映画『ナポリの隣人』感想  希望では無く、最後に残るのは、積み重ねた現実

現在は引退している、元弁護士のロレンツォ。腕は良いが、その仕事ぶりには悪評が絶えなかった。妻とは死別し、娘とも、息子とも疎遠で一人暮らしの彼の隣に、若い一家が引っ越して来る。ロレンツォは、彼達と、自分の家族では得られなかった様な交流をするのだが、、、

 

 

 

 

監督はジャンニ・アメリオ
イタリア出身。
監督作に
『宣告』(1990)
『小さな旅人』(1992)
『いつか来た道』(1998)
『家の鍵』(2004)
『最初の人間』(2011)等がある。

 

出演は、
ロレンツォ:レナート・カルペンティエーリ
エレナ:ジョヴァンア・メッゾジョルノ
ミケーラ:ミカエラ・ラマッツォッティ
ファビオ:エリオ・ジョルマーノ 他

 

 

 

ナポリと言ったら、
何を思い浮かべますか?

ローマ、ミラノに次ぐ、
イタリア第三の都市であり、
観光スポットとしても有名なナポリ。

しかし、
私が真っ先に思い付いたのは、
ナポリのピザだったりします。

ナポリのピッツァは、マルゲリータが有名で、
また、
ナポリのピッツァ職人が、
ユネスコの世界無形文化遺産に登録されている程です。

後、
ナポリと言えば、
ナポリタンですが、
これは、和製英語というヤツで、
実は、日本生まれなんですよね。

 

まぁ、
そんな食べ物とは全く関係の無い、
本作『ナポリの隣人』。

イタリアの都市が名前になっている映画と言えば、
『ベニスの商人』とかがありますが、
それともまた、別の話。

また、
「~の隣人」と言えば、
『Y氏の隣人』(吉田ひろゆき・著)という漫画を思い浮かべますが、

何となく、

不条理かつ、辛辣な空気感は、
本作と通ずるものがあります。

 

 

本作は、
「隣人」と題名に付く位なので、
その「隣人」と交流する訳ですよ。

しかし、
ロレンツォは、
自身の家族関係は破綻しています。

それも、
彼自身の、浮気が原因で、、、

そんな訳で、
思わぬ温かい交流に、
ロレンツォも、良き隣人として接する訳です。

まるで、
実の家族にしなかった事を、
隣人に対して行っているかの様に。

しかし、、、

 

本作は端的に言うと

家族関係の物語。

 

しかし、
理想やファンタジーでは無く、
より現実に即した、
厳しい人間関係を見せつけて来ます。

生き方の多様性が問われる時代に、
家族とは、どうあるべきか、
『ナポリの隣人』は、その事を訴える作品と言えるでしょう。

 

 

  • 『ナポリの隣人』のポイント

人生の積み重ねが、現在

実の家族だからこそ、傲慢になってしまう

他人だからこそ、優しく出来る

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 家族関係とは

『ナポリの隣人』は、
辛辣な家族関係の物語です。

自らの浮気で、
家庭を壊したロレンツォ。

妻とは死別しますが、
娘のエレナは、母が死んだのは、
ロレンツォの浮気が原因だと信じています。

息子のサヴェリオと言えば、
幼少の頃、父に構われていなかったのか、
弱ったからって、今更頼るなよ、と言う、
如何にも男性的な主張で、父を遠ざけています。

そのサヴェリオは、
仕事で新しい事業に手を出すからか、
姉のエレナに金を無心する始末。

ロレンツォの家庭は、
何処か、歪な感じがします。

しかし、
公共福祉が発達し、
金銭さえあればある程度快適に過ごせる現代において、
それに比例するかのように、
家族関係が希薄になるのは、
ある意味、必然と言えるのかもしれません。

 

何故なら、
結局、人生のストレスというものは、
人間関係から生まれるからです。

家族と言えども、
相手を思いやる気持ちが無いと、
人間関係が破綻してしまいます。

家族だからと言って、相手の気持ちを疎かにしてしたり、
相手の気持ちを忖度する事を面倒くさがったりすると、

忽ち、
家庭が冷え切ってしまいます。

相互に尊敬出来ないと、
家族でも、関係が破綻してしまうのですね。

 

  • 「隣人」という代替行為

自らの家庭を壊してしまったロレンツォも、

しかし、
不意に隣に越して来た、ミケーラの一家との交流で、
何とも人間臭い対応を見せます。

 

他人と接する時は、
相手に対して、最初は遠慮があります。

遠慮が、丁寧な対応を生み、
初対面の印象は、互いに悪くない事も多数。

そこから、
相互に気持ちの良いままの人間関係が始まるという時もあります。

「そこにあるのが、当たり前」
という前提の家族関係と、

相互努力が必要な、他人との交流とは、

その点が違う所ですね。

 

しかし、
そんな、ロレンツォとミケーラの一家の理想的な交流も、

ミケーラの夫・ファビオの凶行により、
あっさりと破壊されてしまいます。

 

作中、
ファビオが情緒不安定である事は描写されますが、

彼が、具体的に、何に悩んでいるかは描写されません。

これは、
どんなに良好な関係であっても、

結局は他人は他人であり、

片方だけが胸襟を開いたとしても、
相互に本音の無いものならば、
上辺だけの関係になってしまうという事を表しています。

 

そういう意味では、
他人との交流というものは、

結局は「代替行為」であり、

社会生活の最小単位たる「家族」程の深い理解には及びません。

とは言え、
その家族であっても、

例えば、
作中でのロレンツォの家庭、
また、幼少のファビオと、その両親の関係など、

相互に理解しようと求めなければ、
真に「家族」と言える関係は築けないのです。

 

 

現代においては、
家族が無くても、生きて行ける。

しかし、
そんな時代だからこそ、

家族という社会単位こそが、
最後に残る大事なものだと、

『ナポリの隣人』は訴えているのだと思います。

 

 

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