1913年、ブダペスト。オーストリア=ハンガリー帝国において、ウィーン共に首都として栄える都市。そこの由緒正しいレイター帽子店に求職に行ったイリス。就職についてはすげなく断られるが、先代の娘という来歴から、それなりに丁重に扱われる。その夜、レイター帽子店の従業員宿舎に泊まっていたイリスに、何者かが襲いかかってきた、、、
監督はネメシュ・ラースロー。
ハンガリー、ブダペスト出身。
長編第一作である、前作『サウルの息子』(2016)にて第68回カンヌ映画祭でグランプリ(2位の評価)を獲得し、高く評価された。
出演は、
レイター・イリス:ユリ・ヤカブ
ブリル・オウカル:ヴラド・イヴァノフ
ゼルマ:エヴァリン・ドボシュ 他
時は1913年、
場所は、オーストリア=ハンガリー帝国。
時代の栄華が成熟し、
正に、その栄光が没する寸前、
第一次世界大戦前夜とも言える時、
つまり、
ヨーロッパの「日没(サンセット)」の時が舞台の作品、
それが本作『サンセット』です。
自分の両親の店だった、レイター帽子店。
何かが起こり、
レイター・イリスは2歳の時にトリエステに移されて育ちました。
就職は、現オーナーのブリルに断られたイリス。
その夜、
帽子店の宿舎に泊まった時、
ガスパールという男に襲われます。
そのガスパールが言うには、
自分には兄が居たとの事。
難なくガスパールは追い払われますが、
翌朝、
帰郷するよう促されたイリスはそれを無視し、
孤児となった自分をトリエステへと斡旋した人物を訪ねるのだが、、、
本作、
こんな感じで、次から次へと物事が展開して行きます。
まるで、
謎のローリング・ストーンとでも言いますか、
転がる様に、
事態がスピーディーに進んで往きます。
王侯貴族をも顧客に持つ、レイター帽子店。
その華やかな装いとは裏腹に、
市井は、
混沌の臨界点を迎えようとしています。
そんなブダペストの街を、
イリスは流れ流れて謎を追います。
特徴的なのは、
カメラの位置。
ほぼ全て、
イリスを接写、
もしくは、
イリスの背後から覗く、イリス目線の景色を写します。
本作は、
ドキュメンタリーでは無いですし、
ニュース映像でもありません。
それでも、
執拗と、イリスの背後をストーキングするカメラの目線を共有する事で、
観客は、
まるで、
自分もそこに居るかの様な臨場感を味わう事になります。
混沌を極める状況で、
謎が謎を呼ぶブダペストの街を行く、イリスの冒険。
むしろ、
「謎」って、何だったっけ?
そんな疑問すら浮かぶ様になる。
『サンセット』は、
作品自体が、ミステリアスと言えるでしょう。
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『サンセット』のポイント
謎が謎を呼ぶ展開
徹底したTPS目線のカメラワーク
第一次世界大戦前夜
以下、内容に触れた感想となっております
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TPS的カメラ目線
本作『サンセット』は、
そのカメラの目線が独特です。
主人公である、レイター・イリスの接写、
そして、徹底してイリスの背後にストーカーか、スタンドの如くに付きまとい、
イリスが見るものを観客が共有する様にしています。
このカメラワークは、
TVゲームにおける「TPS」と言われるものと共通した演出だと思われます。
TPSと言っても、
いわゆる「トヨタ生産方式(Toyota Product System)」ではありません。
ゲームにおけるTPSとは、
「Third Person Shooter」の略で、
ゲームのプレイヤーが、
画面上のキャラクターを俯瞰目線、或いは、肩越しの目線という三人称視点で捉え、
ゲーム内の世界の状況を把握するカメラ方式の事です。
具体的な例を挙げると、
『スプラトゥーン』や、
『バイオハザード』がそれにあたります。
本作は、
そのTPSのカメラワークにて、
物言わぬカメラ目線の当事者「A」がそこに居り、
まるで、
観客自身が、その「A」であるかの様な錯覚すら覚えます。
場面の混沌ぶり、
それを眺める臨場感もさる事ながら、
ゲームに慣れ親しんだ世代ならば、
そのカメラワークにて、
自然と、画面に没入する様に導入されているのですね。
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謎が謎を呼ぶ…っていうか、意味不明!?
さて、
本作を一見して、ちょっと頭を捻るのは、
結局、イリスって何がしたかったの?
という事です。
両親の店に就職に行ったと思いきや、
兄捜しが始まり、
兄の伯爵殺しの動機を探り、
伯爵夫人の秘密を覗き見、
暴徒の仲間に加わり、
男をぶち殺し、
勝手にウィーンに行って皇太子に水を浴びせ、
暴徒達に、暴動開始の合図を送ってしまう …
展開がコロコロ変わるのは、
観ていて確かに面白いです。
しかし反面、
主人公の行動原理が理解出来ない、
これはつまり、
観客は、本作のテーマを掴み辛いという事と同意なのですよね。
ハッキリ言いますと、
主人公の行動から、
本作のテーマを取り出す事は、出来ないと考えます。
イリスは、
まるでブダペストの街そのものの様に、
混沌とした行動をとり、
一貫性がありません。
しかし、
彼女が、何故そんな行動をとったのかと言うと、
それを端的に言い表したシーンがありました。
それは終盤、医者が言ったこの様な趣旨の台詞、
「お前の兄は、自分の中の闇を世界に投影した」
というものです。
実は、この言葉こそ、
本作のテーマと言えるものです。
それは、疑心暗鬼。
医師が言うには、
兄はありもしない事を恨んでいたと。
それは、イリス自身にも言える事です。
謎など無いところに謎を追い、
陰謀など無いところに、陰謀の臭いを嗅ぐ。
勝手にウィーンに行った後、
ブリルに怒鳴られていましたよね。
「何かあったか?何も無かっただろう!」と。
ウィーンでイリスは皇太子と会いましたが、
怪しい事は何一つ無く、
逆に、その場で一番挙動不審なのが、イリスだったのです。
自分が、
何かある(女性の人格を無視する形で斡旋している)
と思い込んでいたからこそ、
何も無いのに、
過剰に反応していました。
本作は随所で、
「何かある」的な雰囲気を出しつつも、
結局、謎など無いという作品なのです。
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疫病神
では、イリスの行動は全くの無意味だったのでしょうか?
実は、そうではありません。
むしろ、
無意味どころか、
行く先々で害悪を振りまいていると言えます。
皆さんの近くにも居ないでしょうか?
ただ、そこに居るだけで、
トラブル発生、紛争勃発、雰囲気最悪、
こんな、負の事態を巻き起こす存在が。
昔の人は、
そんな存在を、妖怪として「疫病神」と呼んでいました。
本作は、
イリスの行く先々で、
血が流れ、
暴動が発生し、
人が死に、
火事が起き、
最後には、ブダペストの街そのものが、退廃へと沈んで行きます。
正に、「サンセット」。
本作の舞台は、
1913年のオーストリア=ハンガリー帝国。
翌、1914年6月28日、
ボスニアのサラエヴォにて、
皇位継承者である、フランツ・フェルディナントが、
妻のゾフィー・ホテクと共に暗殺された事件(サラエヴォ事件)が、
7月24日から始まる第一次世界大戦の口火を切った原因と言えます。
本作で言うところの、
「皇太子」と「皇太子妃」というのは、
上記の二人の事。
これはつまり、
疫病神のイリスがこの二人に関わったから、
二人が不幸に見舞われ、
結果、第一次世界大戦が勃発した、
そういう解釈も、本作からは可能なのです。
それを裏付けるのは、
印象的なラストシーン。
どこかの戦場の塹壕を、カメラが進んで行くと、
その先の闇からイリスが浮かび上がり、
彼女がコチラ(カメラ)を見つめて映画は終わります。
塹壕と言えば、
やはり思い浮かべるのは、第一次世界大戦。
その戦場に赤十字の腕章を付けた彼女が居るという事は、
そこが激戦区なのでしょう。
しかし、
彼女が居るから激戦区なのか?
激戦区だから、それに釣られて彼女がそこに居るのか?
いずれにしても、
イリスの居る場所に紛争(この場合は戦争)が起こっているのは間違いありません。
何故なら、
イリスは、自分の闇を、現実に投影しているのですから。
彼女の闇は「第一次世界大戦」レベルなのです。
そして、
観客である我々は、
今まで、第三者として、
彼女の行動を追走するだけの、
安全地帯にいる存在でした。
しかし、
物語のラストに、
我々(カメラ)自身が、彼女に見つかってしまった。
映画を観ている我々の世界は、
第一次世界大戦レベルの不幸が見舞われる、
直前なのかもしれない、
そんな不安感を植え付けて、
本作は終了するという、
何とも後味の悪い終わり方をするのです。
「君子危うきに近寄らず」
せめて、我々は、
現実の世界においては、
注意深く、疫病神に祟られないように、生きてゆかねばなりませんね。
謎が謎を呼ぶ、想定外の展開が魅力の作品『サンセット』。
しかし、
実は、謎など存在せず、
世界がどうあるのかは、結局、
自分の気の持ち様、それ次第であると、
本作は訴えています。
ブダペストという街の没落を、
時代の没落と重ね、
それを表す為に、
特徴的なカメラワークを導入する。
そういう計算された面白さを追求した作品でもあると、
本作は言えるのではないでしょうか。
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