映画『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』感想  カリスマ!!猿並み以上のサルのエクソダス!!

 

 

 

森の中の猿の集落に、ある日人間の軍の一隊が襲撃してくる。指揮官の大佐(カーネル)が猿たちのリーダー「シーザー」を殺す為に猿の集落に襲わせたのだ。自衛の為、返り討ちにした猿たちだが、生き残りの兵士をシーザーは解放する。手を出すなとのメッセージを持たせたのだが、、、

 

 

 

監督はマット・リーヴス
前作『猿の惑星:新世紀(ライジング)』の監督でもある。
主な監督作に、
『ハッピーブルー』(1996)
『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008)等がある。

 

主演のシーザー役に、アンディ・サーキス
モーションキャプチャー役者の第一人者といった印象がある。
主な出演作に
『ロード・オブ・ザ・リング』3部作(2001~2003)
『キング・コング』(2005)
『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(2011)
『ホビット 思いがけない冒険』(2012)
『GODZILLA ゴジラ』(2014)
『猿の惑星:新世紀』(2014)等がある。

 

他、共演にウディ・ハレルソン、スティーヴ・ザーン、カリン・コノヴァル、テリー・ノタリー、アミア・ミラー等。

 

『猿の惑星』新シリーズの第3弾。

本作でも猿が驚異のCGで再現されている。

 

毛並み、動き、表情と凄いものがある。

特に「目」の表情からは猿とは思えない知性を感じさせる。

 

その一方、人間は野蛮で恐ろしく、どちらかと言えば、

猿側に感情移入させる作りになっている。

 

タイトルを見ると『猿の惑星:聖大戦(グレート・ウォー)』とあるが、

別に猿と人間が『ロード・オブ・ザ・リング』みたいに全面戦争する訳ではない。

 

この辺はちょっとタイトル詐欺感があるので注意。

とは言え、アクションとCGだけがメインではない。

人間と猿の対比で「人間性(humanity)」について考えさせられる。

 

そういう面白さがある所が、『猿の惑星』シリーズの魅力だ。

 

 

以下ネタバレあり


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  • 副題詐欺!?

本作は『猿の惑星:聖大戦(グレート・ウォー)』という題名だ。
副題がちょっと紛らわしい。
「猿と人間がお互いの信念をかけて戦う」みたいな内容を意識してしまう。

原題は『WAR FOR THE PLANET OF THE APES』
直訳すると「猿の惑星へ至る戦争」といった所か。

助詞って大事だね、と思わせる。

 

  • シーザーの変節

前作では圧倒的なカリスマを見せたシーザー。
今作でもリーダーシップを発揮するが、家族を殺された恨みで私怨の復讐に走る事になる。

その様子はまるで、前作で「人間との間に戦争を仕掛けた猿」コバの様でもある。

コバは人間にいたぶられた過去があり、左目の色が薄く視力が無い(低い)。
そして本作でのシーザーは途中から左目が常に充血している。

シーザーがコバの様に復讐に走る存在になった事を意味している。

 

  • 大佐の言い分

シーザーのカウンターとして人間側に存在するのが「大佐」である。

彼の信念は「人間を人間たらしめる知性(intelligence)を守る」事である。

その為に、治療法が(今現在)不明な「(猿インフルエンザから変異した)失言語病」の罹患者を処刑するという極端な防疫法を採っている。

狂った信念だが、一方で人類の絶滅を危惧した果断な判断であり、一概に悪と断じ得ない。

大佐とシーザーが対面し、人間の状況を語るシーンは本作の見所の一つだ。

復讐という個人的な感情に支配されているシーザーに、大佐は知性による判断と大局的な視点を説く。

大佐は大佐で、覚悟の内に行動しているのだ。

 

  • 人間の人間性の喪失、猿の人間性の獲得

大佐と彼の軍隊は感染拡大を食い止める為に、罹患者がでた場合には「家族殺し」を強いる。

この困難な行為は、大佐というカリスマを教祖とした狂信的な行いに見える。

盲信は自らの思考を捨てる事
そして、感情を捨てた家族殺し、同族殺しは野蛮の極み。
大義の為と、人間同士での戦争に突き進むのは本末転倒である。

そう、「人間たり得る知性」を守る為の信念、その為の行いからは「人間性」が失われてしまい、全体として行動と思考が野蛮化している。

そもそも人間性とは一体何なのか?
その端緒は、「葬送」から始まったとも言われる。

つまり、先祖や家族の死を悼み、霊を鎮めるという概念の獲得が、人と野生の違いというのだ。

感情に支配されたシーザーは知性において大佐に劣っていた。
だが、家族を切り捨て集団が感情を廃した大佐の軍と、家族の死を悼むという気持ちで復讐に駆られたり、脱走の為に「相互扶助」の精神を持つ猿たちの関係を観ると、
「人間性」という観点から、その立場が遂に逆転してしまっているのだ。

結局、人間は猿との戦いではなく、自分達同士の殺しあいにより絶滅の道を進んで行く。
まさに「猿の惑星へと至る(人間同士の)戦い」であったのだ。

 

  • 小ネタ集

劇中で度々映ったΑΩ(アルファ・オメガ)という文字。
これは新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる主の言葉「私はアルファにしてオメガである」からきている。

意味的には「最初にして、最後のもの」から転じ「全なるもの」とか「永遠」等という意味を持つ。

大佐たちの狂信ぶりを端的に見せつけている。

壁の落書き「APE-CALYPSE」とは、
猿の「APE」と
黙示録の「APOCALYPSE」を掛け合わせたものだ。

また、「良いドンキーは死んだドンキー」というフレーズは、
南北戦争・北軍の軍人フィリップ・シェリダンの言葉(起源は諸説ある)、「良いインディアンは死んだインディアン」から来ている。

さらにこれは、『猿の惑星』の旧シリーズ『続・猿の惑星』において出て来たセリフ「良い人間は死んだ人間」とも被っているらしい。

人間性の無い野蛮な言葉の象徴である。

 

『猿の惑星:聖大戦(グレート・ウォー)』は、どうやら旧シリーズを観ていたら楽しめる小ネタもちりばめられている様だ。

私は旧シリーズを全てではないが観ているが、残念ながらほどんど忘れている。

気づければもっと楽しめるだろう。

 

 

『猿の惑星:聖大戦(グレート・ウォー)』においての猿の描写は、異種族というよりむしろ、異民族といった趣がある。

文化の異なる他者を、受け入れ対話を求めるか、異分子として勝ち負けに拘り排除するか。

人類が数限りなく行ってきた文化衝突、つまり戦争について改めて考えさせられる。

そして、シリーズはカリスマを失ってどう進むのか?
「コーネリアス」という存在がある以上、続篇が作られそうだが、果たしてどうなるか?
楽しみに待ちたい。

 

 

 


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さて、次回は映画『アウトレイジ 最終章』について語りたい。やはり人間は野蛮化してしまったのだ!?