かつて剣道に打ち込んでいた矢田部研吾(綾野剛)。父の事故を切っ掛けに、今は見る影も無く酒に溺れていた。そんな彼の元にかつての師匠・光邑(柄本明)からつかいを頼まれた羽田(村上虹郎)が訪ねてくる、、、
監督は熊切和嘉。他の監督作に
『ノン子36歳(家事手伝い)』(2008)
『私の男』(2014)等。
原作者は芥川賞作家の藤沢周。
主演に綾野剛。近作に
『日本で一番悪い奴ら』(2016)
『怒り』(2016)等。
共演に村上虹郎。
『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)等。
出演、柄本明、小林薫、風吹ジュン等。
近年、興味深い役に挑戦している綾野剛。『武曲』でもギラギラした役を演じている。
矢田部研吾は生きながらにして
六道地獄でもがき苦しむ亡者だ。
それを案じた和尚であり剣道の師匠でもある光邑が研吾に垂らした蜘蛛の糸が羽田である。
しかし、その羽田もまたある種の曲者(くせもの)であり、当然研吾と衝突する事になる。その様はさながら修羅同士の争いである。
アクションの迫力と、もがき苦しむ若者の魂の彷徨を描く。
本作はドラマ好きにも、厨二設定好きにも等しく楽しめるアクションになっている。
気になった方はチェックしては如何だろうか。
以下ネタバレあり
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執着する事の罪
研吾は父親の勝造に木刀で面を打ち、植物状態にしてしまう。その罪悪感から自暴自棄になり、酒に逃げ自堕落な日々を送っている。
研吾が罪悪感を感じるのには理由がある。
それは、単なる事故ではなく、積年の恨みのこもった本気の剣であったからだ。
父の勝造は厳しい剣道の指導者であった。しかし、それは一方で剣道に執着しているという事である。
だが、「厳しく育てる」という事を言い訳にして剣道以外の道を取らなかった勝造は、結局息子の手に寄って破滅する事となる。
そして、剣を打ち下ろして父を再起不能にした研吾は、その事を後悔する。
殺気を込めるのと実際に打ち殺すのとでは雲泥の差があったのだ。
だが、それは後戻り出来るものでも無く、行き場の無い想いは自責の念に繋がる。
しかし、この自責の念に囚われて日々を自堕落に過すのは、現実からの逃避である。光邑が喝破する所の、「父親への執着」という逃避なのだ。
「執着する事は逃避である」と自覚する事から、研吾の救済がはじまる。
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羽田の役目、再起への道
研吾を救済する為に光邑が見出したのが羽田である。
光邑が注目したのは、羽田の踏み込みか、多勢の中で物怖じしなかった性格か、マメがつぶれるまで薪割りをしたその実直さか?
兎に角、研吾にぶつけて波を起こさせようとした。
そして、それが見事にハマる。
かつて洪水に飲まれギリギリの生に直面した羽田は、死に魅入られている。
その彼は研吾の中に死の匂いを嗅ぎつけ、立ち会いを申し込む。
その、嵐の中の立ち会いで、研吾は羽田を通して再び父と直面した。
逃げていた現実に再びまみえ、再度父(羽田)を打ち倒す。研吾は自らのトラウマを追体験する。
だがこの立ち会いで再び現実と向き合った研吾は、その後の父の死も経て、自分を取り戻す事になる。
そして、勝造から光邑に宛てた手紙を読み、研吾は父の苦悩を知る。父は「切られて死にたかったのか?わざとやられたのか?」その真意は分からずとも、息子によって剣道への執着から脱する事を望んでいたのを知る。
研吾は父への執着から脱する。
所作、振る舞いを改め、立ち会いではなく、剣道で再び羽田と向き合う。
何かに没頭したり、「夢」を言い訳にしたり、人を恨み続けたり。いずれにしろ、物事に「執着」するあまり現実の生活が疎かになるようでは、それは逃避でしかない。
自分の身に置き換えて心したいものだ。
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さて、次回はパーツ集めに執着し物事を顧みない?小説『巨神計画』について語りたい。