映画『ミナリ』感想  どんな逆境でも、生きて行けよ、ミナリの如く!!

そう遠からぬ昔。
アーカンソー州にやって来た、韓国系移民の家族4人組。
引っ越し先は林の脇のトレーラーハウス、病院まで1時間もかかるクソど田舎な様子に、奥さんのモニカはご立腹。
そんな連れ合いの不満も何のその、旦那のジェイコブは「ここには俺の夢がある」と嘯(うそぶ)き、娘と息子を家の中へと案内する、、、

 

 

 

 

監督は、リー・アイザック・チョン
監督作に、
『Munyurangabo』(2007)
『Lucky Life』(2010)
『Abigail Harm』(2012)等がある。
なんと、『君の名は。』(2016)のハリウッドリメイク版の監督でもあるとの事。

 

出演は、
ジェイコブ:スティーヴン・ユアン
モニカ:ハン・イェリ
アン:ネイル・ケイト・チョー
デヴィッド:アラン・キム
スンジャ:ユン・ヨジャン

ポール:ウィル・パットン 他

 

 

 

2021年の、3月の20日は、春分の日。

もう、春、遠からじ。
皆様、春の七草、食べましたか?

まぁ、実際に食べるのは、
正月の7日ですが。

セリ、ナズナ、
ゴギョウ、ハコベラ、仏の座、
スズナ、スズシロ。

なぜ、未だに覚えているのか?
完全なる無駄知識です。

 

さて、
本作『ミナリ』。

宣伝文句の煽りでは、
「本年度アカデミー賞最有力候補!!」と謳っております。

去年の『パラサイト 半地下の家族』(2019)に続けと言わんばかりです。

 

そんな本作、
韓国系の出演者が、韓国語を主に喋る作品ではありますが、

あの、韓国映画独特の、
異様なテンションというか、熱量は皆無です。

 

キムチやサムゲタンを期待していたら、
春の七草のお粥が出て来た、

その位のギャップを、私は感じました。

アメリカ資本で作られた、アメリカ映画、
如何にも、アカデミー賞が好みそうな感じの作品という印象。

 

大体、題名も意味不明じゃないですか「ミナリ」って。

『人は見た目が9割』なんて本も、昔、流行りましたよね。

つまり、「身なり」をキチンとしろ、という作品なのかな?

と、思われるでしょうが、然(さ)に非ず。

「ミナリ」というのは韓国語の固有名詞、
日本語で言うところの、「セリ(芹)」なんですよね~。

 

まぁ、そんな事をつらつら書いていると、
「え?何か、つまらなさそう」と思われるのかもしれませんが、そうではありません。

本作の制作会社は、
「A24」。

近年でも、
イット・カムズ・アット・ナイト』(2017)
『レディ・バード』(2017)
荒野にて』(2018)
ヘレディタリー/継承』(2018)
ミッドサマー』(2019)
『WAVES/ウェイブス』(2019)等の
話題作、佳作を多く世に出している映画配給会社です。

安心と信頼、実績の「A24」。

私は期待して観に行って、
その通りの満足感を得ました。

 

決して、派手では無い。
観た直後に「面白かった!!」と、満腹する作品では無い。

確かに薄味ですが、しかし、
観た後に、長く、印象と余韻を残すタイプの作品なのだと、本作は言えます。

 

 

旦那のジェイコブは、
田舎の原っぱに、農場を作り、
そこで野菜を育てて、アメリカン・ドリームを実現させようとします。

自分は、工場のヒヨコ鑑定人で終わるつもりは無い!と、
鼻息荒く意気込んでいるのです。

一方、奥さんのモニカはもっと現実的。

人里離れた所で暮らすより、
心臓に疾患を抱えたデヴィッドという息子を抱えている以上、
病院の近くの方が、余程良いではないかと不満を漏らします。

そうして、二人の夫婦喧嘩は始まりますが、

娘のアンとデヴィッドは、その様子に慣れたもので、
「喧嘩は止めて」とのメッセージ付きの紙飛行機を、
両親めがけて投げつける様子。
(勿論、二人にはシカトされますが)

そんな不協和音を和らげるべく、
韓国からやって来るのは、アンの母親のスンジャ。

農場の方にも、
近所の変わり者のポールを、手伝いとして雇います。

そんなこんなで、
一家の新しい生活が始まりますが、、、

 

 

本作、
年代的には、40年位前?
1980年代なのだそうですが、
ハッキリとは明言されていません。

また、
舞台となるのは、アーカンソー州ですが、
この牧歌的な雰囲気は、
「いつか、何処かで見た、心の故郷」みたいな印象を受けます。

つまり、何が言いたいのかというと、

本作には、
時代や年代に左右されない、

夢と挫折、喜びと苦悩といった、
普遍的な、
家族の物語が描かれているという事なのです。

 

その木訥でありながら、
一生懸命な必死さ、不器用さが、
胸に深く刺さります。

ああ、これは、私の物語なのだ」と。

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』(2019)より、
はるかに「自分の物語感」がありますね、ええ。

 

コロナの影響で、
ハリウッド系の大作映画が、軒並み公開延期状態となっている昨今。

私も、ド派手なドンパチ映画、大好きですよ。

しかし、
こんな、困難な時代だからこそ、

こういう、
静かですが、しっかりとした作品を鑑賞する必要も、
あるのではないでしょうか。

それこそ本作『ミナリ』(セリ)の様に、
水辺で逞しく繁殖するが如くに。

 

 

  • 『ミナリ』のポイント

夢と挫折、喜びと苦悩の家族の物語

普遍的だからこそ得られる、鑑賞者の感情移入

セリ(芹)という植物

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • ミナリ(セリ)

本作の題名は、『ミナリ』。
日本語で言うところのセリです。

公式サイトの説明によりますと、
「ミナリ」は、

「たくましく地に根を張り、2度目の旬が最もおいしいことから、子供世代の幸せのために、親の世代が懸命に生きるという意味が込められている。」
(以上、公式サイトより抜粋)

のだそうです。

日本でも、
春の七草として親しまれている野草ですが、
こう聞くと、
何の味も素っ気も無い題名に、
深い意味があったのだと、感心させられますね。

 

  • 見た目通りでは、非ず

本作で「ミナリ」という言葉の意味が判明するのは、

お婆ちゃんのスンジャが、
「よ~く、逞しく、育て」と、
水辺に勝手に、外来種(韓国産)のミナリを植えちゃうシーンなのですが、

この場面、
ミナリの事を言っている様で、
実は、
病気がちという事で、若干過保護気味に育てられている、
一家の息子のデヴィッドに向けて言っているんですよね。

 

本作には、そういう、
解り易く見えているものの裏側に、
もう一つ、意味が込められている、
そんなシーンが多い印象を受けました。

 

代表的なものは、
近所の変わり者のポールの描写です。

初見のポールの印象は、
朝鮮戦争とかに参加して、
ちょっとオツムがイカレ気味になっちゃったのかなぁ、なんて、
身も蓋もない事を、鑑賞者に思わせたりもします。

どうやら彼はキリスト教徒らしいのですが、
日曜日には教会に行く事は無く、
その代わりなのか、
タンクトップで、大きな十字架を担ぎ、練り歩いており、

その姿を見た教会の子供達は、
「変人だ~」と笑い、はやし立てるのです。

 

確かにポールは、初見では変人に見えます。

私の幼少期、小学生時代にも、ポールの様な、
学校で噂になる「変なオジサン」が居たのを覚えています。

しかし、ポールは、
世間一般から見る所の「変人」ではあっても、
「変態」では無いんですよね。

その事には、
本作を鑑賞する間に、観客にはちゃんと伝わります

 

何か、ぶつぶつ言っていますが、
それは、ポールなりの、意思疎通方法なのだな、と。

確かに、ちょっと、突拍子も無い言動も多いですが、

食事に呼ばれた時は、キチンと、綺麗に身なりを整えるという常識も弁えています。

 

一見、滑稽に見える「十字架担ぎ」も、
ジェイコブを献身的に支えているのも、

朝鮮戦争に参加し、何かあったのか?
その事への、彼なりの贖罪なのかも?

そんな事に想いを至らせると、

ポールを変に思った自分が、
まるで、彼をはやし立てた子供程度の知能しか無いような気分になってきて、
気恥ずかしいです。

 

  • 家族の物語

本作『ミナリ』は、
そういう手法にて、家族も描写しています。

 

父親のジェイコブは、
「常に家族の事を一番に考えている」と口では言っていますが、

いや、確かに、彼はそう思っているのでしょうが、

それでも、彼の行動を客観視するなら
農場を成功させて、一山当てたいという、
自分の夢というか、自尊心を第一に考えている節があります。

勿論、それが悪いと言っているのではありません。
あくまでも優先順位の話であり、

夢を追い、韓国からアメリカへ移民したのに、
工場でヒヨコの尻を眺めて一生を終えるのは厭だという、

人生というか、
自分の置かれている平凡以下の日常に対する不満、叛逆心は、
誰の心にもあるものではないでしょうか。

 

母親のモニカは、より現実を直視し、
お金の心配や、日々の生活、
息子の心臓疾患などに対処するには、何が最善なのかと問いかけます。

しかし、
彼女の信仰心や、
息子に対する過保護気味な接し方を客観視すると、

それは、「救い」の為に、
単に、問題の対処法を、ステレオタイプの「型」に当て嵌めているだけの様に見えます。

確かに、
宗教の様に、
「個人(彼女自身)の心の平安」は訪れますが、
それが、問題の解決には(直接は)寄与しないのですね。

しかし、モニカの様な、
真面目に日々生きていても、事態が好転しない、
そんな報われ無さに、
単なる観客である私でも、内心、忸怩たる思いが湧き上がります。

 

お婆ちゃんのスンジャもそうですね。

彼女は、孫のデヴィッドに、
「普通のお婆ちゃんらしくない」と言われてしまいます。

実際、
花束に夢中になって、Youtuberの「もこう」さんみたいに暴言を吐いたり、
「ちんぽが壊れた!」とか嬉々として発言したり、
プロレスのTV中継に釘付けになったり、
一見は、型破りな印象を受けます。

しかし、
自分も歳を取り、
むしろ、お婆ちゃんの方に近い年齢となった今、
スンジャの気持ちが解ります。

知らない土地で、
家族と言っても、半分は知らないメンバー相手に、
敢えて、上手く溶け込む為に、
最も、効果的な役割として、
一家の「道化」的なペルソナ(仮面)を被る事を、
意図して選択しているのだと思います。

 

厳しいが、マイペースな父。
過保護で、常識を「押し付ける」母。

そんな中に入って、スンジャは、
デヴィッドに、
人生の楽しみ方を教えます。

まるで、王を楽しませる、クラウンの様に。

 

怪我をしてデヴィッドを治療した時には、プロレスラーの様に「ストロング」だと褒めたり、
ちょっと駆けっこしようかと、誘ったり、
祈りでは、現世の救いは訪れないと、諭したり、、、

まるでスンジャは、
道化の仮面を被った賢者の様に、
デヴィッドを導きます。

実際、
友達と花札をする時に、
スンジャの様に暴言を吐いて、一目置かれたりしますが、

やはり、クライマックスシーンが、
デヴィッドとスンジャの関係性の山場と言えるでしょう。

 

ジェイコブが収穫した野菜の納屋を、
不審火で火を付け、
全焼してしまうスンジャ。

焼け落ちる納屋を前に、
二人の世界に入るジェイコブとモニカですが、

原因を作ってしまったスンジャは、
いたたまれなくなって、そっとその場から立ち去ってしまいます。

そんなスンジャを追いかけるのは、
子供達二人です。

結局、親と言っても、
夫婦の関係性により、
結果的に、子供がおざなりにされる事もあり、
そういう事が、描写されます

そんな頼りない両親の庇護を振り切る様に
デヴィッドは、
ドンクサくも、必死に、不格好に走って、
スンジャに追いつくのです。

アンとデヴィッドは言います。
「家はそっちじゃないよ」と。

この台詞が良いんですよ。

 

一見、子供っぽい無邪気さの、
志村けんのコントの様に、ボケ老人に向かって「お婆ちゃん、もう食事したでしょ」的なノリの「家の方向が違うよ」という意味合いだと思われますが、
違うんですよね。

お婆ちゃんが、火を付けてしまって、
いたたまれなくなって、消えてしまいたい、
そう思って、あらぬ方向へ歩き出した、

その事を、子供特有の敏感さで、二人はキャッチしているのです。
何故なら、両親の喧嘩に、
日常的に、触れている子供ですもの、
そういう機微には繊細になっているハズです。

その事を解っているから、
敢えて、無邪気っぽく言った、
お婆ちゃんに、余計なストレスを与えない為に

 

そして、スンジャも、
子供達が、必死さを隠して、
さりげない態度を装っている事に、気付いているのです。

何故なら、
デヴィッドが走ってくる、足音が聞こえていたハズですから

だから、スンジャは、
孫達の手を取る事が、出来たんですよね。

 

さて、
私にも、祖母がいました。

これが、スンジャにソックリなんですよ。

顔と、首の見えるところを化粧する感じとか、
ちょっとおどけた態度とか。

しかし、
親の心子知らずではありませんが、祖母の心孫知らず。
今となっては、亡くなった祖母の気持ちは、推し量るしかありません。

今、
むしろ、祖母に近い年齢となり、
自分が孫と接する時に、
祖母やスンジャの様な態度をとってしまうのではないか、
そんな事を考えてしまいます。

おそらくその時、
真に、祖母の気持ちが理解出来るのでしょう。

 

問題は、
私には孫どころか、
子供も居ない所ですがね!!

 

まぁ、何が言いたいのかと言いますと、

本作『ミナリ』は、
表面の言動だけが描写されているのでは無く、
その裏に隠れている二重の気持ちの描写が見事であり、

また、
鑑賞者によって、
様々な人物に感情移入出来るのだという事です。

 

 

 

アメリカン・ドリームを目指す韓国系移民。

その姿を通して、
普遍的な家族の物語を描く『ミナリ』。

本作は、
表面的な言動と、
その潜在的な本心が違う人物の二重性なども描いていますが、

それと同時に、
物事(イベント)の因果関係の曖昧さも描写しています。

 

ジェイコブは、
科学的知識で水源を引き当てますが、
程なく、枯れてしまいます。
また、家族を顧みない選択をした罰で、納屋が焼けた、
という訳ではありません。

スンジャは、
祈りを否定した、という天罰で、脳梗塞になったとは、
言えません。

モニカは、
母の脳梗塞が快復するように、
ポールと共に祈りますが、
それが効果があるとは描写されません。

デヴィッドは、
土地や水、環境によって心臓疾患が直りつつあると医者は言いましたが、
そこに、明確な医学的エビデンスはありません。

 

信条や宗教、
科学や医学、
どういった立場から見ても、
原因と結果に、解り易い因果関係が示され無いのです。

 

こういう表現こそが、
本作が持つ、独特の無常観というか、

人生という「ままならないもの」の真髄が描かれているのでは、ないでしょうか。

 

それは、本作のラストシーンにも表われています。

野菜の納屋が焼け落ち、
これで、心機一転、
ジェイコブは前言通り、
スッパリ農場経営を諦めて、家族とカリフォルニアへ移住する、

何てことにならないのです!
Why? どうして?

諦めるどころか、
なりふり構わず、
以前、馬鹿にした、ダウジングで水源を探すなんて事をしているのです。

ポケモンみたいに、
「きんのたま」や「ポイントアップ」が都合良く見つかるのか!?

 

一家は、
人生という、因果関係の無い、原因と結果に翻弄されています。

しかし、ラストは、
納屋が焼け落ちる(原因)
→農場経営を諦めて、カリフォルニアに移住する(結果)
という当たり前(に思われる)因果関係を、

納屋が焼け落ちる(原因)
→農場経営を諦めない(結果)
という、因果関係を断ちきる展開に、意思と選択で、持って行っているのです。

 

まるで、水辺で繁茂する、ミナリの様に。

本作『ミナリ』は、
人生を生きるには、
そういう逞しさが必要なのだ、
それを描写して終わるのです。

 

確かに、決して、派手では無い。

しかし、終始、丁寧な心情描写と場面描写にて、
『ミナリ』は心に残る作品となっているのではないでしょうか。

 

 

 


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