映画『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』感想  リアル羅生門!?真実はいつも藪の中…

 

 

 

フィギュアスケート界一の問題児、トーニャ・ハーディング。トーニャ本人、母、元夫、コーチ、ボディーガード達が今語る、トーニャの半生。波瀾万丈なトーニャのスケート人生を、各人が語ってゆく、、、

 

 

 

 

監督はクレイグ・ギレスピー
監督作に
『ラースと、その彼女』(2007)等がある。

 

主演のトーニャ・ハーディング役はマーゴット・ロビー
ハリウッドの金髪美人枠と言えば、現在この人。
主な出演作に
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)
『ターザン:REBORN』(2016)
『スーサイド・スクワッド』(2016)
『ピーターラビット』(2018)等。

共演に、
母、ラヴォナ:アリソン・ジャネイ
元夫、ジェフ:セバスチャン・スタン
コーチ、ダイアン:ジュリアンヌ・ニコルソン
幼少時のトーニャ:マッケナ・グレイス 他

 

 

フィギュアスケート。

現在、冬のスポーツとして、絶大な人気を誇ります。

しかし、私のフィギュアスケートのイメージと言えば、
まさにこれ。

これって何か?

トーニャ・ハーディングですよ!!

 

 

本作『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』は、

実在の人物、トーニャ・ハーディングの半生を、
モキュメンタリー風に撮った作品です。

 

アメリカでトップクラスの実力を持ち、
国内でトリプルアクセルを初めて成功させた(1991)人物。

しかし、
トーニャが有名なのは、そのスポーツの偉業では無く、
オリンピック選考会にて出場を争った、

ナンシー・ケリガン襲撃事件です。

 

一見華やかで可憐に見えるフィギュアスケート。

その裏では、
血で血を洗う、醜い抗争が繰り広げられていた!?

皆が大好き、

ゴシップ的人生に塗れた存在、

 

それがトーニャ・ハーディング。

 

すったもんだの人生ほど、
端から見る分には楽しい、

それを地で行く映画、
それが『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』と言えるでしょう。

 

 

  • 『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』のポイント

教育って大事だなぁ

真実は常に一つでは無い、証言する人毎に違う

敢えての、コメディタッチ

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • アメリカン・ゴシップ四天王

アメリカが世界に誇るゴシップ。

かつて、
「世界まる見え、テレビ特捜部」というTV番組にて、
強烈にアメリカの暗部を印象付ける負のキャラクター達が居ました。

そのトップバッターとも言える存在が、
トーニャ・ハーディングです。

 

因みに、私が思う、
アメリカン・ゴシップ四天王は

ナンシー・ケリガン襲撃事件(トーニャ・ハーディング)(1994)
本作の元ネタ。

O・J・シンプソン事件(1994)
アメリカンフットボールの元スーパースターが殺人事件!?
リアルカーチェイスを起こし、
「最強弁護団」を揃え、友罪を無罪にしたと言われています。

ジョンベネ殺害事件(1996)
未だに犯人が分からない!?
色々闇が深い事件。

モニカ・ルインスキー事件(1998)
大統領ビル・クリントンが、執務室で女性にフェラをさせた!?
嘘の様な本当の話。
ヒラリー・クリントンが大統領選挙に負けたのも、
元を質せばこの事件が尾を引いているとも言えます。

 

どうでしょう?
(我ながら古すぎる、、、)

どの事件も面白いので、
興味があれば、ネットなどで記事をあさってみて下さい。

 

  • ナンシー・ケリガン襲撃事件とは?

それでは、本作『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』が作られる切っ掛けともなった「ナンシー・ケリガン襲撃事件」について、
簡単に説明してみます。

 

1994年、1月6日、
リレハンメル五輪の代表選手を決める全米選手権の会場で、
優勝候補のナンシー・ケリガンが練習後、
何者かに襲撃され、膝を殴打される事件が発生

ナンシー・ケリガンは出場を辞退、
大会で優勝したのはトーニャ・ハーディングでした。

 

オリンピック代表を獲得したトーニャ・ハーディング。

しかし、事件から約二週間後、
事件の犯人として、トーニャ・ハーディングの元夫、ジェフ他、数名が逮捕され、
トーニャ・ハーディング自身の関与も疑われます。

全米スケート協会とアメリカオリンピック委員会は、トーニャの五輪出場権を剥奪しようとするも、
トーニャは訴訟を楯にゴリ押し、
そのままリレハンメル五輪へと出場します。

 

しかし、その五輪にて、
トーニャ・ハーディングは振るわず、

一番印象に残っているのは、
フリーの演技を突然中断し、
「靴紐が切れたー」
と審判席へ突撃、足を「ドンッ」と台の上に乗せるシーンを全世界にお送りした事でした。

結局、リレハンメル五輪でのトーニャは8位。

そして、特例で出場したナンシー・ケリガンが銀メダルを獲得、

悲劇の女王ナンシー・ケリガンと、
頭がおかしい悪役のトーニャ・ハーディングという図式が明確になりました。

 

  • 事実はあれど、真実が見えず、、、

この「ナンシー・ケリガン襲撃事件」を頂点の山場として、
これを元ネタに映画を作れば面白いのでは?

本作『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』はそういう発想で作られたと思われます。

 

監督達スタッフは、
映画の為に関係者に当時の話の取材をしたといいます。

するとどうでしょう、
同じ事件や日々の生活、その事を聴いたのに、
各人言う事が全然違ったとの事。

 

人の主観により、物事の捉え方に違いが発生しているのか?

年月が経ち、過去の事となり、自分の都合の良いように記憶を改竄してしまったのか?

それとも、自己弁護の為に、自分の思い込んだ事を真実と言っているだけなのか?

 

真実は藪の中、正に、リアル『羅生門』の世界です。

 

恐らく、監督はこの取材によって、
いわゆる「トーニャ・ハーディングの半生を描く伝記映画」
という形を捨てたのだと思います。

結局、何が本当のことか、取材しても分からなかったのでしょう。

 

その代わりに採用したのが、「モキュメンタリー方式」。

実話ベースの題材でありながら、
各人それぞれの証言が食い違う、つまり虚構性が混じってしまうのなら、
いっその事「トーニャ・ハーディングの半生」そのものを、「疑似ドキュメンタリー」として、フィクション風に作ってしまおうという、

謂わば逆転の発想をしているのです。

 

観てみれば分かりますが、
トーニャ・ハーディングの人生は波瀾万丈、苛酷なものです。

子供時代は虐待、
夫からはDV、
自分は長じて襲撃事件を起こす、

人生、暴力に満ちた陰惨なものです。

しかし、本作は、ある種のコミカルささえも漂わせています

深く物を考えない人間が出たとこ勝負でドタバタ右往左往する様子は滑稽の極みですし、
出演者はカメラを見ながら、『デッドプール』の様に「第四の壁」を越えて観客に語りかけて来ます。

 

こういう方式を採る事で、

本作は映画ではありますが、
いわゆる「疑似ドキュメンタリー」つまり「作り物」なので、
深刻に解釈したり、
本作の描写をそのままの意味で捉えたりしないでね

そういう事を訴える、
いわば防波堤の様な役割をコメディ描写にて発生させているのです。

 

これは面白い。

事実を実話ベースでは無く、

関係者がそれぞれ違う事を言うのなら、
その事をも織り込み済みで、
事実を虚構として捉え直すという逆転の発想に行き着いているのです。

 

これはこれで面白いのは確かです。

しかし、私が思うのは、
もし、本作をガチで作ったならどうなってしまったのか?

コメディタッチを捨てて、
がっぷり四つで作ったなら、
もしかしたら『羅生門』をも越える傑作が誕生したのではないか?

全篇、トーニャ・ハーディングの母親のラヴォナの様な陰惨な雰囲気で作ったならどうなったのか?

そういう事も考えずにはいられません。

 

  • スケートとトーニャ

人の一生って、本人の努力のみでは如何ともし難い部分があります。

特に、幼少から、青年くらいまでは、
親の教育、生活環境の影響は大きいと思われます。

 

ジャネイの教育方針は、
今で言うと完全に虐待。

体罰、言葉の暴力は当たり前、
様々な方法でトーニャを追い込み、反発心を以て飛躍の原動力とします。

 

しかし、本作を観て私が思うのは、

負の感情、
煽りや、怒りの発奮によって物事を推進する方法は、
物事を成し遂げるのには効果があっても

物事を極めるまでは行かないのだという事です。

 

天才が一般人と比べて強いのは当たり前。

しかし、その天才同士が戦った場合、
最後の最後で何処に差が出てくるのかというと、
それは「好きこそ物の上手なれ」なのです。

 

負の感情や義務感が混じると、どうしても物事が楽しくない。

その事を、好きで好きでずっとやっている、
そんな人間と相対した時、そこの心理面で差がでてしまいます。

 

他の選手はどうか知りませんが、トーニャの場合は、この映画ではどうだったでしょうか?

トーニャ自身はスケートが好きで、
ずっとやっていたのだと思います。

しかし、周りは?

王道では無く、歪んだ形でトーニャをサポートし、
トーニャ自身もそれに感化されています。

面白いのは、トーニャのインタビューで、
頻りに「私の所為じゃない」を連呼している事です。

これはつまり、
周りの環境が悪いから、その所為で私は落ちぶれてしまった、
こう言っているのですね。

しかし、これは、トーニャ自身の完全なる甘え。

周りに責任転嫁していますが、
逆に言うと、責任転嫁出来る環境があった事が、
トーニャ自身の甘えを誘発し、物事を極める事が出来なかったのだとも言えます。

 

また、そもそもトーニャはスケートに向いていたのか?
その点も疑問が残ります。

100メートル走なら、早く走った者が正義です。

競泳なら、早く泳いだ人が強いですが、
一方、スイミングウェアの差が、スピードの差にも反映されるという、夾雑物が混じります。

五輪のボクシングなら、
腕っ節の強さより、
「如何にポイントを取るか」、その事が重要です。

ならば、フィギュアスケートは?

技術点は誰かが決めたルール、
さらに、芸術点というポイントもあり、
人の主観が多分に入る競技です。

つまり、フィギュアスケートは、
基本に忠実に如何にポイントを稼ぐのか、
そういうそつの無い競技であると言えます。

これは、トーニャの様な「型破り」なタイプにとって、
ベクトルが真逆のスポーツであったのだと言えます。

本人は「審判に嫌われていた」と、そう言っていましたが、
それよりむしろ、トーニャの方がルールを嫌悪し、
自分が嫌う様に、相手も自分をそう思っている、と被害妄想的に捉えていたのではないかと思われます。

 

スケートという枠の「ルール」に収まりきれず、
審判や採点結果、なんでもかんでも噛みついて、フラストレーションを溜めに溜めた、

そして爆発し、大事件を起こした、それがトーニャ・ハーディングの半生だったのだと思います。

 

 

 

「ナンシー・ケリガン襲撃事件」に至るまでの顛末を、
敢えて「事実に基づいた作品」とは言わず、

これは「事実を基にした虚構です」と言い切ることで、

メタ的な目線で、
真実のあやふやさを描いた作品『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』。

 

物事の解釈は人の数ほどある。

結局、当事者だけでは無い、
観た人間の数だけ、感じ入る事が多い、
それが『アイ, トーニャ 史上最大のスキャンダル』なのかもしれません。

 

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