アート・ギャラリーのオープニング日、スーザンのオフィスに別れた元夫エドワードから小説が送られてくる。その題名は「ノクターナル・アニマルズ(夜行性動物)」。不眠に悩むスーザンは、夜毎この小説を読み、嵌ってゆく、、、
監督はトム・フォード。
元々はデザイナーとして名高く、イヴ・サンローラン、グッチグループ全体のクリエイティブ・ディレクターも務めた。
他、監督作に『シングルマン』がある。
主演のスーザン役にエイミー・アダムス。
若い頃より、今の方が人気のある女優だ。
主な出演作に
『ザ・ファイター』(2010)
『ザ・マスター』(2012)
『マン・オブ・スティール』(2013)
『アメリカン・ハッスル』(2013)
『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)
『メッセージ』(2016)
『ジャスティス・リーグ』(2017)等がある。
もう一人の主役トニー/エドワード役にジェイク・ギレンホール。
普通の表情が一転、狂気に陥る瞬間の顔が恐ろしい。
他出演作に、
『ドニー・ダーコ』(2001)
『ブロークバック・マウンテン』(2005)
『ミッション:8ミニッツ』(2011)
『プリズナーズ』(2013)
『複製された男』(2013)
『ナイトクローラー』(2014)
『サウスポー』(2015)
『ライフ』(2017)
『ボストン ストロング ~ダメな僕だから英雄になれた~』(2017)等。
他、共演にマイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン等。
本作『ノクターナル・アニマルズ』には
アートギャラリーを営むスーザンの現在、
約20年前のスーザンとエドワード、
エドワードの小説「ノクターナル・アニマルズ」、
この3つのストーリー・ラインがある。
劇中劇として圧倒的な存在感のある「ノクターナル・アニマルズ」の部分をストーリーの中心に置き、
一方で満たされない現在のスーザン、
そして過去のエドワードとの関係、その精神面の
繊細な男女の関係の機微が描かれている。
なので、謎解きミステリーというより、
精神的なサスペンス劇となっている。
そして、どのストーリー・ラインにおいても
人間関係がテーマに描かれている。
ほとんど、3本分の内容を詰め込んだ様な印象だ。
ストーリー部分は分かり易く、複雑な構成とかでは無い。
映画を観た各人が、
3つのストーリー・ラインからどのような印象・感情を想起するか、それがこの映画のテーマである。
陰キャの皆様は劇中劇の「ノクターナル・アニマルズ」の部分が他人事には思えず、
男女関係に悩んだ事のある人は過去の二人のエピソードにうなずき、
「こんなハズではなかった、、、」と人生を後悔している人間は現在のスーザンを笑えない。
色々が人間が色々な見方を出来る、カメレオンのような映画、それが『ノクターナル・アニマルズ』である。
以下ネタバレあり
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拘りのアート、ファッション
デザイナー出身のトム・フォード監督。
劇中のファッションやアートに拘りが感じられる。
ファッションは、その登場人物の性格を表象するものとしても見られる。
例えば、スーザンの母。
白のシャネルのスーツに真珠のネックレス、金髪をライオンのたてがみの様に盛り、「私ゴージャスなの」と前面にアピールしている。
ボビー・アンティーズ警部補は、いかにもテキサスのカウボーイ風。
アート・ギャラリーで赤ん坊をスマホで監視していたスタッフは、奇抜かつ勘違い具合がその格好からにじみ出ている。
また、映画に出てくるアートは本物を使用しているという。
恥ずかしながら、どれが誰の作品だか、初見では全く分からない。
パンフレットに詳しく紹介されていたが、作家毎の背景、作風なども考慮するとまた違った見方が出来るかも知れない。
例外として、「REVENGE」という看板と、あの強烈なオープニングは本映画のオリジナルであるという。
関係ない話だが、妖怪の「のっぺらぼう」って、この映画のオープニングの事ではないだろうか?
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人と人との関係性、その選択の物語
本作は3つのストーリー・ラインから構成されており、そのいずれも人との関わりがテーマとされている。
とりわけ、「選択」の物語である。
劇中劇「ノクターナル・アニマルズ」では、トニーはチンピラに絡まれ受け身の行動を選択し続け、結果取り返しの付かない事になる。
「止められたハズだ」という魂の慟哭が哀しい。
チンピラに絡まれるトニーの図は、「ヤンキーに絡まれるいじめられっ子」そのままの図である。
ウェーイ系なら「一発ぶん殴れや」と思うかも知れない。
だが、気の弱いいじめられっ子は、ちょいと凄まれると身がすくんで動けなくなってしまうのだ。
これを克服するのには訓練や鍛錬が必要だ。
アンディー警部補がトニーに、車でチンピラが戻って来た時「どうして出て行かなかったのか」と尋ねるシーンがある。
トニーは「分からない」と答えるが、私には理由が分かる。
恐かったから、出て行けなかったのだ。
この「弱さ」が哀しい。
過去の思い出、ニューヨークでのスーザンとエドワードの関係性も胸苦しいものがある。
誰にでもある失恋の痛みである。
スーザンとエドワードは、最初確かに愛し合っていたのだろう。
だから2年間も結婚生活が続いた。
だが、男女関係あるあるだが、
夢を語って、自己を承認して欲しい男性と、
現実を見て、地に足を着けた生活を考えて欲しい女性とでは、その目指す理想は平行線のまま永遠に交わらない。
厄介なのは、「母に似たくない」と娘にありがちな事を思っているスーザンが、
当の母親自身やエドワードから「母に似ている」と言われ、その「言霊」に囚われてしまった事だ。
愛しているから結婚したハズだが、
「母とは違う事を証明する為の結婚だった」と自分で考えてしまい、自己暗示に陥ってしまったら、気持ちが離れてしまうのだ。
そして、別れ話になるのだが、
「もう一緒に居られない」という気持ちが冷めてしまった相手に対し、
片方は「愛してる」の言葉を言わせ、「愛してるなら、簡単に投げ出すものじゃない」と未練を語るのも別れ際にありがちな修羅場である。
かくして、スーザンはイケメンで金持ちの男を引っかけ中絶時病院に付き添いさせ、「私、可哀想な女なの」という立場を演出し、ヨヨヨと倒れ込む事を選ぶのだ。
そして、現在のスーザンである。
理想を捨て、実利を選んだハズの生活も、華やかな裏で現在は破産寸前。
夫は浮気をし、自分も相手に興味が無い。
20年近く時が経ち、現在の立場から過去を振り返った時、その人生の選択が果たして正しかったのかとどうしても考えてしまう。
スーザンは悪趣味ながらも臨場感のあるエドワードの小説を読み圧倒される。
そして、こう考える。
この様な作品をモノにしたエドワードを捨てた私の判断は間違っていたのでは?
今の裕福だが空しい生活とは違う人生になっていたのではないか?
そしてその一方で、20年経っても再婚せず、小説の冒頭にも「FOR SUSAN」と書かれており、小説のゲラ版をわざわざ送って来るなんて、エドワードはまだ私に気があるのね、とスーザンは思う。
そして、トキメキを求めエドワードと会う算段を立てるのだ。
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何故、小説を送って来たのか?
「ノクターナル・アニマルズ(Nocturnal Animals)」。
日本語にすると「夜行性動物」とでも言おうか。
また、「nocturnal」という言葉には、
夜に属するもの、
夜に起こる事、
という意味もある。
さて、何故今更エドワードは小説を送って来たのだろう?
これはあくまで私の判断なので、そのつもりで以下はよんで欲しい。
過去、スーザンはエドワードの小説を読み、「自分以外の事も書けば?」と批評する。
だがこの「ノクターナル・アニマルズ」も、モロにエドワード自身の事を書いた小説である。
スーザンが「繊細(sensitive)」だと擁護したエドワードの性質。
だが、スーザンの母や実はスーザン自身も思っていたのは「弱い(weak)」「折れやすい(fragile)」という侮辱的な事だった。
だが、その彼が、その性質のままもの凄い迫力のある作品を作った。
「俺は俺のままで自己を実現出来たのだ」と表明したかった。
だがらエドワードは小説を送って来たのだ。
そして題名の「ノクターナル・アニマルズ」。
これはチンピラ達の事を指しているのは勿論だが、同時にスーザンの事も意味している。
まず、スーザンは不眠症なので夜行性でもある。
そして、チンピラはトニーの女房、娘を殺すが、
スーザンもエドワードとの結婚生活と子供を殺す。
つまり、小説「ノクターナル・アニマルズ」におけるチンピラはスーザンのメタファーである。
チンピラのみならず、スーザンも含むからこそ複数形なのであろう。
勿論エドワードはトニーである。
分かり易い証拠がある。
それは、先も述べたシーン、トニーが「止められたハズだ」と慟哭するシーンである。
これは、スーザンがエドワードと別れるという選択を止められたハズだという意味、
そして、中絶を止められたハズだという意味も込められている。
このシーンが哀しいのは、「止められたハズだ」と言いつつ、その勇気が自分になかったのだと暗に告白している事だ。
結局トニーは最後まで、チンピラのレイに「弱虫(weak)」と罵られながらも手を出さず、殴られそうになった正当防衛的な受け身の対応でやっと反撃する。
全てを失いながら、その性質は変わらず、「弱き者」(作中では「善人」とも言われる)として復讐を果たし、しかし死んで行くトニー。
このトニーの慟哭と行動を、贖罪と見るか復讐と見るかで、小説を送って来たエドワードの意図が変化する。
自分は確かに弱かった。
止められたハズがその勇気が無く、君の心を繋ぎ止める事が出来なかった。
そういう19年越しの謝罪であろうか?
それとも、お前に捨てられ子供も殺された。
俺は確かに弱いが、お前との関係性によって、こんな小説を書いてみせたのだという復讐心(revenge)を赤裸々に綴ったものなのか?
そう考えると、冒頭の献辞「FOR SUSAN」も皮肉に見えてくる。
どちらの意味に取るのかは、観客の感性と判断に委ねられている。
ラスト、エドワードが来なかったのは、
シャイだったからか?
手前ェなんぞに会いたかねぇよとすっぽかしたのか?
エロい服を着てルンルンで行ったスーザンはどちらの意味に取ったのか?
そういう事を考えるのがとても面白い。
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出演者補足
チンピラのレイを演じたのはアーロン・テイラー=ジョンソン。
『キック・アス』(2010)
『GODGILLA ゴジラ』(2014)
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)に出演している。
どちらかと言うとヒーロー寄りの役のイメージがあったが、本作では悪人を演じている。
役を確認するまで彼だと全く気付かなかった。
本作で新たな可能性を見い出せたのではないだろうか。
スーザンのアート・ギャラリーで変な服を着て赤ちゃんの様子をスマホで監視していたスタッフ役はジェナ・マローン。
『エンジェル・ウォーズ』(2011)
『ネオン・デーモン』(2016)等に出演している。
『ネオン・デーモン』での不気味な役の事を考えると、スマホに映った不気味な存在もあながち幻では無いかもしれないと思ってしまう。
スーザン自身に購入した記憶の無い、「REVENGE」という看板の説明をする印象的なシーンに出演している。
本作『ノクターナル・アニマルズ』は選択の物語である。
しなかった選択、選んだ道に後悔を感じたもの達の物語だ。
やってもやらなくても、結局後悔するのなら、正しい正解など無いのではないのか?
そんな事も考えてしまう『ノクターナル・アニマルズ』。
しかし、選択しなくとも、記憶が無くとも、知らぬ間に運命からの「REVENGE」はすぐそこに迫っているのかも知れないのだ。
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さて次回は、襲われる恐怖には復讐しないとな!!映画『ゲット・アウト』について語りたい。