2014年のゴジラ登場から5年、世界は怪獣の存在を知った。未確認生物特務機関「モナーク」の前線基地の一つ、雲南省にてモスラの卵が孵った。エマ・ラッセル博士は音響装置「オルカ」にてコミュニケーションに成功するが、直後、テロリスト集団に、装置と娘のマディソンと共に拉致されてしまう、、、
監督はマイケル・ドハティ。
アニメーター兼イラストレーターとしてキャリアをスタート。
監督作に
『ブライアン・シンガーのトリック・オア・トリート』(2007)
『クランプス 魔物の儀式』(2015)等がある。
出演は、
マーク・ラッセル:カイル・チャンドラー
エマ・ラッセル:ヴェラ・ファーミガ
マディソン・ラッセル:ミリー・ボビー・ブラウン
芹沢猪四郎:渡辺謙
ヴィヴィアン・グラハム:サリー・ホーキンス
サム・コールマン:トーマス・ミドルディッチ
チェン:チャン・ツィイー
リック・スタントン:ブラッドリー・ウィットフォード
アラン・ジョナ:チャールズ・ダンス 他
2019年5月29日に中継された、
ポケモン事業戦略発表会にて、
東宝の常務取締役である松岡宏泰氏が、
株式会社ポケモンの社外取締役に就任するとの報告がありました。
そのポケモンの事業戦略発表会の場で、
何故だか、松岡氏は、
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を宣伝し出す始末。
まぁ、ゴジラと言えば、東宝ですからね。
むしろ、
ゴジラを宣伝する為に、ポケモンの社外取締役に成ったのか!?
それ程までに、必至で推したい、
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』とは、
どういう映画なのか!?
いや、
どうもこうも無いよ、
大怪獣大暴れ!!
本作は、コレに尽きます。
初代『ゴジラ』(1954)
近年のヒット作『シン・ゴジラ』(2016)は、
共に、自然現象としての「ゴジラ」の恐怖を描いた作品。
対して、
ハリウッド版の『GODGILLA ゴジラ』(2014)は、
初代の天災としてのゴジラを踏襲しつつも、
昭和の「VSシリーズ」的に、怪獣バトルもある作品でした。
そして、
今回の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、
その名前通り、
多数の怪獣が出て来ます。
もう、ド派手!
ストーリー、
設定もちゃんとありますが、
お前らの観たいものは、
怪獣バトルだろ!?
その要望に的確に応えた作品と言えます。
細けぇ事は良いんだよ!
とにかく、大暴れしてくれれば、
ゴチャゴチャした理屈は必要ねぇ!!
そう、
怪獣映画とは、
元来、その様なものだったのではないでしょうか。
怪獣が大暴れ、
人間は右往左往、
数多の都市が破壊され、
世界が危ない、
そして、ゴジラが火を吹く!!
もう、そういう映画、
更に、
モスラ、
ラドン、
キングギドラ!
コイツらと、大バトル!!
そう、
私が観たかった「ゴジラ」とは、
こういう映画だったのだ!!
もう、面白い!!
コレを観ずに、何を観るの!?
絶対必見の怪獣アクションスペクタクル映画、
それが、
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』です。
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『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』のポイント
出し惜しみ無し、ゴジラ大暴れ!!
エンタテインメントに徹した怪獣愛の映画
最も恐ろしい怪獣とは!?
以下、内容に触れた感想となっております
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エンタテインメントに徹した作品
本作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は面白かった。
私が好きな「ゴジラ」シリーズは、
初代『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』です。
いずれも、
自然現象として、天災として、人の業として、
人間が太刀打ち出来ない圧倒的な存在に、
それでも、
人間が、今持つ武器にて、絶望的な中に、希望を見出さんと戦う物語です。
対して、
本作は、そういう原爆とか、人間の業とか、
そういうテーマ性よりも尚、
観た人間に「大満足」と言わせる為に、
もう、
現在の技術力で出来る、面白い事てんこ盛りみたいな作品に仕上がっています。
そう、
本作のテーマは、
「怪獣大暴れ」なのです。
本作は、
レジェンダリー・ピクチャーズが製作する、
「モンスターバース」シリーズに属する作品です。
第一作目『GODZILLA ゴジラ』(2014)
第二作目『キングコング 髑髏島の巨神』(2017)
に続く、第三作目です。
(第四作目に『Godzilla vs. Kong』が予定されています)
ハリウッド版ゴジラとして、高い評価を得た『GODZILLA ゴジラ』。
正直に言うと、
私は、この、通称「ギャレゴジ」は、
あまり好きではありませんでした。
何故なら、
「ゴジラ」映画なのに、
「ゴジラ」が暴れるシーンが殆ど無いからです。
予告篇は、天災映画(ディザスター・フィルム)風にしておいて、
実際は怪獣バトルだった事も、心象が悪い一員ですが、
それよりも尚、
ゴジラをちゃんと映さなかったり、
暴れようとしたら、シーンを変えたり、
兎に角、寸止めが多かった。
いや、
こういう引っ張りはいいから、
私はゴジラを観に来たのだ、
「ムトー」とかいうオリジナル怪獣ばっかり出て来るじゃないか!
と、
怒り心頭だった事を覚えています。
しかし、
本作は違います。
最初から、最後まで、
ゴジラが大暴れ!
ライバルのキングギドラとは、
3回もバトルを繰り広げます。
そうそう、コレコレ、コレで良いんだよ!
これが、観たかったのだよ。
バトル映画を観せるならば、
余計な理屈やテクニックは必要ない。
その、バトルをどう観せたら、面白いのか、
その事に注力しているのです。
テーマを主題として、映画を作る事は重要です。
本作は、
怪獣の凄さをこれでもかと観せてくれます。
そして、
怪獣が大暴れすればするほど、
何と、人間は矮小で、愚かなのだろうと、
何故か、哲学的な事なんかも、考えてしまいます。
エンタテインメントも徹すれば、
深遠なテーマへと、自ずと導かれる。
本作は、正にそんな作品なのです。
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怪獣愛に満ちた作品
本作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は、
正に、怪獣愛に満ちた作品です。
過去の「ゴジラ」シリーズは勿論、
他の、様々な怪獣映画作品の影響が垣間見られます。
先ず、題名の「キング・オブ・モンスターズ」。
これは、
初代『ゴジラ』の英語題が、
『GODZILLA ,KING OF THE MONSTERS!』という題名でした。
そして、
ギャレゴジたる『GODZILLA ゴジラ』のラストシーンでも、
「King of Monsters」という文字が踊っていました。
初代ゴジラを彷彿させる点と言えば、
欠かせないのが「オキシジェン・デストロイヤー」の存在。
初代『ゴジラ』においては、
芹沢博士が対ゴジラに使う最終兵器でしたが、
本作においては、
米軍が秘密裏に開発していた兵器として登場します。
ぶっちゃけ、
本場の英語を操る人が「オキシジェン・デストロイヤー」という単語を言うだけで、
感動で喉が詰まりましたね。
そして、
本作の主人公格のマーク・ラッセルは、
当初、ゴジラを殺さねばならないと主張する立場であり、
それも、
初代の主人公格の一人、尾形秀人を彷彿とさせます。
海中のゴジラの隠れ家に、
何故か片仮名で「ゴジラ」と書かれていたのは、ご愛敬。
まるで、
ヤンキーのラクガキと思ったのは、私だけでは無いでしょう。
ラストシーンにて、
ゴジラの原子炉が臨海突破するのは、
アニメの「GODZILLA」シリーズ(2017~2018)三部作を思い出させますし、
行き過ぎた人類の環境破壊の為に、
地球のバランスを保つ為の守護者として怪獣は存在するという設定も、
奇しくも、本作と共通する部分が見いだせます。
また、本作は、
レイ・ハリーハウゼンのストップモーションアニメの諸作品の影響も、多数見られます。
レイ・ハリーハウゼンは、
ストップモーションを使った特撮にて怪獣、SF、ファンタジー作品を多く手掛け、
初代『ゴジラ』を始め、
後の映画人の多くに影響を与えた人物です。
『パシフィック・リム』のエンディングでも、
レイ・ハリーハウゼンと本多猪四郎に献辞が捧げられていましたね。
モナークの飛行母艦「アルゴ」は、
『アルゴ探検隊の大冒険』(1963)から来ているでしょう。
『パシフィック・リム』では、
怪獣を、
そのまま「Kaiju」と呼んでいましたが、
本作では、
怪獣は、
「タイタン(Titan)」と呼んでいます。
これは、
『タイタンの戦い』(1981)由来だと思われます。
『タイタンの戦い』では、
神話の怪物同士の対決を「Titan vs. Titan」と作中の登場人物が言っているシーンがあり、
本作では、
太古に、神と同等に崇められた「怪獣」という存在を、
ギリシャ神話における、
太古の神々である「ティターン族」になぞらえて呼称したと推測されます。
また、
エンディング後のオマケシーン、
これは、
再生能力のあるキングギドラの復活を予感させますが、
この後、
「メカキングギドラ」の方向に行くのか、
「カイザーギドラ」へとグレードアップするのか、
その辺りも興味深いです。
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最も恐ろしい怪獣
さて、本作にて、
最も恐ろしい怪獣として描かれるのは、
エマ博士です。
娘のマディソンに、
「You are Monster!」と言い放たれるのは、衝撃のシーンです。
エマ博士は、
息子のアンドリューが死亡した事がトラウマとなってしまいます。
息子は、怪獣によって死んだ。
だから、これ以上、怪獣によって死ぬ被害を出さない様にしなければならない。
人類が増え過ぎると自然のバランスが崩れる。
それにより、地球の自然のバランスを保つ為、
怪獣が復活する。
だから、
ある一定数の人類は間引きしてでも、
少数の人間が生き残る道を選ばなければ、
人類全体が滅んでしまう。
つまり、
怪獣の被害で、人類全体が悲劇に見舞われるより、
少しでも生き残らなければいけない。
だから、今、
怪獣をコントロールしつつ、
地球環境を保ってみせる。
…この訳の分からぬ論理にて、
エマ博士は、暴走します。
つまり、
冒頭の、モナークの雲南省の前線基地にテロリストが侵入したのも、
拉致では無く、エマ博士の手引きだったのですね。
そして、怪獣を解放しますが、
勿論、コントロールなど出来るハズも無く、
むしろ、
世界の破滅を目にする事になります。
結局、そういう、
一部の権力者による押し付けの結果、
悲劇と流血によってもたらされた世界は、
決して、平穏では無いというのは、
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018)
『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)でも示されている通りなのですね。
つまり、
人類が増えすぎた事も、地球にとって問題なのかもしれませんが、
それよりも問題なのは、
むしろ、
人間の独善的な傲慢さである様に思われます。
本作では、
そのエマ博士に対応する形で、
渡辺謙演じる、芹沢猪四郎博士が存在します。
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懐中時計
芹沢博士は、
政府の突き上げを喰らっても、
マークに「ゴジラを殺すべきだ」と言われても、
むしろ、
ゴジラとの共存の道がないかどうか、
それを模索しています。
芹沢博士のスタンスは、
こういう作品によく居るマッドサイエンティストでも無く、
例えば、初代『ゴジラ』の山根博士の様な、
研究対象として、生かしておくべきだという主張でもありません。
芹沢博士は、
ゴジラの隠れ家に向かう時、
マークにこういった内容の事を言います。
「自分が憎む相手を受け入れる事、それが、時には自らの救いとなる」と。
フォーチュンクッキーに書いてあったと言いますが、
勿論、照れ隠しであり、
この言葉は、芹沢博士の信条なのです。
それは、
芹沢博士の持つ懐中時計が物語っています。
芹沢博士の持つ懐中時計。
それは、
博士の父の形見です。
『GODZILLA ゴジラ』(2014)にも登場した芹沢博士ですが、
その時の設定に、
父は、広島の原爆投下による被爆者であり、
彼自身も、被爆二世であるとされています。
つまり、
水爆実験により目覚め、
核反応をエネルギー源とするゴジラという存在は、
芹沢博士にとっては、仇とも言える存在。
しかし、
芹沢博士は、
ゴジラを殺そうとするのでは無く、
ゴジラという存在の意義を理解しようと、ずっとゴジラを追っていたのです。
憎む相手は排除するのでは無く、
受け入れ、理解するべきだ。
本作でのエマ博士とは真逆の立場に芹沢博士は居るのです。
排他主義により、
世界を荒廃させるか、
寛容により、
辛くても、共存の道を模索するか、
本作では、二つの道が示されており、
自分が死んでも、
その道は、誰かが受け継いでくれると、
芹沢博士は信じているからこそ、
自分がスイッチを押す役目を果たせたのです。
芹沢博士のラストシーンは、
初代『ゴジラ』のラストシーンのオマージュですが、
初代『ゴジラ』の芹沢博士が、
ゴジラとの心中を図ったのに対し、
本作の芹沢博士は、
ゴジラに後の世の希望を託しており、
スタンス的には全く逆になっているのが面白い所です。
愛憎半ばしつつも、
永きに亘って、理解しようと、研究し続けた相手、
だからこそ、最後の最後に、
「友よ」と呼びかけたシーンには、感動と希望が込められている様に、私には感じます。
そして、ラストシーン、
燃え、崩れ落ちたボストンの街並みの中に、
ジョージ・ワシントン騎馬像はしかし、
決然と屹立していました。
街は燃え落ちても、
アメリカ初代大統領たるジョージ・ワシントンがそうした如く、
再び、国として復活する、
その決意の表われの様を描いた1シーンです。
兎に角、ド派手、
ゴジラの大暴れが観て面白い
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』。
面白いは正義、
スペクタクルは感動、
これぞ、エンタテインメントの傑作!!
こんな映画が観たかった、
こんなゴジラに遭いたかった、
そういう期待以上の面白さを提供してくれる作品。
大満足であります。
さぁ、続きは、
「キングコング」との対戦。
神(GODZILLA)対 王(KINGKONG)の対決に、
今から期待大です。
*現在公開中の新作映画作品をコチラのページで紹介しています。
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モンスターヴァース第一作目の『GODZILLA ゴジラ』がコチラ
モンスターヴァース第二作目『キングコング 髑髏島の巨神』はコチラです
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