映画『君たちはどう生きるか』感想  他者と多様性を巡る、少年の通過儀礼の物語!!

戦争から3年目、牧眞人(まきまひと)の母は病院の火事で亡くなった。それから1年後、父は再婚した。相手は母の妹の春子。既にお腹には子供がおり、東京を離れお屋敷のある田舎へと引っ越した。
広大な和風のお屋敷。住居である洋館。それ以外に、沼地の向こう、森の中に怪しげな塔が建っていた。眞人はアオサギに誘われ、その塔を訪れるのだが、、、

 

 

 

 

 

 

 

監督は宮崎駿
言わずと知れた、日本アニメ界の巨匠。
長篇映画監督作に、
『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)
『風の谷のナウシカ』(1984)
『天空の城ラピュタ』(1986)
『となりのトトロ』(1988)
『魔女の宅急便』(1989)
『紅の豚』(1992)
『もののけ姫』(1997)
『千と千尋の神隠し』(2001)
『ハウルの動く城』(2004)
『崖の上のポニョ』(2008)
『風立ちぬ』(2013) がある。

 

出演は、(パンフレットが無いので書きかけの項目です)
牧眞人:山時聡真
アオサギ:菅田将暉(?)
春子:
火子:
おさき:
父:木村拓哉
大王:國村隼
おおおじ:    他

 

 

 

宮崎駿と言えば、
アニメ界のみならず、
日本の映画界にて、
名実共に、ナンバーワンの巨匠とも言える存在。

そんな監督は、
『もののけ姫』を作り終わった頃から、
「これでラスト」と、
常に、辞める辞める詐欺を繰り返してきました。

前作『風立ちぬ』にて、
「これでもう、本当に最後」と言っていましたが、
やっぱり、最後では無く、

今回、

10年ぶりの最新作
『君たちはどう生きるか』が公開と相成りました。

 

『君たちはどう生きるか』は、
宮崎駿が若い頃読んだ、
吉野源三郎の同名小説から、題名を借用したとの事。

しかし、
内容は、同小説とは異なっているそうで、
あくまでも、オリジナル

 

そんな本作は何と、
題名、公開日(2023/07/14)、メインポスタービジュアル以外の情報は、
殆ど公開せず、

それどころか、
大ヒットメーカーの作品でありながら、
全く、プロモーションを行わなかった事です。

 

アクションなのか、アドベンチャーなのか、
ファンタジーなのか、ドラマなのか、歴史物なのか?

更には、声優のキャストすら公開しない徹底ぶり。

前代未聞。
宣伝出来るのに、敢えてしないなんて、
宮崎駿ブランドだから出来る事。

 

全ては、
公開後の口コミ評価に懸かっているという強気。

果たして、
これが吉とでるか凶と出るか、
現時点では、何とも言えないです。

 

只、公開初日の初回の座席状況はどうかと言いますと、

私は『もののけ姫』から、
劇場で鑑賞しているのですが、

過去作と比べて、今回が一番、
客入りが少なかったというのは
紛れも無い事実。

『もののけ姫』なんて、
上映回が全部パンパンのパンパンで、
立ち見が出ていた始末。
(昔は立ち見が許されていました)

今回は、
空席が目立ちましたね。

 

まぁ、
それは、想定内でしょう。

肝心なのは、
その内容です。

面白かったのか、どうか、
忖度抜きに言いますと、

 

私はぶっちゃけ、面白かった!

けれど、コレ、
一般ウケはしないダロ!?

 

 

以下、公式がひた隠しにした内容に触れた感想となります

 

 

 

 

さて、
本作は、ジャンル的にはファンタジーアドベンチャー。

とは言え、

『風の谷のナウシカ』や
『天空の城ラピュタ』の様なアクションベースでは無く、

過去の宮崎駿監督作の中で、
類似作品を挙げるとするならば、
漫画版の『風の谷のナウシカ』と

『崖の上のポニョ』ですね。

 

他の似ている作品としては、
『不思議の国のアリス』とか、
細田守・監督作の『未来のミライ』(2018)
アカデミー賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)
などを想起させますね。

 

ところで、
昨今のアニメ映画の映像は
技術革新が凄いですね。

端的に言うと、
CGの利用が凄いですね。

先程公開された
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(2023)なんか、
映像表現の極北と言って良いほどの出来でした。

で、
本作は映像的には一体どんな様子の作品だったのかと言いますと

 

昔ながらの、いつもの宮崎駿です。

 

 

映像の凄さ、作り込み、書き込みなど、
過去作品から格段に進化している部分はあります。

いやね、最近のアニメ作品は、CGを使いすぎる。
そりゃぁ駿もちっとは使うがのぉ

それでも、
昔ながらの画作りの面白さ、観やすさというものが、あるのでは?

そう、本作は、
いつもの宮崎駿作品の芯の部分というか、
テイストは変わらず、
老舗の安心感、ここにあり、ってかんじです。

ああ、
宮崎駿の作品って、
これで良いんだって思いますね。

 

さて、内容の方です。

本作『君たちはどう生きるか』は、
ファンタジーアドベンチャー。

監督の宮崎駿は現在、82歳(1941年1月5日生まれ)ですが、
その想像力、創造力は未だ衰えず、と言った所。

そんな本作は

少年のイニシエーション(通過儀礼)の物語です。

 

 

シーンの節々に、
何らかの仕込みがあるのが見て取れます。

とは言え、
白状すると、その全てが何なのか、
それを読み解く事は、
私には出来ていません。

しかし、
作品のテーマは明確で、
少年の精神的な成長を描いた作品です。

 

随所に、
宮崎駿らしい動き、
カメラワークが繰り広げられますが、

過去作に比べて、
アクション的に派手かと言うと、

本作は寧ろ、
最も大人しいです。

しかし、
御年80超えだからこそ描ける少年の物語というものもある。

本作では、
そういう青春と老練が混じり合った、
奇妙な質感が観てとれます。

 

それは単なるジュブナイルでは無く、

新しい知見の地平が拓けている、
そんな様子さえ感じさせます。

 

本作『君たちはどう生きるか』は、
解り易い作品ではありません。

確かに、
子供が観て楽しい場面も沢山ありますが、

寧ろ、

昔から宮崎駿作品を観続けてきた、
今は大人(というか老人)の
オールドファンにこそ刺さる作品であり、

そういう人に、
是非、鑑賞して欲しいものです。

 

 

 

  • 『君たちはどう生きるか』のポイント

安心の質感の画作り、動き

少年の通過儀礼

他者と多様性の受容

 

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 少年の通過儀礼

本作『君たちはどう生きるか』は、
主人公の少年、眞人が、
イニシエーション(通過儀礼)を経て、精神的に成長する物語を、
ファンタジーアドベンチャーの形で表現した作品

少年の母は、
病院の火事で亡くなり、

あろう事か父は、
その母の妹と再婚、既に子供もお腹の中。

少年眞人と後妻の春子は、
表面上、お互い礼儀正しく接していますが、

それはお互い、
相手の本心が解らず、
釈然としないモヤモヤのまま、
当たり障りの無い対応をしている同士だったという事だけ。

眞人が小冒険をしたり、
学校の下校時に怪我したりして、
春子に余計な心配を掛けたならば、

春子もまた、身重のまま失踪してしまいます。

眞人はその春子を連れ戻す為に、
異世界への冒険に向かうというのが、
本作のストーリー。

 

さて、
先ず最初、春子の登場シーン。

宮崎駿作品ならではですが、
ヒロインの登場シーンに力が入れられているという特徴があります。

本作では、
春子が人力車から降りる時、
わざわざ足下を最初に描写し、
そこから、舐めるようにカメラを上に動かして、
バストアップの映像を映します。

「あ、春子が本作のメインヒロインなのだな」と思わせるシーンですが、
ロリコン気質の宮崎駿には珍しく、
ヒロインが身重の人妻、
しかも、
主人公とはギクシャクした間柄というのが、
面白い観点です。

 

母そっくりとは言え、
後妻の春子に心を許さず、
未だに、母の面影を追いかけている眞人。

しかし、ならば何故
失踪した春子を捜索するのか?

 

先ず最初の動機に、
眞人が求めているのは、母の面影であり、
それが、春子と重なる事。

また、
アオサギの戯れ言で、
母がまだ存在しているかの様に思えた事が挙げられます。

つまり、
直接は、春子に関心がある訳では無かったのでしょう。

 

しかし、
地獄の様な、極楽の様な、
そんな地下世界に降り立った眞人は、

そこで、白いフワフワの丸いモノに出会います。
(名前を忘れたので、パンフレット販売後に追記します)

「それ」は、
天に昇り、生命として生まれる予定の存在。

ですが、その昇天を見届ける途中、
「それ」はペリカンの群れに食い荒らされてしまいます。

 

このシーンは印象的です。

「それ」を守る為に表われた火子の花火により、
ペリカンの群れは撃退されますが、

重傷を負い、飛べなくなったペリカンは眞人に語りかけます。

「気付けば我々(ペリカン)はここに居た」
「飛ぼうとも、必ずここに戻ってしまう」
「新しい世代は、飛ぶ事すら忘れようとしている」と。

さて、
コウノトリには
赤ちゃんを運んで来る存在というイメージがありますが、
一説によると、
ペリカンから転じて、コウノトリに移り変わったというものがあるそうです。

そうであるならば、
もしかしたら本作のペリカンの本来の目的は、
「それ」を食う事では無く、
逆に、
命を運ぶ事だったのではないでしょうか?

しかし、抜け場の無い煉獄の様な繰り返しの世界にて、
本来の目的を忘れてしまい、
咥えて運ぶ
→食べる
へと変化してしまっているのかもしれません。

 

憐れに思ったのか、
息絶えたペリカンを眞人は埋めます。

いずれにしても、
白い「それ」が生まれる事の困難さ、
又、命の誕生を邪魔するモノさえ、その生に苦悩があるという事を、

眞人は知るのです。

 

  • 岩室の中

冒険の先、
春子が引き籠もっている場所には、
何故か、
二足歩行する色とりどりの巨大インコがひしめき合っています。

何故インコなのかはよく分かりませんが、
兎に角、インコです。

 

春子が引き籠もっている場所は、
どうやら、「石」が「意思」を持っているらしき場所の、
石室。

石室に引き籠もるヒロインと言えば、
真っ先に思い付くのは、
古事記に記された、
「天岩戸」に引き籠もった「天照大神」のエピソードです。

このエピソードでは、
「天照大神」を無理矢理「岩戸」から引っ張り出すのではなく、
お祭りの楽しそうな雰囲気を気取らせて、
自主的に、扉を開ける事を促していました。

しかし本作では、
眞人が中の人の許可無しに、
岩室に押し入っています。

古来より、
客人が主人の許しを得ずに家に入るのはタブー(禁忌)とされています。
なんなら、
一条戻橋の鬼や吸血鬼などの妖怪変化すら、そのルールを守っています。

 

岩室の中、
そこには、しめ縄とかに垂れている紙垂(しで)がぶら下がっており、
そのカーテンの下に、春子が寝ています。

眞人は寝ている春子に帰ろうと呼びかけますが、
それは「石」の「意思」に反するのか、
電撃びりびりと、紙垂の襲撃により、邪魔されます。

目を覚ました春子にも「あんたなんか嫌い」と本音で拒否られますが、
それに対し眞人は、
「帰ろう、春子母さん」と呼びかけます。

眞人は、春子を自分の母と認めたのか?
若しくは、
尊い命を生む「母」として、「母さん」と呼びかけたのか、

いずれにしても、
その言葉に春子はハッとなり、
眞人に「逃げて」と呼びかけます。

ですが、
眞人も春子も互いに紙垂にくるまれて、
まるでミイラの如くになって気絶するのです。

 

  • 完璧な世界の果て

さて、地下世界にて、
白い「それ」を救い、
眞人の春子捜索にも手を貸した、
炎使いの火子は、
どうやら、眞人の実の母親。

アオサギも、
満更嘘を吐いている訳では無かったという事です。

どういう訳なのか、
年齢は眞人より少し上、程度の様ですが…

眞人と共に火子も囚われ、
この地下世界の主、「おおおじ」(パンフレットが無いので伯父なのか叔父かは解らず)
の下に連れて行かれます。

 

で、沼地の塔は、
実は建造物では無く、

宇宙より飛来した隕石であり、
その「石の意思」と「おおおじ」が契約して、

「おおおじ」の理想世界として創作されたのが、
地下世界であるとの事。

で、
「おおおじ」は、
眞人が恋い焦がれる「母の面影
即ち
母・秋の現し身や、義母・春子の拉致、そして、
若い頃の母=火子を地下世界に配置する事で、
眞人をおびき寄せていたのです。

その目的は、
自分の血族によって、
「理想世界」を存続、維持、継承させる事。

 

ですが、眞人は、

まるで
ゲーム『ドラゴンクエスト』のラスト、
りゅうおうの提案を拒否するプレイヤーの様に、

自己プロデュースによる完璧な理想世界の形成を拒否します。

 

宮崎駿は、
漫画版の『風の谷のナウシカ』のラストにて、
古代人の提案による、世界と腐海の浄化を拒絶し、

今ある生態系と人間で、
困難で生き辛い世界を生き抜くという選択をします。

それは、
他者を切り捨てる安易で短絡な成果では無く、
困難でも、多様性と他者を受け入れるという選択であるのです。

 

お上からの甘い誘惑を毅然と撥ね除けるこの姿勢は、
30年前から変わっていないなと、
これぞ、宮崎駿だと、
嬉しく思いましたね。

 

漫画版のナウシカは言います。
「私は墓守になるつもりは無い」と。

そして、
本作『君たちはどう生きるか』の眞人も同じです。

 

「おおおじ」プロデュースの完璧な理想世界のハズの「地下世界」。

見た目は確かに、美しい所ですが、
数ある船は幻、
ペリカンの群れは目的を忘れ、
昇天する魂は生まれ出づる事を許されず、
見た目のみ色取り取りのインコ連中は、皆、同じ事を口にする。

また、
若かりし「おせき」が、
「振り返らずに、動け」と言った台詞は黄泉比平坂(よもつひらさか)を、
春子が寝ていた石室は、墓場を思い起こさせ、
巻き付く紙垂はミイラの如しで、

美しくかざられただけの墓所、
単一の目的に縛られた多様性の死滅した世界である事を、

眞人は見てきています。

 

只管、引き籠もって、
自分の理想世界を追求するという姿勢は、
一見、ある種の幸せに見えますが

その実、

何時崩れてもおかしくない、
危ういバランスの積み木を積むかの如く
即ち、
賽の河原で石を積み上げる無間地獄と何ら変わらないのです。

 

故に、
眞人は受け入れます。

理不尽で、困難でも、
春子を母と呼ぶ事を。

そして、
自分が将来火事で死ぬ事を知っても、
「あなたの様な子供を生むって幸せじゃない」
「火は、好き」と、
それを受け入れ、
元々居た過去に戻る、母を見送る事を。

それは、ここに至って漸く、眞人は、
母の死を、
真に受け止めたという事なのです。

だって母は、笑っていたのですから。

 

「おおおじ」は眞人に、
「燃え上がる運命の世界に戻るのか」と尋ねます。

眞人や春子が戻った世界は、
後に、原爆が投下される日本です。

しかし、
元の世界に戻った時、
春子はインコの糞塗れになりながら、
それを楽しそうに笑います。

クソ塗れの世界で上等!!

春子もまた、
受け入れ難い心の鬱屈を乗り越えたという事でしょう。

 

 

引き籠もって、美しいだけの、
可能性の死滅した世界を選ぶよりも、

困難で、不愉快で理不尽でも、
他者と多様性を受け入れる世界を選ぶ

これが、本作のテーマであり、
眞人少年の通過儀礼たる物語なのです。

 

少年の通過儀礼、
そして、
美しいが、死滅した世界を巡る旅というイメージは
『崖の上のポニョ』と共通点があります。

しかし、
皆が仲良く笑顔だが、死後の世界で幸せになるというラストの
イカレた作品「ポニョ」に対し、

本作は、
困難でクソに塗れた世界でも、
そこを笑い飛ばして死ぬまで生きようという本作のラストの方が、
より、好感は持てますね。

まぁ、どっちも好きですが。

 

 

さて、
ラストシーン、
墓所の石を持ち帰ったが為に、
眞人は、地下世界の冒険の記憶を維持しています。

ザ・フラッシュ』(2023)のラストシーン、
過去の改変を、ほんの少しに留めた事で、
未来の悲劇の回避と父の無実を晴らしたバリー・アレンのような抜け目無さです。

 

少年の時の無鉄砲、
無垢な勇気と信念と正義は、

通過儀礼を経て大人に成り、
社会で経験を積むにつれ、
徐々に失ってしまう
ものです。

眞人は、
通過儀礼を経ても、
それを維持しているという事なのかもしれませんね。

 

  • 宮崎駿作品あるある

さて、
宮崎駿作品には、
主人公を補助するサイドキック(相棒)が居る事が多いです。

『風の谷のナウシカ』では
ナウシカに対するアスベル

『天空の城ラピュタ』では
パズーに対するシータ(ヒロイン兼)

『魔女の宅急便』では
キキに対するジジ

『紅の豚』では
ポルコに対するフィオ

『もののけ姫』では
アシタカに対するサン(兼ヒロイン)

『千と千尋の神隠し』では
千に対するカオナシ     etc…

 

そして本作でも、
眞人の相棒として、
まさかの異形、アオサギが登場します。

本作ではこの、
喧嘩していた両名が、
いつの間にか仲良くなっているという、
「少年ジャンプ」的な展開も、
見所の一つと言えるのではないでしょうか。

 

また、
宮崎駿作品は、
水の表現が独特で、
何か、どろっとした、
ぬめっとしたスライムの様な質感があります。

そして、
宮崎駿作品と言えば、食事シーン。

本作にも印象的な食事シーンがあり、

それは、
バターを塗ったパンに、
更にイチゴジャムをぐた塗りしたものに、
眞人がかぶりつくというシーンです。

これがまた、
目を背けたくなるほど、
美味しそうなシーンで、素晴らしい。

で、
この場面、
ぬたっとした水分質のものを、
如何にも美味そうに平らげるという、
宮崎駿作品あるあるを二重に引っ掛けたシーンという事で、
これまた余計に印象的ですね。

 

 

 

他者の多様性の受容、

それは、

一見した外見上の問題のみならず、
その実、
自意識の変革こそが大事なのだと、

少年の通過儀礼の物語で訴える作品
『君たちはどう生きるか』。

 

この題名の問いかけに私達は、
宮崎駿監督が、
昔から提示している

より困難で険しい道を行くという決意でもって、
答えねばならぬのでしょう。

 

それが結果的には、
クソに塗れていようが、
笑える世界に、なるのですから。

 

 

 

コチラが、宮崎駿監督が題名を借用した吉野源三郎の小説です

 

 

 

 

 

 

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