コストコで働いているジェフは、仕事よりレッドソックスとビールと元カノのエリンが好きな男。そのエリンがボストンマラソンに参加するというので、ゴールでプラカードを掲げ待っていたジェフ。そこで、無差別テロの爆弾が爆発する、、、
監督はデヴィッド・ゴードン・グリーン。
多数の監督作があるが、日本劇場公開された映画は本作が初。
主演のジェフ・ボーマン役はジェイク・ギレンホール。
個性的な役での怪演が多い印象。
主な出演作に
『ブロークバック・マウンテン』(2005)
『ミッション:8ミニッツ』(2011)
『プリズナーズ』(2013)
『複製された男』(2013)
『ナイトクローラー』(2014)
『サウスポー』(2015)
『ノクターナル・アニマルズ』(2016)等。
他、出演は、タチアナ・マスラニー、ミランダ・リチャードソン、クランシー・ブラウン等。
2013年、4月15日、
ボストンマラソンのゴール付近で起きた爆発テロ。
死者3名、負傷者282名を出したこの爆発で、
両足を失ってしまったジェフ・ボーマン。
本作は彼の手記『STRONGER』を元に作られた、
実話ベースの作品です。
ごく普通に生きてきたジェフ・ボーマン、
テロにより足を失いますが、
彼は犯人を目撃しており、その証言が逮捕の足がかりとなって早期解決に繋がったと言われています。
TVや新聞というメディアで、
足を失った様子が報道されていたジェフ・ボーマン。
その彼が証言したという事実、
これにより彼は
暴力にただでは屈しない
地元の英雄としてまつりあげられます。
突如蒙った災難により有名人となったジェフ。
彼は、もてはやす周囲と自分の実状との乖離に悩まされます。
その彼が、テロ後の人生とどう折り合いをつけて行くのか、
本作『ボストン ストロング ~ダメな僕だからか英雄になれた~』はその様子を描いた作品です。
ボストンマラソンでのテロを描いた作品には
『パトリオットデイ』(2016)という作品があります。
この『パトリオットデイ』が事件解決を目指しテロと戦う話ですが、
『ボストン ストロング ~ダメな僕だからか英雄になれた~』は、
テロに見舞われた一般市民が自己を取り戻す話です。
同じ事件を取り扱っても、色々な切り口がある。
こういう事も、映画の面白い所です。
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『ボストン ストロング ~ダメな僕だからか英雄になれた~』のポイント
本人、家族、恋人、それぞれの事故とのスタンス
分不相応な役割を突如背負わされた人間の困惑
テロ被害者とその後の人生
以下、内容に触れた感想となっております。
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周囲の支えがあればこそだが…
極普通の青年、ジェフ・ボーマン。
テロを切っ掛けとして、彼の人生は一変してしまいます。
「BOSTON STORONG」とは、
事故後に地元の野球チーム「ボストン・レッドソックス」が、事故の翌日に「ボストンストロング」と書かれたユニフォームをチームベンチに掲げていた事が切っ掛けと言われています。
*因みに、現・読売ジャイアンツ所属の上原浩治投手は当時レッドソックス在籍、
その年のレッドソックスのワールドシリーズ優勝時の胴上げ投手となりました。
上原浩治選手のインタビュー映像
そしてジェフは、両足を失いながら犯人情報を提供した人物として、
図らずも「BOSTON STRONG」の象徴となってしまいます。
当初ショックを受けていた家族、親族一同はしかし、
突如英雄になったジェフが呼ばれるまま様々な所に駆り出さるのを受け入れます。
障害を負った息子を必死で支えようとする者として、
特に母親がその象徴として描かれます。
「息子は、世間に必要とされているのだ」
その事を(やや、浮ついていながらも)受け入れています。
しかし、ジェフ本人は、
自分が置かれたそんな状況を素直には受け入れる事は出来ません。
テロに遭った、両足を失った、
しかし、彼自身が何か変わった訳では無い。
なのに、「ボストンストロング」という、
何か大きなものの象徴として祭り上げられた事の違和感、現実味の無さ。
そして、不意にのしかかってくる責任感の様なものに押しつぶされそうになってしまいます。
元カノのエリンは、そんなジェフが捨てきれず、
そこには、「自分の応援に来なければ、テロに遭わなかったのでは?」という罪悪感があったかもしれませんが、
しかし、しっかりとジェフと自分の置かれた状況を受け入れようとしています。
置かれた状況からは逃げない、
自分の責任を果たす事を決意しているんですね。
本人と家族、そして恋人。
それぞれ、立場によって状況に対応するスタンスの違いが象徴的に描かれています。
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役割を受け入れるという事
自分はそんな人間じゃないのに、
いきなりその役割を背負わされたジェフ。
さらに、心ない人には逆に、
「テロはやらせ、国家の陰謀、実際には無かった事だろ?」
といわれの無い誹謗中傷を受けます。
英雄視される事も、非難を受ける事も、
共にジェフにはその身に余る理不尽な状況。
彼はその重圧に苦しみます。
しかし、人生とはそういう物なんですよね。
鈴木みのるというプロレスラーがいます。
かつて彼は、怪我からの長期離脱後の復帰戦、
それを、未だ傷が完治しない状況で行いました。
その時
「準備が出来ていないとしても、それでもやらなければならない」
そういう言葉を発しました。
試合においてベストコンディションを整えない、
それは敗北に対して事前に構える、甘えの様なものでは無いのか?
当時の私はそう思いました。
しかし、違うんですよね。
むしろ、人生において、
突発的に状況が変わる事の方が多く、
事前に準備が出来ている事はごく稀なんだと私はその後思い知らされました。
ジェフの状況は正にそのもの。
しかし、彼は、その急変した状況を受け入れようとはしません。
それは、彼の弱さ、甘えであり、
その事が自分で分かっているからこそ、苦しんでいるのです。
象徴的なのは妊娠を告げたエリンのセリフ、
「体に障害があるから責任を持てないのでは無く、あなたは自分が子供だから、責任から逃げているだけなのだ」
という物です。
テロによって祭り上げられた事も、
妊娠も、
突発的な事態ですが、彼は、それは自分が望んだ状況では無いと、そこから逃げているのですね。
しかし、ジェフは、
その物ズバリを指摘したエリンの言葉と、
自分と共に英雄に祭り上げられたカルロスの言葉により、
思う所を変えます。
カルロスは、テロ直後の混乱した現場にいの一番に駆け付け、
ジェフを救出した英雄。
しかし、その彼は、ジェフを自分の失った息子と同一視し、
ジェフを助ける事は自分の息子を助けている様で救われたと告白します。
ジェフを「ボストンストロング」の象徴として見ている人達には彼達なりのバックグラウンドがあり、
ジェフの存在を、その各々の状況を重ね合わせる事で、
希望を見出していたんですね。
ジェフは、カルロスと話す事で、
自分の存在そのものが、人に希望を与えていたのだと理解します。
ならば、自分は象徴として、
その与えられた役割を果たす事が出来るのではないか?
英雄というより、希望の象徴として。
その事に気付いたんですね。
だから、彼はボストン・レッドソックスのホーム、
フェイ・ウェイパークでの始球式に臨む事が出来た。
そして、人がそれぞれ持っている希望に耳を傾ける事が出来たのです。
人間、
十分な準備が出来ていなくても、
また、
自分が希望した事ではなくても、
突如役割を背負わされる事があります。
その事を理不尽に思ったり、
また、自分に合わないと思い投げ出したりする事もあるでしょう。
しかし、
人に臨まれてその役割をあてがわれたのなら、
それを遂行する事で、人に希望を与える事になる。
そういう偶然性も、実は人生の一面であるのだと理解し役割を果たす覚悟を持つ事もまた、時には必要なのではないでしょうか。
テロという無差別な行為が、
普通の人間の人生を劇的に変える。
自分が意図しない所で、
分不相応の責任と役割を突如背負う事になった男が、
自分の自己実現性を獲得するまでを描いた『ボストン ストロング ~ダメな僕だからか英雄になれた~』。
人生というものは、それを受け入れる覚悟さえあれば、如何様にも乗り切れる、
その事を教えてくれる教えてくれる力強い物語なのです。
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