイス・ロック・ジャイロ」を披露し、反撃したマンモスマンの様に。
又、
ホテルで誰かにプレゼントされたという本。
飛行機のトイレでそれを開けたターは、
気味悪がってゴミ箱に押し込みました。
意味が解らないシーンですが、
それも説明されず。
しかし、パンフを読むと、どうやら「元カノ」からのメッセージだとか。
かつてターは、
「ウカヤリ」にて、5年間の音楽採集フィールドワークを行っており、
その時期にも「彼女」が居たとか?
で、本に、その地方の文様というか、文字が書かれていたとか?
いや、分かンねぇって。初見では。
この様に、
シーンの一つ一つに、しっかりと意味を込めている為か、
監督は、
折角だからと貧乏性を発揮し、
悉く、映画に詰め込んで、
長大な作品に仕上がってしまったのではないでしょうか。
例えば、
夜、音が気になって目が醒めると、
メトロノームが動いていたり、
冷蔵庫の微かな駆動音が気になったりします。
メトロノームの時は、
ターが唯一、真に愛する存在である、愛娘のペトラの仕業かと疑い、
彼女に注意します。
このシーンは、
「お前がやっただろ」と、疑いだけで注意する独善的なターと、
自分では無いと否定しつつ、それを、敢えて強く主張しないペトラの様子が描かれます。
「身に覚えの無い失敗で上司に詰められる部下」みたいなこの構図は、
ターが、自分が愛する相手にすら、高圧的に振る舞うという人間性の表われです。
冷蔵庫の駆動音が気になるシーンでは、
音に関する感受性が強いが故に、
神経質に、些細な事が気になるという、
謂わば「才能と呪いは紙一重」という事を表しつつ、
同時に、
安眠を妨げているという事は、精神の均衡が崩れている証左でもあります。
でも、ね。
同じシーンを3度も、4度も入れる必要、無いのでは?
どれか、一回でいいじゃん、と思います。
他にも、
ターがボクササイズするシーンは、要らないですよね。
全カットでいい。
しかし、
ボクササイズするシーンがあるからこそ、
クライマックスの乱闘シーンが映え、
「いざとなれば、ターは人をボコボコにする」事の説得力になっているとも言えます。
更に言うなら、
ぶっちゃけ、新人チェロ奏者のオルガというキャラクター自体、
何なら、要らないですよね。
いや、オルガが居る事で、ストーリーに深みは出ていますがね。
オルガ関連で言うと、
ターはさながら、クレオパトラを思わせます。
過去、数々の恋人を浮名を流したクレオパトラですが、
「アクティウムの海戦」(紀元前31)にて
オクタウィアヌスに敗北します。
彼女の美貌も、
オクタウィアヌスに通じなかったのですね。
で、
ターですが、
ダンスしているシーンでシャロンに言われる台詞、
「ロックダウン中(ペトラは)おばさん二人しか相手がいなかった」を聞き、
若干、不本意そうな表情をします。
つまり、
ターの自己像においては、
「自分はまだまだ☆イケてる」と思っているのでしょう。
まるで、自分の年齢を考えないセクハラオヤジの様に。
で、
若くて活きの良いオルガに、
得意技の権力を駆使して近付きますが、
しかし、
当のオルガはター自身に全く興味を示さず、
何なら、著作を朗読するターを「ダサい」と虚仮にします。
自己像と他人の評価が一致しない、
この乖離が増長を生み、
凋落を招くのです。
…あと、
本作のラストエピソードも、何なら要らない気がします。
いや、面白いエピソードなのですがね。
権力の座から逐われても、
音楽にしがみつくその姿勢。
(フィリピン?)
まるで、力石徹を殺してしまった後の矢吹ジョーが、
ドサ回りになってでも、ボクシングに拘った姿勢を彷彿とさせます。
このフィリピンでも面白いシーンがあります。
ホテルでマッサージ店を紹介してもらったター。
しかしそこは、
大人のマッサージ店、
所謂性風俗店で、
それに気付いたターは、施設から出て吐きます。
何故吐いたのかと言うと、
番号札を付けて並べられている女の子達、
彼女達は、まるで指揮者の指示を待つ、オーケストラのメンバーの配置の様にも見えます。
その中で、
4番と5番が場面に映ります。
4番は目を伏せていますが、
5番は強い眼差しでこちらを見つめています。
自分と「連れション」状態になったオルガに執着したターは、
恋愛関連では、直感に従うタイプ。
つまり、本来なら、直感タイプのターは5番を選ぶのでしょうが、
それはつまり、
自分が恋人を選ぶ基準は、
風俗で性欲を満たすノリと、何ら変わらないという事に気付くのです。
自らの人生が汚らわしいものだったと気付いた、
故に吐いた、
そういう重要なシーンですが、
まぁ、要らないっちゃ、要らないとも思います。
又、
女の子達はオーケストラの様に見えますが、
同時にそれは、
オーケストラを模してぬいぐるみを並べていたペトラとの思い出も、想起させます。
オーケストラ、
ペトラ、
風俗と、この対比が面白いですね。
いやぁ~、
シーン毎の解説したら、
本ブログ自体が冗長になってしまった感がありますね。
しかし、本作『TAR/ター』は、
そういう冗長なシーンから、
一つ一つの意味を、
後から思い出して、反芻、咀嚼、するという行為が面白い作品なのです。
まるで、
草を食む牛の様に、
偶にはジックリ映画と向き合ってみるのも、良いのではないでしょうか。
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