映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』感想 オレとオマエはファミリーだ!

 

 

 

王道スペースオペラで全世界で大ヒットした前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』。

その続編である今作『~:リミックス』は、もちろんアクションの派手さやギャグも健在だが、むしろ

各キャラクターの掘り下げ、特に家族関係に重点を置いた作りになっている。

 

アクション映画なのに、意外と真面目に各キャラクターがテーマに沿った活躍をしているのだ。
口を開けて何も考えずに観ても楽しめるし、テーマに着目して観る事も出来る。

今作も、広く万人が楽しめるいい映画である。

 

監督は前作同様ジェームズ・ガン。出演者もピーター・クイル役のクリス・プラットはじめ全員続投で安心だ。

 

以下ネタバレあり


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  • マーベル・シネマティック・ユニバース

前作『ガーディアンズ~』はマーベル・シネマティック・ユニバースの中でも重要な位置にあった。おそらく、アベンジャーズシリーズのラスボスとなるであろうサノスの登場。そしてその目的がインフィニティー・ストーンの収集とそれを用いた侵略である事が作中で明かされた。(もっとも、ファンは言われずとも知ってた事ではあるが)
しかし今作『~リミックス』では、他のマーベル・シネマティック・ユニバース作品との関わりはほぼ無い。スタン・リーが出るくらいだ。他作品とのクロスオーバーやサノスの野望に期待していた面からすると、多少の期待外れ感があったのは否めない。
だがこれは、マーベル・シネマティック・ユニバースという枠に拘らなかった事で、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を独立した映画シリーズとして展開していこうという意思の表れかもしれない。そうなら(売れ続ける限り)アベンジャーズが終わっても続編が作られ続ける事になるのでは?そう考えるとそれはそれで楽しみだ。

  • ノリノリのオープニング

音楽にノッて宇宙怪獣を迎え撃つオープニング。そのクレジットのなかにはカート・ラッセルの名前が!それだけでなくシルベスター・スタローンまでも!もうこの時点でテンションマックスである。しかし、今作はアクション映画でありながらドラマ部分のテーマも楽しめた。

  • 家族の話

今作のテーマは『家族』である。父を求めるピーター・クイル。陰キャの妹に絡まれる真面目系の姉ガモーラ。新たな家族を見いだしたドラックス。アライグマというより、ヤマアラシのように他人を拒絶するロケット。そして、純真無垢な存在のベビー・グルート。各人の有り様をみていこう。

  • 父と子

子供時代、父親がいなかったピーターは、友人にイジられた時、自分の父はデヴィッド・ハッセルホフ(ナイトライダーの主人公、マイケル・ナイトを演じた)で世界中を冒険しているとうそぶいた。そんな彼だからこそ、宇宙中を旅したというエゴの言葉を無意識に信じたがった。自分の願望を言葉巧みに「それは本当だよ」と肯定されるのは抗えない魅力がある。

だが実際のエゴは(その名前が示す通り)自らの目的の為に他人が存在していると考えるタイプだった。子供や愛する妻の為になにかをするのではなく、「自分の目的さえ理解すれば他人も幸せなハズだ」と自らの意思を他人に押し付けるヤツだ。それによって息子がどう思うかという事を考慮せず、自分の言っている正しい事に従わないのはなんて愚かなんだと考える父親だったのだ。

そんなエゴのカウンターパートとして存在するのが、ラヴェジャーズの船長ヨンドゥだ。前作ではピーターを追う腕利きの追跡者として鬼の役割を演じたが、今作では苦悩を内に宿す年長者の役割である。
ヨンドゥが掟を破って子供を拉致していたのは、子供を求める親(エゴ)の気持ちを慮ってのことだった。しかし実際のエゴは子供のエネルギーを自分の目的の為に利用する外道だった。(スタカーやアイーシャの言及から察するに、エゴの外道は知られてはいなくとも、なにやら胡散臭いヤツとして宇宙中で警戒されていた様だ)
それを知ったヨンドゥは、だからピーター本人や周りのラヴェジャーズに言い訳しながらも、ピーターを己の贖罪として鍛え育てた。その負い目があるから昔の仲間スタカーの罵りを忍従し、また、ピーターに徹底的に甘かった為反乱を招いた。それでも、数々の屈辱に耐えながらも、ヨンドゥはその行動をもってピーターを守り続けたのだ。

そして、ピーターは実の父親よりも大切な、育ての父親としてヨンドゥを理解する。探していたものは実は意外に近くにあったのだと。

 

  • 姉妹

世の中には仲の良い家族がある一方で、こじれてしまった家族もある。ガモーラとネビュラの関係もそれだ。
優等生ぶったガモーラは正しく前を向くだけで、ネビュラの事は一顧だにしない。本来は自分を慈しみ守る存在であるハズの年長者のその態度は妹を深く傷付ける。自分が無視され取るに足らない存在だと言っているのと同じなのだ。そして傷付けた方はそれに気づかずとも、傷付けられた方はその事を100年経っても覚えている。そして、いちいち突っかかってくる妹を見て、姉はなんだこのイカれたアホは、と思い相手を理解する事なく関係は修復されない。

ガモーラも前作ではネビュラを面倒くさい妹、程度にしか認識していなかった。だが、今作でのネビュラの決死の心情吐露で、自分が如何に無自覚にネビュラを傷付けていたのか知ることになる。ガモーラは素直に謝る。だから、二人の関係は多少の歩み寄りを見せたのだろう。

しかし現実の世界では、なかなかそうはいかない。妹の方は内に溜め込んで鬱々と不満をこぼし「理解しない方が悪い」と思っているだけで何が悪いのかを伝えない。姉の方も例え教えてもらったとしてもいつまでも昔の事をグダグダ言いやがってと素直に謝る事が出来ない。謝っても拒否されるのが怖いのだ。なかなか難しいものだ。

  • 新たな家族

前作で妻と娘の復讐を果たしたドラックス。それを経て今作ではガーディアンズの面々を新たな家族として受け入れている様だ。
今作でまず驚いたのがドラックスのキャラが変わっていた事だ。前作では復讐しか考えず、近寄りがたく融通の利かない頑固オヤジのイメージだったのだが、今作ではことある毎に大笑いする、むしろコメディリリーフの様な役回りとなっている。
ドラックスはもともとそういう愉快なキャラクターだったのかも知れない。それとも敢えて大仰な事を言って場を和ませる「大胆なオヤジ」をメンバーの前で演じているだけなのかもしれない。子供の様に大馬鹿をやる一方、ピーターやマンティス相手に(個性的ながらも)父親の様にアドバイスもしている。いずれにしても悲しみを乗り越え、自分の居場所を新たに見つけた様だ。

 

  • 天の邪鬼なロケット

ドラックスとは違って、気難しいままなのがロケットだ。彼は敢えて他人を近づけまいと振る舞う。事ある毎に憎まれ口を叩き、他人のツッコミにはさらなる罵声で返す。自らの改造生物としての出自に未だに折り合いをつけられずにいる。唯一の理解者?だったグルートは赤ん坊返りをしてしまった。ロケットは疎外感を感じながらも皆と一緒にいる。
だが、他人を拒絶しながらもその一方で求めてもいる。だから、電池を盗んだ。バレて追手がやってくると、新たな困難と冒険が発生する。その時は、自分の活躍、有用性を行動でもって仲間に示すチャンスなのだ。言葉では相手を遠ざけつつも、その行動で本心たる仲間意識を示そうというのだ。彼は仲間の為にいつも必死だ。無茶なワープ航法などはその証左だろう。

しかし、そんなロケットの本心はヨンドゥによって喝破される。「お前は俺と同じなのだ」と。圧倒的な戦闘力を持ちながらも反乱によって忠実な部下を失い、それでも無茶をやって奔走するヨンドゥを見て何か思う事があったのだろう。ロケットは電池を敢えて、意図して盗んだという事を告白する。少しだけ素直になった彼が今後どうなってゆくのか、注目して見ていきたい。

 

  • マスコット!マスコット!

前作では強過ぎたグルートは今作ではすっかりマスコットになってしまった。
噛んで含める様に言い聞かせるロケット、喧嘩しながらも仲がいい?ドラックスという様に各人各様の関わり方をするが、グルートは無垢な赤ん坊の様な存在として等しく皆に愛されている。

…のだが、エンディングでのティーンエイジャー?・グルートで反抗期っぷりを披露する。口うるさく怒られても、ゲームに夢中で聞いているんだかいないんだか。ピーターの「ヨンドゥの苦労が分かる」というセリフは今作のラストを締める絶妙のものだった。

 

人はそれぞれ自分の家族関係を抱えている。それを思い出しながら今作を観ると、より感情移入出来るのではないだろうか。

と、いろいろ言ってきたが、もちろんアクションやギャグもよかった。ロケット無双や勢いだけで笑わせにきたワープ航法のシーンは特にお気に入りだ。今後も楽しいスペースオペラのシリーズとして続いていってほしい。

 

 


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さて、次回は順番が前後したが、前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』について語ってみたい。