映画『Mr.ノーバディ』感想  俺はまだ、本気出してないだけ!!キレるオヤジの暴走活劇!!

町工場で会計士をしている、ハッチ・マンセル。
朝はゴミ出し、作った朝飯は誰も食わず、路線バスで出勤し、ルーティンワークの一週間を過ごし、ダブルベッドで一緒に寝ている妻には枕で「壁」を作られている。
変わらない日常。しかし、ある夜、家に強盗が侵入し、、、

 

 

 

 

監督は、イリヤ・ナイシュラー
ロシア出身。
一人称視点で突っ走った初監督作品『ハードコア』で名を知られる。

 

出演は、
ハッチ・マンセル:ボブ・オデンカーク
ベッカ・マンセル:コニー・ニールセン
ブレイク・マンセル:ゲージ・マンロー
アビー・マンセル:ペイズリー・カドラス

デビッド・マンセル:クリストファー・ロイド
ハリー・マンセル:RZA

ユリアン・クズネツォフ:アレクセイ・セレブリャコフ 他

 

 

 

邦題『Mr.ノーバディ』。
原題も『Nobody』。

自らのことを「誰でもない」と嘯く男を演じるのは、
ボブ・オデンカーク。

映画鑑賞歴30年を誇るこの私でも、
「誰?」と言ってしまう役者さんです。

どうやら、放送作家としてエミー賞を獲得していたり、
近年の役者活動では、TVシリーズを中心に出演していたりしている様です。

映画では、
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2018)に出演していた様ですが、
…思い出せない、、、。
(パンフ見たら「あ、この人」と思い出せました)

 

映画ファンから見ても、「ノーバディ」なボブ・オデンカーク。

そんな彼が演じる「何処にでも居る普通のオヤジ」のハッチ・マンセルのマイホームに、
ある深夜、強盗が入ります。

ハッチは特に抵抗もせずに、
被害も最小限に抑え、
荒ぶる強盗をいなして事を穏便に収めました。

…しかし実際は、
息子が強盗に飛びかかった時点で、
制圧しようと思えば、出来た。

スルーした父親の様子に、息子は落胆。
捜査に訪れた警官も、
その行動を褒める一方、自分だったら家族を守る為に奮起したと言います。

そんな事件を聞いた隣のオッサンは、
「自分の所に来てたら、シュッシュッ」(シャドーボクシングのポーズ)とイキり、

義弟はハッチに銃を渡し、
「これで家族を守れ」と言います。

被害を最小限に抑え、
誰も傷付かない選択を採った彼の行動は、
間違いだったのか?

皆に小馬鹿にされ続けた彼の中で、
何かが起こる、、、

 

 

キレる若者、
キレる老人みたいな話は枚挙にいとまがありませんが、

本作『Mr.ノーバディ』で描かれるのは、

キレたオヤジの暴走です。

 

皆さんも経験ありませんか?

学校にて、不必要な上から目線で語りかけてくる先生に、
職場で、フザケた言動をしてくる上司や取り引き先に、
なんなら、
コロナという状況下の、この世の中のあらゆるモノに、

「あ~、この目の前の生意気なヤツ、ぶん殴ったらスカッとするだろうなぁ」

 

そういう、
陰キャの頭の中だけの妄想を現実化した作品
それが本作と言えるのです。

 

抑圧された人間は、
目を逸らし、頭を下げ、
トラブルから回避して穏便に過ごす事が当たり前。

そんな飼い慣らされた状況に、
一生甘んじなければならないのか?

否!!

お前ら、知っているのか?

馬鹿にされ続けた人間は、
何時の日か、キレるのだ!!

 

そうです。

本作を上級国民が観ても、
な~んも、面白くないでしょう。

しかし、虐げられた日常を送る一般国民は違う。

本作は、ストレスフルな現代を生きる我々にとって、
一服の清涼剤となる、

『Mr.ノーバディ』は、
そんなスカッと爽やかな作品と言えるのです。

 

 

  • 『Mr.ノーバディ』のポイント

キレるオヤジの暴走!!

本性とペルソナ

三つ子の魂百まで

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • don’t let me be misunderstood

本作『Mr.ノーバディ』は、
その冒頭、取り調べ室で、傷だらけの男が調書を取られている風の場面から始まります。

その場面で流れる音楽は、
ニーナ・シモンの1964年の楽曲『Don’t Let Me Be Misunderstood』です。

 

『Don’t Let Me Be Misunderstood』と言えば、個人的には、
クエンティン・タランティーノの作品『キル・ビル』(2003)にて使われた、
サンタ・エスメラルダのカバーバージョン(1977)のラテンアレンジに馴染みがありますが、

本作で使われたのは、オリジナルバージョンです。

 

『Don’t Let Me Be Misunderstood』の邦題は、『悲しき願い』。

その歌詞のサビの部分「Oh lord, please don’t let me be misunderstood」をグーグル翻訳してみると、
「おお、主よ、私を誤解させないでください」となりますが、

文脈というか、歌の内容に即して訳すと、
「ああ、主よ、どうか私を誤解しないで下さい」となります。

 

悪気がある訳では無いのに、
やることなすこと上手く行かず、
「その事は、誤解しないでくれ」という、
人とのコミュニケーション不全に対する悲しき願いを歌った作品です。

何となく、本作を暗示する歌であり、
テーマソングとも言えるものが、冒頭に流れるのですね。

 

…しかし、
映画の内容は、歌とは強烈に逆方向であり、
一見、無害そうなオヤジを舐めきって、誤解し、
凶悪な本性を見誤っている世間に対する警告
として使っているんですがね!!

 

  • 俺はまだ、本気出してないだけ!!

そんな本作『Mr.ノーバディ』は、
キレるオヤジの暴走を描いた活劇です。

しかし、実は普通のオヤジでは無く、
ハッチ・マンセルは過去のある男、
所謂、「実は、スゴ腕」系の人物だったのです。

 

まぁ、素性を隠した男が「実は、スゴ腕」系の「能ある鷹は爪を隠す」映画は、
王道的というか、割と多くて、

シルベスター・スタローンの『ランボー』(1982)
トム・クルーズの『アウトロー』(2012)
デンゼル・ワシントンの『イコライザー』(2014)
キアヌ・リーブスの『ジョン・ウィック』(2014)
ベン・アフレックの『ザ・コンサルタント』(2016) etc…

手を出したら、圧倒的なプロフェッショナルで、
秒殺KO必至の戦闘力を備える危険人物だったという展開の作品ばかりです。

 

まぁ、しかし、
無名時代のスタローンはともかく、
トム・クルーズとかデンゼル・ワシントンとかだと、
只者では無いっていうのが、映画を観ている方も、予め分かってますよね。

このメンバーと比べると、
ボブ・オデンカークという人物を主役に据えたのは、
本作が他の作品とは一線を画している部分であると言えます。

つまり、主演が有名ではない故に、余計な先入観が無く
映画の観客も、
主役が市井のモブキャラであるという感覚を得る事が出来ます

 

更に言うなら、
他の主役メンバーは、
已むにやまれぬ状況というか、
隠した実力を出さざるを得ない、

窮地に陥ったとか、
弱い者を助けざるを得ないとか、
理不尽に誇りを踏みにじられたとか、
そういう理由があるのです。

 

しかし、本作のハッチ・マンセルは、
まぁ、已むにやまれぬキレる状況というより、
「俺は本当はスゴいんだぞ」
「俺は本気出してないだけ」という、
自身のストレスを発散する為の、

この、ある種の、
自分の自分による自分の誇りを守る為の、
自己承認欲求を満たしていると言える、
極、個人的な、
身も蓋もない俗な理由で暴れキレ散らかしているんですよね。

 

しかも、傑作なのは、
バスのシーンです。

家族や隣の住民、義弟など、
みなに小馬鹿にされストレスを溜め込んだハッチ・マンセル。

強盗の家を発見し、「お礼参り」に行くも、
介護が必要な赤ん坊の様子を見つけ、
自分の行為に自己嫌悪を覚えます。

何処にも向ける事が出来ない怒りまで抱え込んだハッチ、
その帰り道、
バスに「輩」が乗り込んで来ます。

ここで、ハッチ・マンセルの心の声が聞こえます。
「キタ~」
もう誰でも良い、理由なんて必要無い
見るからに悪者だから、コイツらボコって鬱憤晴らすわ
(意訳)と。

この思考回路、
完全に、陰キャの妄想、発想なんですよね。

ですが、
我々は頭の中だけで満足させる事を、
ハッチは、実際に行動に移してしまうんです。

とは言えハッチ、他の映画の達人と違い、
ブランクがある為に、
町のチンピラに喧嘩を売りはしますが、
余裕綽々で処理するとは行かず、割とボコられ返り討ちにあっているのが、良いんですよね。

 

  • 三つ子の魂百まで

チンピラにボコられ、
バスの窓から地面に落下したハッチ。

そこから帰ると思いきや、
フラフラ状態で、再びバスに乗り込むシーンなんて、
最高にサイコーです。

久しぶりの暴力を、
ハッチは堪能しているんですよね。

 

で、チンピラを思う存分ボコって、溜飲を下げたハッチ。

その夜、翌日は気分さっぱり、
超ご機嫌のウキウキにはなりますが、

実は、輩と思ったチンピラの身内に、
本職のロシアンマフィアが居たという、

まぁ、暴力行為によくある、
状況がエスカレートしてしまう状況が起こってしまうのです。

しかし、そこからハッチは覚醒し、かつての必殺仕事人の技術を取り戻し、
むしろ、
その状況を堪能し、満喫してしまうんですよね。

 

昔、私はポケモンが好きでした。

しかし、シリーズの「ルビー、サファイア」までやって、
何となく飽きて、ゲームもあんまりやらなくなりました。

しかし、
十数年ぶりに久しぶりにやったポケモンシリーズの「サン、ムーン」が、
凄く面白かった。

人間、昔好きで夢中になったものは、
一度捨てたとしても、
その心の奥底では、何時までもくすぶり続けるものなのです。

 

映画の冒頭、
ルーティンワークの一週間を過ごすハッチの様子が、

「月曜日」「火曜日」「水曜日」、、、と描写されますが、
その曜日のテロップを出す時の勢いと効果音が、
ホラー映画のソレです。

ハッチは言います。

普通の日常が欲しくて引退した身ではありますが、
実際に生きてみた「普通の日常」は、
彼にとっては、逆に、
ホラー映画の恐怖の日々的な「非日常」であったのです。

 

ハッチの父、現在は介護施設に入居しているデビッド・マンセルは作中で言います。

「本当の自分を思い出せ」
「これ(銃撃戦)が辞められない」と。

何年経っても、
自分の本質が夢中になったものは、
好きでい続けるものなのです。

それを言うのが、
かつて、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの「ドク」役で一世を風靡した役者、
クリストファー・ロイドであるのがまた、良いですね。

かつて映画で有名になったら、
映画に出ることを辞められない、みたいな感じで。

 

こういう、俗っぽい思考回路、
プロフェッショナルと言い難い自己抑制の無さが、

ある意味、本作の魅力とも言えるのです。

 

  • 俗っぽさのリアリティ

その俗っぽさ故に本作は、
プロフェッショナルな殺人技術を持つ主人公でありながらも、

観客の共感というか、
感情移入が可能な作品であると言えるのです。

 

さて、実は本作、
その企画の開始は、
主演のボブ・オデンカークのアイデアが元になっています。

つまり、
作品冒頭の「家に訪れた強盗を、穏便に対処する」とう展開は、
なんと、彼自身の実体験なのです。

被害を最小限に抑えるのが、正しい行動である、
それは、理性で理解出来る。

しかしそれは、父親として、正しい行動であったのか?

 

この煩悶のリアリティが、
本作に生き血を与えているのは、想像に難くありません。

更に、ボブ・オデンカークは、
本作を演じるにあたって、二年間、
アクションの訓練を積んだのだと言います。

本作の白眉の、
あのバスのシーンは、
なんと、オデンカーク自身の、
ノースタントの演技なのです。

 

また、本作の監督のイリヤ・ナイシュラーは、
全篇主観視点のアクション映画『ハードコア』を撮った人物。

つまり、
どの様に描写すれば、
観客を主役に感情移入、没入させられるか、

その事を考えて実践した人物なのです。

 

家族も知らない「スゴ腕」の過去を持つ男というファンタジーを描きながら、

そこに、
感情面と、描写面で、
観客にリアリティを感じさせる、

それが本作『Mr.ノーバディ』の魅力であり、

このストレスフルな時代において、
本作がそれを一時でも解消させてくれる、
清涼剤の様な作品なのは、

そういうバランス感覚を実現しているからなのではないでしょうか。

 

 

 


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