黒と白の個性的な髪型を持つエステラ。彼女は問題を起こし、名門校を放校になってしまう。更には母をも喪い、孤児になりロンドンに流れ着くが、そこでストリートチルドレンとなり、スリなどの行為でしぶとく生き残ってきた。
数年後、それでも、衣装デザイナーの夢を諦めきれなかったエステラは、高級デパートで働きだすが、、、
監督は、クレイグ・ガレスビー。
監督作に、
『ラースと、その彼女』(2007)
『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』(2017)等がある。
原作は、
ドティー・スミスの小説『ダルメシアン100と1ぴきの犬のものがたり』であり、
それを元にしたアニメーション映画、
『101匹わんちゃん』(1961)。
出演は、
エステラ/クルエラ・ド・ヴィル:エマ・ストーン
ジャスパー:ジョエル・フライ
ホーレス:ポール・ウォルター・ハウザー
アーティ:ジョン・マクリー
ジョン:マーク・ストロング
バロネス:エマ・トンプソン 他
ダルメシアンって、
なんで、あんな、
白地に黒の斑点なんていう毛色をしているのでしょうか?
原作国は、
クロアチアと言われていますが、
この、迷彩模様が役に立つ環境だったのでしょうか?
体力もあり、
人にも馴れる易いということで、
古くから、猟犬や牧羊犬、軍用犬などに重宝されたらしいですが、
映画『101匹わんちゃん』のヒットで、
一般家庭にも広まったそうです。
…そしてその後、
飼うのに飽きた人間に捨てられたとか、、、
そんなブームを、
かつて起こしたディズニーのアニメーション映画『101匹わんちゃん』。
本作『クルエラ』は、
ディズニー・ヴィランズのシリーズとして、
『101匹わんちゃん』の悪役、
クルエラのスピンオフ映画として、
彼女の過去を描いた作品となっております。
が、
あやふやな記憶から判断しますと、
ぶっちゃけ、
原作アニメーション映画のクルエラと
本作のクルエラは別人です。
ディズニーが、
過去作品のヴィラン(悪役)をスピンオフで描いた作品として、
アンジェリーナ・ジョリー主演の『マレフィセント』(2014)がありましたが、
方向性としては、
『マレフィセント』と同じ様な感じと思って頂いて間違い無いです。
設定と世界観を流用した、
「if」の世界線の物語、ってヤツです。
なので、
「原作至上主義者」の方は、
本作は、ちょっとモヤモヤする事と思います。
まず、
「そういうもの」と割り切って本作を観る、
スタートはそこから始まります。
では、
本作の主人公のクルエラは、
何なの?と思われるでしょうが、
言えば、
破天荒なお転婆、
ちょっと難しく言えば、
旧弊を打破する、
先鋭的な革命家。
なので、ちょっとカッコ良いです。
否、寧ろ、
ヒーロー的と言いますか。
悪役の面影は何処へやら。
ですが、
この変節は、チープでは無いのです。
本作は、
ストーリーが面白い。
「悪役の過去」という、
原作では描かれなかった要素を発掘するのは、
楽しくも、難しい作業だったハズ。
それを本作は、
スピンオフでありながら、
過去作を知らずとも、
一本の映画として、
誰が観ても面白いものとして仕上げているのです。
つまり、
本作のクルエラが、
昔のクルエラと別人というのは、
独立した作品としての完成度を求めた場合に、
それとトレードオフになったと考えれば、
これはこれで、
アリなのだと思います。
また、
本作は、クルエラが衣装デザイナーを目指しているという設定上、
作品に出て来る様々な衣装が、
奇抜で豪華で、面白いです。
そこも、本作の見所の一つ。
過去の『101匹わんちゃん』のクルエラを忘れた時、
本作『クルエラ』は、
面白い展開と、
破天荒なキャラクターを楽しめる、
そんな作品になっているのではないでしょうか。
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『クルエラ』のポイント
破天荒なお転婆のサクセスストーリー
意外と面白い!?展開の巧妙さ
悪を描く事の難しさ
以下、内容に触れた感想となっております
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悪を描く事の難しさ
本作『クルエラ』は、
ディズニーのアニメーション映画『101匹わんちゃん』のヴィラン、
クルエラの過去を描くスピンオフ映画です。
と、言うのは建前で、
実際は、
原作映画の世界観と設定を流用しつつ、
内容的には、
全く違う人物の物語、
「if」ストーリーというか、
世界線の違う物語と言いますか、
まぁ、ぶっちゃけ、
「ヴィラン」クルエラをベースに、
「新時代の破天荒なヒロイン」クルエラを描いて観せた作品です。
では何故、
クルエラは別人になってしまったのでしょうか?
それは、
過去作を知らなくとも、
独立した作品として観て楽しめる様に描いた、という点が一つ。
また、ファミリー向けのディズニーの作品という事で、
「純粋な悪人」を主人公とする事が出来なかったという点が一つ。
そして、
一番の難題が、
「悪人」を主人公とするストーリーが、
そもそも難しいという事です。
何故、「悪」を主人公とするのが難しいのか?
それは、
普段我々一般人が、
本能的には「悪」に怯えて生きて居るからです。
暴力や権力、貧困、病気、突発的な事故 etc…
普通に生きて居ても、
日々、感じられる理不尽さ、そこから来るストレスの数々。
「悪」とは、
我々に不利益を被らせて来る、その原因であって、
映画の様に、
感情移入が必要な作品においては、
主人公を張る事は出来ません。
誰が、
自分を苛める側に感情移入するでしょうか?
ですから、映画は、
基本的には判官贔屓、勧善懲悪がウケますし、面白いです。
ディズニーのヴィランを描いたハズの作品、
『マレフィセント』(2014)では、
元々の原作では悪役だったマレフィセントの代わりに、
ステファン王が、
『マレフィセント2』(2019)では、
イングリス王妃が、
それぞれ、
「主役」マレフィセントに対する悪役として描かれており、
本作『クルエラ』においても、
クルエラのオリジンストーリーを描くにあたって、
悪だったクルエラを「ヒロイン」に移行させ、
その代わりの新たなるヴィランとして、
バロネスというキャラクターを創作しています。
パンフレットにインタビューで、
クルエラを演じたエマ・ストーンが、
「エマ・トンプソンの演じるバロネスこそ、
真にクルエラ的な存在」であると言っていました。
つまり、
悪を主役として描くと、
必然的に、その対立軸の新たなる悪が誕生してしまい、
結果、主役が悪では無くなるという帰結に至るのです。
しかし、
悪役を悪役として描き、成功した作品も、中にはあって、
それは、
ホアキン・フェニックスが主役を演じた『ジョーカー』(2019)という作品ですが、
こういうのは、稀の稀の傑作です。
意図的に、
そして、必然的に、
物語の主役となる事で、
ヴィランとしての業を脱し、
新たな悪を討つ「必要悪」として描かれる。
それは既に「悪」では無く、
破天荒で革新的であり、
寧ろ、
旧態依然とした世の中を変える原動力にすら成り得る。
悪を悪として描く事は難しいですが、
それ故に、
悪を主役として描いた時に、
新たなる物語の地平線が見える事もある。
それが、
一転二転し、謎が徐々に明かされて行く、
本作のストーリー展開の面白さにも繋がっているのかもしれませんね。
コチラは、原作となったアニメーション映画『101匹わんちゃん』
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