映画『スリー・ビルボード』感想  予測不能!!ズレた復讐の連鎖がアサッテの方向へ飛んで行く!!

 

 

 

アメリカ、ミズーリの田舎町、ミルドレッドは3枚の看板広告を出す。
「レイプされて殺された」
「まだ野放しなの?」
「どうなってんの、ウィロビー署長」
この看板が、町に混乱をもたらす、、、

 

 

 

 

監督はマーティン・マクドナー
劇作家であり、脚本家でもある。
映画監督作品では『Six Shooter』(2004)にてアカデミー賞短編映画賞を受賞している。
他、監督作に
『セブン・サイコパス』等がある。

 

主演のミルドレッド役にフランシス・マクドーマンド
主な出演作に
『ミシシッピー・バーニング』(1988)
『ファーゴ』(1996)
『あの頃のペニー・レインと』(2000)
『スタンドアップ』(2005)
『ムーンライズ・キングダム』(2012)等がある。

他、共演に、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、ピーター・ディングレイジ、ルーカス・ヘッジズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ等。

 

娘が強姦され殺された。
捜査は一行に進展せず、早7ヶ月。
業を煮やしたミルドレッドは、3枚の看板にて警察を煽る。

気持ちは分かるが、完全に八つ当たり。

 

このやり場の無い怒りが作品の背景に通底しています。

この怒りの感情がドミノ倒しの様に事態を誘発。

まるで予測不能の展開に観客を導きます。

 

意外なストーリーに、しっかりとしたテーマ性。

この作品には、気持ちのいいカタルシスなどありません。
あるのはブラック・ユーモア位。

しかし、人生とは畢竟そんなもの。

その人生において傷付けられたらどうするか?

この映画の登場人物は

泣き寝入りをしなかった。
だが、そのやり方と相手がズレている。

 

この「ズレ」が生み出す圧倒的混乱。
それが本作『スリー・ビルボード』の魅力であり面白さなのです。

 

 

  • 『スリー・ビルボード』のポイント

ズレた復讐の連鎖が生み出す予測不能の展開

僅かな理解しか得られない人間関係の哀しさ

キレッキレのブラック・ユーモア

 

 

以下、内容に触れた感想となっています
ネタバレ注意!

 


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  • 復讐せずには居られない心理

本作『スリー・ビルボード』の背景には、ミルドレッドの怒りが重低音の様に通底しています。

それにより独特の緊張感が上映中維持され、観賞後はどっと疲れてしまいます。

ミルドレッドは何故これ程までに怒らなければならないのか?
先ずはその辺から語って行きたいと思います。

3枚の看板で警察を煽ったのは、進展しない捜査に苛立ったからか?
確かにその部分はありますが、大部分はポーズ。
本質は少し違うと思います。

まず、ミルドレッドが最も怒りを駆り立てられている相手というのは、
警察でも犯人でも無く、自分自身であるのです。

作中の回想シーンで描写された通り、
躾がエスカレートした口喧嘩ではありますが、「暴行されろ!」と娘に発言してしまっているのです。

売り言葉に買い言葉。
不可抗力ではありますが、実際に事が起こったとなると後の祭り。

娘が死んでしまった後となっては、発言を「無かった事」には出来ないのです。

なので、ミルドレッドはこのまま何もせずに手をこまねいている訳にはいきません。
何故なら、自分の「呪いの言葉」が事態を引き起こしたと(自分が)思えるからです。

だから、それを否定しなければならない。

なので娘の魂と、
何より自分自身に対して「自分は娘の死を悼んでいる」という証を立てなければならないのです。

その為に、誰が見ても分かる位の極端な形で自分と世間に示さねばならない。

(非難など誰もしていませんが、自分自身が自分を非難する声が聞こえるのです)

つまり、看板とは、「私は哀しんで、憤っています」という演出(ポーズ)の部分も多分に含んでいるのです。

だからこそ、ああいう手段に出たのです。

 

  • DV元夫の行動とは?

あの時、娘に車を渡しておけば良かった。

この後悔が苦い毒の様に、ミルドレッドを蝕みます。

それを解消する為に、自分は娘の死を忘れずに、本気で悼んでいるのだと、自他共に認めさせねばならないのです。

だから、ミルドレッドは怒っているのです。

よく居ますよね。

批判される前に、先に自分がキレた態度を取って相手の追求を回避しようとする人
ミルドレッドの態度は正にそれです。

私はここまでやっているんだ、と
キレた態度と看板というパフォーマンスで世間にアピールして居るんですね。

(勿論、犯人や警察に不満があるという点も、確かにあります。その一面として、ポーズという面もあるという事です)

大変極端な態度ですね。
誰も、ミルドレッドを娘の事で批判などしていないのに、只一人を除いて

その一人というのは、DV元夫のチャーリーです。

チャーリーは元夫なだけあって、事の詳細は不明でも、ミルドレッドの派手な看板が他人を巻き込んだパフォーマンス(偽善)であると見抜いています

娘から母の事を愚痴られていたチャーリーは、察しが付いたんですね。

なので、チャーリーは看板という他人を巻き込む形で自分の罪悪感を解消しようとするな、という意図の事を伝えに行きます。

しかし悲しいかな、彼自身、DV野郎なので発言に説得力がありません

中盤、看板を焼いたのも彼なりの正義感からですが、その事がどう事態を展開するかという事までは、想像力が追いついていないんですね。

結局、ミルドレッドとチャーリー落ち着いて話し合う関係でない為に離婚し、
その家族関係がミルドレッドのイライラを誘発し、結果悲劇に繋がったとも言える訳で。

夫婦関係が良好だったなら、こんな事は起こらなかったでしょうが、難しいものですね。

 

  • ズレた復讐が生み出す連鎖

ともあれ、ミルドレッドは看板を出します。

しかし、犯人を直接殴る事が出来ないので、
「犯人を捕まえない警察が悪い」
という発想になってしまっています。

「ズレ」ているんですね。

目の前に復讐相手がいないが為に、
代わりの相手である警察(とその象徴の署長のウィロビー)に怒りをぶつける「ズレた復讐」を仕掛けているんです。

復讐は復讐しか生まないと、よく言われますね。
本作においては、DV元夫の19歳の彼女の発言、「怒りは怒りを来す」で表していますが、

本作においてはさらに、「ズレた復讐が連鎖して行く」んですね。
これが本作を特徴付けるテーマであり、予測不能の展開をもたらした原因となっています。

誰かにクソをぶつけられた。
しかし、ぶつけた相手が見当たらない。

どうする?

大人しくクソを拭って泣き寝入りしますか?

とんでもない!

取りあえず、自分もクソをひり出して他の誰かにぶつけてやる!!

これが『スリー・ビルボード』なんですね。

本作でミルドレッドにクソをぶつけられるのは、警察署長のウィロビーですが、彼は大人なので弁えて行動します。

しかし、それに反応するのが暴走警官のディクソンなんですね。

ディクソンは署長にクソを投げつけられた事に憤り、
自分のクソを投げ返す訳ですが、その相手がミルドレッドでは無い為、さらに事態が混乱して行きます。

兎に角物語が真っ直ぐに進まない。
ガクンガクンと支流に逸れまくってしまうんです。

その結果、物語は予想もしなかった所に向かいますが、その途上で小男のジェームズや、DV元夫の19歳の彼女の台詞で、
ようやくミルドレッドは内省するに至ります。

(そのレストランのシーンの、ワインボトルをつかんでテーブルに歩み寄るシーンの緊張感が凄い)

なんやかんやあってミルドレッドはディクソンに「ありがとう」と言い、そこが本作のクライマックス、、、

…になれば良かったのですが、二人してやっぱり(関係ない人間に)クソをぶつけに行く所で終わる辺りに、
本作の徹底ぶりをうかがい知る事が出来ます。

 

  • 出演者補足

ウィロビー署長を演じたウディ・ハレルソン
ナイスガイの役も多いが、サイコパスの役も多い為、彼が出ると身構えるのは私だけであろうか?

その妻アンを演じたアビー・コーニッシュ
あれ位ムチムチでガタイが良い方が、好ましいと私は思います。

ミルドレッドの息子を演じたのはルーカス・ヘッジズ
マンチェスター・バイ・ザ・シー』にてアカデミー賞助演男優賞ノミネート等、数々の評価を得た若手俳優。
今後の活躍に注目です。

小男ジェームズを演じたのはピーター・ディングレイジ
「ゲーム・オブ・スローンズ」シリーズのティリオン・ラニスター役で有名だ。
「小男(ドワーフ:dwarf)」と蔑称の意味で両作品にて呼ばれています。

看板屋のオーナー、レッドを演じたのはケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
デビューは『ノーカントリー』その後
『ソーシャル・ネットワーク』
X-MEN:ファースト・ジェネレーション』等を経て、
2017年には
ゲット・アウト
バリー・シール アメリカをはめた男
TVシリーズ『ツイン・ピークス The Return』と話題作に出演。
一度見たら忘れ難い「顔面力」の高い役者だ。

 

 

人間の感情の哀しさ、
予測不能のスリリング、
キツいブラック・ユーモア。

この上にストーリーとテーマを設け、前代未聞なサスペンスを生んだ『スリー・ビルボード』。

今年を代表する一作となるのは間違い無いだろう。

 

 

 

 


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さて次回は、暴走警官がおりなす恐怖の緊張感、映画『デトロイト』について語ります。