映画『ヘレディタリー/継承』感想  鑑賞注意!!徹頭徹尾、トラウマ必至の地獄絵図!!


祖母、エレンが死んだ。葬式で弔辞を読んだその娘アニー、そしてアニーの夫や息子も、若干冷めた感じで悔やんでいた。唯一、お婆ちゃん子だったアニーの娘のチャーリーのみ、真に悲しんでいる様子だが、、、

 

 

 

 

監督はアリ・アスター
本作が長編映画初監督作品。
脚本も担当している。

 

出演は
アニー:トニ・コレット
スティーヴン:ガブリエル・バーン
ピーター:アレックス・ウォルフ
チャーリー:ミリー・シャピロ

 

 

皆さん、
ホラー映画は好きですか?

私は好きです。
ホラー映画も、小説も。

子供の頃から大の怖がりで、
むしろ、怖いもの見たさで、
ドキドキしたくて、
ホラーを観続けて来ました。

『エイリアン』
遊星からの物体X
『バタリアン』
『エクソシスト』
『ファンタズム』
『13日の金曜日』
『エルム街の悪夢』 etc…

若かりし頃、
うっかり観てしまってトラウマになった作品の数々、、、

しかし、
現在は最早、
モンスター映画はネタとして楽しみ、
サイコホラーは、その精神性を分析し、
ミステリは謎解きに終始し、

およそ、怖がるという事が無くなってしまいました。

だって、現実の方が怖いんですもの

 

しかし、

本作『ヘレディタリー/継承』は、ガチでした。

この映画、観なけりゃよかった…
そんな後悔を覚えるほどの恐怖を味わえます。

 

いやぁ、久々に、見ましたね、
鑑賞後、その夜に悪夢を

筋金入りのホラー好きすら、
心胆寒からしめる、

本作は、ホラーの傑作と言えるでしょう。

 

 

母を喪った悲しみで、
グループカウンセラリングに参加したアニー。

彼女はその席で、
秘密主義で自己中心的だった母との不仲だった事、

また、その異様な家族の由来、
父は精神分裂症で、食事が出来ずに餓死し、
兄は母の寝室にて首吊り自殺、
母は、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)だった事、
そして、自分も夢遊病に悩まされていた事を告白します。

アニーは夢遊病にて、
息子ピーターと娘のチャーリーを焼き殺しそうになった事があり、
その事を今でも悩んでいます。

アニーは、
家族に責められている、
自分の所為で家族が崩壊する、

そんな心証を拭えずに生きているのです。

 

そして、グラハム家に、恐ろしい運命が襲いかかる、、、

 

 

とにかく、怖い本作。

嘘だと思うのなら、観て下さい!
そして、あなたも、後悔して下さい!

 

リアルな恐怖!
超現実の恐怖!
顔芸の恐怖!
音楽の恐怖!
後ろ!後ろを見ろよ!の恐怖!

 

ホラー映画にて考えられる、
およそ全てのネタを詰め込んだ本作、

なんと上映時間は127分。

ぶっちゃけ、拷問です。

終われ、早く終われ…
怖すぎて、そう祈らざるを得ません。

 

この恐怖、
是非、劇場で体験して欲しい。

特に、音響設備が整った劇場にて、
味わって欲しいです。

 

上映開始後、
遅れて入って来たカップルが後ろに座り、

「コイツら、遅れて入って来ただけじゃなく、お喋りまでしてやがる」

そう思いました。

しかし、
実際は、映画の音響だった!!

不快な囁き、
気になる舌打ちの音、

それが、耳の真後ろから聞こえ、
恐怖を煽る音響効果の凄さ!

 

是非、劇場で、ホラー音響の演出の凄さを体験して下さい。

そして、映画館から、
トラウマを持ち帰って下さい!

『ヘレディタリー/継承』は、そんな映画です。

(どんな映画だ!?)

 

 

  • 『ヘレディタリー/継承』のポイント

家族の崩壊

アニー役、トニ・コレットの顔芸

視点人物の違いによる、映画の印象の違い

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 


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  • 映画の構成

映画は「起承転結」に則って構成されています。

それは、どんな映画でも変わらぬ構成であり、

逆に言えば、
この構成から逸脱した作品は、
その殆どが駄作と言えます。

 

その一方、
名作、傑作と言われる映画作品には、

冒頭に
「序」がある場合があります。

この「序」とは、
いまから上映される作品がどの様な映画なのか、
その印象付けを端的に、インパクトのある形で冒頭に付け加えたものです。

作品で例えると、
『ダーティーハリー』の冒頭の銀行強盗のシーン、
同じく、『ダークナイト』の冒頭の銀行強盗のシーンなどが上げられます。

 

そして、本作の冒頭、
これもまた印象的且つ、インパクトのあるものです。

 

ツリーハウスが映っています。

それは一見、絵か写真の様にも見えますが、
実は、室内から窓枠を通して見た風景。

そこからカメラはグルッと回転し、
室内を映します。

そこには、
ドールハウスがあります。

その一室にズームすると、
そこにはベッドが見えます。

すると、その部屋に男が入ってきて、
ベッドに寝ている息子を起こす、、、

 

文章だけでは伝わらない、
何とも言えない不快感に満ちたシーンなのです。

何故のシーンが不快なのかと言いますと、

ドールハウスは、
外から見た、現実のミニチュアです。

そして、映画も、
「現実によく似た作り物」という点では、ドールハウスと似た所があります。

映画の冒頭に、
そういうメタ目線をわざわざ思い出させるという違和感

それが、不快感に繋がっているのです。

 

そして、不快感、不安感は、
実は途切れる事無く、
上映が終わるその瞬間まで続いて行く、

正に、
本作を象徴した冒頭なのです。

 

さらに、
実は鑑賞後、もう一つ理由が判明しますが、その説明は後ほど。

 

 

さて、
本作はホラー映画ですが、

そのシーンの随所に、
「何故、これがこうなったのか?」

その解釈を促す「ヒント」らしきものが散らばっています。

ホラーなので不条理な恐ろしさに満ちていますが、

一方、
その不条理性は、
ある種の論理的な説明が出来る、
その根拠となるものを、
ちゃんと随所に用意しているのです。

それに、
観た時は気付かなくとも、
時間が経って、
「あ、あれはそういう伏線だったのか」
と、気付く事が出来る、

『ダークナイト』にてジョーカーが言っていましたが、
そういう公平性が、
逆に絶望を深める結果となるのです。

 

以下、
そういう気付いた点に触れながら、
内容の解説に移ります。

冗長な文章になる事をお許し下さい。

 

 

  • 家族の崩壊

『ヘレディタリー/継承』、
本作で描かれるテーマはズバリ、家族の崩壊です。

 

監督、アリ・アスターは、
本作が米国にて公開された2018年6月時点で、
なんと、若干31歳。

脅威の才能とは、正にこの事。

31歳が、
ここまで徹頭徹尾、恐怖に塗れた作品を作れるのか、
その事に驚きです。

どうやら、パンフレットによると、

監督は、自身の家族の問題から、

それをホラーに落とし込む事で、物語にしたとの事。

この、
世にもおぞましい物語は、
監督自身の実体験を、悪夢的に転化したものと言えるのでしょう。

そうは言っても、
本作は怖すぎです。

 

さて、
そんな本作は、
グループカウンリングでアニーが抱いていると吐露した懸念、
家族が崩壊して行く様子を、
これでもかとネチネチと描いて行きます。

奇しくも、同じく今年公開された、
傑作『クワイエット・プレイス』も家族を描く事に、
ホラー映画という媒体を使った作品でした。

しかし、
そのテーマは全く正反対。

『クワイエット・プレイス』が家族の絆と、その再生を描いたのに対し、

『ヘレディタリー/継承』は、家族の崩壊を描いているという対比が、興味深いです。

 

  • 母と息子

さて、その本作。

家族が崩壊する様子を丹念に描きながら、

そこで描写される恐怖の「質」は、
徐々に変化していると言いますか、
いくつかのバリエーションがあります

本作は、大きく3つのパターンに分けられます。

 

さて、
先ず目に付くのは、
娘、チャーリーの顔です。

異容、異形!!
一目で圧倒される、顔面力の高さを誇ります。

男優では、
ベニチオ・デル・トロや、
デイン・デハーンといった顔面力の高い俳優がいますが、

女優でこのインパクトは中々無いです。

垂れ目になで肩、
目の下のクマ、
奇妙な形の鼻、

何と言うか、
素の見た目で、
「何だか、この人、やらかしそう」
そう思わせる説得力があります

 

しかし、です。

本作は、
チャーリーが何かやらかしそう、
祖母関連の呪いか何かを「継承」したのがチャーリーでしょ?
そう思わせておいて、

実は、チャーリーが何かをするという話では無く、

物語の悪夢が始まる切っ掛け、

地獄の門が開く生贄(鍵)に捧げられる存在なのです。

 

偶然が重なった不幸な事故。

もし、パーティーに行かなかったら、
もし、ケーキにクルミが入っていなかったら、
もし、素直に救急車を呼んでいたなら、
もし、あそこに、電柱が無かったら、、、

終わった後ならなんとでも言えます。

しかし、
何らかの偶然が重なったとしても、
その結果は強固で圧倒的な現実である事は変わらず、

人間はそれ耐えられず、受け入れる事は出来無いのです。

 

事故が起こった後の、
後悔、先に立たず

この絶望は、
大なり小なり、誰にでも経験がある

だからこそ、
この一連のシークエンスは、他人事ならぬ恐ろしさと苦しみに満ちているのです。

 

妹をぶち殺したピーター。

そして、
その結果のみを、
不意打ちで見せつけられたアニーの絶望たるや如何ばかりか。

 

この後、グラハム家は絶望的な雰囲気の悪さに陥ります。

3者が3者とも、
お互いに相手を責めたいが、
しかし、それをやっても詮無い事

それが解っているからこそ、
不満と鬱屈のみを腹に溜め込んで生きる日々というのは、
これこそ地獄です。

 

「家族」と言えども、
何もかもを、お互いが受け入れている訳では無く、
中には、どうしても気に入らない事もあるでしょう。

しかし、その事には敢えて触れないで日々、生きている。

皆も、そうなのではないでしょうか?

ここでキレたら、
お互いにエスカレートして、
収拾が付かなくなると、本能で理解しているからなのです。

 

あの凍てついたグラハム家の食事シーン。

これに似た経験をした人もいるのではないでしょうか。

 

『ヘレディタリー/継承』は、
先ず最初に、
1:
「普通に誰でも経験がある、家族間の軋轢」を、

極端に過激化して描く事から初めているのです。

 

それこそ、本作のメインテーマです。

象徴的なのは、
アニーとピーターとの本音の言い合い。

凍てついたディナーのシーン、
そして、その後の、
ピーターの部屋で交わされた「産みたくなかった」というアニーの本音の吐露。

 

本作を第三者目線で観ている我々観客は、
「ピーターが罪悪感を抱えている」と思いがちです。

実際、ピーターは罪悪感を抱えていますが、
アニー自身は、
ピーターを責めるという気持ちよりも、
むしろ、
これは自分が招いた不幸だと思っているのです。

だから、
アニーは自分の罪悪感を誤魔化す為に、
必要以上にピーターを責め立てています

 

では、何故、アニーは、自分がその不幸を招いたと思っているのでしょうか?

それは、
グループカウンセリングでの彼女の言及に現われています。

家族が次々と精神の病で死んでいった。

そして、自身も夢遊病で、子供達を殺しかけた。

現在、唯一家系の中で生きている自分に、
その原因があるのではないのか?

そう自身で考えており、
今の家族達(夫、息子)も、そう思っているのではないのか?

そう、アニーは被害妄想的に考えていると思われます。

 

英単語「hereditary」とは、
形容詞、
意味は、
1 遺伝性の
2 世襲の、相続権のある

というものです。

いわば、
自分の家系の病的な性質が、
子供に遺伝しているのではないのか?

その恐れがあるのに、
自分が子供を育てていいのか?

アニーは、
その事について拭えぬ恐れを抱いているのです。

 

子供って、授かり物ですよね。

殆どの人間が、
精神的、経済的な準備が出来てから、子作りを始める、

訳ではありません。

ある日、自分が突然親になって、
その責任を伴う事実に呆然とする、
そう思っても、無理ない事なのです。

アニーにもそういう思いがあった。

あまつさえ、
流産を試みた。

だから、
子供に対し後ろめたいものがある、

ピーターが、
「何故僕を怖がるの?」と尋ねた、

その答えは自分に子育てをする資格があるのか、
その事にアニーは疑問を抱いていたからなのです。

 

  • タダより怖いものは無い

チャーリーの死によって、
家族関係が崩壊してしまったグラハム家。

しかし、
ここから、アニーの暴走が始まり、
また、違った局面の破滅が家族に襲いかかります。

 

グループカウンセリングで見かけたと言い、
アニーに近付いてきたジョーン。

「あれ?こんな人居たっけ?」
と、思いつつも、
「居なかった」とも断言出来ないモヤモヤ感が、
我々観客には残ります。

 

そのジョーンの勧めで、
アニーは怪しげなスピリチュアルに傾倒してゆく事になります。

しかし、
タダより高いものはない、
この親切めかしたジョーンの行動は罠で、

ここからグラハム家は、
2:
サイコホラー&ゴーストストーリー
に見舞われます。

 

ここから、視点は、
ピーター目線での物語が増えて来ます。

アニーが、
家族関係を救おうと奮闘すればするほど、

家族の崩壊が加速して行く、
この皮肉な展開こそ、
正にホラーなのです。

 

そして、最終局面

アニーの暴走が極まり、
まるで、キャラクターを前面に押し出したスラッシャー作品の様相を呈してきます。

3:
モンスターホラー
と化すのです。

 

ここで言う、モンスターとは、勿論アニーの事。

その行動のみならず、

千変万化する表情の鬼気迫る事、
人間の範疇を超えたと思わせるのに充分以上の効果を発揮しています。

 

…とは言え、
私の場合、
ここまで、精神を削る心理描写が続いていた為、
むしろ、
この見慣れたモンスター描写は、
逆に一息付ける場面で、ほっと一安心したシーンだったりします。

 

起承転結に当て嵌めてまとめると、

『ヘレディタリー/継承』は、

起:
祖母の死と、チャーリーの死に至るまで

承:
チャーリーの死により、
家族関係が崩壊する(1の恐怖)

転:
アニーは霊現象に救いを求めるが、
それが裏目に出て、ピーターを追い詰めて行く(2の恐怖)

結:
モンスターと化したアニーにより、
ピーターがペイモンと化す(3の恐怖)

という構成になっているのです。

起承転結に合わせて、
少し毛色の違ったホラーを提供している本作は、
そのホラーの展覧会を、
「家族関係の崩壊」
をテーマに描いているのです。

 

  • ホラーの上映時間

本作は、なんと上映時間が127分もあります。

これは、ホラー映画としては、
異例の長さです。

 

私の体感としては、
ホラーの適正時間は90分。

これを超えると、
恐怖に対する集中力が低下(=恐怖に慣れる)して
飽きが来る印象があります。

 

しかし、本作は、
「家族の崩壊」というテーマ性は変えず、

しかし、
恐怖の質を変化させる事で、

127分という長丁場でも、
観客に、恐怖を途切れずに感じさせ続けているのです。

 

一方、
観客の需要出来る恐怖の体力、
精神の限界はリミットを超えます。

普通、ホラー映画ならば、
「どうか生き残ってくれ」
と観ていて、感情移入しつつ、祈るものです。

しかし、
本作では、
徹頭徹尾続く、地獄の拷問の様な恐怖描写に、
「もう、いっそ殺してくれ、その方が楽になる」
と、観客に思わせる
そういう状態に陥ってしまいます。

 

死よりも恐ろしいものが存在する、
その描写に、絶望してしまうのです。

 

  • アニー

『ヘレディタリー/継承』は、
そのストーリーを簡単に説明すると、

祖母、娘の死に直面し、
残された母、父、息子の家族関係が崩壊する。

母は、心霊現象に縋り関係修復を図るが、
それは祖母が信奉したカルト教団の罠であり、

それにまんまと嵌ったグラハム家は、
母はおかしくなり、父は死に、息子は肉体を乗っ取られてしまう。

と、いうものです。

 

これが、基本のストーリーラインですが、

実は、このストーリーは、
あくまで母アニーの目線に限ったものです。

この同じ話が、
観客である我々から見ると、
また違った目線を辿る事が出来ます。

ハッキリ言うなら、
本作の恐怖描写は、全て、アニー自身の自作自演だった
とも解釈出来るのです。

これは、
作中でも、父のスティーヴンが指摘している事です。

 

アニーの目線では、
ジョーンは存在していますが、

他の家族から見ると、
そんな人の存在は全く感じられません。

ラストシーンでも、
ジョーンの声は聞こえますが、
顔は伏せられています。

アニー以外がジョーンを認識するのは、
唯一、ピーターが学校にて暗示をかけられている場面です。

このシーンも、
現実かどうか、曖昧な場面であり、

ジョーンが実在していたのかは、
最後まで分からずじまいです。

 

大体、
娘の首が吹っ飛んだ、息子の所為で!
みたいなグロ話を、
赤の他人にぶっちゃけますかね?

そんな想像を絶する話を聞かされたら、
普通、ドン引きですわ。

そして、ジョーンにこの話をしたシーンにて、
アニーは鎮静剤らしきもの(?)を服みますが、

その時、
コーヒーの中に入っていたのか、
謎の黒い欠片が口の中に含まれます。

それが何を意味するのか?
未だに解釈出来ていませんが、

口の中に違和感を残した
これから派生して、
このシーン自体に、違和感を感じさせる演出だったのかもしれません

もしかしたら、
自分はジョーンとお茶しているつもりでも、

実際は、
墓を暴いていて泥かハエでも口に含んだのかもしれませんね。

 

ジョーンの部屋の前にマットを置いたのもアニーなら、
ジョーンの部屋でピーターを呪ったのも、アニーなのでは?

更には、
祖母の死体を持ち帰ったのもアニーなら、
寝ているピーターの首を引っ張ったのもアニーなのではないでしょうか。

アニーは自分の事を夢遊病だと言っています。

その間、
記憶は無いのか、曖昧なのか?

しかし、
夢遊病というよりもむしろ、
アニーは彼女の母と同じで、
解離性同一性障害なのではないでしょうか?

事態を必死に解決しようとするアニーがいる一方、

その別人格として、
ペイモンを信奉するアニーが存在する

そう考えると、
様々なシーンのつじつまが合って来るのです。

 

別人格として暗躍するアニー、
仮に、そのアニーを「アニー2」とします。

作中、
殆どアニー2の存在は伏せられています。

しかし、
ラスト近く、
夫のスティーヴンを焼き殺したシーンで、

絶望の表情から、
スッと真顔に戻るシーンがあります。

その真顔こそ、アニー2であり、

クライマックスにて、
ピーターを追いかけた、怪物じみたアニーこそが、
アニー2なのです。

 

このシーン以降、
映画の視点はピーターのみに移ります。

それは、
視点人物のアニーが既に映画に登場しない事、
つまり、姿は同じでも、
アニーとアニー2は別人だという証左になります。

 

このアニー2を、
観客に解り易い様に具現化したのが、
ジョーンであり、

アニーとジョーンの会話というのは、
アニー自身の心の中の出来事だったとも解釈出来ます。

 

さて、そもそもの原因、

チャーリーの事故死は、偶然でしょうか?

恐らく、そうではありません。

パーティーに行くピーターが車で走っているシーン。

その往路の時点で、
電柱にペイモンを信奉するカルト教団のマークが彫られています

ここで、何かが起きる、
それを示唆しているのです。

これを彫ったのはアニー2でしょう。

アニーは知らなかったから、
本気で嘆いていたのです。

 

しかし一方、
ジョーンとのお茶会のシーンで、
アニーのこういうセリフがあります。

「母にはピーターを諦めさせた、だから代わりにチャーリーを与えた」と。

これは、子育てをやらせたという意味でしょうが、

穿った解釈をすると、
「母のカルト教団に、チャーリーの命を捧げた」
とも受け止められるセリフです。

 

実際、
祖母は首無し死体となり、
チャーリーは首が吹っ飛び、
アニー自身も首吊りからの首チョンパになります。

グラハム家の女性は、
諸共ペイモンに首を捧げている、
この忌まわしい共通点を考えると、
単に事故とは考え難いです。

凍てついたディナーのシーン、
アニーとピーターの言い合いで、
ピーターが放ったセリフ
何故、パーティーにチャーリーを行かせた?

その答えは、
チャーリーをペイモンの生贄に捧げる為、
なのです。

事故は起こった。

それは偶然ですが、
現場には罠が仕組まれていた
そう考えるのが自然です。

チャーリーを連れて行く様に言ったのは、アニー2かもしれず、
アニー自身だったとしても、アニー2の意識に操られていたのかもしれません。

 

また、
チャーリーの降霊会の時、
チャーリーの声真似をした事を考えると、

解離性同一性障害として、
自分の中にチャーリーの人格をも発現させ、

イラストも、アニー3(チャーリー人格)が書いたものと解釈する事が出来ます。

 

同じ物語を観ても、

アニーの目線と、
ピーターやスティーヴン(や観客)の目線とでは、
まるで天と地ほどの違いがあります。

本作のホラー描写は、アニー由来のもの。

冷静に外から眺めると、
アニーが何かする事で、恐ろしい事が家族に降りかかっており、
彼女一人の空回りが、事態を悪化させているのです。

つまり、
アニー目線での物語は、
「恐怖を仕掛けている側の物語」でもあるのです。

 

ピーターは、普通のホラー映画の主人公の様に、
恐怖を受けている側。

しかし、
その恐怖を産み出しているアニー自身も、
この上ない恐怖と絶望を感じているのです。

 

  • ペイモン

ホラー映画を観る時、

私は、主人公目線で感情移入し、
主人公と同じく、
どうにかして窮地を脱する術がないか、
その方法を模索しながら観ています

 

本作『ヘレディタリー/継承』の場合、

観客目線ではヒントが沢山あります。

さりげないヒントや仄めかし、伏線の数々があり、
恐ろしい音楽が鳴り始め、もうすぐ恐怖描写が始まると予告もしてくれます。

しかし、
それはあくまで第三者目線での事。

主人公目線では、
その恐怖、不幸の仕掛けに気付かない構成となっています。

 

恐怖が起きると公平にヒントと予告を入れています。

しかし、
その公平性は、観客目線止まりで、
登場人物まで届く事は決してありません

ピーターの授業のシーンにて、
ギリシャ神話のヘラクレスの悲劇性について論じている場面がありました。

そこでは、
避けられない、定められた運命と、
選択肢がある中で、悲劇を選ぶ事、
それを対比させ、より悲劇的なのはどちらか?と意見を出し合っていました。

本作のグラハム家は前者、
選択肢の無い、レールの上を走るが如くに崩壊の運命へと驀進して行きます。

 

最高に皮肉なシーンです。

観客には、
この先のグラハム家の運命を予感させる、

一方、
登場人物はその当事者であり、
そのヒントに気付いたとしても、
それで何が変わるかと言うと、変わりようが無いのです。

 

このシーンしかり、
電柱のカルト教団のマークしかり、
パーティーで、パリピの女子が悪魔的にイカれた感じでナッツを砕いていたシーンしかり、

全て、観客には公平に何かが起こると事前に予告が成されます。

観客は回避行動を取れても、
しかし、登場人物は「詰み」に向けて、ハメられ続ける。

感情移入して観れば観る程、
この無力感に打ちひしがれる事になります。

 

ですが、実はこの状況を楽しんでいるモノがあります。

映画の観客では無く、
同じく、第三者目線でグラハム家の運命を観ている存在、

それは、ペイモンです。

ペイモンは、
まるでドールハウスを眺めるが如く、
高見から見物し、グラハム家を逃れられない運命へと導き、
その状況を望んでいます。

そして、冒頭にて感じて違和感、不安感。

それは、
我々観客だけでなく、
ペイモンもまた、
グラハム家を覗いていた、

観客の隣にペイモンの存在を感じる、
その薄ら寒さへの違和感だったのです。

いわば、
我々観客が観ていたのは、
ペイモンの視点と同意

ペイモンに捧げたとは、
観客に恐怖というエンタテインメントを捧げたという事、

ペイモンの信奉者は
地位と財産を得るというのは、
観客が映画にお金を落し、称賛するという事、

つまり、
この映画における最も邪悪な存在(=ペイモン)とは、
わざわざホラー映画を好んで観る、観客それ自身であるとも言えるのです。

この忌まわしさ、
この屈辱に気付く事こそ、
本作最高のホラーであると言っても過言ではありません。

 

 

 

恐怖を巧みに描写し、

その映画の開幕からラストまで、
まるで暴走特急の様に、恐怖が爆走し続ける『ヘレディタリー/継承』。

描く恐怖が、
「家族の物語」であるが故に、
それは観客だれにも当てはまるものなのです。

 

家族とは、人間が最後に頼る拠り所。

それが、崩壊してしまったとしたら、、、

 

そして、人間は死ぬときは、結局一人。

しかし、
その自分のアイデンティティすら消失してしまうとしたら、、、

 

本作はラスト、
ピーターがペイモンを「hereditary」、
つまり、世襲(相続)します。

人間の尊厳を破壊し尽くす本作は、
ピーターのみならず、

観客自身の心の中にも、
ペイモンという存在を植え付ける

これ以上ない忌まわしい、

ホラー映画の大傑作と言えるのです。

 

 

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コチラはホラー映画をメタ的に捉えた傑作、
本作と併せて観ると、思う所もあると思います。


 


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