映画『ジョジョ・ラビット』感想  少年は、臆病者(ウサギ)故に、優しさを知る

ジョジョの空想上の友人は、ヒトラー!10歳のジョジョは、ナチスに心酔する少年だった。
しかし、少年兵を訓練する合宿にて、ジョジョはウサギを殺せずに、臆病者と馬鹿にされる。キレたジョジョは、手榴弾の訓練中に突貫、爆発に巻き込まれて負傷してしまった。
命は取り留めたが、顔は傷付き、足を引きずるジョジョ。リハビリがてら、ナチ党の丁稚奉公を務めていた、そんなある日、死んだ姉の部屋から物音が聞こえてきて、、、

 

 

 

 

監督は、タイカ・ワイティティ
ニュージーランド出身、俳優としても活躍する。
監督作に、
『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』(2014)
マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017)等がある。

 

出演は、
ジョジョ・ベッツラー:ローマン・グリフィン・デイヴィス
エルサ・コール:トーマシン・マッケンジー
ロージー・ベッツラー:スカーレット・ヨハンソン
クレンツェンドルフ大尉:サム・ロックウェル
フィンケル:アルフィー・アレン
ミス・ラーム:レベル・ウィルソン

アドルフ・ヒトラー:タイカ・ワイティティ 他

 

 

 

俺は人間を辞めるぞ、ジョジョぉぉぉぉ~!

と、言ったのは、
吸血鬼となるディオ・ブランドーですが、
ぶっちゃけ、
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』以外で、
実際に「ジョジョ」って呼ばれているキャラクターを観るのは、
初めてかもしれません。

奇しくも、
時は第二次世界大戦期。

もしかして、
シュトロハイムが出て来て、
「ナチスの科学力は世界一ィィィィ~」とか、
言うかな?
と思いましたけれど、

出ません、悪しからず。

 

まぁ、
ジョジョトークは置いておくとして、

皆さんは、幼少期、
「空想上の友達」って、居ましたか?

私は、
妄想、空想大好きだったのですが、
不思議と、空想上の友達(イマジナリー・フレンド)って、居なかったんですよね。

本作『ジョジョ・ラビット』の主人公、

10歳のジョジョを、
時に励まし、時にけしかけるイマジナリー・フレンドは、
何と、アドルフ・ヒトラー!?

 

ヒトラーはまるで、
ジョジョを見守るスタンドの様に、
不意に現われて、助言らしき事を残して行きます。

ヒトラーがイマジナリー・フレンドなだけあって、
ジョジョはすっかり「ナチごっこ」に夢中。

ナチスの青少年団「ヒトラーユーゲント」に嬉々として参加しています。

部屋は、ヒトラーのポスターだらけ、
ユダヤ人は、化け物だ、
捕まえたら、ヒトラー(本物)と面会出来るかな?
とか、すっかりナチスに教え込まれています。

 

しかし、
この面白いアイディアで終わらないのが本作のニクい所。

 

死んだ姉、インゲの部屋で、物音を聞いたジョジョ。

目ざとく部屋を調べると、
隠し扉を発見、
中に侵入すると、
何と、女の子が居た!?

何たること!!
母のロージーは、ユダヤ人を匿っていたのだ!!

ナチス青少年団としては、
報告の義務がある、
しかし、
報告してしまったら、
ユダヤ人隠匿の罪で、母も自分も殺されてしまう、、、

さて、ジョジョは如何せん!?、、、

 

戦時下のドイツ、
潜伏ユダヤ人の話、

となると、
シリアスにならざるを得ません。

しかし、

本作には、
独特のユーモアが作品に通底しています。

 

ちょっとしてユーモアから、
小ネタ、繰り返し、などなど。

不謹慎ながらも、
思わず笑っちゃう事もしばしばです。

 

本作は、
そのシリアスとユーモアの振り幅が絶妙なのです。

 

戦時下のドイツにて、
ナチスに心酔する少年と、
ユダヤ人の少女が出会う。

これで、何も起きないハズも無く、、、

言ってしまえば、
ボーイ・ミーツ・ガールであり、
優しさを知る少年の、成長物語であるとも言えるのです。

 

本作、『ジョジョ・ラビット』は、
人間の喜怒哀楽、
それを少年の目線で綴った、
無垢なる感情豊かな作品と言えるのです。

 

こういう作品は、年に一回くらい、
定期的に、観たくなるタイプの雰囲気を持っていますね。

 

 

 

  • 『ジョジョ・ラビット』のポイント

イマジナリー・フレンドと、秘密の友達

靴紐

人生は、楽しむべし

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 対象的な、二人の友達

『ジョジョ・ラビット』は、
その設定、
アドルフ・ヒトラーがイマジナリー・フレンドという意外性が、
先ず、目を引く作品です。

とは言え、
実は、物語を簡潔にまとめると、
ナチ信者だった少年がユダヤ人の少女と出会って考えを改める
という作品です。

そういう意味では、
イマジナリー・フレンドは居る必要無いんですよね。

 

しかし、勿論、
ちゃんと、意味があるから、存在している(!?)んです。

先ず、
ジョジョには、二人の秘密の友達が居ます。

一人は、イマジナリー・フレンドのアドルフ・ヒトラー。

もう一人が、潜伏ユダヤ人たる、
匿われているエルサです。

他人から見たら、
どちらも実在するか、怪しい友達。

「僕の一番の親友はアドルフ・ヒトラー」
「家に隠れていたユダヤ人を捕まえた」

どちらも、
傍から見ると、
子供の戯言の様にも感じます。

 

とは言え、
実際に「ユダヤ人が家に居る」とは、
ナチスドイツにおいては、
口が裂けても言えなません。

自分も処罰されますからね。

故に、
ジョジョは、
エルサを生かさず殺さず、
ユダヤ人である彼女自身から、ユダヤ人が何たるかを知ろうとするのです。

 

そして、そこには、
エルサを知りたいという欲求と、
ナチス的な、ユダヤ人排斥思想との葛藤が生まれます。

つまり、
本作におけるイマジナリー・フレンド「アドルフ・ヒトラー」とは、
ジョジョ自身の、ナチ思想であり、
ジョジョとヒトラーとの会話によって、
現実と、ナチ思想との葛藤が生まれているという構図を採っているのです。

 

ジョジョが後天的に獲得した「ナチ思想」(=アドルフ・ヒトラー)は、
ユダヤ人は危険だとがなり立てますが、

しかし、
エルサが自分と何ら変わる事のない人間だという事を知った時、
ジョジョは「ナチ思想」に対する疑いと幻滅を覚えるのです。

 

その象徴たるシーンは、
最も緊迫した、
秘密警察ゲシュタポの、ディエルツ大尉一行に、家宅捜索された場面です。

そこでエルサは、
「私はジョジョの姉のインゲだ」と、堂々と姿を現します。

そして、
ゲシュタポ一行は、
彼女がユダヤ人とは、全く疑いもしませんでした。

「ユダヤ人は外見も思想も邪悪」
そう教育されたし、
ジョジョが、自分で書いた本をゲシュタポ一行は笑いながら読んでいました。

目の前に、
ユダヤ人が居るのにも気付かずに。

ここで、ジョジョのナチ思想に対する欺瞞と不確実性が、
決定的になったのだと思われます。

 

さて、話を戻しますが、
本作は、恐らく、

あくまでも、
ボーイ・ミーツ・ガールの部分が基本、

ナチ思想の毒された少年が、
ユダヤ人の少女との交流で、その異質さから脱却し、
自ら選択する事を覚えるまでの物語です。

その上で、
ナチ思想と倫理との葛藤を描く為に、
解り易いビジュアルイメージとして、
イマジナリー・フレンドのアドルフ・ヒトラーを設定したと思われます。

物語の展開上、
冒頭からアドルフ・ヒトラーが登場するので、
その辺り、理解の逆転現象を、意図的に起こしている構成が、
本作の面白い所だと、私は思います。

 

  • 靴紐

本作における、もう一つのポイントが、
靴紐です。

ジョジョの母親、ロージーはシングルマザー。

明るく、活動的で、
ジョジョに、人生を楽しむ事の必要性を説きます。

 

その一方、ロージーは、
反ナチ活動に勤しんでいます。

おそらくは、
ジョジョの父親も、
反ナチ活動にて粛正された、
ナチ党員の幹部クラスだったのでは無いでしょうか?

父親がナチ党員だったからこそ、
ジョジョがナチ思想にかぶれていたのでは?

父が幹部クラスだったのなら、
そして、粛正されたという事実があるのなら、
クレンツェンドルフ大尉のロージーやジョジョに対する配慮もまた、
納得が行きます。

クレンツェンドルフ大尉も、
ゲイっぽい感じなので、
本質的には、ナチ思想とは、相容れない部分がありましたからね。

しかし、「ナチ党員が反ナチで粛正」という状況自体が都合が悪いので、
対外的には、
イタリア戦線で行方不明になった、
という設定なのだと思います。

 

しかし、
ジョジョ自身は、
ナチ思想に夢中です。

あの年代、
ローティーンから、思春期、反抗期頃の子供って、

家族関係で培った人格が
外からの思想の流入、
学校教育や、友人関係、世間的文化との接触などの環境の変化による外的要因で、
新しく、思想が形成される時期です。

それは、
自分で獲得したと本人が思い込んでいるからこそ、
当の本人は、そこに拘っちゃったりします

 

ロージーは、
エルサに語ります。

昔の優しいジョジョに戻って欲しい、と。

ロージーにとっては、
今のジョジョは、外的要因(ナチ思想)に毒された存在、

それは、
自分の意思で選択した思想では無く、
他人の思想をインストールしただけの状況であり、
そこに、自意識が無いと感じているのです。

本作はそれを、
「靴紐も結べない子供」と表現しているのですね。

 

再三、
靴紐を結べないジョジョをサポートするロージー。

それに比して、
ロージーの紅い靴も、同時にフューチャーされます。

ロージーは言います。
子供は、政治を語るより、
踊って、人生を楽しむ事を学ぶべき、と。

 

丁度、そのシーン、
川辺でジョジョの靴紐を結んであげるシーンがありますが、
その時、
ロージーは、ジョジョの左右の靴紐を結び合わせます。

このシーンは、象徴的。

エルサと近付き、ナチ信仰が揺らいでいるジョジョの、
右と、左の思想のこんぐらがっている様子が、
靴紐によって表されているのですね。

 

川辺からの帰り道で、
ロージーが帰還兵達に掛けた声も、象徴的。

「母親とハグして、キスしな」は、

戦場からの帰還=ナチ思想からの脱却を意味し、
つまり、ロージーは、
帰還兵に語りかける態で、ジョジョに、こう語りかけているのです。

ナチ思想から脱却し、母の好きだったジョジョに戻っておくれ」と。

 

そして終盤、
不意に訪れた衝撃のシーン。

そのものは映さず、
吊された人物の、足だけを映します。

それは、
母、ロージーの足。

靴紐がほどけてしまっている、赤い靴。

ジョジョは、靴紐を結ぼうとしますが、
未だ、ナチ思想を捨てきれていない為、
それが出来ません

 

ジョジョが、靴紐を結べる様になるのは、
ラスト、
エルサを解放するシーンです。

天涯孤独となったジョジョは、
エルサを手放したくない為、
「勝ったのはドイツ」と嘘を吐きます。

しかし、
遂にナチ思想=アドルフ・ヒトラーと訣別したジョジョは、
母の意思、母の思想、
それは、
「人生を楽しむ」という事を継ぎ、
エルサにも、人生を楽しむ=隠れ場所から出る事を促すのです。

扉を開ける直前、
エルサの靴紐を結んであげるジョジョ。

 

 

開け放たれた扉の先で、
二人でダンスと言わないまでも、

リズムを取り合う、ジョジョとエルサ。

どんな困難な状況、
如何なる時でも、
人生を楽しむ事が必要

本作『ジョジョ・ラビット』は、
そういうメッセージ性が込められた作品なのです。

 

 

それは、
まるで、黄金期のジャンプ漫画の様。

漫画『ジョジョの奇妙な冒険』での、
第三部や、第7部、
辛く、苦しい旅の最中でも、奇妙なユーモアを忘れ無かった、
ジョースター一行や、ジャイロとジョニィのバディを思い起こさせます。

 

 

優しさとは、
臆病者の最大の武器

ナチ思想では、ウサギと馬鹿にされた者が、
しかし、本当は、人生の勝者であるのかもしれないのです。

いつだって、
物語はボーイ・ミーツ・ガールで始まり、
そこから、少年の成長が訪れます。

少年が、
自ら、優しさを選択した時に、
「人生を楽しむ」事が始まる
それが本作『ジョジョ・ラビット』なのです。

 

 

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