300 〈スリーハンドレッド〉 コンプリート・エクスペリエンス [Blu-ray]
ギリシア世界を蹂躙するペルシア帝国の軍隊が、遂にやって来る!そのペルシアの使者をスパルタの王レオニダスは死を以て迎える。しかし、デルポイの神託にて戦を回避せよと言われたスパルタは軍を出せない。窮余の策として、王は自らの散歩の「護衛」と称して300人を連れてペルシアを迎える、、、
監督はザック・スナイダー。
本作もそうだが、アメコミ等の原作有作品を多く手掛ける。
監督作品に
『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004)
『ウォッチメン』(2009)
『エンジェルウォーズ』(2011)
『マン・オブ・スティール』(2013)
『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)
『ジャスティス・リーグ』(2017)等がある。
主演のレオニダス役にジェラルド・バトラー。
英国出身、元弁護士。
主な出演作に
『オペラ座の怪人』(2004)
『完全なる報復』(2009)
『マシンガン・プリーチャー』(2011)
『エンド・オブ・ホワイトハウス』(2013)
『ジオストーム』(2017)等。
他、共演に、レナ・ヘディ、ドミニク・ウェスト、デビッド・ウェナム、マイケル・ファスベンダー、ロドリゴ・サントロ等。
フランク・ミラー作のグラフィクノベル『300』を映画化したのが、本作『300〈スリーハンドレッド〉』である。
とにかくカッコイイ。
わずか300人で、自らの100倍以上の軍隊に立ち向かう。
一騎当千の戦士が、敵兵を何度も押し返す。
驚くなかれ、これは史実、
つまり、実話を元にした話なのだ!!
そんなバカな!?
この疑問をねじ伏せるのは、
圧倒的な筋肉!
半裸の男達が、敵をグッサグッサと倒しまくる。
このアクションがカッコイイ。
ちょっとグロい所もあるが、
『マッドマックス』や『北斗の拳』的なノリが好きなら問題無いだろう。
そして更に、
画面の絵作り、見た目のカッコ良さにも拘りがある。
アクションで翻る肉体、
差し込む光が作り出す陰影、
CGバリバリだが、
独特の世界観の「色」を作っている。
カッコイイものを格好良く観せたい!!
こういう監督の拘りと熱意が結実した作品。
それが本作『300〈スリーハンドレッド〉』なのだ。
以下ネタバレあり
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テルモピレーの戦い
本作、映画『300〈スリーハンドレッド〉』はフランク・ミラーのグラフィックノベル『300』が原作。
そしてその『300』は、ペルシア戦争の一つ、紀元前480年に起こったテルモピレーの戦い(テルモピュライの戦い)を元にしている。
(ヘロドトスの『歴史』による)
テルモピレーの戦いにおいては、
軍事行動が禁じられたカルネイア祭の期間と被っていたので、実際にスパルタが出せた兵力は300人のみだったと言う。
*しかし諸説あって、重装歩兵が300人で、それに加えて軽装歩兵が参加していたという説もある。
防衛ラインの城壁を積み、その前に重装歩兵による密集陣形「ファランクス」を張るスパルタ兵をペルシアは突破出来なかった。
(実際にペルシア軍には「不死部隊(イモータル)」という部隊が居て、投入されたそうだ)
しかし、ギリシア側からの内通者の情報により、ペルシアはスパルタの背後を突き、これを打ち破ったのだという。
こうして見ると、『300〈スリーハンドレッド〉』は実話ベースの話であると理解出来ると思う。
勿論、あくまでフィクションである。
エンタテインメント作品として味付けはしてある。
実際のスパルタ兵300人はパンツマントの軽装では無く、重装歩兵。
ペルシア軍を迎え討つのはスパルタ兵のみでは無く、ギリシア勢も多数参加していた。
とは言え、自身の10倍以上の軍を相手に戦いを挑もうとは、狂気の沙汰以外にあり得ない。
それを「やった」からこそ、レオニダスとスパルタは歴史に残っているのだろう。
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CGが織りなす独特の色合い
『300〈スリーハンドレッド〉』は画面作りに独特の拘りがある。
アクションにおいても絵画的美しさ、
陰影、色合い、構図、ポーズとカッコヨさを追求している。
この世界観を再現するにあたって、CGの力を存分に振るっている。
おそらく、外で撮影するロケはゼロ、オールスタジオ撮影だろう。
背景までも合成という徹底ぶりだが、それが逆に絵的な統一感を生んでいる。
因みに、スパルタ兵の鍛え上げられた腹筋も「どうせCGだろ?」と揶揄されたが、
それには、「CGにする予算が無くて、各自用意して貰った」的な返しをしている。
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スローモーションアクション
だがしかし、本作『300〈スリーハンドレッド〉』の一番の魅力と言えば、やはりアクションだろう。
その中でも、特に目を惹くのがスローモーションアクションである。
スローモーションアクションと言えば、その走りは『マトリックス』。
しかし、本作のスローモーションアクションには独特の魅力がある。
ただ単にゆっくり動くだけでは無い。
その特徴が如何なく発揮されるのがスパルタとペルシアとの緒戦である。
水中の中をぬめり歩く様に、ゆら~りと動く。
しかし、敵を斃す瞬間、グサリと素早く動いてそこでまた止まる。
そこから、再びゆっくりと動き、敵を斃す瞬間に素早く動き、またキメのポーズを取って一瞬止まる。
このケレン味溢れる動きが最高に格好いいのだ。
本作の拘りの映像美、そして緩急のあるスローモーションアクションは、コミック的であると言える。
漫画はコマ割、「魅せゴマ」と「普通のコマ」との緩急を上手く付ける事で、「動き」を演出している。
動きの無い「絵」というハンデを逆手に取り、コマとコマとの間の「描写されない動き」を読者自身に想像させる事で、その臨場感を作者と読者の想像力で以て作っているのだ。
『300〈スリーハンドレッド〉』のスローモーションアクションのテンポ感は、漫画を読む時のそれに似ている。
ケレン味溢れるキメポーズが漫画の魅せゴマなら、
素早く動くシーンは漫画においては「読者の想像」で補っていたシーンである。
キメポーズで「溜め」を作り、観客の期待を高める。
アクション自身の素早さで力強さを演出し、事象が決定する「相手を斃す瞬間」という「最も魅せたい画」において、再びスローへ移り、キメポーズで一瞬止まる。
映像で観せながら、スロー演出で動きの「先」を期待させる。
映像にて漫画的演出を導入する事で、
素早さとは真逆のアクションの魅力を作りだしたのだ。
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驚異!ペルシア兵の個性!
『300〈スリーハンドレッド〉』において、悪役と設定されたペルシア軍。
この個性がまた強過ぎてクラクラする。
どう見ても忍者にしか見えない「不死部隊」に始まり、
「火薬使い」「サイ」「象」「巨人」「首切り役人」
等々、、、
まるで『マッドマックス』か『北斗の拳』であるかの様な、核戦争後の世界の住人の如き異様さである。
スパルタ兵を際立たせるザコ的役割を、バリエーション多い「かませ犬」を用意して見事こなしていた。
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哲学の戦い
本作『300〈スリーハンドレッド〉』における300人の決死隊は、かつての日本における「特攻」を彷彿とさせる。
しかし、そこに至る哲学は全く違う。
日本の特攻は「誰かの為」という、謂わば同調圧力。
「こうする事が正しいのだ」「国を守る事が、未来につながる」これらの正論を楯に、「拒否する者は悪」という風潮を作って逃げ場の無い状態を作っているのだ。
スパルタの決死隊は、謂わば意地の発露。
リュクルゴス制度による質実剛健を元に、皆が兵として平等、外敵には容赦なく、そして決して屈服するなとの教えを骨身に沁み込ませている。
ペルシアの押し付けは、スパルタのスパルタたる哲学(アイデンティティ)と決して相容れなかった。
屈服しない(まつろわない)という一点を固持する為の、謂わば自衛の戦いとも言える。
その一方で、自らの力を誇示する晴れ舞台でもある。
兵士として育ち、強すぎるが故に相手がいない。
そんな自分を必ず破滅せしめる絶体絶命の相手である。
これは福音、そしてある意味幸せな事なのである。
スパルタの決死隊は、自らの意思において為されたものなのだ。
もっとも、それも教育(洗脳)の成果だと言ってしまえば大差ないのかも知れないが。
とは言え、スパルタ人内部でもその哲学が微妙に違うのが面白い。
レオニダスは、スパルタを代表する王という立場上、まつろわざる立場を堅持する。
しかし、その心の中には愛するものがある。
一方、若きステリオス(マイケル・ファスベンダー)は、より純粋に戦いで自らの実力を出せるのを喜んでいる。
自分を殺す程の相手に出会うのが嬉しいのだ。
まるで、北欧神話のヴァルハラ信仰の様である。
この二人のラストシーン、
共に死ねて光栄と言ったステリオスに、
共に生きられて光栄だったと返したレオニダスに、
二人の人生の重みの差を感じる面白いシーンである。
本作『300〈スリーハンドレッド〉』は面白い。
何故面白いのか?
それは格好いいからだ。
このカッコよさ、
多勢に無勢で立ち向かう、
絶対権力者相手に自分の意地を張り通す、
パンツ一丁で敵をバッタバッタとなぎ倒す。
分かり易く、しかし説得力のある格好良さを独特の画作りとアクションで表現したからこそ、
『300〈スリーハンドレッド〉』には突き抜けた面白さがあるのだ。
続篇もあります、監督は別人ですが
300 〈スリーハンドレッド〉 ~帝国の進撃~ [Blu-ray]
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さて次回は、バトルは肉体のみに非ず、虚々実々の駆け引きも戦いである、小説『殺生関白の蜘蛛』について語りたい。