映画『クワイエット・プレイス』感想  愛と希望のホラー映画!?家族の絆で危機を迎え討て!!


 

「音を出してはいけない」
音に反応して人間を襲うクリーチャーの出現で、文明は荒廃してしまった。そんな中、様々な対策と注意深い生活で、アボット一家は家族で生き残っている。しかし、妊娠している母、イヴリンの出産が間近に迫っていた、、、

 

 

 

 

 

監督はジョン・クラシンスキー
俳優業、アニメの声優、TVドラマ出演など、
その活動は多岐に亘る。
監督作には
『最高の家族の見つけかた』(2016)などがある。

本作では
監督、出演、脚本、制作総指揮と獅子奮迅の活躍である。

 

出演は
イヴリン:エミリー・ブラント
リー:ジョン・クラシンスキー
リーガン:ミリセンント・シモンズ
マーカス:ノア・ジュプ 他。

 

 

『クワイエット・プレイス』はホラー映画です。

ホラー映画というものは、独特の立ち位置があります。

比較的低予算でありながら、
エンタテインメント性を確保する為に、
ワンアイデアで勝負する。

本作も、その系統の作品です。

「ミシリ」
とも、足音を立てない生活というものは、
どんな暮らしになるのか?

 

その徹底した設定が、
まず面白いのです。

 

ああ、
それなのに、それなのに、

母さんが妊娠してるって、
どういう事よ!?

出産、
そして、赤ちゃんが、

物音を立てずに済ませる事が出来るのか!?

 

本作は、
その「ミッション:インポッシブル」に挑戦した映画とも言えるのです。

 

さて、
本作は、音を立ててはいけません。

何か「クリーチャー」が音に反応して襲ってくるからです。

ですが、
無音で通したら、映画に成らず。

トラブルがあるから、
即ち、

本作では

物音を立て始めてからが、
俄然面白くなってきます。

 

そして、

襲い来る危機に対するは、
家族の絆。

本作は、

ホラー映画を骨子としながら、
家族を描いた、ある種のファミリー映画でもあるのです。

 

 

ホラー映画は、アイデア勝負。

その上で「面白い」という噂があるのなら、
とりあえず観ておくべき。

予告篇の、
雑なビックリ系ホラー映画という印象とは大違い、

本作『クワイエット・プレイス』は、
期待以上の面白さと満足感を提供してくれる作品です。

 

 

  • 『クワイエット・プレイス』のポイント

「音を出してはいけない生活」対策と傾向

異常事態における、家族のそれぞれ

伝える事の大事さ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 音の無い生活

本作『クワイエット・プレイス』は、
音を出したら、謎のクリーチャーに襲われて即死する世界。

そんな世の中で、
一体どういう生活が送れるというのか?

そういう部分にキチンと細かく描いています。

予告篇だけ観ると、
音をだしてはいけない世界で、

「何故子供に、音の出るオモチャを与えるのか!?」

「出産とか、明らかに無理だろ!!」

とか、思います。

予告篇のこの部分の印象だけでは、
ちょっと雑な作りのビックリ系トンデモホラーに見えますが、

実際の本篇はちゃんとした作りなのです。

 

先ず、
会話は基本、手話で行う。

通り道は、
基本、白い砂(石灰?)を撒いた道のみに限定。
足も、裸足で抜き足差し足。

食事は、
音の出るナイフやフォーク、皿を使わず、
葉っぱの皿に盛って、手づかみで食べる。

木の床は、音が出ないように、
足の踏み場にペンキを塗っている。

危険な事が起こっている時は、
警報(音)だとクリーチャーを呼ぶので、
「赤いランプ」(光)で知らせる。

etc…

 

この「音を出してはいけない」事に対する丁寧さは、設定のみならず、脚本にも見られます。

例えば、

聴覚が異常に発達したクリーチャーならば、
心臓の鼓動や呼吸音で、人間の位置が分かるだろうと思われます。

しかし、
水没した地下室にて、
イヴリンは流れる水の後ろに隠れて難を逃れました。

これは、
事前に滝のシーンで、
「他に出る音があれば、大声を出しても大丈夫」
という事を証明しているからこそ、
説得力のあるシーンになっているのですね。

また、
クライマックスにて父親のリーが叫んでクリーチャーをおびき寄せたシーン。

これは、中盤に、
森の中の老人が叫んだシーンと対になっています。

しかし、
配偶者(であろう人物)が死んだ事で、
絶望の中でダイナミック自殺を図った老人と、

家族を逃がし、
自分がリーガンを愛しているという事を証明する、
ある種の希望を発したリーの叫びとは、

その意味が全く正反対。

中盤の老人と
終盤のリーのシーンが対比される事で、
その意味も際立っているのです。

 

ワンアイデアで勝負するタイプの映画において、

その世界観、
ルールや禁忌の設定は非常に大事です。

その設定を、
「音を出してはいけない」とする。

この、単純であり、誰にでも分かり易い設定を、
丁寧に、真摯に描いた所が、
本作の面白さであるのです。

 

  • ホラー映画における、恐怖の表現

本作『クワイエット・プレイス』は、
「音を出す事」=「クリーチャーに襲われる」=「死ぬ」
という構図になっています。

つまり、
音を出す事が「恐怖の表現」になっているのです。

 

映画を観ている時の、シーンの状況、
例えば、

水の中で登場人物が息を止めなければならない時とか、

ピクリとも動いてはいけない時など、

その時、
観ている自分も息を止めたり、
微動だにしないで観ていたりしませんか?

私はそういうタイプなんです。

そういう、私みたいなタイプにおいて、
本作の「音を出してはいけない」という設定は、

常に緊張感が持続する設定であると言えます。

いわゆる、
作品への没入感が凄いですね。

 

しかし、
そんな緊張感も長く続いたら、観ているだけでも流石に疲れます。

本作では、
程よいタイミングで禁忌である「音」を出す展開になって行きます。

 

さて、
ホラー映画において、クリーチャー(怪物)が出現する時、
その登場タイミングや暴れ方の描写の方法をどうするのか?

そこに、
映画の方向性が見えます

 

例えば、
同じクリーチャー系を扱った、
M・ナイト・シャマラン監督の『サイン』は、

クリーチャーの存在を仄めかしながらも、

徹底して、直接描写は避けています。

観客の想像力を喚起させる事、
その事に焦点を当てた演出なのです。

 

一方、本作は、
クリーチャー自体は、中盤にてその姿が露わになります。

ホラー映画によくある演出、
姿を隠し、観客の想像力による恐怖心を煽るのは、
本作の主眼では無いのです。

本作におけるクリーチャーは、
「音を出す」という禁忌を犯した罰の帰結でしかないのです。

つまり、
本作による「恐怖」とは、
「音を出してはいけない」というシチュエーションそのものに焦点を当てていると言えるのです。

 

確かに本作はクリーチャーが出てくるホラー映画です。

しかし、
本作における「クリーチャー」は、
物語における主題では無く、

その主題を媒介する仲介者の役割を果たしています。

 

そして、その仲介は、
本作のメインテーマである、
「家族の絆」を描く事にも繋がっています。

 

  • 家族の絆の物語

『クワイエット・プレイス』のメインテーマ、

それは、家族の絆です。

 

本作の主要の登場人物はアボット家の、
母:イヴリン
父:リー
長女:リーガン
長男:マーカスの、4人のみです。

と、言うより、他の登場人物も、
次男のボー、
新生児の赤ちゃん(三男)、
森の中の老人、
森の中で死んでいた老婆、

全部でも8人しかいません。

この限られたシチュエーションにて、
本作は主要登場人物の描写がしっかりと為されています。

 

さて、
本作の監督は、父親リー役でもある、
ジョン・クラシンスキーです。

そして、ジョン・クラシンスキーは、
母親役のエミリー・ブラントとは、実の夫婦

長女役のミリセンント・シモンズは、
実際に聴覚障碍のある役者で、
アメリカ手話を使って、出演者にそれを教える役割も果たし、

弟役のノア・ジュプに、
手話の基本を教えたとの事です。

 

脚本を書いたのは、
ブライアン・ウッズとスコット・ベック。

彼等の脚本に惚れ込んだジョン・クラシンスキーが、
監督をするのみならず、
自身が出演し、
さらには脚本の手直しまで行い、
制作総指揮まで務めています。

事ほど然様に本作に入れ込んだジョン・クラシンスキーは、
こう言っています。

「もう、この映画を楽しめるかどうか、わからない」
「あまりにハードにこの作品のために働いた。この映画で全力を尽くしたように、すべてをつぎこんだことなんて今までなかった。自分の妻と働いた事もなかったし、子どもたちにラブレター(引用者注:本作の事)を書いたこと もなかった。今回のこの作品は、すべての要素が詰まっていてぼくが一生懸命、すべてをつぎ込んだものだった。」
(以上、パンフレットのp.12、ジョン・クラシンスキーのインタビューより抜粋)

この言葉には、
作品を作る人間の苦悩と情熱が込められています。

 

実際の夫婦が、作品でも夫婦役で出演する。

実際の聴覚障碍者が、
聴覚障碍のあるキャラクターを演じる。

この本物感が、
作品に独特の熱とリアリティを与えています。

 

監督も兼ね、
全てをつぎ込んだというジョン・クラシンスキー。

彼の演じるリーは、
常に緊張感を漲らせ、
ある種の狂気を孕んだ目つきをしています。

実際に、映画に真摯に向き合っている必死さが、
役柄にそのまま反映されています。

 

そんな狂気と紙一重で家族を守る事に執着している、
リー。

一方、母親のイヴリンのスタンスは若干違います。

彼女はその先、
家族を増やす事で、
絶望に真っ向から対抗せんとしています

音を出してはいけない世界で出産をするという、
ミッション:インポッシブル。

喪った息子の体の重みを未だ覚えているというイヴリン。

そんな彼女が、敢えて出産するという事、

これは、
絶望に屈せず、希望に挑戦する意思の象徴であるのです。

 

長女のリーガンは、
次男のボーが死んだ事に責任を感じています。

演じた、ミリセンント・シモンズは、
自分が聴覚障碍であり、

その事で、
他人との間に疎外感を感じた事があると言います。

この疎外感が、
家族の中にあって、

特に父親との関係に現われています。

 

父親としは、
同性であるマーカスに肩入れするのは、ある意味しょうがない事でもあります。

しかし、
その事が、リーガンを苦しめます。

彼女にしては、
リーは、自分よりマーカスが好きなのだという、
動かしがたい事実に見えるのです。

 

そういう状況の中で、
マーカスは父を姉を橋渡しする役目を担います。

父には、
姉への愛情を、率直に表現して欲しいと頼み、

姉には、
父への信頼を説きます。

3人兄弟でありながら、
事故で弟を喪い、
家族の中で、最年少になってしまった立場。

最年少という家族の潤滑油という立場を、
上と下に挟まれた、微妙な立ち位置である、兄弟の真ん中の視点で行うという、
複雑な役回りになっています。

 

 

 

本作では、
家族が皆をそれぞれを愛している。

しかし、
ボーを喪った痛みに、
それぞれ、苦悩を抱え、

それぞれの方法で対処して生きているのです。

その哀しみを乗り越え、
家族が絆を取り戻し、
お互いの愛情に気付くまでを描いた物語、

本作『クワイエット・プレイス』はそういう作品であり、

そして、
陰湿で、残酷な世界を描く、単なるホラー映画では無い、

むしろ、
熱い情念や希望、愛、といったプラスの感情にフォーカスが当たった、
希有なホラー映画なのです。

 

 

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