映画『貞子』感想  希釈された恐怖の行方…


 

マンションに住む祖父江初子という女性が、自らの家に放火した末に死んだ。その初子の、自らの名前も言えぬ少女を病院が保護する。その病院の心理カウンセラー秋川茉優の弟、和真は動画製作で食っていくと、肝試し感覚で、ビデオを回しながら火災現場を撮影するのだが、、、

 

 

 

 

監督は中田秀夫
監督作に、
『女優霊』(1996)
『リング』(1998)
『リング2』(1999)
『仄暗い水の底から』(2002)
『ザ・リング2』(2005)
『クロユリ団地』(2013)
『スマホを落しただけなのに』(2018)等がある。

 

原作は鈴木光司の『タイド』。

 

出演は、
秋山茉優:池田エライザ
石田祐介:塚本高史
秋川和真:清水尋也
少女:姫嶋ひめか
祖父江初子:ともさかりえ
倉橋雅美:佐藤仁美 他

 

 

 

『天元突破グレンラガン』のアンチスパイラルの真の目的って知っていますか?

アンチスパイラルが目指したモノ、
それは、「らせん生物」の根絶。

つまり、
『リング』『らせん』『ループ』と続く、
「貞子の呪い」を断ち切らんが為に奮闘したのが、
アンチスパイラルなのです!!

 

…などと言う、
ちょっと、何を言っているのか自分でも分からない冗談はさて置き。

 

さて、映画『貞子』です。

 

日本映画屈指のホラー作品『リング』(1998)から21年。

同じ監督が、
再びというか、三度、
(アメリカ版も含めれば四度目)
貞子の呪いを描く!!

その名もズバリ、『貞子』!!

 

…なんですけど、

もう、ぶっちゃけ、
貞子、怖くない。

 

いや、
ホラーとして、なんとか怖がらせようと、
涙ぐましい努力をしているのは、解ります。

しかしもう、
良くも悪くも、キャラクターとして確立してしまっている「貞子」を、

今更ホラーとして描くのは、
ちょっと無理があったのかもしれません。

 

いや、
ホラー映画としては、
最低限、面白さはあるんです。

しかし、
あの、『リング』の系統の作品と言われれば、

どうしても、
初代の映画『リング』と比べてしまう、

その結果、何処か、物足りなさを感じてしまう、

 

これこそ、
シリーズものの宿命みたいなものですね。

 

結局、
「貞子」って言われれば、映画観に行っちゃうけれど、

既に、観客側は、
「貞子」が提供する「恐怖の型」に慣れきってしまって、
耐性が出来ているのです。

 

そこで、
単純に「貞子の呪い」を描く事をせずに、

本作では、一捻り入れているのですが、

そのアイディアが、
結局、初代の『リング』程怖く無いのです。

 

観ている間は、
それなりに楽しめます。

しかし、
直近で観た映画と比べると、
ラ・ヨローナ ~泣く女~』(2019)の方が、
ホラーとしては五倍くらい怖かったですね。

 

かつて、
『リング』にて日本のみならず、
世界を席巻した「貞子の呪い」。

しかし今は、
そのフォロワーたる作品に、
ホラー映画として後塵を拝してしまう。

まるで、
千代の富士 vs. 高花田
若しくは、
セリーナ・ウィリアムズ vs. 大阪なおみ
の試合の様に…

かつてのチャンピオンが、
現在においては通用しない様子を観て、
何故か、哀しい気持ちになる。

 

そういう胸の苦しみを感じる映画、
それが『貞子』なのです。

 

 

  • 『貞子』のポイント

貞子の再利用(リサイクル)

希釈された恐怖、消費されたアイコン

映画監督とYouTuber

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 


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  • 希釈され、消費された「呪い」

皆さん、
貞子が登場する、
いわゆる「リング」シリーズって、
映画で何本あるか知っていますか?

『リング』(1998)
『らせん』(1998)
『リング2』(1999)
『リング0 バースディ』(2000)
『ザ・リング』(2002)(アメリカ版)
『ザ・リング2』(2005)(アメリカ版)
『貞子3D』(2012)
『貞子3D2』(2013)
『貞子vs伽耶子』(2016)
『ザ・リング/リバース』(2017)(アメリカ版)

実に、
アメリカ版も合わせれば、10作品。

本作が、
11作目の貞子なんですよね。
(アメリカ版の貞子の名前は、サマラ)

 

これも、ホラー映画の宿命なのか、

一作目がヒットしたら、
延々とシリーズが作られ続け

そして、
恐怖の象徴たる「モンスター」が、
シリーズの「顔」としてアイコン化してしまうのですね。

「13日の金曜日」シリーズしかり、
「エルム街の悪夢」シリーズしかり。

 

シリーズが作られ続けると、

ヒットの主要因だったハズの、初代の恐怖要素がスポイルされてしまい、

結局、モンスターのキャラクター性のみがフューチャーされてしまいます。

それが、ホラー映画シリーズの辿る道であり、

本作も、その道を踏襲しています。

 

何故、そんな事が起こってしまうのか?

それは、
ホラー映画シリーズの初代は、
アイディア重視の作品だからです。

展開が面白いんですよね。

しかし、
シリーズ化してしまうと、
同じ展開では飽きてしまう、

それなら、
モンスターのビックリ要素を強調しよう、
そういう方向性に行ってしまいがちなのです。

結局、
初代のアイディアは使えず、
それを捨てて、

キャラクター重視の作品になってしまいます。

 

「リング」シリーズで言うと、

確かに、初代の『リング』は怖かった。

何より、「貞子の呪い」のネタが秀逸でした。

結果、映画は大ヒット、
日本のみならず、世界中で多くの人間が、
「貞子の呪い」に触れてしまう事になりました。

「貞子の呪い」の恐ろしさの真髄は、「呪いの拡散」

そういう意味では、
現実に於いて、全世界規模に呪いが拡散し、
貞子の怨念の目的は成就したと言えるでしょう。

しかし、

知られすぎた為に、
逆に、
その恐怖がスタンダードと成り、

恐怖が通用しなくなってしまった。

恐怖(呪い)が、広範囲に拡散され過ぎて、
今度は逆に、
呪いの効果(恐怖)が希釈されてしまったのです。

 

『ジョジョの奇妙な冒険』で言うなら、

強いスタンドを持っていても、
スタンドの性質と能力がバレバレだったら、
攻略されて、敗北してしまう、

それと同じですね。

 

既に「貞子の呪い」の性質はバレバレなので、

「リング」シリーズは、
「貞子」というモンスターをフューチャーする方向に、
途中で舵を切りました。

 

そして本作では更に、
関係の無い第三者が(本作では「少女」)「貞子のキャラクター性」を復活させる、

という一捻り加えた展開になります。

そのアイディア自体、
展開そのものは、面白いです。

しかし本作では、
「貞子のキャラクター性」を復活させる事が主眼で、
肝心の「貞子の呪い(呪いの拡散)」という、
初代の持っていた「怖さ」からは、程遠いものになってしまっています。

 

勿論、
それは、作り手も重々承知の上での事。

「リング」シリーズの怖さとは違った恐怖を提供しようと、
その努力は見られますが、

結局、
「貞子」を期待して観に来た観客の期待には、
応えていないのですね。

その齟齬が、
解っちゃいても、
もどかしい所です。

 

  • 恐怖の演出

その上で、
『貞子』は、恐怖をどう描くのか。

確かに、
初代の『リング』には及ばないながらも、
現代にアップデートした形で、

面白い恐怖描写もあります。

 

私が一番興味深く観たのは、

和真が火災現場に突撃取材したシーンです。

まるで、
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)や、
『REC/レック』(2007)を彷彿とさせる恐怖感があります。

この場面、
和真の自撮りがメインである為、
まるで、POV(主観視点)のモキュメンタリー(疑似ドキュメンタリー)、
いわゆる、ファウンドフッテージ映画みたいな趣。

剥き出しの映像を編集せず、
生のままの迫力を醸し出す、
それが、ファウンドフッテージ作品の魅力であり、

その「素人感」が、
いわゆる現代の、「YouTuber」に代表される「動画制作者」の映像作品の魅力と通底するとした視点を、
本作は気付かせてくれます。

…しかし、
惜しいのはこのシーン、
緊張感が続く映像なのですが、

肝心の「恐怖描写」というオチが無いのです。

和真がガツンと貞子なり、
祖父江初子の亡霊なりと遭遇して、
グワッと襲われて、
命からがら逃げ出す、

それを観て、観客はビビる!!

…までを、コチラとしては期待していたのですが、
特に映像的なサプライズは何も起こらず、
肩透かしに終わってしまうのはいただけません。

恐怖を盛り上げておきながら、
「この場面で、今から怖がらせおくれ」という観客の期待をハズしてしまうのです。

本作には、そういうシーンが多く、

そのハズしが、
本作における恐怖演出なのでしょうが、
何とも、
観ている方には、期待外れと感じてしまう点なのです。

 

  • 恐怖を、どう描くか

恐怖をどう描くのか?

それにより、ホラー作品の印象は、大分変わってきます。

 

短篇小説ならば、
理不尽さを前面にだした不条理系でも、楽しめます。

しかし、
これが長篇や映画となると、
逆に、理不尽なだけでは、
観客や読者は納得しなくなります。

「恐怖」に理屈を求めてしまうのです。

つまり、
長篇の場合は、
何故、「恐怖」や「怪現象」が起こったのか、
その理由付けや、種明かしが必要だと思います。

論理が必要なのですね。

 

しかし、
本作の場合、脚本が甘く、ツッコみどころが多数あり、
恐怖に論理性が感じられません。

恐怖に論理(理由)が無いので、
クライマックスにて恐怖と対峙しても怖く無いし、
ラストの理不尽なオチで、モヤモヤしません。

論理が無いので、論理を壊される恐怖も無いのです。

 

さて、
恐怖に論理が無いなら、どうするのか?

多くのホラー作品では、
とりあえず人を殺しておくか、
だったら、怖いだろ?
みたいな発想になります。

その結果、
スラッシャームービーというジャンルに繋がっていくのですが、

それは同時に、
モンスターのキャラクター化という側面も持っています。

では、殺す相手は誰にする?

この時、
ジェイソンやフレディは、
リア充を殺す事を選択したのですね。

 

結局、
ホラー映画を好んで観に行く層というのは、
スクールカーストの底辺にいる人物だろ?

だったら、
カースト上位の人間をぶち殺して、
溜飲を下げようぜ。

勿論、
作った方も、かつてのオタク層なのだから、
コレは、俺自身の願望でもあるのだ。

そういう発想なのですね。

 

でも、
本作では、リア充は死にません。

では、本作でぶち殺されるターゲットは何(誰)かというと、

それは、動画制作者なのですね。

 

本作では、
「最近、ネット動画に、恐怖画像が混入する」
という都市伝説があります。

しかしその設定は、
むしろ、本作のストーリー面においては必要ないものであると、
一見、思われます。

では、何故そんな設定を盛り込んだのかと言うと、
それは監督が、
「動画制作者など、呪われろ」
と、考えているからなのですね。

(*私が、そう思っただけで、実際に監督がそう考えているとは限りません

「13日の金曜日」シリーズや、
「エルム街の悪夢」シリーズにてぶち殺されるリア充の立ち位置に、

本作では、動画に呪いの画像が挟み込まれる動画制作者が居るのです。

 

大人数が携わる映画と違って、

ネットの動画制作は、
極少人数、一人でも製作する事が出来ます。

そんな、人間関係や資金繰りというストレスの無い場で、
程度の低い内容の動画を作成しただけで、
クリエイター気取りしやがって、

そんなヤツは、
家族共々、貞子に捕まってしまえ

そういう主張が、
クライマックスから垣間見られるのは、私だけでしょうか。

 

ただ、観客の方は、
動画制作者の事を、恨んでもいないし、どうとも思っていないので、

「動画に挟まる呪いの画像」のエピソードは、
一見、必要なく思えてしまうのです。

作り手と観客との間に、
「叩きたい相手」の齟齬が存在する、

こういうすれ違いが、
本作には多く感じられます。

 

 

 

確かに『貞子』は、
ホラー映画としては、
最早、それ程怖く無いかもしれません。

しかし、
何故「リング」シリーズの恐怖の要素を捨てたのか?
このシーンの意味は、何があるのか?

そういう、
「どうしてこう作ったのか?」というメタ的な目線に立てば、
結構色々楽しめるのです。

『貞子』は、
ホラーで楽しめなくとも、
まだまだ、幾らでも楽しみ方はあるのだと思います。

 

 

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