映画『ひとよ』感想  思い出の「一夜」を、大事にしつつ、拘らず!!

子供にDVを振るう父親。それを殺した母・こはる。母は言った「私は今、誇らしいんだ」「ほとぼりが冷める頃、15年後に帰って来る」と。
その後、それぞれの生活を送る稲村家長男・大樹、次男・雄二、妹・園子。犯行からキッカリ15年後、本当に母はフラリと帰って来た、、、

 

 

 

 

監督は、白石和彌
近年、ハイペースで作品を発表している。
監督作に、
『ロストパラダイス・イン・トーキョー』(2010)
『凶悪』(2013)
『日本で一番悪い奴ら』(2016)
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)
孤狼の血』(2018)
止められるか、俺たちを』(2018)
凪待ち』(2019) 等がある。

 

本作は、同題名の舞台『ひとよ』(桑原裕子)が原作となっている。

 

出演は、
稲村雄二:佐藤健
稲村大樹:鈴木亮平
稲村園子:松岡茉優
稲村こはる:田中裕子 

 

 

 

漫画、『グラップラー刃牙』シリーズ。

格闘ロマン漫画であり、
キャラクター人気の高い作品です。

人気キャラと言えば、
範馬勇次郎、
烈海王、
愚地独歩、
バランスの良い山本さん、
「オイオイオイ」「死ぬわアイツ」「ほう炭酸抜きコーラですか…」の人達 etc…

様々います。

中でも、最も人気と言えばこの人、
「花山薫」の名が上げられるでしょう。

 

この花山薫が活躍する時、
既に様式美として確立している演出、
「侠客立ち」の由来(おとこだち:過去エピソード)が、ほぼ、毎回挟まれ、
その度に、
詩が披露されます。

 

たった一夜の宿を貸し
一夜で亡くなるはずの名が

旅の博徒に助けられ
たった一夜の恩返し

(上記、抜粋箇所)

 

特別な一夜の影響で、
後の人生が劇的に変化し、
その子々孫々に至るまで、
語り継がれる事になった事件。

それを、花山薫は「背負って」生きて居るのです。

 

そう、
本作「ひとよ」で描かれるテーマは、
知ってか、知らずか、
まるで、花山薫の様。

本作で描かれるのは、
タクシー会社を経営していた稲村家の話。

15年前に起きた殺人事件、
それが、木霊の様に現在の生活に影を落としている、
その一家の物語なのです。

 

 

父親から、苛烈なDVを受けていた、3兄弟妹。

故に、その父を殺した母。
「これで、もう、自由に生きられる」と、こはるは言って、
警察に出頭して行った。

そして、経営していた「稲村タクシー」は、
母・こはるの甥・丸井進が受け継ぎ、
名前を変え「稲丸タクシー」として経営が続けられていた。

しかし、
事件の様子をセンセーショナルに雑誌に取り上げられ、
数々の誹謗中傷にさらされた事が影響したのか、

雄二は上京したが、
小説家にはなれず、
やりたくも無い記事を書くフリーライターの身に甘んじ、

大樹は電気店勤務ながらも、
妻と娘とは現在別居中、

園子は美容師の夢を諦め、
地元のスナックで働き、毎夜、泥酔する毎日。

そんな、うだつの上がらない日々を送る兄妹のもとに、
事件から15年後、
本当に、母は帰って来た。

うろたえながらも、
兄弟妹は母を受け入れるが、
何とも言えない、緊張感が漂っていた、、、

 

 

本作で描かれるのは、家族の話。

「家族」というもの、とりわけ、
親子、兄弟、姉妹関係は先天的なものであって、
嫌だからといって、切れるようなものではありません。

否応も無く、関わらざるを得ない「家族」という共同体、
その、
本音と建前のせめぎ合い、

 

この、
多くの人が身に覚えがある事態を、
本作は描いていると言えるのです。

 

他人が相手なら、
ある程度の忖度を働かせて、
ナァナァで済ませられる事でも、

それが、家族が相手だと、
どうしても我慢出来ずに、
つい、本音が出てしまう。

その、
哀しさ、辛さ、
そして、
本音が出るからこその絆、

本作で描かれる家族像とは、
ごく普通の、故に、
生の感情に溢れた、
一般的なものであり、

だからこそ、
観客それぞれが、
登場人物の、誰かしらの目線に感情移入する事が出来ます。

 

たった「一夜」の事件にて、

人生が劇的に変わった、
一見、それは特別な状況ではあるのですが、

しかし、
『ひとよ』で描かれる家族間の、
独特な緊張感と信頼感
それに、共感出来る人も多い、
そういう作品と言えるでしょう。

 

 

  • 『ひとよ』のポイント

特別な「一夜」と、その後の人生

家族間の緊張と信頼感と、独特の距離感

特別であり、一般的な存在、それが家族

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 家族を描いた作品

本作『ひとよ』は、
殺人事件が切っ掛けで、
世間から誹謗中傷に晒され、
歪になった家族関係の話と言えます。

 

確かに父(夫)殺しというセンセーショナルな要素が、
アイキャッチ的に、その物語の冒頭で描かれますが、

しかし、
本作で描かれる家族関係というものの、
独特な緊張感と信頼感は、
どの家族にも通底するものだと思われます。

 

本作にて雄二役を演じた佐藤健は、
役作りに関して「事前の準備は、殆どしていない」と言っていました。

それは、
本作の演技の質として、
共演者との関係性によって、築いていった部分が多いからだそうです。

例えば、
相手の怒鳴る声のトーンで、
自分の声の量を決めたり、

投げつけられるピーナッツの量で、
どの位、キレるのか、図ったり、

そういう、
相手との「谺」の様な演技を、
本作では心掛けたとの事です。

 

こういう演技の質は、
突発的な瞬発力が試されますが、

それ故に、

他人相手には忖度して遠慮する事でも、
家族相手なら、思わず本音が漏れてしまう、
そういう生の反応を演出する事に成功していると言えるでしょう。

 

15年振りに再会した母親。

しかも、殺人事件を起こした相手。

その空白の期間、
自分達は世間の誹謗中傷にさらされていた。

このブランクが影響して、
何とも言えない緊張感が、
まるで、他人と接する様な空気感を醸し出します。

 

しかし、
接する内に、徐々にその化けの皮が剥がれ、

如何にも家族的な、
本音が飛び出る瞬間があります。

その他人→家族への、
微妙な距離感の変遷も、
本作の見所の一つとなっております。

 

あくまでも、母を擁護する園子。

大樹も、母を認めようとしますが、
つい、感情的な本音が飛び出し、
「父さんの様に、殺すの!?」と言ってはいけない、
反論出来ない言葉を投げつけてしまう瞬間もあります。

そして、雄二は、
母との関係性に、疑問を投げかける立場です。

 

雑誌に、
事実を知るものとして、
内部情報の公開的に、記事を売っていた雄二。

その記事がセンセーショナルに取り上げられ、
故に、
家族は世間からバッシングを受け、
それに苦しめられる人生を、
兄弟妹は、送る事になりました。

そんな、家族でありながら、家族を売ったという、
二律背反な存在である雄二は、
自分の抱える鬱屈を母に投げかけます。

それは、
夜、母と対面した時、
そして、
クライマックス、カーチェイス後に、堂下(佐々木蔵之介)に語りかけるシーンです。

 

「家族が苦しい時に知らんぷりしておいて、今更、何をしに帰って来たのですか」

「暴力に耐えているだけなら楽だった。でも、その状況を変えてしまった」

「あの一夜の後、自分は解放された、何にでもなれたハズだった(でもなれなかった)」と。

 

しかしポイントは、
一見、その本音で語っている様な言葉も、

実は、レコーダーを手にして、インタビュアーという体裁のペルソナを被っていたり、
堂下に語りかける態で、母に語りかけるという手法をとっていたり、

直接、面と向かってはおらず、
ワンクッション置いているのですね。

 

さて、
その責められる母・こはるは、
殺人事件に対し
「誇らしい」「私は悪くない、間違った事をしていない」と、
子供達の前では、啖呵を切っています。

しかし、
堂下の前で
ふと、本音が漏れる瞬間がありました。

 

「子供の為に、夫を殺した」という、こはるの決断を称える堂下に、
「そんなんじゃ無いのよ」と言ったこはる。

これはつまり、
「子供の為」という大義名分がありつつも、
私怨で夫を殺したという面が、
なきにしもあらずと言えるのではないでしょうか。

「私は今、誇らしいんだ」
「そんなんじゃないのよ」
「私がブレると、子供達が迷子になる」
まるで、自分で自分は悪くないと、
自分に言い聞かせるような台詞だとは思いませんか?

そして、
それを察したからこそ、
雄二は、そこをツッコんで、雑誌記事を書いたり、
私怨に子供達の人生を巻き込んだ(であろう)母に、
ふざけやがって、というスタンスなのでしょう。

 

擁護に徹する園子の立場も、
批判的な雄二の立場も、

実は、家族というより、
何処か、他人的な遠慮が垣間見られる対応ですが、

意外と、
ちょっと気弱そうな大樹のスタンス、
怒った時に本音をぶつけるという感じが、
一番、家族的な関わりと言えるのかもしれません。

…しかし、
その大樹も、
DVを振るっていた父の様に、
自分も、妻を殴ったり、蔑ろにしたりしているという問題を、
自分の家族に対して抱えているというのがまた、
皮肉ではあります。

 

本作では、
本質的な和解というか、
家族が皆、仲良しこよしのエンディングという訳ではありません。

しかし、
それでも、
不都合なものを抱えたまま関係を続けて行くというのが、
正に、リアルな家族像であり、

そのリアルさを、『ひとよ』は目指したのだと思います。

 

  • 特別な「ひとよ」とは

『ひとよ』は、
決定的な一夜の出来事で、
家族関係が劇的に変化した話です。

そして、
その関係性は、
いわゆる、カタルシスのある形では決着せず、
そのままの状態で問題は解決する事なく、
その後も続いて行くと推測されます。

そういう割り切れない関係、
白黒ハッキリ付けない関係こそ、
家族関係と言えるのだと思います。

そして、
実は、そういう関係性こそが、
本作品のテーマとなっているのではないでしょうか?

 

クライマックス、
息子がヤクの運び屋に堕とされた堂下は、
こはるを拉致して、タクシーで暴走します。

兄弟妹達に追いつかれた堂下は、
そこで、慟哭します。

「息子と過ごした、あの一夜は、俺の宝物だ」
「あれは、一体何だったんだ」と。

それに、こはるは答えます。

「それは、ただの夜ですよ」と。

 

自分の中で大事なら、それで良い。

これは言い換えると、
自分には大切な一夜でも、
それは、他人にとっては、何でも無い夜なのだと言うのです。

 

その言葉に着目すれば
実は本作、それこそが、メインテーマだったのだと気付かされます。

つまり、
特別な「ひとよ」に拘るべきでは無い

そう訴えているのではないでしょうか。

 

本作、
メインで描かれるのは稲村家で、
その副旋律として、堂下の親子関係も描かれます。

しかし、それだけでは無く、
サブのエピソードとして、

「本当は漁師になりたかった」と言う、
稲丸タクシーの社長、丸井進の台詞があったり、

ボケた母親の介護に嫌気が差している稲丸タクシーの事務員・柴田弓は、
男と性交して、母をおざなりにした夜に、
その母が海で溺死するという事態に陥ります。

丸井も、弓も、
本篇では語られずとも、
人知れず悩んだ「特別な一夜」があったハズです。

しかし、
稲村家の面々も、観客である我々も、
それは、預かり知らぬもの。

 

結局、他人からは、
「特別な夜」があった事すら、分からないのです。

身も蓋もないですが、
そんな「一夜」に、何時までも拘る事が、
果たして、人生にとってプラスとなるのでしょうか?

 

本作では、
クライマックスの狂騒の後、

雄二は、
ボイスレコーダーに録音された、
「ひとよ」の母の言葉、
「私は誇らしいんだ」を消去します。

母、こはるの台詞。

それは、
母の愛情と、
本音と建て前の入り交じる、
雄二にとっては、
特別な言葉、

しかし、雄二は知ったのです。

そこに拘っている事こそが、
自らの可能性を狭めている事に。

 

兄の大樹は言いました、
「俺達は変わらなきゃ」と。

雄二は「どっからやり直せばいいのか、教えろ」と慟哭しました。

その答えは、「今」。

今から、変わるという事に、
遅すぎるという事はありません。

この「変わる」という事こそ、
即ち、
大事な「ひとよ」を乗り越えて生きて行く事なのです。

 

特別な「ひとよ」を思いつつも、
それに拘らない、

本作は、
その事を描いているのだと、私は思います。

 

 

 

普通の家族って、何だろう?
普通の生活って、何だろう?

果たして、
家族関係に、正解ってあるんでしょうか?

 

本作『ひとよ』は、
DVという苛酷の状況を乗り越えた「ひとよ」があり、

しかし、
その特別な「ひとよ」に縛られてた為に、
前に進めなかった一家の物語。

 

それが、如何に特別で、大事な夜でも、
それを、大事に思えども、
それに、拘らず。

 

壊れたままだった家族関係が、
また、再び結集するまでを描いた、
『ひとよ』は、そんな作品なのだと言えるのです。

 

 

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