映画『ソフト/クワイエット』感想  差別意識と集団心理

幼稚園の教師、エミリー。彼女は、主催した集まり「アーリア人団結をめざす娘たち」に自作のパイを持ってきていた。そのパイには「鉤十字」が描かれていた。
ヘイトクライムで盛り上がる参加者達。しかし、会場として使用した教会の神父から「帰ってくれ」と拒絶される。家で飲み直そうと提案するエミリーに従うメンバー達。酒類の買い出しの途中、アジア系の姉妹と遭遇し、、、

 

 

 

 

 

監督は、ベス・デ・アラウージョ
母はアメリカ系中国人、父はブラジル人。
数々の短篇を撮った後、本作で長篇映画デビュー。

 

出演は、
エミリー:ステファニー・エステス
レスリー:オリヴィア・ルッカルディ
マージョリー:エレノア・ピエンタ
キム:ダナ・ミリキャン

アン:メリッサ・パウロ
リリー:シシー・リー 他

 

 

 

アメリカにおいて「ヘイトクライム」というのは深刻であり、
近年においても、
「Black Lives Matter」運動で見られる様に、
根強い差別が存在すると世の中に示しました。

そういうアメリカの世相、社会問題を切り取った作品だと、
本作『ソフト/クワイエット』は言えます。

 

先ず本作は、

ヘイトクライムの問題を扱った映画です。

 

 

ヘイトクライムとは、
Wikipediaの記述を参考にすれば、
「人種、宗教、性的指向、民族への偏見が、動機として明らかな犯罪」だそうです。

社会問題を取り扱った作品という事で、
堅苦しい感じもするかもしれません。

 

確かに、堅苦しく、重苦しいテーマではありますが、

本作はそれ以上に、
エンタメ感もあります。

そのエンタメ感を演出するのが、

92分という上映時間の全篇、
ワンカット撮影という点です。

 

 

ワンカット撮影で印象的な作品として、
近年、
カメラを止めるな!』(2017)
ボイリング・ポイント/沸騰』(2021)などがあります。

本作とも共通する特徴としまして、

テンション(緊張感)と、
ライブ(臨場)感とドライブ(疾走)感が凄い

 

という点があります。

 

普通、映画というのは、
計算され尽くされた構図の芸術性が面白いのですが、

こういう、
ワンカットの、
ある種、一発勝負に懸けた感じの作品は、

完成度というより、
臨場感、即ち、
観客が、実際にその場に立ち会っているかの様なリアル感がウリとなっています。

 

ヘイトクライムが起こる現場に立ち会うという事、
その愚かしさと、
愚行の顛末の取り返しの付かなさ、

それを体験するというだけでも価値がある、

『ソフト/クワイエット』はそんな作品と言えるのではないでしょうか。

 

 

 

  • 『ソフト/クワイエット』のポイント

ヘイトクライム

集団心理というヤンキー思想

全篇ワンカットという緊張感と臨場感

 

 

以下、内容に触れた感想となっております

 

 

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  • 集団心理とヘイトクライム

本作『ソフト/クワイエット』は、
全篇ワンカットという方式を採っており、

それにより、
観客が、まるで映画の現場に実際に立ち会っているかの様な、

緊張感と、
臨場感、疾走感がある作品です。

しかも、
その共有する体験が、
ヘイトクライムの愚かしさというのが、本作のテーマ。

本作は、鑑賞するだけで、
如何に、差別意識が愚かしいのかというのを痛感させる作りとなっています。

そういう意味で、非常に計算され尽くされた脚本、構成と言えます。

 

本作で扱われているヘイトクライムとは、
「白人優先主義」。
それがエスカレートした時、
如何に、愚かしい事態が起こるのか、というのを描写します。

この、エスカレートする過程をちゃんと描いているのが、
本作の面白い所。

自分の心の中で何を思おうが、それは個人の勝手、
仲間内で愚痴を言い合う事位、何も問題は無い、

そういう言説もありますが、

殊、ヘイトクライムに至っては、
その萌芽こそが後々の悲劇に繋がり、
僅かな差別でさえ、意識の変革が必要だと思い知らされます。

 

さて、
本作で描かれるヘイトクライムですが、
それがエスカレートする要因となるのが、
集団心理です。

 

作品前半、
教会でのお茶会の場面。

会に出席したマージョリーが、
職場で、ジャマイカ系の移民との昇進争いに負けたのは、
アファーマティブ・アクションを利用した「白人への逆差別だ」と訴えるシーンがあります。

「アファーマティブ・アクション」とは、
社会的に不利なマイノリティの為の優遇措置で、
進学や就職に適用されており、
日本では「積極的格差是正措置」と言われています。

 

確かに、
限られたパイを奪い合う時に、
優遇措置の枠があると、その分、他の人が割を食う事になります。

しかし、
全ての事例を逆差別と判断するのは、
公平な観点では無く、
「逆差別」を意識する事、それ事態が、
実は、自分が優れているという傲慢であるのです。

解り易く言うと、

自分が選ばれた時は当然だ、生来の権利だ、自由競争の結果だ、と自己正当化し、
相手が選ばれた時は、不当な逆差別だと憤る

これは、最初から、
勝っても負けても「自分が相手より優れている」という優生思想があるからです。

 

問題はその後。

この優生思想がエスカレートして、
実際に行動に移された時です。

物語中盤、
エミリー達4人のメンバーが、
アジア系の姉妹、アンとリリーと口論になるシーン。

そこで罵倒されたエミリーに対し、
レスリーは「舐められっぱなしでいいのか?」と煽り、
いたずらとしての「お礼参り」に行こうと盛り上がります。

 

これは完全に、
目と目が合ったら喧嘩が始まるヤンキー思想です。

実際に相手がどう思っているのか、
事実関係の真実はどうか、などは関係無く、
自分が相手から侮辱を受けたと感じたら、勝手に復讐するという、
逆恨みの憂さ晴らしであり、
これの自己正当化です。

 

この、
「舐める」「舐められる」という意識は、
敵のみならず、
仲間内にも適用されます。

ここでビビったら、舐められる、
ここで芋引いたら、舐められる、
というのは、
相手のみならず、「仲間」にも、であるのです。

故に、
仲間に「舐められない」為に、
=「一目置かれる」様に、

常識からはちょっと逸脱した行動を採る必要があり、
そのちょっとがエスカレートして、
取り返しの付かない所まで行き着くのが、

ヤンキー思想における集団心理です。

 

しかし、
当の本人は、
自分の選択でありながら、
外圧による意思の屈折であるという事も自覚しており、

それ故に、

自らの罪の意識が希薄で、
アイツが言い出した、
アイツの所為で、

と、醜い言い訳と責任のなすりつけ合いが始まるのです。

 

本作でも、
エミリーは、レスリーなどに煽られ、
アジア系の姉妹に復讐すると言い出し、

その愚行を止めようとする夫に、
「仲間に舐められる」のが嫌という意識から、
「これを許さないあなたは腰抜けと、私に舐められる」という、
論点をズラした脅しで言いくるめます。

この場面から解る通り、
「舐める」「舐められる」という自意識過剰さが、
差別意識と集団心理に直結しているのが、
本作の愚かしさの根底にあります

 

また、集団心理の責任放棄具合は、

エミリーはレスリーに「お前が煽ったからだろ」と罵倒し、
それに対して
レスリーはエミリーに「お前の為にやった事だろ」と罵倒し返します。

この口喧嘩は、
勿論、論理で決着が着かず、
単純に声がデカいレスリーの方に軍配があがります。

責任放棄しているが故に、
思考停止に陥っている証拠と言えます。

 

作中、
エミリーは「夫に従順な妻こそ理想」という台詞がありました。

これは
女性の社会的な権利を獲得する運動と逆の思考であると共に、
責任放棄という愚かしさの自己肯定でもあります。

 

さて、
そんな夫(=男)の様な強引さで、
エミリーを言いくるめたレスリーですが、

その彼女も、
「刑務所に入っているときは、自分で考えずに行動すればいいので楽だった」と
言っていました。

つまり、
レスリー自身が考えての行動では無く

物語前半の「アーリア人団結をめざす娘たち」のお茶会での
「白人優先主義」の主張に則った方向性であると考えられます。

 

 

差別意識を持った者達が、
集団心理により、
誰も責任を取らぬままに行動をエスカレートさせて行く。

本作『ソフト/クワイエット』は、

そんなヘイトクライムの様子を
ワンカット撮影という手法により、

臨場感満点の迫力で描いた作品と言えるのです。

 

この、
実際に体験させる事で、
ヘイトクライムが如何に愚かしいかを、観客に学ばせるという手法こそが、
本作のキモでありテーマの一つ。

中々、面白い趣向の作品であり、
見事に成功していると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

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